39 友情が終わった日
サキが屋上に出ると、ビルの端のほうに立った隼人が青ざめた顔で遠くを眺めていた。
「こんなとこで何をしているんだ」サキが柔らかい口調で話かけた。
隼人はゆっくりと顔だけサキの方へ向けると、何も答えずに淋しそうな顔で微笑む。
サキは張りつめた空気を感じ、返事をしない隼人にかける言葉を探してゆっくりと隼人に近づいた。
「コスモワールドは僕を強くしてくれた」突然、隼人が口を開いた。「ここがなければ僕はとっくに死んでいたんだ」
「そんなところにいたら危ないぞ。こっちで話そう」
サキは慎重に隼人に近づいて手を差し伸べる。その手を拒絶するように隼人は言った。
「麻生さんの考えているとおりだよ。全部、僕がやったんだ」
「理由を聞かせてくれ」
空気がさらに張りつめていくのを感じて、サキの鼓動は速くなった。
「宝物をなくしちゃったんだ」隼人はぽつりと答えた。「あの頃は何よりも大切だった」
「何だよ、その宝物って?」
「天上翼だよ。君に似ているアトランティスの美少女戦士の主人公さ。前に見せたよね」
「フィギュアか? それが、理由なのか?」
サキは顔をしかめる。
「うん。今思うと、くだらなくて笑っちゃうけどね」隼人は嘲るように答えた。「最初は闇の帝王に脅されて仕方なくその声に耳を傾けたんだ。だけどそのうち、声の言うことを聞いていると自分はもっと力があるように思えてきた。だから、僕は自分の意思で同志になった」
サキは黙って隼人の話を聞いていた。少しでも隼人の気持ちを理解したかった。
「闇の帝王は、僕を支配する側の人間だと言ってくれたんだよ。その声と計画を立てているとき、僕は優越感に浸った。これは今まで僕を馬鹿にした世の中への復讐なんだ」
「復讐? おまえがしたかったのは復讐じゃないだろ。認めて欲しかっただけじゃないのか? 人間として対等にありたかっただけだろ」
「そうだね。でも、僕はそう思ってたんだ」隼人は答えた。「闇の帝王は毎日同じ時間に連絡してきた。その声に従って計画を成功させれば、自信を持てるようになると言うんだ。僕が躊躇していると『親だってびびっていたじゃない。部屋の壁を叩き壊したことを思い出せ。簡単だっただろ』と声は励ましてくれた。そう、あれが僕の本当の姿だ。あの一発で、僕は親から自由になれたんだ。もう昔の僕じゃない。そう思った。僕はもっともっと強くなりたかったんだ。だって、強くなったらもう誰も僕を馬鹿にしないでしょ。君にも振り向いてもらえる。僕は麻生さんに少しでも強い自分を見せたかったんだよ」
「言ったじゃないか。おまえには誰も持ってない隼人だけの良さがあるって」
「でも、麻生さんは僕を愛してないでしょ」隼人は淋しそうに笑った。
「隼人、それは……」
「いいんだ。わかってる」サキの言葉を、隼人は制した。
「声が持ちかけた計画は完璧だった。彼はくり返し僕を勇気づけたよ。これは完全犯罪だ。僕らにしか出来ないってね。これを成し遂げれば、僕はもっと自由になれるって思った。この犯罪はね、誰も死なないし傷つかないんだ。金も後で返すつもりだった」
「誰も傷つかない犯罪なんてあるわけない。おまえが一番、傷ついているじゃないか。闇の帝王ってやつは、おまえを操ってたんだよ。自分の駒として使っただけだ」
「あの人が無理強いしたんじゃない!」隼人は声を大きくした。
「僕には拒否する権利がある。嫌だと思うなら僕は同志じゃないだけだ。もしそうなら二度と期待をかけないと、彼は言ったんだ。協力をするかしないかは僕が選ぶことだと、判断を僕に託したよ。もちろん、僕はすることを選んだ。あのまま閉じこもって生きるのはまっぴらだった。彼は僕を英雄にしてくれたんだ。僕が何でも出来るってことを証明しようとしてくれたよ。だから、彼の声に従おうと、僕が決めたんだよ」
「わからないのか、それがやつらの手なんだよ」
隼人は少しだけ黙り込んで、また口を開いた。
「いいんだ。もうどうでも」
隼人の瞳に哀しみの色が浮かぶ。
「僕があんなことさえしなければ犯罪は完璧なはずだった。でも、僕は麻生さんと一緒にいるうちに、何だか計画を実行するのが嫌になってしまったんだ。だけど後にはひけなくて、あれは僕の良心。やっぱり、僕はサイコパスにはなれなかったよ」
「わざと? わざとカメラに映ったのか!」
隼人はそうだと言うように目をふせた。
「話してくれれば良かったのに」
「そんなの、カッコ悪いよ」
隼人が悲しい瞳で微笑んだ。
「格好が悪くても、そのままの隼人が好きだよ。おまえの望む感情ではないかもしれないけれど本心だ。隼人はあたしに学校も友達も悪くないって思わせてくれたよ」
「もう少し早く麻生さんと仲良くなっていたらな」
「今からでも遅くないだろ」
隼人の頬が少しばかり緩んだ気がした。
「声は、誰なんだ?」
「多くの人が待ち望んでいるひと。今ならわかるよ。彼が復活するためには僕が必要だったんだ。彼は……」
「隼人さん!」
階段のほうから声がして、隼人の言葉を遮った。
サキが振り向くと、翼が屋上に姿を見せた。空と佐藤も一緒だ。
「来ないで!」
隼人は急に顔を強ばらせ、震えるような声を出した。
サキは隼人の変化に驚いて、落ち着かせようと隼人に近づこうとする。
「来ないでってば! 誰も僕に近づかないで!」
隼人が叫んで後ずさりする。手すりに隼人の背中があたった。
「危ない。もどって来い」
サキはさっと左手を差し出した。
「心配しないでいいよ、隼人さん。僕は無事に帰って来れた」
翼がサキのすぐ近くに来て言った。
隼人は手すりにしがみつくようにして、首を左右に激しく振っている。
「隼人さん、気を楽にして。さあ、一緒に行きましょう」
翼がそう言うと、隼人の動きがピタッと止まった。
隼人の様子がどことなく変だ。
「さあ、行きましょう。みんな待っているよ」
翼がゆっくりと隼人に近づいていく。
サキの後ろで携帯の着メロが鳴っていた。曲は「翼をください」だ。
隼人の様子はますますおかしくなった。目がとろんとして視点が定まらない。
サキが着メロのするほうを見ると、携帯を持った天童が不気味に微笑んでいた。
「お兄さん、危ない! やめてください」
空が叫んだ。
サキが隼人に視線をもどすと、隼人は手すりを乗り越えている。
「隼人、何してるんだ。もどって来い!」
サキは声を張り上げたが、隼人にはサキの声が聞こえていないようだった。
隼人は焦点の合わないうつろな目で遠くを見ている。
「お願いだ、隼人。こっちを向いて!」
サキは全身全霊を込めて叫んだ。
だが、その張り裂けるような叫びも隼人には伝わらない。
隼人は目を閉じて両手を翼のように広げると、建物の先端から足を一歩踏み出した。
落ちる、とサキが思った瞬間、隼人の目に光がもどってサキを見つめた。絶望と諦めの色が隼人の瞳に宿っている。
隼人の唇が二回動いた。声にならない隼人の言葉。
「死・に・た・く・な・い」
サキにははっきりと届いた。
隼人の身体は宙に舞って、サキの視界から消えた。




