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23 日本の首領(ドン)、五条大蔵という男

「悪い知らせだ。翼の家でも金は用意できない。家も抵当に入っている」

 霧島がサキの家の玄関で、靴も脱がずに淡々とした口調で言った。


「翼の両親はなんだって?」

「父親は留守で、奥さんとだけ話をしたがかなり取り乱している。服装を指示していることから、犯人は母親の顔を知らないのだろう。明日は婦警を行かせる」

「そんなことして大丈夫か?」

「奥さんにも待機してもらう」

「翼の親父はどこにいるんだ。何とか連絡が取れないの?」

「最近は携帯も持たずに時々ふらっといなくなるそうだ。あれでは居ても役にはたたん。それから、いろいろと手を尽くしたがおまえの父親とも連絡が取れない。テロで空港が閉鎖されているし、インドネシアの電話会社も大きな被害にあって現地との通信手段が遮断されている。今のところ被害にあった邦人のリストには名前がないから大丈夫だろう」

「あのくそオヤジ」サキは舌打ちをした。「連絡が取れたとしても、やつも何も出来ないよ」

「犯人の狙いは五条元首相だ」

「怠慢な犯人だよな。あの母子に金なんてねえよ。脅迫するなら、じじいに直接しろよ。金を要求する家の人間が留守かどうかも確かめないで、ガキを誘拐するなんて馬鹿だな」

「ぐだぐだ言うな。五条氏にアポを取ってある。おまえが相談しろ」

 霧島はそう言うと、サキを外へ連れ出した。


「空は爺さんの孫だけど、あの母子は勘当されている。あたしは爺さんに会ったことすらないんだ。オヤジは憎まれているし、あたしが頼んでどうにかなるとは思えないよ」

「いいから、行くぞ」

 サキは気乗りがしないまま霧島の車に乗った。


「ねえ、二千万円って、随分中途半端だと思わねえか?」

「一般家庭が出せる金はせいぜい一千万、ふたり分という計算だろう」

「一般家庭ね」サキはせせら笑った。「うちはしがない探偵稼業だぜ。五百万でも厳しい」

「空が大物政治家の孫と知っているからだろう」

「それなら一億でもいいだろ? 翼の家の事情を知らなきゃ、あっちからも一億は取れると思うはずだ」

「金が狙いじゃないといいたいのか?」

「わからない。何か変だ」


 サキには違和感の正体が何だかわからなかったが、空の祖父を調べた分厚いファイルを麻生の書斎で見つけて違和感はもっと強くなっていた。最初は茜の父親だから父が調べたのかと思ったが、そんな理由で調べたにしては莫大な時間と手間がかかっていた。文部科学大臣を経て総理になった五条大蔵という人物は、政界を去った今でもあらゆる方面に多大な影響力を及ぼしている。同時多発爆破テロのときの総理大臣で、事件後しばらくして辞任、四年後の教団の立て籠り事件の直後に政界からも退いている。


 麻生は、立て籠り事件のときの警視総監と五条の親密な関係を示す証拠を、積極的に集めていたようだ。八年前の事件のもみ消しにこの男が関与していたと考えていたのかもしれない。麻生が集めた五条の資料をサキはまだ読み終えていないので、ファイルのことはしばらく霧島に伏せておくことにした。


 五条の屋敷に着いたのは午後八時になるころだった。大きな門と古い塀に囲まれて、いかにも政界のドンが住むのに相応しい屋敷は、サキの想像を遥かに越えていた。

 門の前でセキュリティが車をチェックして中へ通された。門をくぐってからも屋敷まで車でしばらく走る。明治時代に建てられた洋館を越えると、美しい築山が見えて風情ある日本家屋が現れた。


 霧島は屋敷の前で車を止めた。執事が出迎えてふたりを控えの間へ案内する。

「前のお客様との面会が長引いております。このまま、しばらくお待ちください」

 執事は丁寧に頭を下げると部屋を出て行った。


 控えの間は玄関を入ってすぐにある洋間で、この部屋だけ日本的な屋敷の外観や玄関とは雰囲気が異なっていた。オリエンタル風の派手な柄をした高そうな絨毯が敷かれており、中央には重厚なゴシック調のテーブルと椅子が六脚添えてある。部屋のあちらこちらに高価な調度品が飾られていた。サキは部屋の雰囲気に圧倒されて椅子に腰をかける気になれず、不思議な調度品の数々を眺めて部屋の中をうろついた。


 少しすると話し声が聞こえて人が廊下を歩いて来る気配がした。すぐにドアがノックされて執事が扉を開ける。

「どうぞ」と執事に案内され、サキと霧島は廊下を進んだ。襖を開けて十畳ほどの和室に入ると、それと同時に、眼鏡をかけた猫背の中年男と、その男よりかなり若く見える端正な顔をした男が反対の襖から出て来た。眼鏡の男が陰湿な雰囲気なのに対して、一緒にいる男は見るからに好青年でどこか人が惹き付けられるオーラを放っている。その男がすれ違いざまに爽やかな笑顔をサキに向けて軽く会釈をしたので、サキもつられて頭を軽く下げた。


「どこかで見たような気がする」霧島が男たちを見て首を捻った。

「どっちの男?」

「眼鏡の方だ。若いほうは五条の元秘書さ」

「あの眼鏡の男なら、最近テレビで見たよ。iPS細胞のニュースに出てたけど、何している人だろ?」

「そうか、木戸博士だ。文部科学省がiPS細胞の研究を円滑に進めようと支援しているオールジャパンと呼ばれるネットワークに、最近迎えられたEP細胞の研究者だ」

 サキは振り返って眼鏡の男を見ると、男も食い入るようにサキをじっと見ていた。

 サキは木戸博士にも若い元秘書にも見覚えがあった。元秘書はつい最近どこかで会った気がするが思い出せない。木戸博士にも、ずっと昔に会ったように思うけれど、テレビで見た記憶がそう思わせているだけかもしれない。


「入りなさい」

 襖の先からしゃがれた声がした。

 行ってくるよと、サキは霧島に告げて、襖を丁寧に開けた。


「おまえがあの男の娘か」

 五条がサキに座布団の上に座るように促した。

 思ったより小柄だが、老人の圧倒的な存在感に飲み込まれそうになる。人の心の奥底までも見抜いてしまいそうな鋭い眼力の老人を前にして、偽りが通じないことをサキは本能で感じ取った。

「麻生サキだ、五条元首相。それとも、じっちゃんって呼んだほうがいいか?」

 この怪物と対等に渡り合うためには自分を飾っちゃいけない。サキは正面からぶつかることを選んで、五条の前に座った。

「空が言っておったか?」

 しかめっ面をしていた老人の顔が急にほころんだ。

「空は、爺さんのことが好きみてえだな。会えなくなって寂しがっていたぜ」

 そうかと満足そうに老人はうなずくと、すぐに険しい表情にもどった。


「おまえはどうして欲しいのだ」

「爺さんはどうしたい?」

 サキに聞き返されて五条は驚いてサキを見た。

「あたしはあいつを弟だと思っちゃいねえ。話をしたのだって親父たちが出かけてからだ。でも、ここ数日ふたりきりでいて、一緒にいるのも悪くねえと思えてきた。出来れば助けてやりたい。だが、爺さんの立場もわからないでもねえ。おいそれと、勘当した孫に金を出せねえだろ。あたしが頭を下げることで助けてやれるんだったら、幾らでもこんな頭は下げてやる。でも、金と引き換えにあいつを返せと言うなら約束はできねえ。空が爺さんと住むのを望むならそれでいい。だけど、それはあたしが決めることじゃない。守れない約束はしたくない」

 サキが話を終えると、五条は大きな声で笑い出した。

「嘘が嫌いか。気に入った。口は悪いがおまえは一本筋が通っておる。わしに向かって、本音をぶつける度胸もたいしたものだ」五条はまじまじとサキを見た。「金はわしが出そう。可愛い孫を助けてやってくれ」

 気のせいか、老人の目に涙が浮かんでいるように見えた。


「爺さん、感謝するよ。ありがとう。それから、頼みついでといっては何だけど、旅先でテロにあった茜さんと父さんに連絡が取れない。大丈夫とは思うが、爺さんのほうで何かわからないか?」

「茜のことは大丈夫だ。わしは軍にちょいと顔が利くのでな。テロが起こった直後、支援部隊を現地に派遣したついでに人を送った。あいつはぴんぴんしておる。おまえの父さんもな。不便な思いはしとるだろうが、身の危険があるところではないから心配ない。連れて帰って来てやるほど、わしはお人好しではないのでな」

 政界のドンが普通の父親の顔を一瞬見せた。この男が八年前の事件に関わっているのだろうか? 今はそれを訊くタイミングではない。サキは言葉を飲み込んだ。

「爺さん。空が無事にもどったら、また、会ってくれるかい?」

 老人は優しい目をして微笑んだ。


 隣の和室にもどると霧島の姿はなく、中庭で電話をしている霧島の声が聞こえてきた。

「八年前の事件の関係者は全員シロです。息子さんの誘拐とは関係ありませんよ。さっき、唯一釈放されていた犯人の死体があがりました。もう心配しなくて大丈夫です。これで、あなたが教団に関わっていたのを知っている者はシャバには私しかいませんよ。佐藤さん」

 サキは耳を疑った。霧島が親しげな口調で話しているのは翼の父親だ。霧島は素知らぬ顔をして佐藤と繋がっていたのか? それに、佐藤が教団に関わっていたというのはどういうことだろう?

 それが本当なら、八年前の事件が翼の家で起きたのは偶然ではない。サキは頭が混乱し、霧島が得体の知れない男に思えて胸が締め付けられるように痛くなった。



 家に帰るとすぐに夕刊を広げて霧島が話していた男の記事を探した。記事はすぐに見つかった。青木という男の溺死体は街の中心を流れる川に浮かんでいた。川に落ちる青木が防犯用のカメラに映っていて周りに誰もいないことから自殺か事故と見られている。

 男の写真を見てサキは血の気がひくのを感じた。その男は、駅前でビラを配ってサキを執拗に勧誘したコスモワールドの男だった。


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