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探偵一派  作者: 氷室冬彦
不死身の死体
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15 不死身の死体

 ロビーは水を打ったように静まり返っていた。


 ――死体が生きている。


 大きな矛盾だ。心臓が停止し、血液循環が止まる。脳全体の機能が停止する。生きていた者が死ぬことはあっても、死んだ者が生き返るなどということは起こらない。それが世の理だ。順路に沿って進むことはあっても、逆走することなどできはしない。


 しかし目の前に立つ青年はたしかに、それを成し遂げた。自然の摂理、世の理、それを捻じ曲げて息を吹き返し、自らの足で立ち上がって見せた。一度死んだにも関わらず――よみがえった。


 死者の蘇生を可能とするような能力などは存在しないし、そのような芸当を可能とする生命体はいまだかつて現れたことがなく――現れるはずのないものだ。人間でなくともあり得ない。カルセットでもなければ吸血鬼でも人狼でもなく、まして神でもない。まったくの未知なる生物と称するよりない。


 人間なあらざる者の存在に敏感な探偵や、生き物の性質を見分け、探知することのできる寿や、匂いなどから生き物を区別できるフランリーは、ひと目見たときから彼がただの人間でないことに気付いていたが、自己蘇生の術を身に宿しているとは、さすがに少しおどろいた。


「奇妙な存在だ」


「あんたもね」


 探偵がこぼした呟きに秋人が短く返して少し笑ってみせた。フランリーと寿は壁際に座り込んで退屈そうにしている。一方で、秋人に目が釘付けになっている宿の主人たちは真っ青な顔で口を開けて呆然としている。中年男がうしろに一歩よろめいた。


 その足音に気付いて彼を見た秋人は静かに指をさすと、耳鳴りがしそうなほど静まり返ったロビーでひと言。


「俺を殺したのはこの人です」


「なんで生きてるんだ!?」


 秋人と男がほとんど同時に言った。男の隣にいた女性が秋人の言葉にはっとして彼を見上げ、怯えるように身を固くした。それを見た宿の細君が咄嗟に彼女の手をひいて男から距離をとる。


 宿の主人は彼女たちをもう一歩さがらせてから、二人の姿を自分の背中に隠すかように、二人と男の間に立つ。血の気の引いた顔は表情がこわばっていて、手や唇が震え、汗もかいている。彼自身もこの状況に恐れを抱いているようだが、非常事態や理解を超える混乱に突き落とされても思考停止に陥らないタイプらしい。


 秋人は女性二人がひとまずの避難を済ませたことを横目に確認してから、目の前の男に視線を戻した。微笑んでこそいるが、くすんだ瞳に生気はない。たしかに生きているはずだが、根本的な部分で生命を感じられない。それは最初に会ったときからずっとそうだ。


 生きながらに死んでおり、また、死にながらにして生きている。


「あのとき、俺は果物を切ろうとしてたんです。せっかくいただきましたから。そしたらおじさんが来て、もともと声かけに行くつもりだったし、まあいいかと思ってそのまま部屋に入れました。食べるなら誘ったほうがいいかなって考えるくらいの愛想はありますから」


 秋人は一瞬、睨むような目で男を見た。死者に見据えられた男は、怖気づいたのか黙り込んでいる。


「少し世間話をしていて……聞き捨てならないことを言われたんです。内容は伏せます。口にしたくもない。あんたも言うなよ、言ったら俺がなにをするかわからないぞ。まあそれで、口論しているうちに熱くなってしまって。俺がおじさんを突き飛ばしたとき、ちょうどそこにナイフがあって。おじさんもカッとなってて、今手に持ったものがなんなのか、ちゃんと認識できてない状態だったんでしょうね」


 男の行動をフォローしているかのようだが、表情を見ればただの皮肉だとわかる。


「あとはわかるでしょ。そのまま刺されました」


「お、お前が――お前が先に手を出してきたんだろ! 正当防衛だ、俺は悪くない!」


「ただの喧嘩で殺してしまえば過剰防衛だ」


 探偵がぴしゃりと言い放つ。男は狼狽えた。


「だ、だってよ、そんなのあんまりだろ! ただの冗談だってのに、くだらねえことで勝手にキレて、勝手に熱くなって急に掴みかかってきて! あのままだったら俺が殺されてたかもしれねえだろ! そ、そもそもお前、生きてんじゃねえか! だったら、俺がやったことは殺しじゃない!」


「ただの冗談? くだらないこと――だと?」


 秋人は眉間にしわを寄せて低い声で唸るように呟いた。今にも掴みかかっていきそうな雰囲気の秋人を、探偵が手で制する。


「いいや、こいつはたしかに死んでいた。私が直に確認したのだから間違いない。そしてこの男を殺したのは貴様であり、それはまぎれもない事実。よしんばあの状態でまだ息があったとして、この短時間であの傷を完治させ、失った血液を補うなど、治癒関連の魔術でも使わない限りは不可能に近い」


 能力を使えば寿が気付く。ならば秋人のそれは能力によるものではなく、それ以外の力が働いたと考えるのが妥当だ。あのとき、秋人は確実に死んでいた。探偵の言葉に嘘はない。しかし、先ほど死んでいた秋人が今は生きている。これもまた変えようのない事実だ。


「死んだ人間が生き返ったって言うのか!? ありえないだろ、そんなこと!」


「だが実際に起きてしまっていることだ。現実逃避をするのはかまわんが、それはそれとして真実は変わらない。……まあ、かえってよかったのではないか? 貴様は殺人という恐るべき大罪を犯したが、今回は殺した相手が特殊だったおかげで罪に問われることはない。死体が出ていないのだからな」


「わ、こわーい」


 鼻で笑う探偵の、その目は実に冷ややかだ。フランリーが不意に肩を竦めるが、おそらく茶化したつもりはないのだろう。秋人は釈然としない様子でため息をつき、それからわざとらしく明るい笑顔と声を男に向けた。


「よかったね。人を殺しておいて、それ全部チャラなんだってさ」


 秋人が一歩近付くと、男は細く息を吸い込んでうしろにさがった。


「お咎めなしで、なんの償いも必要なく、また明日から何食わぬ顔で暮らせるんだってよ」


「く、来るな」


 一歩、また一歩。


「俺を殺したことはどうでもいいからさ、せめてひと言謝ってほしいな。自分にも非があったって認めてるんだろ?」


「やめろ、やめ、来るな、く、来るな!」


「俺だって男だ。これ以上の余計な争いは必要ないってわかってる。だから、あんたが前言を撤回して、ちゃんと謝ってくれたら全部を水に流すよ。俺も悪かったよ。ただの冗談なのに勝手にキレて熱くなって、急に掴みかかったりしてさ。ほら、俺は謝ったんだから、あんたも謝ってくれ」


 あとずさり、あとずさり、男の背中が壁にぶつかる。過呼吸のように息を荒くしている彼に、秋人はゆっくり歩み寄っていく。


「謝れ」


 逃げ場を失った男の指先に触れたのは、壁際に畳まれて置かれていたパイプ椅子だ。


「く、来るなァ! バケモノッ!!」


 鈍い音がロビーに響く。


 横薙ぎに振り上げられたパイプ椅子と、秋人の身体が床に叩きつけられる。倒れ込んだまま動かない秋人と、彼の頭ににじむ血を見て、男は腰が抜けたのか尻餅をつく。


「は――はは、こ、殺した、俺が、人を……に、二回も……」


「な、なんてことを……」


 宿の主人は口元を押さえてよろめいた。女のほうは一度悲鳴をあげたきり両手で顔を覆って泣いており、宿の細君は女を抱きしめながら背中をさすっている。


「むやみに殺すなよ」


 場を静まり返らせたのは他でもない、秋人の声だ。床に倒れ伏していた彼は、おもむろに起き上がる。額から一筋の血が垂れているが、それ以上の出血はない。おそらくもう傷自体が消えている。


「刺されたり、骨が折れたり、血が流れたり……死ぬ感覚って気持ちのいいものじゃないんだよね。二回も、理由も意味もなく死ぬなんて最悪だ。あんたも一回死んでみたらわかるよ」


「やめておけゾンビ男」


 探偵が止めると、秋人はくすんだ目をこちらに向けた。激怒しているらしい彼の目は、しかし感情がなく虚ろな印象だ。


「たしかに貴様は二度、その男に殺された。しかし今この場に居合わせた者ですら理解が追いつかず混乱している有り様だというのに、死体がよみがえって自分を殺した犯人を殺した――などという話を民衆や警備隊が信じると思うか? 当然のことだが、その男を殺せば貴様が檻に入ることになるぞ。だが貴様を殺したからといってその男が捕まることもない。先ほども言ったように死体が出ていないからだ。貴様は被害者だが、被害者になることができないのだ。制裁を加えたければ別の方法を探すことだ」


「不公平だなあ。理不尽なことばかりじゃんか」


「それが世間というものだ」


 探偵はぼやくようにそう返すとカウンターに料金を置き、青ざめたまま固まっている一同を放って宿の玄関扉に手をかけた。このまま客室に戻っても、何事もなく夜を明かすことはできないだろう。寿とフランリーがそのあとに続く。


「警備隊には通報済みと聞いているが、事実を話したところで頭のおかしな連中と思われるだけだ。薬物をやったと疑われるかもな。二階の血痕は怪奇現象と片付けてくれれば御の字だが、余計な嫌疑をかけられる可能性のほうが高い。今夜のことは他言無用とし、悪い夢を見たと思って忘れることだ。残念ながら、貴様らの精神のケアにまで付き合ってやるほど私はお人好しではない」


 扉に着けられたベルが鳴る。誰も探偵たちを止めなかった。暗がりの中を西に向かって歩き、宿の光が小さくなってきたころに、探偵はため息をつく。


「貴様、なにを当たり前のようについてきている?」


 秋人は先ほどまでの冷淡な表情とは打って変わり、人好きのする笑顔で探偵の隣に並んだ。


「いいじゃん。俺、今夜泊まるところないし。まだライニにも帰れないしさ」


「……まあ、ついてこられて困るのは吸血鬼だけなのだから、私は別にかまわんが」


「へえ、あんた吸血鬼だったんだ? なんだよ、やっぱり人間じゃないじゃんか」


「げ。探偵、こいつ俺んちに泊めるの? ヤだよ、こんな変なのが一緒なんて」


「こいつとか貴様とか、なんなんだよ。俺は秋人だってば」


 秋人の抗議を探偵は無視して歩く。寿は秋人の客室から持ち出してきた飴玉のビンを振り、音に気付いてそちらを見下げた秋人にビンを差し出した。中には青、白、赤、緑の飴玉が残っている。


 フランリーが苦い顔をして頭を掻いた。

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