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35 恋ごころ

 空の病室から笑い声が聞こえた。

 サキが中を覗くと、見たことがない穏やかな顔で霧島が笑っている。

「なんだよ。あいつ、笑えるんじゃん」サキはぼそっと言った。

 急に、「彩」で見た霧島の後ろ姿が頭に浮かび、胸が苦しくなる。


「あっ、サキ!」空がドアのところにいるサキに気づいた。「霧島さんがお見舞いに来てくれました」

「見舞いじゃねえよ。捜査だろ」

 もやもやしたものが心を覆って、サキは憎まれ口を叩いた。

 霧島は空が寝ているベッドのそばに座ったまま振り返える。

 サキが空のベッドに近づいて、サングラスをかけた霧島と目が合った。心臓がサキの意思と関係なく大きく音をたて始める。

 サキは心の中を見透かされるのを恐れて視線をそらすと、「話がある。ちょっといいか?」と言って、霧島を病院の庭へ連れ出した。


 庭に出ると、残暑もそろそろ終わりを告げるかのような心地よい風が吹いていた。太陽が傾いて西の空がうっすらと黄色味を帯びている。のどかな景色がサキをリラックスさせた。立ち入り禁止と書かれた芝生に入って看護士に怒られているパジャマを着た子どもや車椅子に乗った患者の姿がなければ、病院の中にいることも忘れてしまいそうだ。サキは一言も口をきかずに霧島と並んで歩いて、平穏なひとときに身を置いていた。


「話しというのは事件のことか?」

 突然霧島が口を開いて心地よい沈黙を破った。一瞬にして、サキの目に映っていた風景が色を失う。

 サキは「ああ」と言って眉をひそめると、大きな木の下で立ち止まった。


 霧島の話によると警察の捜査に進展はなく、不審な人物も車も未だ発見にいたってない。わかったことは、空が発見された隣のビルの配送センターからリヤカー付きの電動自転車が一台、盗まれていたことぐらいだ。 

「三時を知らせたときだけ時計の音がしたのは、あのビルから連れ出された時間を三時よりも前だと思わせたかったんじゃないかな」

 サキは夕べ空から聞いた時計の話を霧島にした。

「良く気づいたな。その話が本当ならばアリバイや目撃情報を一から洗いなおさなくてはならない。本部にはすぐに伝えておこう」


「情報を提供したのだから、死んだ青木って男のことを教えろよ」

 サキは木に寄っかかってまっすぐ霧島の目を見た。

 青木の名を聞いても顔色を変えずに黙っている霧島に、サキは苛立ちを覚える。

「八年前の事件で釈放されたやつだってことはわかっているんだ。それにあたしは一度、コスモワールドの前で青木に会っている」

 霧島はサキの苛ついた態度を持て余すように溜め息をついた。

「やつにはアリバイがあった」顔をしかめて霧島は煙草に火をつける。「青木は翼が消えたとき、セミナーに出席している。その日は一歩もコスモワールドの事務所から出ていない」

「死因は? 青木の死に怪しいところはないのか?」

「許容量以上のアルコールが体内から検出された。橋に設置されたカメラに青木が川へ入っていく姿が映っていた。そばに誰もいないことから自殺か酔って水に入って溺れたと、警察は判断した。この件も不審なことが見当たらなかったから解剖はされていない」

「もっとちゃんと調べろよ。本当に青木は誘拐と関係ないのか?」

「死ぬ少し前に事情を聞いたときは、コスモワールドの活動に夢中で佐藤を恨んでいる気配は微塵もなかった。気になったのは川に入る寸前まで携帯で誰かと話していたのに、相手がわからんという点だ。もうひとつ言えば、事件の前に翼と親しく話していたのを何人も見ている」

「携帯で? 佐伯のときと同じじゃないか。相手がわからないところまで一緒だなんて、めちゃくちゃ怪しいじゃねえか!」

「自殺する前に携帯で誰かと話していても、ちっとも不自然じゃない。そんなことくらいで警察は動かない」

 サキはちっと舌打ちをして、唇を噛んだ。


「なぜ、あたしに黙っていた」

「捜査上の秘密を、いちいちおまえに告げる必要があるのか?」

「母さんを殺したやつだろ!」

 霧島の突き放すような言い方に切れてサキが声を荒げた。

 大きな瞳で霧島を睨みつける。霧島が何も答えないでいると、サキはふっと静かに息を吐き、視線を霧島から茜色に染まっていく夕焼けに移してつぶやくように続けた。

「親の敵だ。教えて欲しかった」

「尚更、言うわけにはいかないだろうが」霧島が冷静な口調で答える。

 サキは頭を冷やそうと、小さく一回深呼吸をしてから訊いた。


「電話を使って暗示をかけ、人を操って殺すことなんてことが出来ると思うか?」

「催眠術か? ばかばかしい。専門家でも無理だろうな」

「専門家って?」

「超能力者とか、精神科の医者だろう」霧島は鼻で笑う。

 精神科医と聞いてサキの頭に佐藤の顔が一番に浮かんだ。

「翼が行方不明になったときの天童のアリバイはどうなっている?」

「アリバイは完璧だ。他のコスモワールド関係者のアリバイも裏付けが取れている」

「なら、トゥモローって会社を調べて欲しいんだ。佐伯の会社と揉めたことがあったみたいだ」

「佐伯? 贈賄事件のか? 何でまた」霧島が怪訝な顔でサキを見た。


「天童が気になってiPS細胞のことや佐伯の事件を調べてみたら、この会社といのちの樹にぶちあたった。木戸博士はそこにいたらしい。天童も関わっているかもしれないんだ」

「危ないことに首を突っ込むな。誘拐とは接点がない」

「気になるんだ。佐伯も、翼の誘拐のスクープを載せたゴシップ雑誌にすっぱ抜かれているんだよ。おかしいと思わないか? 事件はコスモワールドを中心に広がっているんだ」

「だとしても、おまえが出る幕ではない」

「木戸と天童の後ろ盾は五条の爺さんだろ? 佐伯が消えて一番得をしたのはiPS細胞の特許の管理を引継いだ天童だ」

「そうだとしてもだ。翼の事件とは関係ないだろ」

 霧島はこの期におよんでも佐藤については語らない。

「関係ない? 本当に関係ないのかよ」頭に血が上ってサキの声が大きくなった。「翼の親父はいのちの樹と関係あんだろ! 五条の屋敷であんたが電話をしているのを聞いたんだ。一体、何がどうなっているんだよ。あんたと翼の父親の関係もだ!」

 サキは堪っていたものを吐き出すように、一気にまくし立てた。

「あのひとには、昔、世話になっただけだ」

 霧島は顔色ひとつ変えずにサキから視線をそらした。

「ちゃんと説明してくれよ。安心したいんだ」と口にして、サキは心の中で、あんたを信じたいんだと叫んでいた。

「後は警察が調べる。余計な詮索はするな」

 霧島は近くのベンチに座って足を組んだ。上着のほころびがサキの目に入る。

 もうこれ以上は事件についてサキと話す気はないという態度を示して黙り込み、霧島は煙草をふかした。

「あんた、結婚は?」

 サキの唐突な質問には答えずに、霧島はサングラスの奥から鋭い視線をサキに向けた。

「家に帰っている気配がないからさ」

「独りのほうが仕事に集中できる。ガキが俺の心配などしなくていい」

 彩の姿が目に浮かんで胸がちくりとする。口がまた勝手に憎まれ口を叩いた。

「あんたと一緒になる女も大変だな」

「余計なお世話だ。一緒になろうと思っていた女は十ニ年前に死んだよ」 

 霧島は遠くを見て答えた。白い煙を吐いてからぽつりと付け足すように言う。

「いのちの樹も、信者にとっては悪いことばかりじゃなかった。救われた人間も大勢いる」

「いのちの樹のことを何か知っているのか?」

 サキの問いに霧島は答えない。

「前に、何でそこまでするのかと、俺に訊いたな。自己満足だ。罪滅ぼしだよ。いいか、ひとつだけ忠告しておく。人を簡単に信じるな。俺のこともだ」

 霧島は靴の裏で煙草を消して携帯灰皿に捨てると、静かに立ち上がり病院を去った。



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