14 ヤンキースの野球帽
翼の足取りを追う警察は新しい目撃者も証言も得られずに、翼の行方はわからないまま数日が過ぎていた。
報道協定が解かれてマスコミは競って翼の行方不明を報道するかと思われたが、テレビも新聞も一斉にiPS細胞がらみの事件を毎日大きく取り上げている。
先日殺された本間隆弘という文部科学省の職員がiPS細胞の特許をめぐる汚職で自殺した佐伯正和容疑者と交流があったため、世間の注目はこの事件に集中していた。
モデルのように美しい本間の妻が、涙ながらに夫は無実の罪を着せられて殺されたと主張して、世論は妻に同情的な姿勢を見せていた。ところが、本間は十八歳の高校生と不倫関係にあったことがわかり状況は逆転。本間の妻に容疑がかかった。妻はアリバイのないことから重要参考人として警察で取り調べを受けたが一貫して無実を主張。ワイドショーで涙を流して無実を訴える映像が何度も流れていた。しかし、すぐに凶器が発見されて凶器についていた指紋と妻の指紋が一致したことから、痴情のもつれで本間は妻に殺害されたことが立証された。
事件は佐伯容疑者の自殺とは無関係だったが、マスコミは名門女子大卒の美人妻とエリート官僚のスキャンダルをおもしろおかしく報道し、ワイドショーが夫妻のプライバシーを連日あばきたてたので、翼の事件が注目されることはなかった。
翼の両親は頑にテレビに出ることを拒絶し、警察から新しい情報も公表されないので、どの局のニュースでも紺のブレザーにショートパンツ、ヤンキースの野球帽を被った翼の行方不明時の服装を再現したCGが流されて、情報を求めるコメントがくり返し告げられるだけだった。
「まだ容疑者を洗い出せないのか?」
霧島のイライラした声が捜査本部に響き渡った。
捜査は行き詰まっていた。普通に事故にあったのであれば何も痕跡がないのはおかしい。翼は事件に巻き込まれたのだと、霧島の刑事としての勘が告げていた。
変質者の仕業であれば、第二、第三の犯行を防がなければならない。いのちの樹が関わっているとなれば、もっとやっかいだった。
「いのちの樹との関連性は薄そうですな。爆発テロの後に中心になっていた幹部たちは放火事件で死に、生き残ったやつらもひとりを除き、テロの首謀者ともども刑務所暮らしですわ。残りのひとりもアリバイの裏がとれましたよ」
霧島よりだいぶ年上の所轄の刑事が報告した。捜査は足でする。現場百ぺん、というのが口癖の、テレビドラマで見るようなステレオタイプの刑事だ。誰もが霧島の機嫌を気にするなか、その刑事は臆せずに報告を続ける。
「表だった教団の幹部たちがいなくなって組織は壊滅状態だ。一般の信者は、陣内をまだ崇めていますがね。指導者がいなくてはどうにもなりませんや。みな普通に暮らしてます。信者の中には宗教はこりごりだと自己啓発の団体に鞍替えしたやつらもいますがね。どっちもあまり代わり映えがしないが、こっちのほうはクリーンな団体のようですな」
「組織的な犯行でないとすると、八年前の事件の関係者や当時あの家にいた幹部の身近な人間ってことも考えられる。佐藤翼の家族に逆恨みしているやつがいるかもしれん」
霧島は、事件の概要が書かれたホワイトボードを見て言った。
「放火事件について詳しく調べようにも、捜査資料が見当たらんのですよ。機密文書扱いになっているようで、私らペーペーの刑事では手に入れられない。何やらぷんぷん臭いますぜ、あのヤマは。それについては係長が一番ご存知でしょ」
年老いた刑事はずけずけと、他の刑事が言いづらいことも気にもせずに口にした。
「わかった。それについてはこっちで調べる。翼の父親が仕事上で恨みをかっていないか、もっと深く調べてくれ」
霧島は無表情で所轄の刑事に向かって言うと、捜査員たちを見渡して指示した。
「他のものは性犯罪のマエがあるもの、特に子どもをターゲットにした過去の事件を洗え」
「麻生サキはどうします?」若菜が訊ねた。「弟と友人、三人の証言は一貫性がありますし、そろそろ監視をやめてもいいのではないでしょうか」
「いいだろう。あのお嬢ちゃんのことを本気で疑っていたわけじゃない。可能性を潰しておきたかっただけだ」
突然、捜査本部の電話が鳴って入り口近くにいた女性の刑事が電話に出た。初めは小さな声で会議中だからと断っていたようだが、急に声のトーンをあげたと思うと早口でしゃべりだし、霧島に向かって叫んだ。
「係長、駅と反対側の住宅地の駐車場から、翼君のものと思われるヤンキースのキャップが発見されたと、現場近くの派出所から連絡がありました」
「すぐに、本人のものか母親に確認させろ」霧島が指示した。
「それが、その帽子のことを両親は知らないようです。最近、友人からもらったもので、事件の日に被っていたことも知らないと言っていました」女刑事が答える。
「その友人というのは、誰だがわかっているのか?」
「麻生空です。お気に入りのものを交換したのだと証言しています」
若菜が女刑事に代わって答えた。
「馬鹿やろう!」霧島が若菜を怒鳴りつけた。「なぜ今までそんな大事なことを報告しなかったんだ。麻生空が元内閣総理大臣、五条大蔵の孫だということを忘れたのか!」
若菜は顔色を変えた。
「まさか、狙われていたのは麻生空だったのですか?」
若菜がそう言うと、捜査員たちの間にどよめきが起きた。
「そんなことはまだわからん」霧島が若菜を叱りつけた。「すぐに麻生空に護衛をつけろ。五条大蔵に恨みを持つものを洗いだせ」
霧島の声が捜査本部に響いた。




