49 悪魔のクローン
廊下から声がするとすぐにドアが開いて、翼が息を切らして入ってきた。
翼はサキに目もくれず、真っ直ぐに天童の元へ向かう。目が三角につり上がって興奮しているのがわかった。
「師よ、僕は父を刺しました。とうとう教祖様が僕の中で復活したんです」
そう言って天翼が童の前にひざまずくと「ふんっ」と天童は鼻で笑った。
「君には幻滅だ。君は特別な子でもなんでもない。がっかりしたよ」
「なぜですか? お父さんを刺したんですよ」
翼は驚いた顔をして立ち上がった。声が微かに震えている。
「だって、君はちっとも楽しそうに見えないもん。まさか泣き喚いたりショックを受けたりしてないよね?」
翼の顔がひきつったのを見て、天童は続けた。
「それではただのクズだ。同志ですらない」
天童は翼を一瞥もせずにそう言うと、興味がなさそうにデスクの前に座った。
「楽しいです。こんなに楽しいことは初めてです。僕は同志だ。わかってください」
翼は涙を堪えきれずに、くしゃくしゃになった顔で無理して笑顔を作っている。
「あーあ、泣いちゃったよ。とんだ時間の無駄遣いだ。特別な子だって? 君はあのまぬけな父親の思惑通りに作られただけだよ。支配をしたいのは、認めてもらいたいという欲求からだ」
「そんな、僕には特別な力があるって言ったじゃない」
「陣内のクローンだと見込んだからだよ。僕が唯一、認める男がいなくなってしまって、君は僕の希望だった。なのに期待を見事に裏切ってくれたよ。僕のほうが泣きたいくらいだ。所詮、十年以上も前のクローンなんて出来損ないさ。DNAが同じでも、偉大な陣内を担うレベルじゃない。比べるのも失礼だ。そんなんだから、君は父親にも愛されないんだよ」
翼の顔がみるみるうちに蒼くなっていく。
「出来損ないなんかじゃない! 僕は特別な子だ。教祖様の生まれ変わりだ。隼人だって、僕が殺したんだ」
翼は泣きながら抗議した。
「おまえがそそのかして、翼に隼人を殺させたのか?」
サキが声をひきつらせて天童に訊いた。
「こんなガキに本格的な催眠が使えると思っているの? ちょっと褒めたらその気になって、自分に力があると思いこむなんて犬並みに愚かだよな」
「あんたが隼人を殺したのか?」
サキはわなわなと震えて天童に詰め寄った。
「僕は何もしてないよ。隼人は自殺だ」天童はにやりと笑った。「警察も自殺と断定している。もし本当に僕が暗示をかけたとして、それで罪を問えるかな? 暗示というのは例えばキーワードを聞かせると、ターゲットが反射的に空高く飛ぼうとするといったように、行動を脳にセッティングすることだ。そんな曖昧な方法で殺人を立証させることなんて出来るの? 隼人は司法解剖すらしてないんだよ」
「警察はそんなに馬鹿じゃないさ。裁判所だって……」
「確かに日本の裁判における有罪率は九十九・九%だ。だが、警察が容疑者を捕まえても起訴する確率は四十三・五%だよ。半分以下だ。公判を乗り切れる充分な証拠が揃っている犯罪でないと起訴しないんだよ。死因不明の犯罪なんて証拠不十分で不起訴さ」
天童は勝ちほこった顔で言った。
「貴様……」
「何も言えないの? もう少し僕を追いつめてくれないとつまらないよ」
「違う!」翼が大声を出した。「隼人は僕が殺したんだ。父さんだって、僕がこの手で刺したんだよ」
「だったら僕に言わないで、さっさと警察へ行ったらどうだい?」
天童はうんざりした顔で言うと、席を立って翼の後ろにまわり、サキに向けて力いっぱい翼を突き飛ばした。
「良かったね、隼人殺しの犯人がわかって。早く警察へ付き出せよ」
突き飛ばされた翼は、サキの足下に倒れ込む。
サキはしゃがんで翼の両肩に手をあてると、歯を食いしばって下から天童を睨みつけた。
「僕は何か間違っているかい?」
天童はサキたちを見下ろして嘲るように笑って言う。
「佐藤もすっかり心を病んじゃって、いたぶってもつまらなくなっていたけれど、最後にこんな風に息子がまぬけな余興を見せてくれて楽しかったよ」
「違う。僕は神様に選ばれたんだ!」
泣きじゃくる翼の顔を覗き込んで、天童は笑って言った。
「君たち親子はもういらない。君も死んでいいよ。さっさと死刑になんな」
「ちくしょう!」翼が泣きながら天童に殴りかかった。「僕は特別な子なんだ!」
天童は翼の手を逆手に取り、ねじり上げた。
「遊びは終わったんだ。ママの待つおうちに帰れ、出来損ない」
天童はドアの方へ翼を引きずっていく。
天童が翼の相手をしている隙に、サキは麻生の隠し戸棚から持ち出した携帯電話を飾られている高そうな壷の中にそっと入れた。
サキが隠した携帯には特別な仕掛けがしてあった。自動着信機能をオンにしてイヤホン端子に小さなマイクのような機械を差し込んであるので盗聴器として活用できるのだ。人の声だけを鮮明に聞きとる仕組みになっていてマイクの周囲、四、五メートルの範囲の会話を明確にキャッチ出来る。どこからでも、その携帯に電話をかけるだけで簡単に盗聴できるのだ。しかも十日間はバッテリーをかえなくてもいい。サキは盗聴器を忍ばせると、素知らぬ顔で壷から離れた。
天童に引きずられていた翼はドアの前まで行くと静かになった。
おとなしくなった翼に向かって、天童は挑発するような言葉をかけた。
「いいか、クローンなんて人工的に作られたバケモノなんだよ。人間扱いされただけありがたいと思えよ。良かったじゃないかサイコパスにはなれないが、父親殺しにはなれそうだろ? ただの犯罪者にはなれるわけだ。普通の子どもよりはよっぽど楽しいゲームが待っているよ」
「僕はただの犯罪者……?」
つぶやくように、翼が天童の言葉をくり返す。
「だって君は、神が創ったサイコパスではないんだから。自分でわかってるだろ。隼人を殺したとき、心のどこかで悪いことをしたって思っただろ?」
「隼人さんを、僕が殺した」
翼の頬を涙がつたった。
「翼、そんなやつの話を聞くんじゃない!」
サキが怒鳴った。
天童は翼の顔を覗き込んで話を続けた。
「君は隼人だけではなくお父さんも殺しちゃうんだよ。今ごろはもう死んでいるかもね。君の良心はなんて言ってる? おまえの所為だって責めているだろ? おまえがいなきゃ、隼人もお父さんも死ななくて良かったのに何でおまえは生きているんだ。人間でもないくせに。そう言ってないかい? 君も早く後を追ったらどうだい。楽になれるよ」
「だまれ、やめろ!」サキは翼を抱きしめた。
「サイコパスじゃない? 僕はただの犯罪者なの? 僕が…僕が…お父さんを殺した」
「こいつが言っていることは全部でたらめだ。おまえの父さんは死んでない」
「違う。違う!」翼は首を激しく左右に振って叫んだ。「僕は悲しくなんてない。後悔だってしてない。僕は特別な子なんだもん。僕の誕生を世界中の人々が待っていたんだ。僕には人を殺すことなんて、なんともないんだよ!」
泣き叫ぶ翼を見てうすら笑いを浮かべる天童を、サキは心から憎いと思う。
サキは暴れる翼をむりやり天童の部屋から連れだして病院に送り届けた。
天童の部屋を訪ねるまで、翼は信じていたものと良心の呵責との間で、ぎりぎりの精神状態を保っていたのだろう。翼はコスモワールドを出ると、一言も口を利かなくなった。心のバランスを崩してしまったのが、サキにでもわかる。
相手が子どもでも容赦なく精神を破壊させようとする天童に対する憎しみが、サキの心を占めた。
サキは家へ帰ると麻生の戸棚からもう一つ携帯を取り出して、イヤホン端子にデジタル録音機をセットした。
この携帯から天童の部屋に残した携帯に電話をかけると、呼び出し音が鳴らずに自動的に繋がった。こうしておけばあの部屋での会話は録音される。絶対証拠を掴んでやると、サキは携帯を睨みつけた。




