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4   義弟とオムライス

 サキは受話器を置いて、アニメを夢中に見ている空の背後に立った。

 何と言って話しかければよいかわからず、空の背中をじっと見つめていると、アニメが終わって空が振り返った。


「お帰りなさい」と空が笑いかけあどけない顔を向けたので、「ただいま」とひきつった顔でサキは挨拶を返す。続けて何か言葉を交わしたいけれど、気のきいたことが言えなくて気まずい沈黙が続いた。


 眉間にしわを寄せて言葉を探しているサキは、端から見ると床に座っている空を上から睨みつけているかのように見える。空は、仁王立ちのサキを怖がることもなく笑顔で床から立ち上がった。気を付けの姿勢で背筋をまっすぐに伸ばし、腰を九十度まで曲げて「よろしくお願い致します!」と、大きな声で挨拶をする。

 サキがつられて「よろしく」と頭を下げると、それを見て空はにこっと笑った。


「サキお姉様、ご機嫌はいかがですか?」

「おかげさまで。麗しいよ」

「お姉様とお近づきになれて、僕もこの上なく幸せな気分です」

「そりゃ、どうも。光栄だね」


 サキは相づちを打って顔をしかめた。子どもは苦手だが、こいつは特に苦手だ。

 いつのまにか、サキはすっかり空のペースに引きずられている。


「お母様とお父上様が留守の間、僕がサキお姉様をお守りします。ふつつかものですが、何でもお申しつけください。お手伝いつかまつります」

「なら、その言葉使いをなんとかしてくれないか? 調子がくるっちまう」

「言葉使いでございますか?」

 空は自分が子どもらしからぬ口調で話していることに、まるで自覚がないようだ。


「まずはサキお姉様ってやつを止めろ。むしずが走る」

「では、」空は首を捻って宙を見た。「サキお姉ちゃまは、いかがでしょう?」

「もっと普通に」

 サキは目を閉じて首を軽く左右に振る。


「普通と申しますと?」空は目をきょろきょろと動かした。「あねさま?」

「どこが普通だ。サキでいい。おまえ、学校でもそんな言葉で話しているのか?」

「おかしいですか?」

 空は不思議そうな顔をした。


「まあいいや。少しずつ若者らしい言葉を教えてやる」

「サキの話し方は若者らしいと言うよりも、言葉遣いが悪いです」

 空は注意するようにサキに言った。


「うるせえな。昭和のツッパリはこんな風にしゃべるんだ。平和ボケしたその辺のガキとは気合いが違うんだよ。あたしの弟になるのなら、おまえも気合いをいれろよ」

「はい、お姉様」空は大きな声で答えると、慌てて「サキ」と言い直した。


「ところで、腹は減っているか?」

 外は暗くなり始めている。サキは壁にかかっている時計を見た。

 空の口が「いいえ」と答えたのに反して、お腹は空腹を知らせるように音をたてる。

「すいてんじゃねえか」と言って、サキは口元を緩めた。


「何か作ってやるからおまえはモカにメシを食わせてやれ。一日二回。朝と夜にカップ一杯のキャットフードをモカにやるのがおまえの仕事だ。いいな」

 モカの生死に関わる大事な仕事を命じられたと、空は俄然はりきりだした。

「サキの期待にそえるように、責任をもって任務を遂行します」

 空は指先をこめかみに添えて、警察官のように敬礼をする。

 ふざけているのでなく、空はいたって真剣だ。サキは自然に顔がほころんだ。

「キャットフードはキッチンにある。ついておいで」


 サキはキッチンに入って空にキャットフードのありかを教えると冷蔵庫を開けた。

 鶏肉が少しと卵がある。電気ジャーには昨日炊いたご飯が残っていた。

「オムライスにでもするか。子どもはたいがいオムライスが好きだしな」

 サキは独り言を言うようにつぶやく。


 鶏肉を解凍して一口サイズに切っていると、空がモカを抱いてもどってきた。

 空は餌を器にいれてモカの目の前に置くと、サキの横に立ち質問をした。


「何を作っているのですか?」

「オムライスだ」

「オムライス?」空は首を傾けて聞き返す。

「聞いたこともありません。それはおかずですか? それともご飯でしょうか?」

「オムライスを知らねえのか?」

 驚いて手を止め、サキはまじまじと空を見た。

「おかずかご飯かと聞かれてもな。両方だよ。ほら、オヤジがよく親子丼を作るだろ。あれの洋食版みたいなものさ」

「お父上樣の親子丼は絶品です」空はそう言って目を輝かせた。


「では、僕はサラダを作ります。よろしいでしょうか?」

「お坊ちゃんがサラダなんて作れるのか? 向こうの家では何もしてなかったんだろ?」

「はい。身のまわりのことは、ばあやがやってくれていました。食事は帝国ホテルの総料理長を務めたシェフが作っていたので、カレーや肉じゃがのような物は食べさせてもらえず、僕は人生を損していました」

「ばあやに、帝国ホテルの総料理長かよ。カレーよりずっといいものを食っていたんだろ? 嫌みになるから人には言わない方が良いぞ」

「嫌みとは、何ですか?」

「もういい。おまえが言うと嫌みにならない。気にするな」


 サキはめんどうくさそうに言い放つと、止めていた手を動かし始めた。炒めているチキンとご飯に、ケチャップをかけて味付けをする。


「ここに来てからは色んなものが食べられて幸せです。祖父に男子厨房に入るべからずと教えられていましたから、恥ずかしながら僕は目玉焼きも作れませんでした」

「小学生で目玉焼きが出来なくても、恥ずかしくも、おかしくもないけどな」

 サキは卵を割ると、手慣れた手つきで箸ですくうようにして卵をといていく。


「お父上様に、これからの男は料理くらい出来ないと、ご婦人に目もかけてもらえないと聞かされて、料理を教えていただいています。おととい食べたハンバーグも、お父上様と一緒に作ったんです」


 空は得意そうに話すと、冷蔵庫からレタスとトマトを出して野菜を洗い始めた。

 トマトのへたも、包丁で上手にそぎ落とす。サキは感心して空を少しだけ見直した。茜の不器用なところが遺伝しなくて良かったと思う。


「学校は楽しいか?」

「はい、とっても」空は大きな声で勢いよく答えた。

「友達は出来たのか?」

「翼君と親友になりました。翼君は勉強もスポーツも得意なんです。サキはどうですか?」

「学校か? 楽しくねえよ、高校なんて」

「では、小学校は楽しかったですか?」

「忘れた。五年から行ってないからな」サキはめんどうくさそうに答える。

「引きこもりだったのですか?」

「舐めんじゃねえよ。不登校だ」サキは勢いよく振り返って子ども相手に凄んだ。

 しかし、空は全く気にしてない。

「不登校と引きこもりは違うのですか?」

「うるせえな。引きこもる場所なんて、なかったつーの」


 サキは熱したフライパンに卵を流すと手早く箸で卵をかきまぜて、ケチャップで味付けしたご飯と鶏肉を卵の上に乗せた。


「学校に行かないで、毎日、何をしていたのですか?」

「掃除に洗濯だろ。それに食事の支度もだ。やることはいくらだってあるさ。学校なんて行かなくても、役にたっているだろ」

 サキはフライパンの上のふんわりとした卵を指でさして言う。


 学校なんて行かなくても生きていくために必要なことは自然に学べる。学校で教わらずとも、街は社会の構造や人間の裏表を見せて、サキに生きる術を教えてくれた。


「友達は? 学校の友達とは遊ばなかったのですか?」

「友達? そんなもん」サキは鼻で笑った。「昭和じゃないからな」

「昭和?」空はきょとんとした顔でサキを見た。

「昭和のツッパリはダチを裏切らないんだよ」

 サキは独り言のように言うと、口の端を片側だけあげて笑った。


 空に友達のことを訊かれて、サキの脳裏に笑っている隼人の顔が浮かぶ。

 高校に入学した当初は学校生活に息がつまって、サキは誰もいない屋上でよく空を見上げていた。

 そのころに一度、柴田隼人と言葉を交わしたことがあった。


「麻生さんだよね?」

 華奢な少年が背後からサキに声をかけた。少年の繊細で整った顔だちが、よりいっそう神経質な印象をひとに与える。

 サキが振り向いても何も言わないでいると、「帰って来たんだね」と隼人は言った。

「婆ちゃんが死んじまったからな」サキは飾らずに普段の口調で答えた。

「案外、似合うね」隼人が頬を赤らめて言う。

 サキが怪訝そうな顔をすると、「セーラー服だよ」と隼人は付け加えた。

「特攻服のほうが似合うとでも?」

 サキがふっと鼻で笑うと、少年は首を激しく振った。


 サキは隼人の前では偽る必要がない。中学時代に派手な喧嘩をしていたところを見られている。母の兄の家を追い出されて祖母のところに移ったばかりのころだ。祖母と暮らすようになっても、サキは心を閉ざしたまま口うるさい祖母に反抗して学校にも行かずに街をうろついていた。そのころの荒れていた姿を隼人は知っている。


「あのときは、まるで女神みたいだった」

 隼人が遠い目をして言った。サキが首をかしげるのを見て、隼人は続けた。


「アトランティスの美少女戦士に出てくる女神だよ」

「何だよ、それ? アニメか?」

「うん。軍神マルスの血をひく女神の生まれ変わりなんだ。すごい人気でフィギュアなんて何万もするんだよ。お金を出しても今はもう買えないんだ。そういえば、麻生さんって、その主人公に似ているよ。強くて目の綺麗な美少女なんだ」

「嬉しくねえよ、アニメだろ?」

 頬を紅潮させて、きらきらした瞳で無邪気に話す隼人に、照れくさそうにサキは言葉を吐いた。

「だいたい、こてんぱんにやられちまう女神がいるかよ?」

「相手が多かったんだから仕方ないよ。麻生さんのおかげで僕は助かったんだ」



 あの日、サキがいつものように街をふらついていると、気の弱そうな少年がカツアゲされていた。いつもなら自分からトラブルに首をつっこんでいくなんて馬鹿な真似はしないが、サキはその時、とても機嫌が悪かった。


 その日の朝、朝食を食べたくないというサキを、祖母は叱って根比べになった。食べるまで席を立たせない頑固な祖母と二時間も睨み合いを続けて、ついにサキが根負けしたのだ。冷えた食事を食べ終えて、サキは悶々とした気持ちで街をさまよっていた。自分が屈したことが面白くなかったのと、慣れない祖母の愛情がうっとうしかった。気がついたらサキは少年と少女たちの間に立ちはだかっていた。



「つまんないことを思い出させやがって」

 サキは口元を緩めて隼人を見た。隼人といると心が和んだ。

「麻生さんみたいに強くなりたいな」隼人は空を見上げてぽつりと言った。

 屋上で話をしてすぐに、隼人は学校に来なくなった。



 近いうちに隼人を訪ねようと、オムライスを皿にのせながらサキは思った。相手が隼人でなければ、担任の頼みなど知ったこっちゃない。

 サキはオムライスにケチャップをかけて、「ほらよ」と空に差し出した。


「これが、オムライスですか! おいしそうです」

「温かいうちに食べな」

「はい」と返事をして、空は引き出しからナイフとフォークを取り出した。

「オムライスはスプーンで食うんだよ。大きなスプーンだ」

 サキに注意されて、空はナイフとフォークを引き出しにもどすと、代わりにスプーンを手にした。大きな口を開けてオムライスをほおばる。

「うーん、とっても美味しいです。今まで生きてきてこんな美味しいものを知らなかったなんて、僕は損をしていました」

 空が夢中になって食べだしたので、サキは自分の分も作って空の前に座った。


「サキはとても勉強が出来ると、お母樣が言っていました。学校に行っていなかったのに、どうしてですか?」

 オムライスを三分の二ほどたいらげると、空はスプーンを持ったままサキに質問した。


「婆ちゃんが校長をやっていてさ、家で勉強をみてくれたんだ。教え方は上手かったな。中一でろくに九九も出来なかったのに、あっという間に追いついたよ」

「校長先生ですか。お婆さまは偉かったのですね」

「すげえ、恐かったけどね」サキの表情が和らいだ。

「おまえの爺ちゃんのほうが偉いだろ。なんていったって元首相だからな」

「じっちゃんはいつも難しい顔をしていましたが、ふたりのときは優しくて、よく遊んでくれました」

「おまえ、五条の爺さんのことは、お爺樣と呼ばないんだな」

「ふたりのときは、じっちゃんと呼ぶように言われていたので」

 空は照れくさそうな顔をした。

「変な爺さんだな」

「サキと同じで、素直になるのが得意じゃないのでしょう」

「余計なお世話だ」 

 サキは苦笑いで冷蔵庫から麦茶を出してグラスに注いだ。

「サキとじっちゃんは気が合いそうです」

「そりゃあ残念だな。例え気が合っても、元首相になんて、一生会う機会はないだろうよ。おまえ、じっちゃんに逢いたいか?」

 空は顔を曇らせて小さくうなずいた。

「おまえの母ちゃんがあんな男と結婚したばっかりにな。男の趣味が悪すぎるぜ」

「お父上様のことも大好きです。いつかきっと、みんなが仲良くなれると信じています」

 空がしょんぼりして言った。


 サキは何も言わずに食べ終えた皿を持って立ち上がった。きれいごとを言いたくなかった。父と五条の関係が良くなる日が来るとは到底思えない。


 空もサキに続いて皿を持って席を立ち、「僕がお皿を洗います!」と、気持ちを切り替えるかのように大きな声で宣言して流し台へ向かった。


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