58 サイコパスの孤独と悲哀
本間裕美。旧姓、大田裕美は檻の中にいても目を惹く女性だった。
透明のアクリル板の向こうにいる裕美は化粧気のない顔で髪を後ろで一つに束ねているだけなのに、やつれていても不思議な色香を漂わせている。彩の姉と同級生ならば三十を少し過ぎたくらいのはずだが、年よりも若干若く見え、テレビを通して感じたふてぶてしい印象はなかった。
女に好かれるタイプではない。サキは裕美をひとめ見て思った。
裕美は愛想笑いをするわけでもなく、ぶしつけな視線をサキの全身に走らせる。女子高生が見ず知らずの自分に会いに来たことをいぶかしんでのことなのか、それとも若いサキに対する敵対心なのかはわからない。
サキはあまり話しやすそうな相手ではないと感じて身構えた。面会時間は十五分ほどだ。もたもたしている暇はない。
サキが事務的に佐藤の代理で来たことを伝えると、裕美はわずかに表情を和らげた。
佐藤に何かあったのかと訊ねられて、サキは経緯を簡単に説明する。裕美の顔が瞬く間に曇った。
サキは待合室で待っている間、裕美が天童と組んで邪魔になった本間を殺したのか、天童に踊らされて本間を殺したのか、どちらだろうかと考えていたが、実際に裕美に会ってみて、サキは後者でないかと感じた。佐藤の話を聞いてあからさまに落胆した裕美が、天童の仲間とは思えない。佐藤が持っていたカードキーと鍵は裕美の物だと直感して、サキは裕美に話しかけた。
「あんたが佐藤さんに預けた物のことなんだけど……」
うつむいて指先を見つめていた裕美が顔をあげた。目が合っても話を続けないサキに痺れを切らしたのか、裕美が口を開く。
「あなたが持っているの?」
「やっぱり、あんたのものだったんだな」
裕美は一瞬、しまった、という顔をすると、少し間を空けてからうっすらと口元に笑みを浮かべてサキに訊ねた。
「あれはどこにあるの? かまをかけたってことは、まだ手に入れていないんでしょ」
「あんたには申し訳ないけど、警察に取られちまった」
「そう」と一言答えると、裕美は複雑な顔をして深い息を一回ついた。
「それで良かったのかも」と続けた裕美の顔はゆっくりと明るくなり、サキは彼女の瞳にあった陰りは怯えだったことに気づいた。サキに対する最初の態度も、敵対心というよりは防衛本能からきていたものだろう。
「天童にはめられるなんて……」
裕美はぽつりぽつりと話しを始めた。
「ひとつ、訊いてもいいか?」サキが口を挟んだ。「ユミっていうのはあんだのことだろ?」
裕美は、そうよ、と答えてうなずいた。
「別に、隠しちゃいないわ。最近はだれもそう呼ばなくなっただけよ」
裕美はそう答えて片方の口の端をあげる。
「ユミと呼ばれていたあのころが、いままでの人生で一番輝いていたときだった。生と死と、愛と憎しみが隣り合わせの生活って想像できる?」
サキが何も答えないので、裕美は続けた。
「あの緊張した日々の中で、私は生かされているのではなく生きていた。あんな充実していた日々はもう二度と来ないでしょうね。陣内が捕まったときに私も死んだのよ」
サキは眉間にしわを寄せた。裕美が言っている意味がよくわからない。
「陣内っていう男のことを話してくれないか?」
「あなたに私たちの関係は理解できないわ」
そうは言ったものの裕美は話し始めた。
「最初はテレビで見て彼のルックスと洗練された雰囲気に夢中になったの。夢中と言っても芸能人を好きになる感じと同じよ。佐藤の奥さんに紹介してもらって、私は何度か陣内とデートをするようになった。彼はとても紳士で他の男たちとは違ったのよ。私を喜ばせるような言葉を囁き、うっとりさせてくれたわ。私はあっと言う間に彼に溺れた。でも、そのうち陣内の残忍な本性が見え隠れしだしたの。あのひとの恐ろしさは近くにいた者にしかわからないわ」
「なぜあんたは、そんな恐ろしい男だってわかってからも付き合いを止めなかったんだ?」
「その得体のしれない恐ろしさに、私が魅せられてしまったからよ」裕美がふっと笑った。「論理的には説明できないわ。陣内の本当の魅力はあの残酷さにあるのよ。一見、いつも落ち着いていて頼りになるように思えるのは感情の起伏が少ないから。女をちやほやして良い気持にさせてくれる反面、どこかクールで掴みどころがない男。陣内はゲームを楽しんでいるだけで誰も愛せない男だとわかってからは、もっと私は彼が欲しくなった。独り占めにしたくなったの」
サキは黙って裕美の言葉を聞いていた。彼女を拒絶する男はそれまでいなかったのだろう。裕美みたいな女がしなだれかかれば、たいていの男はどうにでもなることぐらい、恋愛経験の少ないサキにもわかったが、悪い男に惹かれる気持ちは到底理解できない。
「私の中を流れる血が、細胞のひとつひとつが陣内を求めるの。あのひとの為ならなんだって出来る。何もなくすものはないと、そう思っていた。彼が吸う空気を吸って、彼が見るのと同じ景色が見たい。彼が感動するものに私も感動し、彼の喜びを共感したい。私は少しずつ陣内に同化していった」
裕美は遠い目をして少しの間、口を閉ざした。
「陣内が甘い言葉の代わりに頬を高揚させて冷酷な策を語るとき、私たちは興奮に身を委ねたわ。陣内のした悪事を聞くたび背筋がゾクゾクして、例えようがない快感に包まれた。彼の悦びを理解できるのは私だけと思うと、いつのまにか私も悪魔になった。あの冷たい瞳が私だけを見つめる快感。あなたにはわからないでしょうね」
「それがわからないあたしは、幸せなんだろうね」
裕美は微笑を浮かべてうつむいた。
「わかってないわ。不幸なのよ」
「そうだとしても、親友を陥れるほどの価値が陣内にあったのか?」
「親友?」裕美は顔をしかめた。
「あんたの同級生だよ。いのちの樹に勧誘したんだろ?」
裕美はやっと思い出せたという顔で大きくうなずくと鼻で笑った。
「ふんっ。あんな女、親友だなんて思ったことはないわ。すべては陣内の気を惹きたかったから。彼のためにしたことよ」
「でも、見殺しにしたことは後悔してるんだろ? だからあんたは陣内の元を離れたんじゃないのか?」
「あなた、ほんとにわかってないわね」
裕美はあきれ顔で溜め息をついた。
「あの悪魔には心がなかった。そんなことはわかっていたわ。でも、私はあの女に嫉妬したの。私は誰よりも陣内の近くにいた。だから他の女のことなんて気にもとめなかった。だけど、あの子は違う。陣内の敵という私と正反対のポジションにいたのよ。彼があの子をゲームの対象にして見つめることも、追いつめて楽しむことも赦せなかった。なぜなら、あの子の変わりになる女は世界中どこを探してもいなかったから。例えゲームであっても、私は彼があの子に夢中になるのが赦せなかった。あの女が死んで後悔したかですって? 冗談じゃないわ。陣内があの女を殺してくれた夜、一晩中、彼と抱き合ったわ。私が事故の瞬間の話をしてくれとねだると、陣内は私を抱きながらあの女の死に様を耳元で囁くの。身体中を快感が駆け巡り、私はそれだけで達してしまいそうになる。彼の罪の一部を私が背負っていると思えて、その瞬間だけは彼と解け合うことが出来るのよ」
「狂っている。あんたは陣内と一体になれたと思っているかもしれないけれど、陣内にとってはあんたも駒だったんじゃないのか?」
サキの言葉で裕美の顔が歪んだ。
「あのひとは、感情をどこかに忘れて生まれてきてしまったかわいそうな人なのよ。悲しみだけでなく喜びも知らない。醒めた瞳で私を見つめる彼に抱かれながら、私はあのひとと一体になって、彼の言葉を、行動を、気持を自分のものにする。彼の感情を鏡のように映してあげるの。あのひとはね、私が悦ぶのを無表情で見つめながら、やっと自分の感情を解放することが出来るのよ」
サキには裕美の言っている意味が半分もわからない。サキにわかったことは、哀れなくらい裕美が陣内に執着していたということと、サイコパスの悲しい裏の顔だった。愛も悲しみも喜びも感じることが出来ない陣内は、だれとも喜びを分かち合うことなど出来なかったのだろう。裕美の行為を目の当たりにしても陣内が裕美の言うとおりに感情を共有出来たかどうか疑問だ。
だいたい陣内は、他人と感情を共有する必要があったのか? 本当は裕美もそれをわかっていたのではないだろうか?
サキは時間が気になってちらっと腕時計を見た。もうあまり時間がない。そろそろコピーの行方を訊ねなければならない。もうまわり道をしている暇はなかった。
「死んだ彼女が盗み出した陣内の悪事の証拠をどうしたの?」
サキは直球を投げた。




