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   1995年

この小説は2009年に書いたものです。

ips細胞の研究は年々前進しているので多少事実と異なります。

現実では京都大学が中心となって研究されていますが、小説上では舞台が東京になっています。

京都大学の山中先生がノーベル賞を受賞された今では、違和感があると思いますがフィクションとして了承して頂ければ幸いです。



 悪魔とは、かくも美しい姿をしているものなのか?

 悪魔の微笑みを前にすると人は易々と心を奪われる。

 神のちょっとした悪戯だったのか。或は人類の存亡をかけた実験だったのか。

 神は何億年も昔に悪の遺伝子を人類に組みこんだ。


 美しい悪魔が天使の顔で微笑うとき、世界は破滅へと一歩近づく。



 一九九五年 


 テレビの中で、若いレポーターが大きな声を張り上げていた。

 彼から少し離れたところのツタが生い茂る古めかしい建物の前では、多くのやじうまと共に、ビニール製の青や緑のレインコートを着た報道陣が固唾を飲んで「いのちの樹」の行く末を見守っている。


「私は千葉県にある、いのちの樹の教団本部より中継を行っています。宗教団体、いのちの樹代表、陣内顕彰(けんしょう)容疑者の逮捕の瞬間まであと少しです。中世ヨーロッパの古城を思わせる、このパンテオンの前には、大勢の報道関係者と天使の微笑みを一目見ようと集まった人々で溢れかえっています」


 テレビはヘリコプターからの映像に切り替わった。教団の上空から施設をとらえている。戦争さながらの装備をした百名近い機動隊の捜査員が施設へ向かっている姿を映していた。


「午前七時十五分を過ぎたところです。たった今、機動隊員が到着しました。エンジンカッターでドアをこじ開けています」


 カメラは機動隊員が足並みを揃えて施設を取り囲む様子をアップでとらえた。


「強行突入です。扉が開きました。捜査員約三十名が陣内容疑者の最後の砦であるパンテオンにどんどん入っていきます。わが国の犯罪史上でも類をみない凶悪な無差別大量殺戮、同時多発爆破テロを計画し実行させた、天使の微笑みを持つ美しい悪魔が、ついに逮捕の時を迎えます」


 映像はスタジオに切り替わって神妙な顔でニュースを伝えるキャスターを映した。


「陣内容疑者といえば、類いまれな美しい容姿と人を魅了する独特な微笑みが印象的な宗教家です。メディアにも微笑みの貴公子と騒がれてよく姿を見せていました。陣内容疑者が微笑むと虎やライオンですら穏やかになるという、あの天使の微笑をみなさんも一度はテレビを通してご覧になったことがあるのではないでしょうか。その陣内容疑者が、先月、官庁街や警察施設だけでなく交通機関やショッピングモールを次々と爆破させて、死者百二十一名、負傷者六千人以上を出した同時多発爆発テロの首謀者とわかり、関係者に大きなショックを与えています。相次ぎ教団の幹部が逮捕されている中、教祖が事件に関与したことを信じない教団の信者たちによって、デモが各地で行われています」

 デモの様子が映り、続いて陣内がインタビューに応じたときの映像や、出演した番組のVTRが流れた。


 初めて陣内がメディアに姿を見せたとき、彼はまだ二十七歳の若者だった。深夜の討論番組に、毒舌が売りの個性豊かなバネリストたちと並んで、ガラス細工のように整った顔立ちの青年が優しく微笑んでいた。


 他のパネリストたちが、我こそはと司会者を無視して発言を重ねるのに対して、陣内は常に穏やかな表情で笑みを浮かべ、ひっそりとそこに座っていたせいか、かえって視聴者の目を惹いた。男性にしては線が細く透明感があり、控えめな様子から、最初は売り出したばかりのモデルか俳優をキャスティングしたのかと思った視聴者が多かっただろう。


 ちらりとカメラが青年を映すたびに、茶の間では、天使の微笑みがだんだんと気になってくる。ひとの心を一瞬にして惹き付ける魅力を、陣内は携えていた。


 陣内は心が温かくなるような笑みで茶の間を癒すだけでなく、穏やかな口調で時代を見据えた確かな意見を述べる。その際、弱者を慈しむ言葉を決して忘れない。そんな若き教祖に人々は徐々に魅せられていった。


 だんだんと陣内はコメンティーターの仕事が増えていき、テレビで見かけることも多くなった。控えめで、一切説教らしいことを言わない陣内は、悲劇的な事故が起きるとただ涙を流し、残忍な事件の前には悲しそうに微笑んで、現代人の孤独と社会の闇を静かに訴えた。実際に陣内に会って微笑みかけられた人はみな、弥勒菩薩や聖母マリアの像を思い浮かべたという。


 あっという間に陣内は人々の心を掴んだ。ファンクラブまで結成されて、いのちの樹の信者は倍増し教団は急成長を遂げた。


「機動隊が中に入ってから一時間が経とうとしています。霧がたちこめてきて、施設を覆い始めました。施設の中に陣内容疑者が居るのであれば逮捕令状を提示している時間です」


 捜査員たちの動きが止まり現場は静まり返っていた。何百という目がパンテオンを見つめていたが内部の様子はわからない。緊張感が解れてきたとき、捜査員が中から出て来た。


「午前八時十三分、いのちの樹の教祖、陣内容疑者逮捕! 陣内容疑者逮捕!」

 レポーターが繰り返して叫ぶ。現場は騒然となった。


 十分ほどして大勢の捜査員に囲まれて教祖は出てきた。くるぶしまである、ゆったりとした金色のローブの上に、細かいサテンの刺繍が施してあるシルクの布を重ねた、アルバと呼ばれるいのちの樹の祭服を着ている。まるで、ロールプレイングゲームから出て来たような陳腐で胡散臭い姿であるにもかかわらず、誰もがその美しさに息を飲んだ。


 教祖は彼の自由を奪っている銀色に輝く手錠を隠そうともせずに、顔をあげて胸を張り、堂々と人々の前を歩いていく。

 哀れむような目で人々を見渡し、悲しい微笑みを浮かべた教祖の顔を見た途端、それまで騒いでいた群衆は静まり返った。それは警察関係者も報道陣も同じで、誰もが自分たちの任務を忘れて美しい陣内の姿に、一瞬釘付けになった。


 最初に沈黙を破ったのはさっきまで声を張り上げていた若い男のレポーターだった。それをきっかけに、報道陣は一斉に陣内を取り囲む。施設の外にいた信者や熱狂的な陣内のファンが涙を流して、黒いワゴン車に向かう教祖にかけよろうとした。

 教祖を捕らえに来たはずの捜査員たちは、混乱をさけるために教祖に近寄ろうとする輩を排除していく。その様子は、皮肉にも神が使わした聖人を守る戦士たちのように見える。


 ワゴンの前で陣内は歩みを止め、手錠をはめた両手を組んで顎の前まであげると、目をつむり祈りの言葉をつぶやいた。

「ここにいるすべての人に神のご加護を」


 信者たちが喚声をあげる。

「師よ、いかないでください。我々を見捨てないでください」


 教祖はカメラに向かって微笑った。


「みな、心配するでない。すべては神が定められたこと。私は必ず復活する」

 この映像を見た人の多くが、微笑みの貴公子の、事件の関与を信じなかった。

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