29 寝顔を見ながら
空は点滴をして、すやすやと眠っていた。
寝顔を見たとたん目頭が熱くなり、サキは唇を噛み締めて涙が溢れそうになるのを堪えた。
何者かが空の居場所を知らせる電話を小学校にかけてきて、霧島が空を発見した。その連絡を受けたエリカがサキに知らせるために機転を利かして隼人の携帯に電話をしたのだ。
空は本郷三丁目の駅の近くのビルの一室で見つかった。その部屋はマンションと商業ビルが混ざった小さなビルが並んでいる賑やかな通りにあり、空は薬で眠らされていた。ビルのテナントが夜逃げをして出て行ったので、鍵は開いていて誰でも中に入れる。
隣のビルの一階が運送会社の配送センターなので人の出入りが激しく、見慣れぬ人間がうろついていても不思議に思われない。怪しい人物を見たという情報はまだなかった。
「今、眠ったところだ」
ベッドの脇の丸椅子に霧島が座っていた。
「容態は?」
「心配ない。精神的にまいってはいるが、思ったより元気そうだった」
それを聞いてサキはほっとした。
「翼は? 空だけが解放されたのか?」
「ビルを隈なく捜索したが、翼も監禁されていた防音の部屋も見つからない。窓のたてつけがしっかりとしていて外の音はそんなに聞こえないだろうが、防音と呼ぶにはあまりにもお粗末だ」
「監禁されていたのは別の場所だってこと?」
「ああ」と言って霧島は話を続けた。「空は翼の名を騙った犯人にメールでおびき出されたと言っているけれども携帯の履歴は削除されていた。電話会社の通信記録によると、空が消えた日の午後一時五十分に空はメールを受け取っている。これは、ビルに着いたときに翼からの最後のメールを受け取ったという空の証言と一致している。だが、翼と数回メールを交わしたと空が言っているのに通信記録がその一回しかない。その上、空の携帯はこのメールを受け取ったとき以外は圏外にあったか電源が入っていないことに記録上はなっているんだ。空がメールを受け取ったときの電波を受信した基地局は、実際に空が居たところから遠く離れた場所にある」
「よくわかんねえよ。拉致した場所がばれねえように、誰かが細工したってこと?」
「そのとおりだ」霧島はうなずいた。「携帯会社のホストコンピューターに何者かが侵入した痕跡があった。データーを改ざんされた疑いがある」
「翼の携帯からはアジトの見当はつかないの?」
「翼の携帯はずっと電源が落とされていたが、空が呼び出された日は何度か電源が入って通信記録も残っていた。空へのメールは翼の携帯から一旦、他の端末に送られて自動的に転送されていたから翼の通信記録には空の携帯にアクセスした記録は全くない。そして、携帯の発信場所はこの街の中だ」
「そんな手のこんだことまでして痕跡を消そうとしたんだ。アジトはビルの近くかもしれないな。だけど、何で全部の通信記録を消さなかったのだろう?」
「わからん。ハッキング中にトラブルがあったのか、それとも捜査を攪乱するためか」
「組織的な犯行だと思う?」
組織的犯行だとしたらもっとも疑わしいのはコスモワールドだが、コスモワールドを疑いながらも、サキには犯行の動機がもっと個人的なところにあるように思えてならない。
「空はひとりしか犯人の存在を確認してない。目隠しをされていた上に、犯人はパソコンで細工した声をスピーカーで流して語りかけていたというから、複数の人間が関与していても空にはわからないだろう」
「身代金の受け渡しのときにあたしたちにも共犯者がいるようなことを匂わせていたよ。だけど、組織的な犯行にしては身代金が安すぎないか? それに、あいつは楽しんでいた」
楽しむ、という言葉にサキは引っかかるものを感じた。前から感じていた違和感はそれだ。
「犯人は複数だ」
サキが断言した。
「何か、思い当たるのか?」
「最初にイトーヨーカドーで翼の母親を呼び出した犯人とベーカリーで話したやつは、楽しそうだったんだ。声は同じだけど後楽園についてからの二回の電話は別人だと思う。そいつは淡々と仕事をこなしているという感じがした。根拠はない。ただの勘だよ」
「勘っていうのは意外と当たるもんだぜ。特に女の勘はな」
霧島が口を歪めて笑う。
「呼び出された場所から、空はどうやって連れていかれたの?」
「薬を飲まされていた。眠ってしまって気づいたら翼が監禁されていた場所にいたそうだ。目を覚ますと時計が三時を知らせて犯人が部屋にいたと証言している。犯人は同じビルの中だと言ったがそれは嘘だろう。アジトは一時間以内に移動できる所だ。二時から三時の間にビルの付近にいた人物と、周辺のNシステムにひっかかった全車両を今調べている」
「子どもをふたりも誘拐しているのに目撃情報が一切ない。どうしたら、こんなに痕跡を消せるんだ?」
「空が監禁されていた場所が特定できれば犯人は絞れる。人知れず子どもを誘拐しても長い間監禁しておくのは楽じゃない。子どもたちを人に見つからないように連れ出すのはもっと大変だ。空が見つかったビルと東京ドームは七百メートルしか離れていない。必ずあの周辺にやつらのアジトはある」
強い口調でそう言うと、霧島は空に目を落とした。
「遅くなってごめんな」
空の額にかかった髪を、霧島は大きな手でそっとかきあげる。
「ありがとう」サキが囁くように言うと、霧島は振り向いて疲れた顔でサキに微笑んだ。
肌はどす黒く頬はこけてサングラスの奥の瞳は落ち窪んでいた。
「おっさん、ちゃんと寝ているのか?」
サキがつい、心配になって訊いた。
「余計なお世話だと言っただろ」
霧島は顔を強ばらせて視線をそらした。
サキは急に霧島の背中が遠く感じて胸が痛くなる。
霧島が交代の時間になっても家に帰ろうとせずに捜査を続けていることをサキは知っていた。こんなことを続けていたら、いつ倒れてもおかしくない。それはまるで自分を消耗品として扱うような、命を粗末にした行為だった。前に若菜が、霧島は初めて組んだころから、死に場所を求めているような危険な捜査をすると言っていたことを思い出した。
「何で、そこまでするんだ?」
「おまえのためじゃない。気にするな」霧島は突き放すように言って椅子から立ち上がった。「一度、署にもどってから四時に翼の家へ行く。何かわかったら知らせてやる」
「翼の家に連れてってよ」
「おまえは空のそばに居てやれ」
「それまではここに居るよ。あたしも自分が出来ることをする。あたしが着いて行くと、あんたが困ることでもあるのかい?」
サキは鋭い目で霧島を見た。
勝手にしろと言い残し、廊下を早歩きで駐車場に向かう霧島の背中を見送って、サキはこの刑事を信じてしまいそうになる自分を戒めた。




