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36 初恋の結末

 サキが三十分ほど空の相手をして病室を出ると、隼人が病院の入り口に立っていた。

「きのうは急に訪ねて悪かったな」 

 隼人が黙っているのでサキから話しかけた。

「いいや、こっちこそ、ごめん」

 隼人が不自然にサキから目をそらすのを見て、サキが聞いた。

「ここんところ、あたしのことを避けていただろ」

「ごめん」小さな声で隼人が答える。「空君、どう?」

「検査の結果、何も問題がないから、明日には退院することになったよ」

「そう。良かった。ゆっくり話がしたいのだけど、麻生さんの家に行ってもいいかな?」

 サキがかまわないと答えると、隼人は無言でサキと並んで歩き出した。結局、家に着くまで、隼人は一言も言葉を発しなかった。


 サキはソファーに座っている隼人の前にコーラーを入れたグラス置いて隣に座った。

「話って何だよ」

「やっぱり、いいや」

「よくねえだろ。話があるからわざわざ病院まで来たんだろ。事件の話じゃないのか?」

 隼人は口をつぐんで下を向いた。

「僕がやったと思っている?」少しして隼人がぼそっと言った。

 サキは隼人の真意を見極めようとして、黙って鋭い視線を向ける。

「ふたりが消えたとき、二度とも僕は麻生さんといたじゃない」

「翼はともかく、空をあのビルから連れ出すのは隼人でも可能だよ」

 隼人の表情が硬くなるのがわかった。


「犯人が時計の音を聞かせたのは、空に間違った時間の記憶を植えつけたかったからだ。ビルから連れ出されたのが三時以降だと知られないようにね。最後のメールの記録だけが残っていたのも、空が拉致された時間が二時だと印象づけたかったからだ。三時以降ならばおまえにも可能だろ」

「とんでもない言いがかりだよ。仮にそうだとしても僕は車を運転できないんだ。車もなくてどうやってふたりを運ぶんだい? それに動機はなにさ」

「そんなことは警察が調べれば直に明らかになる。あたしは隼人の気持ちなら、わかってやれる。すべて話してくれ」

 サキが隼人の瞳を食い入るように見つめると、瞳の奥に哀しみに包まれた暗闇が広がっていた。


「僕の何が麻生さんにわかるって言うのさ?」隼人の瞳が暗く光った。「僕のことなんて、知りもしないくせに」

 隼人の全身が鋭い刃のように尖っていくのを感じた。

 興奮して隼人の身体が小刻みに震えだす。

「全部わかるとは言わないよ。似たような苦しみや怒りをあたしだって感じたことがある」

「勝手なことを言わないでよ。麻生さんは何にもわかってない!」

 隼人はそう怒鳴ると、いきなりサキの両手首を掴んでソファーに押し倒した。

「僕の気持ちに気づいてた? 僕がずっと麻生さんにこうしたかったって、わかってた?」

 隼人は身体の上に覆い被さって力でサキを押さえ込み、顔を近づけて言った。

「僕がこんなことをするなんて思いもしなかったでしょ。麻生さんも僕を馬鹿にしているんだ。僕が何も出来ないって思っている。男だと意識したこともないんでしょ。だから家にも簡単にあげるんだよ」 

 サキは足をばたつかせようにも、隼人の全体重が身体にのしかかり身動きが取れない。

「離せ。隼人」

 サキが唯一動かすことが出来る頭を激しく左右に振ると、隼人はサキの腕を掴んでいる手に思いっきり力を加えた。

「痛いっ」サキの顔が歪む。「止めろ! 力づくでこんなことしても何にもなんねえだろ。おまえはおまえだ、何も変わらない!」

「うるさいっ!」隼人がサキの顔を叩いて、むりやり唇をサキの唇に押しつけると、サキは抵抗するのをやめて身体から力を抜いた。唇が他の誰かのそれと触れるのは初めてだった。


 一瞬、霧島の顔が頭によぎったが、あまりにも突然すぎて、こんな風に唇が奪われることにサキは何も感じなかった。心も身体も凍りつき、サキはじっと隼人の力が緩むのを待つ。急に抵抗を止めたサキに、隼人は戸惑うような顔を向けて力を抜いた。隼人が隙を見せた瞬間、サキは隼人の頭に思いきり自分の頭をぶつけた。

「うっ」とうめいて、怯んだ隼人の腹をサキはすかさず左足で思いっ切り蹴り上げた。

「いい加減にしろ。そうだよ。おまえにこんな真似が出来ないことぐらいわかっている。おまえは、そんな卑怯者じゃないからだ」

 サキは服の乱れを直して、小さく身体を丸めて子どものように泣いている隼人を見た。

「力であたしを支配して隼人はそれで満足なのか? それがおまえの欲しいものか?」

 サキは、床で膝を抱えて怯えている隼人の手を取って、ソファーに座らせた。

「悪かった、気持ちは知っていたよ。わからないわけがないじゃないか。だって隼人は、あたしの初恋の相手だったんだからさ」

 隼人が驚いてサキを見た。


「八年前の事件のあと、興味本位に寄ってくるやつばかりで親身になって優しくしてくれたのは隼人だけだったよ。いつもあたしを笑わせてくれて、隼人の笑った顔を見ていると嫌なことも悲しいことも忘れられた。転校して隼人に逢えなくなるのが、何より辛かった」

 隼人はいつのまにか泣き止み、目を丸くしてサキの話を聞いていた。

「高校でまた逢えるようになって毎日が楽しくなった。ときどき昔を思い出したりもした。隼人の気持ちは嬉しいんだ。だけど……」サキは言葉を詰まらせた。

「誰か、好きな人がいるの?」

「どうかな、よくわからないんだ。ごめん」

「いいんだ。わかってたから」隼人は小さく首を振った。「そんな風に思ってくれてたんだ。昔のことを覚えているとは思わなかったよ。だって、君はすごく変わってしまったから」

「生きていかなきゃ、ならなかったからな」

「昔の君は……」隼人は言い直した。「僕が遊んでいたサキちゃんは、静かで女の子っぽくて泣き虫だった。守ってあげなきゃって、僕はいつも思ってた」

「そうだったっけ?」

 隼人が遠い目をして言い、ばつが悪そうにサキは苦笑いをする。

「そうだよ。だから街で不良たちに向かっていった君を見て、僕、目を疑ったよ」

 隼人はやっと笑顔を見せた。

「うるせえよ、もういいだろ。元気がでたんなら、とっとと帰れ」

 サキが照れくさそうに言う。


「ねえ、昭和の少女漫画に憧れて、そんな風に話すようになったって、ほんと?」

「エリカに聞いたのか? あのおしゃべりが」

「ほんとなんだ」

 隼人がからかうように言って、顔をくしゃくしゃにして笑った。

「ちぇっ、うるさいな。なんだか強くなれる気がしたんだよ」サキは決まりが悪そうに、笑っている隼人を見て言った。「そうやって、いつもガキのころみたいに笑ってろよ。あたしは隼人の笑っている顔が好きだ。おまえには、いつもそういう顔をしていて欲しい」

 隼人は照れ隠しに変な顔をして、にひひと、笑った。


 サキは少し前まで学校も友人もくだらないと思っていた。

 他のやつらとは違うと、斜に構えて白けていた自分が一番冷めていたことに、ようやくサキは気づいた。自らは何もしようとせずに、『昭和のダチ』のような友人関係を築けないことを時代のせいにしていた。


 今のサキには大切にしたい仲間がいる。自分を犠牲にしても、こいつらのために何かしてやりたいと思える友がいることに、サキは喜びを感じていた。隼人の力になりたかった。


「麻生さんにいいことを教えてあげるよ。いのちの樹の教祖がもうすぐ復活するって話」

 隼人の顔から急に笑みが消えた。

「どういう意味だ?」

「教祖が捕まる前に復活を予言して、それを信者たちは信じているんだ」

「誰に聞いた? おまえの後ろには誰かがいるんだろ? 復活するって、そいつは、誰なんだ」

「未だ言えない」隼人は首を横に振った。「今度、教えてあげるよ。教祖の生まれ変わりみたいなものだよ。その時が来るのをみんなが待っているんだ」

「その時って?」

「もう、始まっている……」

 突然、テレビの横の台にある電話が鳴って、隼人はしゃべるのを止めた。


 ちょっとごめん、と言ってサキは立ち上がり、受話器を取る。電話は若菜からだった。

「翼が見つかった?」サキが大きな声で聞き返した。

 それを聞いた隼人の身体が固まって、グラスを持つ手が微かに震えている。

「麻生さん、ごめん。僕、行かないと」

 隼人が急に立ち上がって玄関に向かった。気分が悪くなったのか顔色が悪い。

「ちょっと待てよ。隼人!」

 サキは受話器を持ったまま隼人を追っかけたが、隼人は一度も振り向きもせずにサキの家を出た。みるみるうちに隼人の姿が小さくなって、ついに見えなくなった。


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