8 協力の提案
「吸血鬼を斬ったことは何度かあるが、死ななかったのはお前がはじめてだ」
森の中を歩きながら言う刈人。フランリーはその背中を追って歩きながら頷いた。
「あ……うん。俺、他の吸血鬼とはちょっと違うみたい。探偵が言ってた」
刈人に斬られた傷はなかなか治らなかった。本来であれば数分と経たずに再生するはずが、フランリー自身が弱っていることと、刈人が持つ罪を刈り取る特質のせいだろう。相手が罪人であるならば、刈人は常にその者より優位である。銀を含んだ武器がなくとも、太陽の力を借りずとも、それだけで吸血鬼をも殺すことができる。それが刈人だ。
「俺のこと殺さないの?」
「禊は済んだ」
「みそぎ?」
「斬るべきものは既に斬ったということだ」
フランリーにはその意味がよくわからなかったが、刈人は構わず歩き続けた。
「さっき、ここにいることができるのは時間の問題だって言ってたけど」
「ああ。人間はそのうち、オレを完全に排除するべく動くはずだ」
「やっぱり、そうなる前にどこか別の場所に行ったほうがいいよ」
「さっきも言ったように、オレはこの森を出ることはできない。逃亡を恥だと思うのではない。外は人間の数が多すぎる」
「夜は?」
「人間が寝静まったあとは亜人種族が外をうろつき、この森を注視している。オレが森から出ればその瞬間に襲いくるだろう」
「……他の吸血鬼たちも?」
「明確にオレの命を狙うのはそれ以外の種族……とくに、人間社会に溶け込むことに苦戦している種族は、手っ取り早く人間に取り入るためにオレの首を獲ろうと考えている。人間と亜人が結託してオレを殺しに来る日もそう遠くはない」
「だったらなおさら、どうにかしてここを抜け出さなきゃ。俺と一緒においでよ」
「お前と?」
「だって、ずっとここにいたら危ないよ。人間たちが攻め込んで来たら殺されちゃうってわかってるんだったら、なんとかしなきゃ。お前だけじゃなくって、たくさんの人間が死ぬことになる」
刈人は立ち止まってフランリーを見た。
「それに、俺もお前と同じで、いつも一人でいるんだ。今は探偵が来てくれてるけど毎日じゃないし……ここを逃げたら住むところがいるでしょ? 俺が住んでる屋敷なら部屋も空いてるし、お前が一緒にいてくれるなら俺もさびしくないし」
フランリーは説得を続けたが、刈人はじっと黙ったままなにも言わない。
「――それ以前に森から出る手段がないと言っているのだろうが、鳥頭め」
答えない刈人の代わりに、聞き慣れた声が視界の外からフランリーを罵倒する。声のした方向を見ると、探偵が草木を掻き分けながら姿を現した。足元には寿も一緒だ。彼の声は低いがよく通る。刈人が身構えたのを見て、フランリーは咄嗟に彼と刈人の間に割って入った。
「ま、待って刈人。探偵だよ、さっき話した。俺の友達」
「本当に生き残りがいるとは。長命種族は人間よりもしぶといようだな。いったい何千年生きていたのだか」
「探偵、刈人を助けるにはどうすればいいかな。俺のとこなら刈人のことを知ってる人間もいないと思うし、ここよりいいと思うんだけど」
「連れ出すことには賛成しよう。そのあとの面倒は貴様が……いや、刈人のほうがよっぽどしっかりしている。面倒を見られるのは貴様のほうか。だが今それよりも大事なのは、本人の意思がどこにあるかだ」
探偵はまっすぐに刈人を見据える。刈人は数秒黙り込んでからこちらを見上げた。
「……なにをすればいい?」
「人間に扮して森を出ればいいだけだ。町の人間どもは貴様を、人間の子ども程度の背丈に群青色の装束を着た亜人と語っていた。つまり服の色以外に貴様を見分ける情報を持っていないということだ」
「じゃあ、着替えるだけでいいの?」
「あとは刈人自身の問題だろう。移動中に発見した罪人をすべて無視すること。それさえできるならすぐ実行できる。これだけ理性的ならば、本能的な衝動であっても多少は耐えられるはずだが」
「そのくらいの気概はある。だが」
「なんだ」
「オレに協力することでお前になんの利点がある? なにが望みだ?」
「当然、ただの親切で協力するわけではない。森を出たあと、貴様には一緒に来てもらう場所がある」
*
宿に帰り着き客室の扉を閉めたところで、フランリーは安堵の息を吐く。探偵が町で調達してきた服に着替えたあと、フランリーは刈人とともに一度宿に戻り、探偵は少女の訃報を届けに民家のほうへと向かった。探偵はあの少女の名前も知らないはずだが、彼女の家がわかるのだろうか。それとも、少女の家族を知る別の誰かのところに行ったのだろうか。
「あの男はなぜ、敵であった者を助ける」
刈人が言う。彼が着るフードのついた服はサイズが大きく、寿と同じように裾や袖が余っているが、おかげで顔はしっかり隠れているため、刈人自身の精神状態は落ち着いているようだ。もともと着ていた服は手近な麻袋に入れて腕に抱えている。フランリーは刈人の言葉の意味がよくわからなかった。
「刈人は敵じゃないでしょ?」
「あいつはなぜ協力した?」
「え、わかんない。来てほしいところがあるって言ってたから、たぶんそのためじゃない?」
「別れ際、あいつは荷物をまとめるように言っていた。今すぐここを発つつもりか」
「わかんない」
「……お前は、その指示の意図も行動の意味も知らず、それが善か悪かすらわからないまま、あの男に従っているのか?」
「うん? 探偵はいいやつだよ」
「理解できない」
「俺は刈人に死んでほしくないだけだよ」
部屋の扉が開く。探偵が戻ってきたようだ。
「吸血鬼、荷物を持て。刈人、もうしばらく町の中を歩くがおとなしくしているように。町を出る前に行くところがある」
「うん。……あ、そうだ刈人。名前はなんていうの?」
「名前?」
「刈人って、種族の名前なんでしょ? 一人一人の名前はなかったの?」
刈人は考えるようにうつむきかけるが、すぐにフランリーを見上げた。
「まだ他の仲間がいたころは、個々を見分け円滑な関係を築くために、それぞれの名前があった。だが昔の名も、新たな名も、今となってはどちらも必要のないものだ」
「どうして?」
「唯一生き延びたオレは、死んでいった同胞たちの無念と期待を背負っている。オレが刈人を名乗り、可能な限り生き続けること。それが同胞たちへの弔いとなり、同時に一族の希望となる。これはオレの誇りだ。オレがそう思う限り他の名を名乗るつもりはない。オレは刈人だ」
「……そっか」
刈人の話はむずかしく、フランリーには半分程度しか理解できていない。ただ、かつて死に絶えた仲間たちのために、覚悟をもってその名を名乗るのだということはしっかりと感じ取った。単純に名前がなかっただけのフランリーとはまるで違う。彼には彼の信念があるのだ。
「話は済んだか? ならば行くぞ。これ以上長居していても仕方がない」