22 華麗な手口
―数時間前―
空はひんやりとする部屋で目を覚ました。座り心地の良い大きめな椅子の背もたれに、両手を後ろにまわして縛られていた。目にぴったりフィットするアイマスクをつけられており、一筋の光すら感じられない。頭がなんとなく重く、自分の置かれている状況を理解するのに時間がかかった。
「僕ったら、眠っちゃったんだ」
空はへこんだ声を出した。
なんてことだろう。助けに来たのに、こんなに簡単に捕まっちゃうなんて。
空は自由の利かない手をむりやり動かして、声に出さずに心の中で言った。
そうだ。翼君は? 翼君はどうしたのだろう? 僕が捕まり、困っているはずだ。
なぜ捕まったかわからない空は、重い頭をフル回転させて、学校に着いたころまで記憶を遡らせた。
今日の朝、若菜に送ってもらって空が校門をくぐったとき、携帯にメールが届いた。
差出人の名を見て大きな声を出しそうになり、空はとっさに手で口をおさえる。メールは翼からだった。
『家出した。助けて。だれにも見つからないで、駅の近くの公園に一時に来て』
空はメールを見て居ても立ってもいられなくなった。誰にも見つからないで欲しい、と翼が言っている以上、若菜に連絡をすることは出来ない。翼は自分で家を出たのだ。何か事情があるからに違いない。翼の言うとおりにしようと決めて『わかりました』と空はメールを返した。
何事もないような素振りで午前中の授業をやり過ごした。いつものように給食を食べて空はこっそりと学校を抜け出した。校門はしっかりと閉じられているので裏庭の壊れた塀の小さな穴から外へ出た。そこから出入りできることを児童はみんな知っている。
公園に向かう途中で、また翼からメールが入った。
『予定がかわった。そのまま電車に乗って水道橋へ行ける?』
水道橋は東京ドームのあるところだ。大丈夫。水道橋なら独りでも行ける。
空は携帯に向かって大きくうなずいた。
麻生の家に来てからは電車に乗るのが普通になった。今まで乗ったことがなかったので、空は電車に乗るのが楽しくて仕方がない。黙って手を引かれて連れて行ってもらうのではなく、路線図を手に取って自分で目的地を確認する。どこで何色の電車に乗り換えるのか、どれくらい乗るのか、どの車両に乗ったら乗り換えに便利なのか、細かいことをいちいち訊くので、麻生にめんどくせえガキだと煙たがられていた。それが今、功を成した。
空は『行けます』とメールをして言われたとおりに電車に乗った。
昼の電車は空いていた。後で混んで降りられなくなっては困ると思い、空はドアの近くに座ると、電車の揺れに身を任せて翼に何が起きたか考えていた。自分に翼を助けることが出来るか不安だった。サキには心配をかけたくなかったので話しておきたかったけれど、サキは携帯を持っていない。緊急事態なのでサキもわかってくれると、空は思った。
独りで電車に乗るドキドキがおさまり、後少しで水道橋というとき次のメールが届いた。
『急いで。この地図のところに走ってきて!』
空は翼が心配で電車が水道橋に着くと、送ってきた地図に従って必死に走った。
地図に記された場所は、道幅は細いけれども車や人通りの激しい通りに面した五階建てのビルだった。
空が中に入るのを躊躇っていると、隣のビルの配送センターから出て来たリヤカー付き電動自転車と、大きな荷物を持った人がぶつかった。事故が起きた場所に人が集まりだしたとき、次のメールが翼から届いた。
『かぎは開いているから、左の奥の部屋で待っていて』
空は指示に従った。怖くないと自分に言い聞かせてビルの中に入る。その会社は倒産したようだった。部屋には埃を被った棚が置かれて台車が倒れている。段ボールがあちらこちらに散在して中には書類や文房具が入っていた。そうこうしているうちに、また翼からメールが届いた。
『ごめん。少しおくれる。机の上のジュースを飲んで待っていて。やつらが来るかもしれないから、ダンボールの中にかくれていてほしい』
やつらって誰だろう? 翼は事件に巻き込まれたのだろうか。
そう思うと空は少し怖くなったけれど、逃げようなんて考えなかった。翼を助けるという使命感でいっぱいだった。
隠れるのにちょうどいい段ボール箱は簡単に見つかった。
暑い中をダッシュで走ってきて喉が猛烈にかわいている。空はテーブルの上のジュースを手にとって段ボールに入ると、ジュースを一気に飲み干した。すると、急に眠気が空を襲った。
あんな大事なときに段ボールの中で眠っちゃうなんて、本当に僕って情けない。しかも、眠っている間に捕まっちゃうなんてかっこわるすぎる。空は小さく息をついた。
いったいどれくらい眠っていたのだろうと思ったときに、部屋の時計が三時を知らせた。
「目が覚めたかい?」
どこからか声が聞こえた。機械で音声の速度を変えている。テレビで、証言者の身元を隠すときなどに使われる曇った気持ちの悪い声だ。
「ここは、どこですか?」
ぼうっとした頭を持ち上げて、空は見えない相手に訊いた。
「おまえが隠れていたビルの一室とだけ、教えてやろう」
声はどうやらスピーカーから聞こえてくるようだ。目隠しをされているので昼か夜かもわからないけれども、午前三時ではないように思う。
「空? そこにいるのは空なの?」
右側から人が動く気配がして、翼の声が聞こえた。
「翼君?」
空は翼の声に驚いて立ち上がろうとしたが、縄がしっかりと身体に食い込んで身動きが取れない。出来るだけ身体を声のほうに向けて翼の存在を確認しようとした。
「いったい何があったのですか。どうして家出なんてしたのです?」
「家出? 何のこと?」
「君が家出して困っているというから、僕はメールで言われたとおりに誰にも知られないようにして、学校を抜け出しました」
「メール? 僕は知らないよ」
「メールを使って、僕をあのビルへ呼んだのは翼君ですよ」
「僕は空と同じように目隠しをされて縛られてるから、メールなんて送れないよ」
「メールを出したのは、私だ」
犯人の声がスピーカーから流れた。
空は目隠しされたまま、首を大きく振って見えない犯人を捜す。
「あなたは誰ですか? 最初から僕を狙っていたのですか?」
耳を澄ますとキーボードを叩く音がする。しかし、音は反響して、どこから聞こえてくるのかわからない。
「静かにしろ。言うことを聞いていれば、家に帰してやる」
キーボードを叩く音に少し遅れて、スピーカーの声が部屋に響いた。
「翼君をすぐ帰してください。僕がいればいいでしょう?」
「空、何をいうんだ。僕の名前で君はおびき出された。空を置いて僕は帰れないよ」
「素晴らしい友情だな」声が鼻で笑った感じがした。「心配するな。ふたりとも私のショーの大切な出演者だ。君たちの美しい友情が、私の偉大な犯行を完璧なものとする」
「お金ならうちにはないよ。父さんはもう何ヶ月も働いてないんだ」
翼が大きな声を出した。
「だから、お友達に来てもらった」声がタイプを打つ音を追う。「ゲームだよ。警察と私、どちらが優秀か。ゲームには賞金がいるからね。それなりの報酬は用意してもらう」
「お金は僕の家にもありませんよ」
空がふてくされた言い方をした。温和な空にしては珍しく怒っている。
「警察も馬鹿ではないですよ。こんなことをして捕まらないはずがありません。知ってますか、誘拐の成功率はとても低いのです。今のうちに僕たちを解放しないと損をしますよ」
「私に命令するな!」声が怒鳴った。「立場をわきまえろ。私がおまえたちを支配しているのだ」
空はいっそうふてくされた。
「空、我慢するんだ。言うとおりにして」翼が真剣な声で言った。「こいつは本気だよ。この部屋には、このまえ公園で爆発したのと同じ爆弾が仕掛けられているんだ」




