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第五話

 翼の男が店主の頭上に現れたのは、それから三日後のことだった。

 いつもの〝仕事〟の日ではない。

 仕立て屋で、カロンがまさに店主から指導を受けている最中だ。翼の男は、突如天井をすり抜けて現れた。表情はなく、無機質で冷たい視線がカロンを射抜く。

 翼の男は無言のまま、店主の頭上から動こうとはしなかった。

 カロンもまた、何も言わなかった。突然の来訪には驚いたものの、理由は見当がつく。

「カロン、どうした」

「いえ、別に……」

 店主の声に、カロンは翼の男から目を逸らした。今は彼のことを無視しようと思っていたので、丁度良かった。

 だが、視界の先にあったものを見て、カロンは凍りついた。

 両手に、燭台と薬草が握られている。

「具合でも悪いのか?」

 店主には、カロンの両手の業は見えていない。かといって、持ち続けたままでは何もできない。

 迷っている余裕はなかった。

 カロンは、再び店主の頭上にいる翼の男と視線を交差させた。

 そして、彼の指示に背いた。

 蝋燭の火で薬草を燃やした瞬間、翼の男が目を瞠った。

「なんてことを……!」

 まるで悔しがるかのように吐き捨てて、彼は天井をすり抜けていった。

「カロン……?」

「あ、いえ、何でもありません」

 両手の燭台と薬草は消えた。店主も生きている。

 翼の男は卑怯者だ。自分を他人と関わらせたくないからといって、〝仕事〟を利用するなんて。

 そう思おうとしているものの、カロンの中で何かが引っかかっていた。初めて翼の男の指示を聞かなかったことが、取り返しのつかないことだったのではないかという疑問が拭いきれない。

 その日はもう、仕事も修行も身が入らなかった。


 ○


 夜、カロンが家に帰ってくると、上から声がした。

「俺が相手の頭上にいた時は、蝋燭の火を消せと教えたはずだ」

 翼の男だった。床と天井の中間辺りを浮遊しながら、カロンを見下ろしている。先ほど仕立て屋で会ったときと同じ圧力を感じた。そういえば、今までこうして翼の男と対峙したことはほとんどなかったような気がする。険悪な状態でなら、なおさらだ。

「どうして、俺の指示に背いたんだ」

「今日は〝仕事〟の日じゃないよ」

 カロンは、感情を押し殺して言った。

「〝仕事〟の日じゃないと、いつ誰が決めた。お前の手に燭台と薬草が握られれば、その瞬間が、〝仕事〟の時になる」

 翼の男の口調は、いつにも増して高圧的で、冷たかった。言葉の端々から、憤りを感じる。

 だが、カロンも気圧されるわけにはいかなかった。

「仕立て屋の店主は、一度生かしたはずじゃないか。どうして今度は殺さなきゃならないんだよ」

「それは……」

 翼の男が口ごもった。カロンは一気にまくし立てる。

「わかってるさ。僕に他人と関わって欲しくないんだろ? でも、そんなの無理だよ。生きていく以上、人との関わりは避けられない。なんで、どうして僕は他人と関わっちゃいけないのか、教えてよ。今までは仕方ないって思ってたけど、僕だって、仲良くしたい人がいるんだよ!」

「自分が普通じゃないことぐらい、わかってるだろ……」

 翼の男は、拳を震わせていた。

「え?」

「カロン、お前は人の生死をその場で決めることができる。これが異常でなければ何と言う? お前は普通じゃない。普通の人とまともに関わって生きていける立場じゃないんだ。このことが世間に知れ渡れば、お前は間違いなく処刑される。誰かと親しくなっても、いずれその誰かを殺すことになるかもしれない。それに、その誰かに自分の抱える秘密を打ち明けられない息苦しさも付きまとうことになる」

「…………」

 確かに、人の生死を決める業とでも呼ぶべき力は、誰にも知られてはならないものだ。それはカロンにもわかっていた。だが、それ以上のことまでは考えが至っていなかった。

 カロンには、返す言葉がなかった。人と関わることが絶対に許されないのなら、もう、己の立場を呪う他ない。

「じゃあ僕は、ずっと独りで生きていかなきゃいけないんだね」

 カロンは力なく項垂れた。鎖のような業は、巻きついていたのではなく、自分の体から生えていたのだ。決して解放されることはない。こんな思いをするのなら、確かに人と関わらない方が良かったかもしれない。

「だから、俺がいる。お前の側には、俺が、ずっと」

 翼の男が下りてくる。しかし彼は、カロンに触れることができない。

 カロンは俯いたまま、目の前にいる翼の男をすり抜けた。

「一つだけ、教えて」

「なんだ」

「僕が独りで生きていかなくちゃいけないのは、君のせいなの?」

「…………」

 翼の男は、答えなかった。カロンは悟ったが、糾弾する気にもならなかった。

 そうしたところで、無意味だとわかっているから。

 今日はもう寝ようと寝室のドアを開いた瞬間、視界が一変した。

「……?」

 何が起こったのか、カロンには全くわからなかった。寝室に続いているはずのドアの向こうに広がっていたのが、薄暗い洞窟だったからだ。

「ついて来い、カロン」

 呆然と立ち尽くすカロンの脇を、翼の男が抜けていく。

 洞窟は真っ直ぐに伸びており、等間隔でランプが吊るされていた。カロンは、翼の男を見失うまいと、慌てて後を追った。

 洞窟は、案外早くに突き当たりに到達した。そこだけ今までの道よりも広くなっていて、まるで小部屋のようだった。

 小部屋の中心には、一際大きい蝋燭が一本立っていた。周辺には、もう一本火のついていない蝋燭が転がっている。

 翼の男は、その蝋燭の前でカロンを待っていた。

「ここは、一体……」

「気にしなくていい。すぐに元の世界に戻してやる。だから、話を聞いてくれ」

 そう言うと、翼の男はカロンを蝋燭の前に来るように促した。

 蝋燭の炎は、淡々と燃え続けている。普通の蝋燭と、何ら変わりはない。だが、カロンは瞬時に理解した。この蝋燭は、〝仕事〟の際にカロンが持つ燭台に乗せられているものと同じものであると。

「この蝋燭は、お前そのものだ。この蝋が燃え尽きたとき、それがお前の寿命になる」

 翼の男の説明で、カロンは確信した。

「少し前までは、この蝋燭の長さは今の倍あった」

「え……?」

 心臓が、強く脈打った。翼の男の言う通りなら、カロンの寿命は半分になってしまったということになる。

「なんで、どうして……」

「お前が、俺の指示に従わなかったからだ」

 焦るカロンに、翼の男は淡々とした口調で答える。

「次に〝仕事〟を全うできなければ、お前の寿命は残り僅かになってしまうだろう。これは警告だ。これ以上、俺の指示に従えなければ、お前が死ぬことになるんだぞ」

 仕立て屋でカロンが感じた取り返しのつかないことの正体は、これだった。たった一度の過ちで、自らの命を大きく削ってしまったのだ。

 ふと、近くに転がっている蝋燭に目が留まった。カロンの蝋燭の倍とまでは行かないが、かなりの長さだ。

「あの蝋燭は?」

「あれは、俺の蝋燭だ」

 カロンは手に取ろうとしたが、できなかった。手がすり抜けてしまう。

「残念だが、ここにお前が触れられるものはない。あと一つ言っておくと、お前の蝋燭が燃え尽きても俺みたいになるわけじゃない。俺は、特別なんだ」

 翼の男は最後に微笑んだかと思うと、来た道を戻っていった。

 カロンはしばらくその場に立ち尽くしていたが、いつの間にか、寝室に戻ってきていた。

 先ほどの洞窟が、夢でないことは確かだった。

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