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探偵一派  作者: 氷室冬彦
不死身の死体
16/19

14 赤の部屋のくすんだ消失

「探偵、秋人はなんで死んだの?」


「果物ナイフで心臓をひと突き。刺さったあとに自分で引き抜いたのだな。凶器が回収されていないところを見る限り、犯人は相当動揺していたらしい。一時的な感情に任せて刺したのか、あるいは事故のようなものだったのか……」


「心臓刺されたら死んじゃうんだ」


「大抵の生き物はそうだな。貴様の場合はただの刃物で心臓を貫いたとしても死には至らないだろうが、同じ尺度ではかるべきではない」


 言いながら探偵は部屋の中を見まわした。ベッド横のサイドテーブルに寿が持っていたはずの飴玉のビンが置いてあり、中には飴玉が五つ残っている。寿が自分で彼に渡したのだろう。あの小人はよく手に持っているものを誰かに渡したがる。


 フランリーは秋人の遺体を跨いで窓辺に立った。四角い夜の中に月がぽつりと浮かんでいる。日は落ちた。吸血鬼の時間だ。ぼんやりと淡く光る月を見つめるフランリーを、探偵はしばらく眺めていた。そこに立つ生き物の正体を月光が暴き出すかのように、月を見つめるフランリーは吸血鬼の目をしている。そこにいるのは、ただ図体がでかいばかりの子どものような男ではない。


 太陽、日向、昼間の街――フランリーはいつも、そういった天敵ものに対して忌々しげな表情を見せる瞬間がある。一方で、夜になると屋根の上で月を眺めるのが日課なのだという。人間は太陽の光を浴びることで特定の栄養素を生成することができるが、フランリーの場合は月の光を浴びることでなんらかの養分を得ているのかもしれない。


 光を厭い、闇に憩う。人間とは正反対の種族。その溝のいかに深いことか。月を眺めるフランリーを見るたびに、自覚せずにはいられない。ともに歩み、ともに生きる。そのような平和な時間が、はたしていつまで続くものか。


「戻るぞ。一階に待機させている他の連中も、そろそろ落ち着いたころだろう。話を聞かねばならん」


「うん」


 フランリーは再び秋人の遺体を跨いで探偵の隣に戻ってくる。部屋を出る間際、探偵は一度だけ部屋の中を振り返り、しかしすぐに一介に向けて歩き出した。



「第一発見者は貴様だな」


 一階のロビーにて、探偵が問うと中年の男は一度肩を震わせ、三回細かく頷いた。隣にいる女はまだ震えているが、現場を離れてひと息ついたことで、それぞれ冷静さを取り戻しつつある。


「あ、ああ……あ、ええと、俺、俺はあの若造――秋人とは同じ職場の先輩後輩の仲なんだ。普段はライニで働いてて、その、仕事の都合で数日こっちに来てた。まあ出張みたいなもんだ。橋に行くために通る竹林が封鎖されてたから、そこが通れるようになるまで何日かここに泊まることになって……」


 男はまず一同に――というより主に探偵に――被害者である秋人との関係から説明した。フランリーが首をかしげる。


「船は? 船に乗って帰れないの?」


「俺たちももちろん考えたんだが、まあ、ライニとリチャンを行き来したい連中も、みんな同じことを考えるだろ。竹林の封鎖を知ったころには、向こうしばらく船は予約が満杯で……それに、竹林の管理をしてるところに問い合わせたら、数日で通れるようになる見通しだからって言われて。船の予約に空きができるのが先か、竹林が通れるようになるのが先か、って状況だったんだ」


 ああ、それで――男は話を戻す。


「あいつが一人部屋がいいって言うから、部屋は隣だが別々だ。あいつの右隣――廊下の突き当たりが俺が泊まってる部屋だ。とくにすることもないし、部屋で報道誌を読んでたらよ、隣から話し声が聞こえたんだ。まあ別に、この数日のうちに近場で友達を作っててもおかしくないし、最初は別に気にしなかったんだが……こう、様子がおかしくて……」


「様子がおかしい、というと?」


「言い争いでもしてるみたいな感じだったんだよ。そのうちドタバタ物音が聞こえて、誰かと喧嘩になってるんだと思って。んで、喧嘩なら止めてやんねえとって、それであいつの部屋に行ったんだ。そしたら……」


 続く言葉がため息に消える。なにを見たのかは明白だ。男は一度手で顔を覆うと、ちらりと探偵を見た。


「……し、死んでる、んだよな? あいつ、本当に。俺がもう少し早く様子を見に行ってれば……」


 もう一度深いため息をついた男の隣で女が頷く。


「あの、私も……だいたいはこの人と同じです。彼……秋人さん、ですか? あの方の左隣の部屋が、私がお借りしている部屋です。誰かと揉めてるような声と音がしたのは気付いたんですが、女の私が行っても仕方ないと思って……でもとりあえず、宿のご主人に知らせておこうと部屋を出ようとしたら、その人の叫び声が聞こえて、おどろいて、見に行ったら……その」


 声を震わせてうつむいた女の背中を、宿の主人の妻であろう初老の女がさすって慰めている。宿の主人がカウンターの奥から椅子を持ってきて女を座らせた。


「僕はずっと一階にいました。妻もです。突然二階が騒がしくなったので、なにかあったのかと思い……そこから先はみなさんが見ていたとおりです、はい。妻はずっと奥で別の作業をしていました」


「部屋に散乱していた果物は、あの青年が自分で用意したものか?」


「あ、それは私が。その、いただき物だったんですけど、たくさんあったので少しもらっていただいたんです。ご主人と奥さんにもお裾分けしたんですが、それでも私一人で食べるには多かったので」


「なあ、そういえばさっき、あの部屋……窓が開いてなかったか?」


 男が思い出したように言う。宿の主人が頷いた。


「たしかに。ということは……犯人はもう、逃げてしまったのかも……? ああいや、でも窓の近くには掴まれるものも足場になるものもありませんし……」


「飛び降りたら音がするよ」


「僕はそれらしい音は聞きませんでした。おまえ、なにか聞こえたかい?」


 主人は妻に尋ねるが、彼女は首を横に振った。


「でもよ、能力者ならどうだ? 音をたてずに逃げ出せるかもしれないだろ」


「それはない。付近で能力が行使されたなら私の助手が気付く。さらに言うと、この寿は周囲にある生き物の気配を察知できる。建物内部の反応数に変動はなかった。能力は絡んでいないし、外部犯の仕業でもない」


「そ、それじゃあなんですか? この中に犯人がいるっていうの!?」


「そうだ」


 くってかかるような女の言葉を、探偵はすんなり肯定する。彼女は一瞬言葉に詰まらせてからフランリーを指さした。


「だ、だったら、一番怪しいのはその人です!」


「俺?」


「私、見ました! その人が秋人さんと話してたのよ! なにを話していたのかは知りませんけど、死体が見つかったのはその少しあとでした。その人が犯人じゃないんですか!」


「えー? たしかに秋人とはちょっと話したけど、すぐ部屋に戻って探偵とぼーっとしてたよ」


「ぼーっとしていたのは貴様だけだ、一緒にするな。……これのアリバイは私が保証する。たしかにこの男は犯行がおこなわれたと思しき時刻には私といた」


「そうだよ。それに、食べるわけじゃないのに殺してどうするの?」


「食べる? な、なに言ってるの?」


「うん? みんな、お肉食べるでしょ? 牛とか豚とか。俺はほとんど食べないけど。食べるために殺すでしょ? 牛と豚と、鶏と……でもなんでもは食べないでしょ? 人間は人間を食べたりしないよね?」


「お、お前、なんの話してんだ……?」


「え、だから、人間を食べないなら、秋人のことも食べないよね? 俺はあいつを食べられるものだって思わなかったよ? みんな違うの? 食べたいなら殺すけど、食べないなら殺さないでしょ?」


 フランリーの弁明に、フランリーを疑った女も、宿の主人や中年男も、あっけにとられた様子でフランリーを見ている。価値観や倫理観の違いからくる違和感、会話がかみ合わない原因に思い至らないのだ。彼らの目には今、このフランリーが理解の及ばない気味の悪い青年に映っている。


「俺だったら道具なんか使わないし、見つからないように、いなくなったみたいにするよ。人間がこんなにいる中で殺しても、すぐわかっちゃうでしょ? それにあいつまずそうだもん。ね、探偵」


「知るか。私に同意を求めるな」


 咳払いをひとつ。


「この者は私の手伝い人だ。もう一度言うが、事件当時は私と一緒にいた。私はこの者が犯人ではないと知っているが、貴様らがこれを疑うのも仕方がないことだろう。ならば事件の真相を暴くよりも先に、この者の潔白を証明してみせよう。無論、今すぐにだ。自分の付き人が疑われたままではかなわん。少し時間をもらうことになるが、かまわないな?」


 探偵が言うと、宿の主人がはっとして手を振った。


「い、いえいえ、探偵さんのお付きの方なら心配ないでしょうとも。自分が疑われるんじゃないかと、ちょっと不安だっただけで。捜査の続きをお願いします。警備隊にも連絡したのですが、こちらに来るまでに時間がかかるそうなので……我々は、こちらで待機していればいいのですか?」


「ああ。なにか必要があれば改めて呼ぶ」


「そ、それって、今この場に人殺しがいるかもってことでしょ!? 冗談じゃない! 私じゃありませんからね! 私、自分の部屋で待たせてもらいます!」


 女は感情的にそう告げると、ひと足先に二階へ戻っていった。宿の主人が一歩遅れて追いかける。探偵は止めない。


「お待ちください、お部屋までご一緒します」


「一人で大丈夫です!」


「でももし犯人がどこかに隠れていたら……」


 階段の上から二人の声が聞こえるが、それも徐々に遠ざかっていく。中年男は天井と探偵との間で一度視線を行き来させ、うつむいてため息をついた。宿屋の細君は足元にいた寿の頭をなでている。この場で一番落ち着いているが、それは現場を見ていないからなのか、おっとりした見た目に反して肝が据わっているのかもしれない。


 数秒、宿の中は静かになった。しかし次の瞬間、再び女の悲鳴が沈黙を裂いた。階段を転がり落ちるような勢いで駆けおりて来た女は、床の上で転んで顔を覆って泣き出した。中年の男が思わずといった様子で一歩そちらに寄る。


「お、おい、あんた、大丈夫か? どうしたんだ?」


「もうイヤ! なんなのよ!」


 女は泣いてばかりだ。女よりわずか遅れて階段を駆け下りた主人が、血の気の引いた顔でこちらを見た。


「探偵さん! し、死体がなくなっています!」



 *



 床に転がる果物。開け放たれた窓。風にはためくカーテン。倒れた椅子。現場は死体発見当時からなにも変わっていない。ただ、そこにあったはずの死体が消えている。宿の主人の言葉を聞いて現場に戻ってきた探偵は、その光景を見てため息をついた。


 それからサイドテーブルにあったビンの飴玉が、ひと粒減っていた。



 もう一度現場を調べなおし、一階に戻ると、その場にいた全員が探偵を見た。犯人が誰なのかはすぐにわかっていた。しかし、問い詰めるためには、言い逃れのできない決定的な証拠を見つけなければならない。今回もそうだ。


「ここでひとつ、謎解きをしようか」


 ため息をつきそうになったのをこらえ、続ける。


「まずはじめに、謎解きと言っても、私の口から語ることはなにもない――と言っておこう」


「犯人がわかったのでは?」


 宿の主人が問う。探偵は頷く代わりに睨みつけた。


「この私が、この程度の事件を、解決できないとでも思うのか? 私を誰だと思っている? すべてを理解したうえで、なにも語ることがないと言っているのだ。今回の事件の真相、それを語るのは私ではない」


「で、ではいったい誰が……」


 探偵は階段を振り返り、誰もいないはずの空間に向けて声をかけた。


「そら、さっさと出てこないか。ここから先は自分で話せ」


 全員の視線が集まるなか、一人分の足音が近付いてくる。一歩ずつ階段をくだり、現れたのは一人の青年。


 明度の高い茶髪。探偵やフランリーほどではないが背が高い。すらりとした細身で、端正な顔立ちだが、目はくすんだ緑色をしている。最後に見た時とはシャツが変わっており、それが血で汚れていないのは、彼が無傷である――あるいは傷がふさがっているという証拠だ。


「やあ、すみません。お騒がせしてます。それじゃ、そこから先は俺が話しましょう」


 殺されたはずの青年――秋人は薄く微笑んだ。

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