表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

66/67

64 神の領域の中で……

 目を覚ますと病院のベッドの上だった。いきなりサキのぼやけた視界に、あどけない空の笑顔が飛び込んできた。

「サキが目を覚ましました!」耳元で、空が大きな声で叫んだ。

 ベッドの左右からエリカと霧島の顔が現れて、覗き込むようにサキを見下ろす。

「肩、痛い? 大丈夫?」エリカがサキの手を取った。


「エリカが無事でよかった」サキは目を細める。「それにしても、なんであのとき霧島が? エリカが呼んだにしても到着が早すぎるだろ」

「実は、サキに貸した携帯は霧島さんからサキに渡すように頼まれたんだ」

 エリカがばつが悪そうに白状した。

「GPSの他に発信器の機能も同時に備えた特別な携帯だ。普段はGPSで即座に居場所が追跡でき、電源が落とされた場合は自動的に発信器に切り替わって警察に通報が行くように改良されている」

 霧島が簡単に説明する。

「だから翼の父親が刺されたとき、あんたはすぐに病院に現れたのか。変だと思ってたんだよ。畜生、みんなで騙しやがって」

「だって、あのときは霧島さんからだって言ったら、サキは受け取らなかったでしょ」

「それがあったからサキは助かったんですよ。みなさんにお礼を言ってください」

 エリカが楽しそうに言い、空がサキの言い草をとがめた。

「サキの携帯に繋がらないので僕が霧島さんに電話をしたのです。それでサキが居る場所がわかって、お爺さまにお願いしました。ヘリでも使わないと間に合いませんからね」


「佐伯を陥れた男も捕まったよ」エリカがまるで自分の手柄のように言った。「ずっと前に研究を盗まれたと佐伯の会社に乗り込んできた男が、逆恨みをして仕組んだんだって」

 エリカの話によると、生きる望みを失わせて佐伯を自殺に追い込んだと、男は自白したそうだ。


 佐伯が死んだ日、その男は鳥の写真を渡したと証言すると言って佐伯を呼び出しておきながら、佐伯が駅のホームに着くのを見計らい携帯に再び電話をかけ、佐伯の逮捕状が出たという警察発表されたばかりのニュースを聞かせた。

 そして、追い打ちをかけるように、渡したのは鳥の写真ではなく金だったと嘘の遺書を書いて、自分はこれから自殺するつもりだと告げ、佐伯を絶望の淵に追いやったという。


 時を同じにして、駅のホームで佐伯の自殺を目撃した男が、別のホームから人を突き落として殺人未遂の現行犯で逮捕されたと、霧島が告げた。

 この男はネットで自殺希望者を捜しては自殺幇助をしていた。

 佐伯については、誰かに死にたがっている男がいるとメールをもらって、自殺をしなかったときは突き落とすようにそそのかされたと話している。メールには佐伯のことが詳しく書いてあり、数日前から佐伯の後をつけていたらしい。十中八九、天童が用意した男だろう。 

 佐伯の死が突発的な自殺だったのか、他殺なのかは、これから警察が調べ直すことになった。どちらのケースも何者かが男たちに接触して知恵を授けたのだが、影で操っていた人物を断定することは難しく、例え、容疑者を挙げても罪を問うのは容易でないらしい。


「天童はどうなった?」

「さすがに今度は逃げられない。殺人未遂と傷害に加え、誘拐と監禁で立件できる」

 霧島が晴れ晴れとした顔で告げた。

「一命を取りとめた由香が全面的に罪を認めて、エリカを誘い出し誘拐したと告白した。天童の関与を口にしているだけでなく、本間を誘惑するように指示されたことも匂わせている。天童と手を組んでいた本間が、調子に乗って要求を増やして仲間割れになったようだ。本間裕美も天童逮捕の速報を聞いて、少しずつ口を開きはじめたというから、本間の事件についても徐々に証拠が出て来るだろう。裕美が借りていた貸金庫からは、オリンピック選手や世界に名だたる文化人の名が記されたリストが出て来た。裕美はこの他にいのちの樹がしていた違法な研究や犯罪の証拠を持っていることを告白している。おまえたちが監禁されていた施設は、警察がすでに立ち入り検査を行っていて、それだけでも充分天童を追いつめられるが、裕美の証拠がそれに加われば確実に天童の息の根をとめられる」

「これでやっとゆっくり眠れるな」サキは緊張が解れていくのを感じた。



 サキが霧島とふたりにして欲しいと言ったので、エリカは空を連れて帰った。

 ふたりっきりになると、急に病室が広くなったような気がした。

「翼が熱湯を浴びたのは右足なのに傷跡はなぜか背中にあるんだ」

 サキが唐突に言った。

「八年前、信者たちは教祖を復活させるために特別な子と呼ばれる陣内のクローンを奪回しようとして大輝を拉致した。なぜ、翼でなくて大輝なんだ? 特別な子はふたりいたのか?」

 サキはベッドから上半身を起こして、黙っている霧島の腕を掴んだ。


「どうしても知りたいのか」霧島が低い声で訊いた。

「翼の背中の傷は八年前のものだろ? あの日は佐藤の誕生日だったんだ。佐藤の家族はいつも誕生日を一緒に過ごしていた。翼もおばさんも、本当はあそこにいたんだろ?」

 霧島は堅く口を閉ざして宙を見ていた。


「なぜ、隠すんだ? 自分の家に居たことを、なぜ佐藤の家族は隠さなければならない?」  

 サキは霧島の顔を食い入るように見て続けた。

「理由は一つしか考えられない。そんな馬鹿げたことを考えるあたしはどうかしていると思うよ。でも、そう考えれば、火傷の痕もおばさんの記憶障害も辻褄が合うんだ」


「おまえが考えているとおりだ」霧島がやっと重い口を開けた。「俺が撃ったのはおまえの弟じゃない。佐藤の息子だ」

「やっぱり翼は、大輝なんだな?」

 霧島が肯定するのを見て、サキは両手で顔を覆った。


「彼女が死んだときに佐藤の世話になった俺は、あの日、佐藤から連絡を受けてあの家に向かった。銃を持った教徒たちは興奮していて佐藤の話をまるで聞こうとしない。やつらの話は俺には全くわからなかった。それにあの時間、佐藤の奥さんと息子は軽井沢にいたはずだったんだ」

「ところが、おばさんは息子とこっそり帰って来たんだね。佐藤の誕生日を祝うために」

 霧島がうなずく。


「佐藤に発砲して大輝を連れ去ろうとした男に向けて、俺は引き金を引いた。弾は銃にあたって跳ね返り、ちょうどその時、運悪く扉が開いて帰って来た佐藤の息子に当たった」

「おばさんは、それを見て記憶をなくしたのか」

 サキには栄子の泣き叫ぶ様子が容易に想像出来た。


「一瞬の出来事だったよ。やつらは家に火を放ち、俺は佐藤と一緒に冷静さを失っている奥さんを外へ連れ出した。君のお母さんのところにもどったときには、家の中はすでに火がまわってお母さんは柱の下敷きになっていた。引っ張り出そうにも、俺ひとりの力では無理だった。俺は君のお母さんから大輝を託された。どうにかして俺は大輝を外へ連れ出したらしいが、その辺のことは覚えていない」

「あんたの意識がもどったときには、大輝は翼として生活していたんだね」

「奥さんはショックのあまり大輝を翼と思いこんでいた。俺は特別な子の意味も、教徒の目的が大輝を奪うことだったのも知らなかった。てっきり、陣内を釈放させるのが目的だと思っていたんだ」


「小さかった大輝が、あんなに大きくなっていた」サキの目から涙が溢れた。「生きていてくれて、良かった……」

 サキが声を押し殺して肩を震わせるのを、霧島は見守っていた。

「あんたはこの秘密を守るために、ずっと黙っていたんだね」

 泣き止んだサキが言った。

「俺が子どもを殺したことには変わりがない。俺が動けるようになったとき、大輝は佐藤の家族に馴染んでいた。息子を殺した俺に、あの子を佐藤夫婦から取り上げることは出来なかった。そのせいで、おまえの家族を悲しませてしまったな」


「五条が事件を隠したのは、教団との関係が明るみに出ると困るからか?」

「カルト教団のバックに五条氏がいたことはトップシークレットだ。しかし、元総理は事件には全く関与していない。おまえの母親の死には関係ないんだ」


 その時、扉がノックされて意外な人物が病室に現れた。

 サキはそのひとを見て少し驚いたものの、母と教団を良く知るその人物の訪問を歓迎した。


「真理さんに良く似ているね」木戸は穏やかな声で言った。「五条先生のお宅であなたを見かけたときは、真理さんが生き返ったのかと目を疑いました」

「母の力になってくれてありがとう」

 サキは紳士的なこの博士がクローン人間を作るような恐ろしい人物だと思えなかった。

「誤解のないように彼女の名誉にかけて言います。私が一方的に慕っていただけで、真理さんは友情以外の感情を、私にも他の誰にも持っていませんでした」

「母は父を裏切ってはいなかったと?」

 サキの顔が明るくなり、木戸博士は優しく微笑んだ。

「大輝君は、真理さんとお父さんのお子さんですよ。DNA検査をしてみればわかります」

「陣内のクローンではないのか?」

「私と真理さんの秘密ですよ」木戸博士は恥ずかしそうに笑った。「彼女が連れもどされたとき、すでにお腹には大輝君がいました。陣内の耳に入ると、危険にさらされると思った私は、それをひた隠しにしてクローンの実験が成功したように思わせたのです」


「クローン人間は成功していなかったんだな」

 サキの頭にガラスの中のクローンが蘇る。

 博士はすまなそうな顔になって首を横に振った。

「私は研究所で不妊治療をしていた佐藤さんの奥さんに、こっそりと陣内の細胞を使った受精卵を移植しました。研究者として、どうしてもクローン人間の研究を成功させたかった。佐藤さん夫婦の不妊の原因は染色体にあり、辛い不妊治療を続けても子どもはほぼ出来ないとわかっていました。だからと言って、許されることでないと思っています」


「佐藤はそのことを知っているのか?」

「いいえ。私が勝手にやったことです。佐藤さんは大輝君こそ陣内のクローンだと信じています。私が嘘をついたために、あの子には可哀想な運命を背負わせてしまいました。

 木戸博士は深々と頭を下げた。


「違法の研究をしていたことが表沙汰になって、トゥモローだけでなく、ハンズオンも処罰されるだろ。これからiPS細胞はどうなるんだ?」

「赤木先生の大学を中心に民間の金融会社三社が出資をして、新しく知的財産管理会社、アカデミックジャパンを来年の六月を目処に設立することになります。この事件に関係なく、赤木先生は以前から準備されておられたようです。私はオールジャパンを辞任し警察に出頭します。赤木先生に会って自分の犯した幾つかの間違いに気づきました。それでも私は生殖医学にクローン技術をもちいた研究が悪いとは思えない。神が悪の遺伝子を持つサイコパスを創造し、そのサイコパスが凶悪な事件を起こすように、神が創った人間が進歩して、体外受精で子を作ったり、今後研究を進めて、体細胞から人間を誕生させたとしても、それはすべて神の想定内で起きていること。それもまた神の領域なのではないかと私は思うのです。神は私の作った陣内のクローンが生きることを望まなかった。だから、子どもは八年前に死んだのだと私は思っています」

「佐藤の息子の死には神の意思が働いたと? いつか神がクローン人間を認める時が来るというのか?」

「すべてにおいて、時とは、神が定めた『その時』を言うのではないでしょうか? 私に言わせれば、神の領域を侵すからといって、どこまで進歩するかを、自分たちで決めようとする人間こそ傲慢です」

 サキには木戸が言っている意味はわかったけれど、何が正しくて何が間違っているかは、わからなかった。


「五条先生はこんな私の研究に賛同してお力添えをして下さいました。癌や不治の病が治ることを願ってのことです。研究を悪用した、陣内や天童の計画には関与されていません」

 それを聞いてサキはほっとした。サキは五条大蔵が嫌いではなかった。


 木戸はもう一度、頭を深く下げて病室を出て行った。

 この人のおかげで自分には母との楽しい想い出があるのだと思うと、サキは木戸博士に感謝せずにはいられない。自分が独りで生きてきたのではないことを思い知らされた。エリカや空、そして霧島が側にいてくれるのが心強かった。


 木戸がいる間、霧島は一言も言葉を発しなかった。木戸が何て言おうと、霧島は自分の罪を責め続けるだろう。サキはドアの側にいる霧島をベッドの近くに呼んだ。

「あんたは間違っているよ。命を粗末にすることは贖罪と言わない。一つでも多くの命を救おうとしているあんたは尊敬に値するけど、それは自分を罰するためだ。反対だよ。自分の命を重んじることが、命を奪ったあんたの償いじゃないのか?」

「偉そうなこと言うな」

 そう言ってサングラスを外した霧島の瞳は微笑んでいた。


「ねえ、神は仕組んだ悪の遺伝子で人間に何をしたかったと思う?」

「悪に支配されて滅んでいくのを見たかったのか、悪に打ち勝つ人間の強さを信じたかったのか、どっちだろうな」

「もしかしたら、神様こそゲームをしているのかもしれないね」

 サキは天井を見つめて真顔で言った。


「神が用意したなんていうシナリオの中で生かされるのは、もう嫌なんだよ。隼人はさ、やり方は間違っていたけれど生きようと必死にもがいていた。自分を変えて生まれ変わろうとしていたんだ。その意思をあたしは継ぎたい。生きてさえいれば運命を変えられる。命よりも尊いものなんてないんだ。あたしは自分の人生を精一杯生きていこうと思う」

「強い思いが自分を変えて、望む未来を引き寄せるという意味じゃ、『願えば望みは叶う』というコスモワールドの教えは間違ってないかもな」霧島が微笑む。


「あたしは諦めない。諦めたらそこで終わりだ。翼だってまた笑える日がくると信じるよ」

 ふと思い出すのは、何気ない日々の隼人や大輝のあどけない笑顔だった。

 誰の笑顔も絶やさないために、自分に出来ることは何だろうかと、サキは考えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ