37 帰還
翼は学校で倒れていたところを休日出勤していた教師によって発見された。
すぐに空のいる病院に運ばれたが、翼は睡眠薬で眠らされていただけで特に異常は見られないと、若菜が電話で告げた。
「校内の見回りを終えた教師が帰ろうとしたところ、廊下で女の子の影を見たような気がして、思い違いだろうと一度は学校を出たものの、やはり気になって教室にもどってみると翼君が倒れていたそうだよ」
若菜は簡単に状況を説明する。
「その女の子は見つかったの?」
「それが見つからないんだ。翼君と見間違えたのじゃないかって訊いてみたけれど、髪が長くてスカートを履いていたし、それはないと先生は言っていたよ」
「じゃあ、女の子はどこに消えたんだ? 防犯カメラには映ってなかったのか?」
「カメラは壊されていて少女どころか翼も映っていない。もちろん、犯人もだよ」
「壊されていたって? いつ?」
「週末の間に壊されて、月曜日に新しいものをつける予定だったそうだ」
サキは空と同じように、校庭の抜け穴から少女も出入りをしているのではないかと考えていたが、そうではなかった。
「髪の長い女の子ね……」
「あの学校、出るって噂があるらしいんだ」
若菜が声をひそめて言った。
「出る? 何が」
「出るって言えば、普通は幽霊でしょ」
「幽霊? あり得ねえだろ」サキが呆れた声を出した。「刑事と教師が何を言ってやがる」
「僕はもちろん信じてないよ。でもその先生は霊感が強くて、前にもあの学校で幽霊を見たことがあるって言うんだ」
サキはばかばかしいと言って翼の話にもどした。
「翼は誘拐されたときのことをなんて言っているの?」
「君たちと別れてから、落とし物を探しに公園に行ったと言っている。公園の入り口付近でふたりの男に襲われて車に連れ込まれたらしい。あっという間のことで犯人の顔は見てないそうだ。すぐに縛られて目隠しをされたと証言しているよ」
「警察が周辺を捜索しても全く目撃情報が得られなかったんだよな。夕方の忙しい時間に誰も見てないなんて……」
「運が悪かったとしか、いいようがないね」
若菜が同情するような口振りで言った。
「身代金を受け取ったときのことは何だって?」
「東京ドームの近くで犯人と約束していたらしいんだ。車で三十分以上ドライブしたところにアジトがあったそうだ。このときも目隠しをされていて場所はわからない。一時間はかからなかったと言っているよ。佐藤さんがこの間、外に一歩も出ていないのは、うちの捜査官が張り付いていたから間違いない」
「検問にも引っかからずに、Nシステムも避けて逃亡するなんて出来るの?」
「面目ないのだけど、Nシステムは設置場所が発覚してネット上に公開されたことがあったから、設置場所を知っていてうまいこと避けたんじゃないかな?」
「何だよそれ。ちっとも頼りにならねえじゃん」
若菜は、まあそうなんだけど、と情けない声で答えると話を変えた。
「翼君は思ったより元気で面会できるみたいだ。今から行ってみたら? それから……」と言いかけて若菜は口ごもった。サキが「何だよ」と訊くと、若菜は言いにくそうに、空が発見されたビル周辺の三時以降の防犯カメラの映像に隼人によく似た作業服を着た若い男が映っていたと告げた。その人物は空が連れ去られたビルとお茶の水の間にある三つの防犯カメラに映っていたという。
サキは予感が的中したことに心を痛めた。さっき隼人と話をしてから、隼人の事件への関与は確実だと覚悟はしていたが、実際にそれを他人から告げられると気が重くなった。
若菜の電話を切ったサキはすぐに家を出て面会時間の終了十五分前に病院にもどると、翼の病室へ急いだ。
「翼!」と叫んでサキが病室にかけ込むと、栄子が寝ている翼の手をしっかりと握りしめていた。
「すみません、大きな声を出して」
サキは寝息をたてている翼を見て謝った。
「せっかく来てくれたのにごめんなさいね。今、眠ったところなの」栄子が微笑んだ。
「良かったですね。本当に」
サキが翼に近づいて言うと、栄子はゆっくりとうなずいて心から嬉しそうに笑った。
サキは、栄子が微笑むのを見たのは初めてだった。
佐藤は窓側に立ちふたりの様子を眺めていたけれど、心ここにあらずといった感じで思いにふけていた。翼が帰ってきたというのになぜだか険しい顔をしている。
「おじさんは、今日はどちらに?」
サキはさりげなく佐藤に訊いた。
「昼ごろ、久しぶりにクリニックに行ってきたよ。たまっている郵便物に目を通さないといけないからね」
翼が無事にもどったことを喜びながらも、佐藤はどことなく変だった。無条件で喜んでいる栄子とはどこか違って見えた。
次の日、空の退院の手続きの為にサキは午前中学校を休んで再び病院に行った。
朝一番で翼の病室を訪ねた空は、翼の元気な姿を見て安心したと、はしゃいでいた。
「翼君はすごいです。僕なんて病院に運ばれた日は一日中眠っていましたよね。閉じ込められているときも、翼君は力強く僕を励ましていてくれました」
「おまえも充分頑張ったよ」
「はい」と言って空が笑った。そのあどけない笑顔が、子どもころの隼人とだぶった。
「空は友達に騙されるとは考えないのか? 信じて裏切られたらどうするんだ?」
疑うことを知らない空の笑顔を見て、急にサキは訊いてみたくなった。
「サキは騙されると思う人と友達になるのですか?」空が不思議そうな顔をした。「僕の友達は、みんな信じたいと思える人です。人にはそれぞれ事情があるので、もし友達が僕を裏切るのなら事情があるのですよ。裏切られるから信じないという理屈は変です」
「裏切られるのと、信じることは別か」
理想論だと、サキは心の中で反論した。
「僕は引っ越しをしなくてもいいですよね」
空が不安そうな顔をして唐突に訊いた。
「引っ越す?」
「犯人が言ったんです。この街にいる限り、僕を一生つけ狙うって」
サキは背筋が凍るような気がして全身に鳥肌がたった。得体のしれない何かに見つめられていると思うと不気味で恐い。
「空は引っ越したいか? じっちゃんのとこに行きたいのなら、話をつけてやる」
「僕は平気です」と言って空は口ごもった。「ほんとは平気じゃありません。だけど、サキや翼君と一緒にいたいです」
サキは急に目頭が熱くなった。涙が溢れそうになり、自分でもびっくりする。
「おまえの好きにすればいい。帰るぞ」
サキは感情を抑えて言うと、乱暴に空の頭を撫でた。
家に帰って、サキがこれから学校に行こうとすると、空も小学校に行きたがった。
「身体は平気なのか?」
「このとおりです」空は元気よく飛び跳ねて見せた。「それに独りで家にいたくありません」
確かに、空を独りで家に置いていくのも心配だった。
サキはある可能性を昨日から考えていた。それは自分でも突拍子もない考えだとわかっていたが、その疑問を打ち消すために、学校に行くという空に頼みごとすることにした。
「どうして、そんなところを調べるのですか?」
「後で教えてやる。そこに何にもなければそれでいいんだ」
サキは霧島の方法をまねして、可能性をすべて潰しておこうと空にあることを頼んだ。




