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27 見えてきたもの

 朝早くチャイムが鳴り、サキがドアを開けると霧島が立っていた。

 夕べ翼を見失い犯人からの連絡は途絶えた。手を出せない状況であったといえども、見す見す金を持ち去られては霧島の責任はまぬがれない。霧島は指揮官を降ろされた。


「おまえに謝らなければならない」

「あんたに謝ってもらっても空は帰らないよ。あの状態ではどうしようもないさ」

 サキは不安を隠して軽い調子で言うと、霧島をリビングに通した。

「コーヒーでいいだろ?」と言ってサキは答えを待たずにコーヒーメーカーに水を注ぐ。

 霧島は、ああ、と小さく返事をした。


「これで終わりにはしない」

「指揮官を外されて、あんたに何か出来るの?」

「煩わしい立場でない方が動けることもある」

「昨日の携帯からは何かつかめた?」

「おまえから聞いた番号は、返済が滞っている債務者に契約させたプリペイド電話だった。ネット上で銀行の架空口座を売りさばいている道具屋がこういった名義も扱ってやがる。契約させられたやつは、道具屋の素性も誰に売ったかも知らされない」

「何の手掛かりもないってことじゃねえか」

 サキが不満そうに声を荒げたので、霧島は口を閉ざした。

 静かになった部屋にコーヒーメーカーの音が響いている。


「すまない、八つ当たりして。ちょっとイライラしていた」

「いや、おまえの言うとおりだ。だが、手掛かりが全くないわけではない。録音した電話の音を解析したら、空は防音設備の整った閉鎖された部屋にいることがわかった。それと、誘拐される前に翼がコスモワールドという団体に顔を出していたという情報がある」

「コスモワールドに翼が?」

 サキの声が裏返った。

「コスモワールドを知っているのか?」

「前に一度、勧誘された」

 殺された青木の顔が浮かんで、霧島が電話で佐藤と話していたのを思い出した。八年前の事件を起こした青木と翼がコスモワールドに出入りしているのだ。あの事件に関係がないわけがない。佐藤が教団に関わっていたことも霧島はまだ隠している。


「そっちこそコスモワールドについて何か知らないの?」

 サキは霧島を試した。

「調査しているが、今のところ特に怪しいことはない」

 霧島が青木の存在や佐藤との関係を自分に告げないことに、サキは苛立った。

「身代金の引き渡しのとき、翼の親父はどこで何をしてた?」

「二階の自分の部屋で休んでいた。うちの捜査員が一階で待機していたんだ」

 霧島が佐藤を庇うのはなぜだ? 嫌な想像がサキの頭をかけ巡る。

 隠していると言えば隼人もだ。翼がコスモワールドに出入りしていたことを隼人が知らないわけがない。

 ふたりが話さないのなら直接あたるまでだ。サキは黙ってコーヒーを霧島の前に置いた。

 部屋の空気がよどむ。


 霧島はコーヒーを飲んで煙草を一本吸うと、捜査にもどると言って立ち上がった。

 無愛想に見送るサキに何かあったらすぐに知らせるようにと告げて、霧島が玄関で靴を履こうとすると、突然、扉が開いた。

「不用心だな。鍵が空いてるよ」

 エリカは玄関にずかずか入って来ると、まるでいつも遊びに来ているかのような顔でケーキの入った箱を持ち上げた。

「一緒に食べよう」 


 お姫様ちっくなピンクのふりふりに包まれたエリカを見て、霧島がギョッとした。

 ふわっとしたマイクロミニのスカートは少しでも身体をかがめたら下着が見えそうで、見ているほうがどきどきする。太ももまである靴下にもフリルがついていて、スカートとの間に見えるわずかな肌色の足がなまめかしい。

 エリカの登場でどんよりとしていた空気が華やいだ。


「今、取り込んでいるんだ」

 エリカの突然の訪問に戸惑ってサキは眉をひそめる。

「取り込み中?」エリカは首をかしげると、サキと霧島を交互に見て「ふうん、そういうこと」と、にやにやしながら目を輝かせた。

「そういうことでも、こういうことでもないよ」

「やあだ、サキ。顔が真っ赤だよ。冗談だってば」

 エリカはからかうように言う。いつのまにか、サキと呼び捨てにするようになっていた。

 サキは返答に困った。突然、自分の領域に踏み込まれて、猫を被った優等生の自分を、どういう風に演出すればいいのかわからない。

 今までは学校でしか同級生と話すことはなかったし、当たり障りなく相づちを打っていれば良かった。空気を読むことが上手な世代だ。誰もそれ以上はサキに関わろうとしないし、誰もが本音を隠して友人ごっこをしているのだから、学校で自分を飾ることは難しくなかった。


 だけど、真っ直ぐなエリカといると何だか調子がくるう。この子の投げる球は直球ばかりだ。それに比べると自分はバッターが勝負を挑んできているのに、敬遠するピッチャーのようなもの。だいたい何で自分を飾っていたかと言うと、めんどうくさかったからだ。だけど最近は素のままで人に接することが多くなって、ありのままの自分でいるのが楽になっている。

 サキはエリカの前で自分を偽る理由を見つけられなかった。


「サキのしかめっつら、初めて見た。もっとそう言う顔をしたほうがいいよ。ケーキを置いてくから、ふたりで仲良く食べなよ」

 エリカは白い箱を靴箱の上に置いた。それを霧島が取ってエリカに返す。

「俺は帰るところだから、お嬢さんはゆっくりして行けばいい」そう言って霧島は靴を履くと振り返ってサキに告げた。「甘いものでも食って少し休め」

 取引に失敗して金だけ奪われたんだ。この状況で、どう休めっていうんだ。

 サキは霧島の疲れた後ろ姿に向かって、心の中で小言を言う。

「サキってああいう、いかついのがタイプだったんだ」

 エリカは意味ありげに微笑んで霧島を見送ると、さっさと靴を脱いで家へ上がった。


「へえ、けっこう広いじゃん。古い家なのに中は違うんだね。このクッション、超かわいい。サキって少女趣味なんだ」

 この子の明るさは確かに気分転換になるかもしれない。サキは顔の筋肉を緩めて普段の低い声で言った。

「そんなわけねえだろ。オヤジと結婚したひとの趣味だ」

 エリカは振り返ると、少しの間サキを見つめ、顔全体に笑みをこぼして言った。

「そっちのほうがいい!」


 エリカがコーヒーを飲めないというので、サキは戸棚の奥にあったひからびた紅茶を入れた。もらったケーキを箱から出して皿にのせ、テーブルに置く。

 エリカは食堂の椅子に座り、足をぶらぶらさせて辺りを見まわしていた。

「旨そうだな」

「でしょ。このケーキね、あんまり甘くないんだ。サキは甘いのが好きじゃないでしょ。ここのなら気に入るよ。合コンで会った甘いものが苦手な女の子が、美味しいって言ってたんだ」

「あんなにボーイフレンドがいるのに、合コンなんて行くんだ」

 そう言ってサキはフォークを口に運んだ。確かに甘さが控えめで旨い。

「人数が足りないからって道で声をかけられたんだ」エリカはどうでも良さそうに答えると、急に目を輝かせた。「その合コンに来ていたひと、殺されちゃったんだ。ほらニュースになっていたでしょ。文部科学省の本間っていう男」

「本間って、奥さんに殺された? iPS細胞の汚職の噂があったという、あの事件か?」

 驚いてサキの声が大きくなった。


「エリカね、大学で再生医療の研究をしている彼がいるんだ。その彼が言うには、かなり権限がある人だったみたいだよ。国の予算も握っていてiPSがらみの事業に参入したい会社や研究者は、相当そいつの顔色をうかがっていたらしいよ。本間って人がノーって言ったら絶対ダメなんだって。だから、奥さんに殺されたとわかって、マスコミも拍子抜けしたって、新聞記者の彼も言ってたもん」

「不倫が原因だっけ?」

「びっくりだよ。相手は合コンに来ていた由香って子だもん。あの合コン、キモかったぁ。女の子たちはみんな高校生なのに、相手は四十歳以上のハゲオヤジばかりなんだよ」

「声をかけられたからって、何でそんな合コンに行ったの?」

 頬を膨らまして言うエリカを見てサキは苦笑した。

「女の子に誘われたからだよ。いつだってエリカばっかりモテるでしょ。だから合コンに誘われることなんてないもん。女子はエリカを避けるんだ。でも結局、あの子たちも同じだったな。あんな腹がでたオヤジ相手に目の色を変えちゃってさ。火花散らして嫌になっちゃう。あの子たち、可愛くなかったからエリカに声をかけたんだよ。可愛い子がひとりもいないと困るでしょ。いざ、オヤジたちが来たら、でしゃばるなって釘さされちゃった。やっぱりサキだけだな、エリカが可愛くても焼きもちやかないのは。だからエリカはサキと一緒にいたいんだ」

 屈託のない顔で笑うエリカを見て、女友達が出来ないのはその性格のせいだと、言ってやりたいのをサキは我慢した。


「そもそも、高校生の女の子たちがどうしてオヤジと合コンすることになったんだよ?」

「わかんないけど、その子たちコスモワールドで知り合ったんだって。コスモワールドのビルの前でエリカも声をかけられたの。あの子たち、ちょっと変わってたな」

「コスモワールドだって!」サキは即座に反応した。「変わっているって、どんな風に?」

「全然かっこよくないのに、みんなが競ってあの本間って人だけを最初から狙ってたんだ。お金を持っていて芸能人に顔がきくオヤジや、もう少し見た目がマシなおっさんもいるのにだよ」

「競って本間だけを落とそうとした?」サキは少しの間黙った。「鍵はコスモワールドか。やっぱり、隼人に訊くしかねえか」


「隼人って言えばさ、一昨日のイベントは中止だったんだってね。それも、だいぶ前から決まっていたみたいだよ。あいつ、どんくさいよねぇ」

「それ、本当?」

「秋葉系の彼に聞いたからほんとだよ。ほら、ビラ配りに来ていた眼鏡の、覚えてない?」

 サキは黙って首だけ振った。

「どんくさいけど、隼人って良いやつだよね。サキが元気ないから励ましてって、エリカ、隼人に頼まれたんだ」

「まさか、一昨日の放課後に、あたしと話しをしてくれって隼人に頼まれたのか?」

 エリカはケーキを口に入れたまま、もごもごして首を縦に振った。

 空が誘拐されたとき、隼人はイベントに行くと言って本当はどこに行ったのだろう? イベントの中止を本当に知らなかったのか? 

 サキは一点を見つめて考え込んだ。

 隼人はエリカを使って、あたしが家に帰る時間を遅らせようとしたのか? 

 恐ろしい考えが浮かんで、慌ててサキは頭を振った。


 空が消えた時間には隼人は授業を受けていた。翼がいなくなったときだって一緒にいたではないか。サキのアリバイが証明出来たのは隼人のおかげだ。それに、空が消えた日の朝も隼人は空を心配して家まで来てくれたじゃないか。

 サキは家の前に居た隼人の姿を思い起こす。

 ちょっと待てよ。隼人は本当に空を心配して来たのか? 

 もうひとりのサキが囁いた。

 ではなぜ隼人は、翼がコスモワールドに出入りしていたことを言わない? 

 隼人の態度はここ数日おかしかった。サキの心の中で隼人に対する疑いが、次々と頭をもたげる。

 サキは無意識のうちに顔を強ばらせ、その瞳は苦悩の色を濃くしていた。


「ねえ、そろそろ、話してくれてもいいんじゃない?」

 サキが我に返ると、もの思いにふけていたサキを心配そうな顔でエリカが見つめていた。 

 エリカの澄んだ眼差しがサキの心を突き刺した。

「空君のこと。力になりたいの」

「何で知っている?」

「若菜っちとあれから毎日メールしてるんだ。昨日も電話したら態度がおかしいんだもん。サキも学校を休んだし。ここんところサキの態度が変だったから空君に何かあったって、ピンときたんだ」

 サキはふうっと小さく息を吐いた。

「あいつ、刑事のくせにダメダメじゃん」

 若菜がエリカにでれでれしている様子が容易に想像できた。

「さっきの人も、刑事なんでしょ?」

 エリカがおちゃらけながらも周囲に気を配っていたとは意外だった。全く気づかなかったと言ってもいい。この真剣な眼差しを見れば興味本位で訪ねて来たのでないのがわかる。 

いつも通りふざけながら言葉を選んで、サキに気を使わせないように自然に振る舞うエリカの気遣いが嬉しい。

 この子は勘がよく本当は不器用で、外見よりも中身はずっと繊細なのかもしれない。

 相手を知ろうともせずに、上っ面の友だちなんていらないと、意地を張っていた自分が子どもっぽく思えた。


 サキは、エリカがそばにいてくれて心強い気がする自分に気づいて驚いた。独りでいるのが楽だったはずなのに、今は独りじゃないと思えてほっとしている。見えない敵を前に、誰かと心を通わせたいという気持ちが自然に沸いてきて、エリカに協力を求めることにした。サキは心を許せる味方が欲しかった。


 心の内を話すと何だか力が抜けた。エリカを信じようとしている自分が不思議だった。 

 空が帰るかもしれないし、犯人から連絡があるかもしれない。サキはエリカに留守を任せて家を出た。サキの中で何かが変わり始めていた。


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