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6   アトランティスの美少女戦士

 サキの家から見える丘の高台に隼人の家はあった。

 三人家族には広すぎる三階建ての大きな家は丘の斜面に建っていて玄関は建物の二階にあたる。リビングやキッチンなどの生活空間がこの階にあり、三階が両親の寝室、隼人の部屋は一階だった。


 隼人がドアを開けようとすると玄関の扉には鍵がかかっていた。

「出かけちゃったのかな? 母さんは火、水、金が仕事だけど、今日は月曜だよね?」

 隼人がサキに確認するように言って振り返る。

 サキがそうだと答えると、隼人が駐車場に停めてある車を見て言った。

「車があるからすぐに帰って来るよ。遅くなるときは必ず車で出かけるから」


「お母さんが戻ってこないと入れないの?」翼が心配そうな顔をした。

「大丈夫だよ」隼人は翼に笑いかける。「僕も父さんもよく鍵を忘れちゃうから、隠してあるんだ」

 隼人はそう言って、ドアマットの下から合鍵を取り出した。


 鍵を開け、隼人は合鍵をドアマットにもどす。玄関で靴を脱ぎ、サキたちは隼人の後に続いて階段を降りた。

「さあ、入って。暑くてごめんね。すぐにクーラーをつけるよ」

 隼人の部屋は庭側の一面が全面ガラス戸になっていて、一階なのに自然光が差し込んでとても明るい。閉め切っていた部屋は蒸し風呂のようだった。


 隼人はシャツの袖をまくるとガラス戸を開けて空気を入れ替えた。白くて細い腕にある、煙草の火を押し付けたような沢山の古い傷跡が、サキの目にとまる。サキが腕をじっと見つめているのに気がついて、隼人は慌てて袖を降ろした。


「ここ、地下なのに直接庭に出られるんだね」

 翼が隼人の横に立った。

「玄関の脇から庭へ続く階段があるんだよ。階段を降りると、ここに出るんだ。そのドアからも玄関と同じ鍵で出入り出来るのさ」

 隼人は窓の横にある庭に続くドアを指さした。

「夜中に抜け出すにはもってこいだな。と言っても、引きこもりには必要ないか」

 サキがからかうように言う。

「だから、不登校だってば」隼人は口をとがらした。


「素晴らしい眺めですね。街中が一望できます。あの辺が僕の家ですね」

 いつのまにか、空も近くに来て景色を眺めている。

 空気の入れ替えがすむと、隼人はガラス戸を閉めてクーラーをつけた。


 多少、神経質に思えるほど部屋は綺麗に整理整頓されていたが、壁のところどころに殴ってできた穴のようなものがあるのが、サキは気になった。


「すごく大きい!」机の上のパソコンを見た翼が感激して声をあげた。「二十二インチだ。こんなの欲しいなあ」

「翼君は、コンピューターにとても詳しいんですよ」

 空が翼のことを、自分のことのように自慢する。

「これ、最新型のパソコンなんだよ」

 翼は空にそう言うと、遠慮がちに触ってもいいかと隼人に訊ねた。

「もちろん」隼人は自慢のマシーンを褒められて気をよくした。

「ネットは使えるよね?」と翼に訊いて、ブラウザーを立ち上げる。


 モニターの横にはコンピューター関連の雑誌がずらっと並んで、もう一台ノートパソコンもあった。横の本棚には「宇宙が望みを叶える」「野望は叶う」「運を引き寄せろ」といった精神世界系のタイトルが目立つ。出版元はさっきのコスモワールドだ。


 翼は隼人に促されて、コンピューターの前に座った。

 その間、空はベッドの上の飾り棚に並んでいるフィギュアを見つけて、目の色を変えて眺めている。中には幼い顔で悩ましげなポーズをとっている物もあり、サキは眉をひそめた。


「この棚にDVDがあるから、適当に見ていいよ」

 隼人が空をベッドの脇の棚に案内すると、棚には雑誌やDVDがあいうえお順に並んでいた。

 空は『アトランティスの美少女戦士』に関係したものを次々に棚から出していく。

 しばらく、それらを手に取って眺めていると、翼もパソコンを触るのを止めて椅子から立ち上がり、空の隣に座った。


 サキはアニメよりも、大きなモニターとその近くにある周辺機器に興味を持った。

「随分、勉強しているんだな。パソコンって面白いか?」

 サキは机の上に山積みになっているコンピューターの本に目を落とす。 

「特にすることがないからさ。自然に詳しくなっちゃった。パソコンがあれば家にいても世の中のことが手に取るようにわかるしね。ネットで手に入れられない情報はないよ。爆弾の作り方だって載っている」


「隼人は、どんなことができんの?」

「簡単なゲームソフトのプログラミングとか、いろいろ」

「ふうん、すげえな。ハッキングなんかもできちゃうわけ?」 

 サキは冗談で訊いたが、隼人は当然という顔で答えた。

「国家レベルは無理だけどね。セキュリティのあまい企業なら」

 コンピューターの話をするときの隼人は自信に満ちている。


「羨ましいよ。特技があるってのはさ。高校はやめんのか?」

「わかんない」

「無理して来いなんて、言うつもりはないから。やりたいことがあるなら学校なんて来なくていいじゃん。義務教育じゃねえし」

 サキはパソコンの雑誌を手にとって、ページをめくる。

「麻生さんがわざわざ来てくれたし、行ってみようかな」

「わざわざじゃねえよ」サキはふっと笑った。

「考えてみるよ」と翼は言い、「好きにすればいいさ」とサキは微笑む。


「今度、学校で習わないパソコンの使い方を教えてくれよ。使いこなせたら便利そうだ」

 サキがパソコン雑誌を隼人に返すと、「いいよ、いつでも」と隼人は嬉しそうに答えた。


「隼人さん、これ、見てもいいですか?」

 空が『アトランティスの美少女戦士』のDVDを手にしていた。

 隼人は空からDVDを受け取ってプレーヤーに入れるとテレビをつけた。


『アトランティスの美少女戦士』は、悪魔に魂を売り、アトランティスを滅ぼした神官に創られた女神のクローンたちが現代で蘇り、世界征服を企てる悪者に利用されて世界を破滅させようとするのを、女神の生まれ変わりの女子高生が阻止するという話らしい。

 女神が絶世の美女だったことで、魔女と呼ばれる悪者のクローンたちもみんな美しく、エピソード毎に変わる魔女たちのヘアスタイルや、多彩のコスチュームが話題を呼んで、フィギュアが爆発的に売れているという。


「クローンって容姿も性格も全て同じになるんじゃなかったっけ? 女神のクローンなら悪者にならないんじゃねえの?」

 三十分のエピソードが終わって、サキが疑問を口にすると、空が即座に答えた。

「クローンはオリジナルと全く同じ遺伝子を持つので、心身ともにオリジナルと同じになりますが、性格においては成長過程での環境が大きく影響されると思われます」

「この魔女たちは、世界を破滅させるように生まれたときから教育されているんだよ」

 隼人が空に補足して言うと、床から立ち上がってテレビに近寄り、DVDを取り出した。


「女神は真っ直ぐな心で神に使えていました。悪者は女神の忠信を重んじる性格を巧みに利用したのです。実は女神のクローンである魔女たちはとても純粋で、自分の使命のために戦わされているんですよ」

「生まれたときから悪を善と教えこまれているなら、そうなるかもな」

 サキはアニメ雑誌をぱらぱらとめくりながら、空の説明に納得して首を数回、縦に振った。


「クローンには二通り、『受精卵クローン』と『体細胞クローン』というのがあるんだよ。『受精卵クローン』の場合は、雄の精子と雌の未受精卵が受精した初期の段階において、細胞分裂がある程度進むのを待ち、そこから細胞を一つ取り出すんだ。この細胞がクローンの元になる。そしてその細胞を、あらかじめ遺伝情報であるDNAが含まれている核を取り除いた、別の未受精卵に移植して作るんだ。わかるかい?」


 隼人はサキと子どもたちの顔を交互に見た。

 サキは激しく首を左右に振り、「全然」と答える。空も翼も口を開けてぽかんとしていた。


「簡単に言うと、この方法だとクローンには父親と母親の情報が両方入っちゃうんだよね。全く同じ人間を再生出来るわけではないんだ」

 隼人は苦笑して言った。続けてよいかサキたちの様子を伺い簡単に説明する。


「分裂した細胞を使うから作れる数も限られてくる。つまり七つに分裂したら、七つ子の一卵性双生児みたいにその七人はそっくりになるけど、オリジナルとは同じにはならない」


「じゃあ、どうすればオリジナルと全く同じクローンが出来るの?」

 翼が質問した。


「オリジナルの体細胞を使うんだよ。口腔粘膜や皮膚の組織片を採取して核だけ取り出し、核をあらかじめ抜いた未受精卵に入れてやるんだ。この方法で造られたクローンは一卵性双生児のように遺伝子がオリジナルと全く同じになるってわけだ。これなら、クローンは無限に作れる」

 隼人はそこまで一気に説明すると、誰も話を理解してないことに気づいた。


「話がそれちゃったね。つまり、僕が言いたかったのは、魔女たちが、受精卵クローンで作られた可能性もあるってことさ。作者はそんな細かいことを想定してないだろうけどね」


「受精卵クローンで作られたら、女神と完全に同じDNAじゃないってわけだな」

「別の人間の血が混じるからね」隼人はうなずいた。「クローンのことはさておき、人は誰でも優位に立ちたいし、支配したいと心の底では思っている。魔女たちは欲望に正直に生きているから美しく妖艶なのかもしれないって、僕はときどき思うんだ」

 隼人は冷たい目をして笑った。隼人がこんな顔をするなんて、サキには意外だった。


「僕は、全く同じ女神のDNAを持つクローンたちが、環境によって変えられてしまったという設定にロマンを感じます」空が口を挟んだ。「だからこそ、魔女たちひとりひとりにドラマが生まれるのですよ。主人公の仲間と恋に落ちる魔女のエピソードなんて、思わず泣いてしまいました」


「いずれにせよ空君の言うとおり、このアニメが爆発的なヒットを生んだのは、個性豊かな魔女たちの活躍が大きいね」

 隼人はクロゼットから段ボールの箱を出して、ケースに入ったままの魔女のフィギュアを数体取り出し、空に見せた。


「すごいです。これ、みんな超レアものですね」

 空が声を震わせる。

「そっちのフィギュアは?」

 翼が、段ボールの中の一個だけ特別なケースに入れられているフィギュアを指さした。

「それはだめ」隼人が大きな声を出した。「ごめん、宝物なんだ。触らせてあげられない」

 翼は声に驚いて手をひっこめた。

「見るだけならいいよ」

 隼人はケースを手に取ってフィギュアをみんなに見せる。セーラー服を着たヒロインのフィギュアだった。

「そのフィギュア、なんだか空君のお姉さんに似ているね」

 翼が何気なく言った一言で、隼人の顔はみるみる耳まで赤くなった。


 その後、空と翼はフィギュアに夢中になり、気づくと外は薄暗くなっていた。

「携帯の番号かメールアドレスを教えてくれない?」

 部屋を出るとき、隼人は蚊のなくような小さな声で恥ずかしそうにサキに訊いた。

「そんなもんねえよ」

 サキがぶっきらぼうに答えると、隼人は「そっか」と言って黙り込み、みんなで階段を上がって玄関に向かう。


「家の電話番号が住所録にあんだろ。そこにかけろ」

 扉を開けて外に出るときに サキは早口で隼人に言った。


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