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9   ゲームの始まり

 彼はテレフォンカードを公衆電話に差し込んだ。

 手袋をした手が微かに震える。

 電話ボックスの中から外の様子をそっと伺って人気がないのを確かめると、落ち着きを取りもどし、つばの広い大きな帽子を深く被り直した。


 この辺りに防犯カメラがないのは事前に調べてわかっている。この場所を探すのは苦労した。最近は公衆電話が減っているので条件に合うところが少ない。町中に仕掛けられたあらゆるカメラが犯人の足をすくうのは、近年の報道を見ていればよくわかった。

 どこから足がつくかわからない。気をつけるのに越したことがない。神経質すぎるくらいがちょうどいい。


 慎重になると足が震えた。この姿を見られても自分を見つけ出すことは容易ではないと、彼は自分自身に言い聞かせる。

 ここからすべてが始まる。今こそ、愚かな者たちに見せつけてやるのだ。

 彼には自信があった。計画は完璧だ。もうすぐ闇の帝王として、君臨することになる。その時のことを想像するだけで軽い興奮を呼び起こし、頬は紅潮して脈拍が速くなるのを感じた。


「さあ、ゲームを始めよう」


 鞄の中からヘリウムガスを出した。事前にパーティーグッズを売る店で買っておいたものだ。これを使うと声が変に高くなる。電話番号を間違えないように、ひとつひとつ確かめながら丁寧に番号を打ち終えるとヘリウムガスを使った。


 十回もコールしないうちに相手は電話に出た。

「おまえの大切なものを預かった。無事に返して欲しければ要求に応じろ。誰かに話したら、どうなるかわかっているな」

 彼は意識的に平坦な口調で話した。声はヘリウムガスの効果で高くなっている。


「大切なもの?」と、電話に出た人物は聞き返すと急に大声をあげた。「翼? 翼!」

 電話の向こうで、相手が血相を変えて家中を探しまわっている様子が容易に想像出来た。


「おまえは誰だ? 翼をどこへやった」

「口の聞き方に気をつけろよ」

「返してくれ、何でもする。翼には手をふれないでくれ」

 電話の相手が涙声になって哀願する素振りが目に浮かび、彼を気持ち良くさせた。


「心配するな。今のところは危害を加えてない。おまえが要求をのめばすぐに返してやる。もちろん、警察に届けるような馬鹿なまねをしたら……」

「しない。絶対に警察なんかに知らせない」

 必死になって、相手は彼の言葉を遮った。


「言ったはずだ。口の聞き方に気をつけろと。頼むときの礼儀をおまえは知らないようだな。そんなやつの言うことは聞けない」

「すみません、申し訳ありません。許してください。どうしたら宜しいでしょうか?」

 半泣きする相手の声にぞくぞくして彼の胸は高鳴る。身体の奥が熱くなるのがわかった。


 彼は薄笑いを浮かべて言った。

「きちんと誠意を込めてお願いしてみろ」

 他人を支配する快感が込み上げてくる。

「お願い致します。助けてください。翼を帰してください。何でも言うことをききます。やらせてください」

 身体の中を電流がかけめぐり、このうえない快感が彼を貫く。

「おまえはどうやら頭がいいようだ」クックックッと笑った。「では、要求を伝える」

 

 電話の相手は愕然となり、腰から力が抜けて両膝を床についた。




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