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59 貸金庫の中にあるもの

 証拠? なんのことかしら」

 裕美はしらっとサキの直球をかわした。

「とぼけんなよ。時間がないんだ」

「十年以上も前のことよ。覚えてないわよ」

「佐藤に預けたものは貸金庫の鍵だろ。あの中に証拠のコピーがあるんじゃないか?」

 サキはいらいらして単刀直入に訊く。

 裕美はサキの目をじっと見つめてから、ふうっと、深い息を吐いた。

「そうだったわね。あなたはその用事で来たのよね」

「まだ持っているんだろ。それとも陣内に渡してしまったのか?」

「私はあの女が死んで、自分が陣内にとって特別であるにはどうしたらよいか考えたのよ。精神的な繋がりだけじゃ不安だったの」

 言い訳するように裕美が言った。

「陣内に渡したっていうのか?」

 サキの顔が蒼くなる。

「逆よ」裕美はそんなサキを見てからかうように笑った。「あれは私の切り札だった。あの子から奪った証拠のコピーが見つからなくて、陣内は私がそれを持っていると思ったでしょうね。そしてその証拠を握っている私をどう処分するか考えた。その時、私はうすのろの本間と結婚することが陣内の関心を自分に惹き付けておく一番の方法だと気づいたのよ。そして案の定、陣内は私に利用価値を見いだした。それで私は本間と結婚を前提に付き合い始めたの。本間と結婚することで陣内に忠誠を証明したのよ」


「そんなにも陣内を愛していて、他の男と結婚できるのか?」

「性的なことに限って言えば答えはノーね。良家の子女を気取って、私は陣内が捕われるまで本間に身体を許さなかった。当然だわ。私の血も細胞も、まるごと私は陣内のものなのよ。陣内が捕まったと聞いたとき、私の中で何かが崩れた。一生、彼が塀の中から出られないと知ったときに私は死んだの」

「じゃあなんで、あんたは天童と手を組んだんだ?」

「天童なんて男は知らないわ。あんな小物を相手にするわけないでしょ。天童は本間に直接取り入ったの。利権を餌に甘い汁を吸いつくしていた本間は、今度は天童と手を組んだ。私は関係ない。私の人生は陣内が捕まったときに終わってしまったのよ。何不自由のない生活だけがそこにあった。緊張感も、愛も、めくるめく夜も、何もかもなくなった。本間に私を抱かせてやったのに、いつのまにか本間は女を作った。あんな小便臭いガキに入れこんで。私が結婚してあげて、陣内との仲を取り持ってやったからこそ、今があるくせに。許せなかった。あんなDVDを見せられて不覚にも逆上してしまったわ」


「罠だと気づかなかったのか?」

「私は何度か命を狙われて、本当に本間が私を殺そうとしているのだと思い込んでいた。天童に騙されたとわかったときは本間を殺した後だった。悔しかったけど何も出来なかったわ。天童は私も殺そうとしていたし、警察の手はすぐそこにまで伸びていた」

「それで、あの手紙を佐藤に送ったんだな」

 裕美は何も言わずに首を縦に振った。


「貸金庫の中身はなんだ?」

「証拠の一部よ。佐藤なら、これをうまく使って私を助けてくれるって期待していたのだけど。あれを天童に見せれば、私にはそう簡単に手がだせないし、うまくやれば天童をやっつけることも出来たのに、佐藤は腑抜けになってしまっていたみたいね。預ける相手を間違えたわ。警察の手に渡ったならそれでもいい。もう、私は疲れた」

「貸金庫の場所がわからなくて警察もお手上げなんだ。金庫の在処を教えてくれないか?」

 突然、裕美が声を出して笑った。

「警察も無能ね。そんなんじゃ、あれを手に入れても警察は何も暴けないわね。言ったでしょ。金庫の中にあるのは証拠の一部だって」


「陣内の研究について話してくれよ。あんたが証言してくれたら天童もぶちこんでやれるんだ。あんただって、このままやられっぱなしは嫌だろ?」

「正直言って、もう天童なんてどうでもいいのよ。ここに入れられる前は天童に命を狙われていたからどうにか逃げ切りたかった。だけどもういいの。これで私はまた陣内に一歩近づけたんだって、ここに来て思えたから」


 裕美は話し終えると椅子の背もたれに身体を委ねた。裕美の全身から、これ以上の質問には答えないという意思が静かに伝わってくる。

「なんだか話しすぎて疲れちゃったわ。こんな中にいるとね、誰かと話をしたくて堪らなくなるのよ。心の中に思いばかりが溜まって吐き出せないの。あなたに話してすっきりしたわ」

 裕美の態度の変化にサキは焦った。どうしても証拠を手に入れたい。

「お願いだ。教えてくれよ。証拠のコピーはどこにあるんだ?」

 サキが何度訊ねても、裕美は証拠についてはもちろんのこと事件についてもそれ以降は何も語ろうとしなかった。


「いろいろ話してあげたのだから、残りの面会時間は外のことを教えて」

 裕美が身を乗り出して言った。

 裕美はバルセロナオリンピックに出場した水泳の選手のファンなのだと語ったが、スポーツに詳しいわけでもなく当時を知らないサキは、裕美の話についていけない。今度調べて雑誌に載っているようだったら差し入れをすると約束した。

 名門女子大卒のお嬢様だというだけあり、裕美は世界で活躍している音楽家や芸術家、実業家にも詳しかった。何人かの名前をあげて彼らがどんなに素晴らしいか語り始めたが、サキにはちんぷんかんぷんだった。

 面会が終わる時間まで五分ほど裕美の話に付き合って、サキは面会室を後にした。裕美や陣内については詳しく知ることが出来たけれども証拠を手に入れられなかったことが残念でならない。



 くすぶる気持を抱えたまま拘置所の敷地を出たサキは、携帯に残されていたエリカのメッセージを聞いた。

 エリカは外を歩きながら話しているので声が騒音にかき消されて聞き取りづらい。少しすると急に車の騒音が聞こえなくなり、由香と連絡が取れたのでこれから会うことになった、という用件だけはどうにかサキに伝わった。

 本間の浮気の相手だった女に会う。それを聞いてサキの嫌な予感は強くなった。着信時間を見ると着信があってから五分くらいしか経っていない。サキは直ちに電話を書け直した。


 発信音が鳴るとすぐにエリカは電話に出た。長い間探していた由香を見つけてエリカは上機嫌だ。エリカの機嫌とは反対にサキの胸騒ぎはどんどんと大きくなっていき、サキは問いただすようにエリカに訊ねた。

「どうやって、その女と連絡が取れたんだ?」

「由香から連絡をくれたんだよ。エリカが由香を探しているのをだれかに訊いたみたい」

「だれかってだれだよ。信用できるのか? その娘はおそらく天童の仲間だ」

 頭の中で警報が大きく鳴っている。直感とも言うべき不安がサキを包み込む。


「大丈夫だよ、電話で話したもん。天童が恐くて助けて欲しいと電話口で泣かれちゃったんだ。すぐにでも会って欲しいんだって」

「エリカ、今日は断れ。すぐにでも会いたいって、やっぱり変だ。別の日にあたしも一緒にその子に会うよ」

「無理だよ。もう約束の時間だもん。あっ、来たみたい。携帯を切るよ。今晩か明日の朝に電話するから、楽しみにしていてね」

「ちょっと待てよ。今、どこにいる……」

 エリカはサキの言葉を最後まで聞かずに一方的に電話を切った。


 サキは不安と緊張で胸が張り裂けそうになる。

 それから何度もエリカに電話をかけたが携帯は繋がらず、エリカからの連絡は次の朝になってもなかった。

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