表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/8

第七話

 カロンの口から、言葉にならなかった吐息だけが漏れた。思考が完全に止まってしまう。だが翼の男がそこにいるだけで、考えなくても状況が理解できた。

 ケイトは突然口を噤んだカロンに驚き、背後を振り返った。カロンの視線が少しずれていたから、父親が来たのかと思ったのだろう。

「……カロン?」

 向き直ったケイトが、心配そうに尋ねてくる。

 大丈夫――そう答えたかった。しかし現実は、それで済ませられるほど悠長ではない。

 手元の蝋燭を吹き消せば、ケイトは死んでしまう。

 薬草を燃やせば、カロンの寿命が尽きる。

 単純で、残酷で、どうしようもない選択だった。

 少し前にこの選択を迫られていれば、迷わずカロンは自らの死を選んだだろう。だが今は事情が違う。

 カロンは、ケイトのことを知ってしまった。彼女と関わってしまった。彼女の現状と夢の隔たりに気づいてしまった。

 それだけならいい。知るだけなら、己の無力さに打ちひしがれ、死も躊躇わないで済んだはずだ。

 しかし、カロンは可能性を手に入れたのだ。彼女の現状と夢の隔たりを、埋めることができるかもしれない立場にある。仕立て屋の店主の下で教えを受けれ続ければ、いずれはドレスを仕立てることもできるだろう。いや、彼女のためならできる。カロンは、そう確信していた。

 思い上がりも甚だしいことは、自覚している。それでもカロンは、ケイトとの関わりを手放したくなかった。

 ケイトにドレスを――夢をかなえてやれるのは自分しかいない。そんな独りよがりの思いが、決断を鈍らせている。

 だからといって、蝋燭を吹き消すなどという選択は論外だ。カロンはもう、誰の命も奪いたくなかった。翼の男の言いなりは、もう嫌だった。

 本当は独りで生き続けたくないし、今ここで死ぬのも御免だ。

 カロンは、冷たい視線を浴びせてくる翼の男を睨み返した。

「カロン、もしかして、怒ってるの?」

 ケイトの一言に、カロンははっとなって彼女に視線を戻した。

「ううん、違うよ。ただ……」

 カロンは己の両手を、それぞれ横目で見やった。燭台と、薬草。自分は一生、これを手放すことはできないのだろうか。

「……ただ、こうしてケイトと話しているのが、すごく不思議な気がするんだ」

「どういうこと?」

「うまく言えないんだけど……君のことを知る度に、僕なんかが知っていいのかなって」

 ケイトは首を傾げた。カロンも、自分で言っておいて意味がわからないなと苦笑する。

「ええと、つまり……僕に、君と仲良くなる資格みたいなのって、あるのかな、なんて思ったりしてね」

 彼女に全てを打ち明ける勇気は、さすがに持っていない。だが、不思議と本音で話していた。ケイトのために何かしてやりたいと思う気持ちの陰に隠れた、悲観的な考えだ。

「資格……私は誰かと話をするのに、資格なんてものがあるとは思わないかな――だけど」

 カロンが一瞬戸惑ったのを見て、ケイトはおかしそうに笑った。

「カロンと私に限定するなら、あなたには、その資格があるよ」


「……え?」

「もう折角だから、全部言うね。私が毎日毎日、仕立て屋の窓から中を覗いてた理由」

 ケイトは明るく言ってみせたが、少し緊張しているのがカロンにもわかった。

「ああして毎日来て、毎日お店を覗いていれば、いつかはこう、誰かが話しかけてきてくれるんじゃないかなって……そう思ってたの。店主さんに取り入ろうとしてたんだ。それと、あなたにも」

「…………」

 カロンは耳を疑った。彼女の告げた真実は、少々理解に苦しむものであったからだ。ケイトと話しているこの瞬間が、偶然ではないというのか。

 ケイトはカロンの心境を察して、目を逸らした。片手で自分を抱くようにしながら、それでも言葉を紡ぐ。

「初めてあなたが店の外に出ようとした時、椅子を置いていったでしょ? あれも実は、わざとだったの。店主さんの方がきたら持ち帰るつもりだったし」

「じゃあ、夜中に店の前にいたのも……」

「あれは、椅子がそのままだったらどうしようって不安になったから。そしたらあなたと出会っちゃうんだもの。本当は次の日に、椅子を口実にお店に入ろうって魂胆だったのよ?」

 半ば、何かを諦めたような口ぶりだった。

「だから、僕には資格があるの?」

「そう。私がそうなるように仕向けたようなものだから」

 カロンもまた、ケイトのことを見ていられなくなった。気持ちの整理がつかなかった。どうして出会いが偶然じゃなかったからといって、胸がざわつくのだろうか。資格を求めていたのは、自分の方だったというのに。

「カロン、ごめんなさい。でも、どうしても話しておきたかったの。あなたに嘘を吐いたままじゃ、いられなかったから」

「ケイト、遅いぞ。何をしている?」

 二人の間に割って入ったのは、ケイトの父の声だった。戸越しだが、声に怒気が混じっているのがわかる。

「私、もう行かなきゃ」

「うん…………」

 カロンは、両の手の燭台と薬草を見つめていた。彼女に全てを打ち明けられても、答は見つからないままだった。

「カロン、早くしろ」

 状況を見かねた翼の男の声が降ってくる。

「ねえ、カロン」

 しかしカロンは、裏口の戸に手をかけたケイトの声に反応して、頭を上げた。

「今だから言えることだけど、私は、こうして出会って話すのが、あなたの方で良かったって思ってるよ」

「……本当に?」

「勿論。ありがとう、私の夢を聞いてくれて」

 ケイトは最後に自然な笑みを浮かべ、裏口から店の中へと消えていった。

「カロン、いい加減にしろ。その火を消すんだ」

 翼の男の言葉など、耳に入ってこなかった。

 カロンの中で、まるで氷が溶け出すようにして、両手の答が零れ落ちてきたからだ。

 既に、選択は決まっていた。ただ、それを自分で閉じ込めていただけだったのだ。

「僕も……」

「何だ?」

 翼の男が聞き返したが、カロンの言葉は彼に対してのものではなかった。

「僕も、君に会えてよかった」

 そしてカロンは、蝋燭の火で薬草を燃やした。

 瞬間、瞼が急に重くなった。足元がふらつく。家の外壁に手をつくが、膝ががくんと落ちるのを止められない。

「なんてことを――!」

 翼の男の、今までに見たこともないほど切迫した表情と、聞いたこともない叫びを最後に、カロンは暗闇へと落ちていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ