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第一話

 ●


 貧しい夫婦の元に、生を授かった子がいた。妻は子を産んだ直後に、この世を去った。まるで、子が母の余命を吸い取ってしまったかのように。

 生まれたばかりの息子を抱えながら、夫は泣き叫んだ。彼は敬虔な宗教者であったが、その日初めて、神を呪った。毎日祈りを捧げてきた小さな像も、暖炉にくべて燃やした。

 やがて彼の涙は枯れ果てたが、そうしているうちに赤ん坊は見る見るうちに衰弱していった。赤ん坊の命すら、もう一日と持たないだろう。

 そんな折、男の元を死神が訪ねてきた。背中から黒い翼が生えていたので、男はすぐに死神だとわかった。

 死神は、赤ん坊の命を奪い去りにきたのだ。

 だが、男はそれを拒んだ。どうか息子の命だけは奪わないでくれ、と。

 そう懇願する男に、死神はある取り引きを持ちかけた……。


 ○


 カロンは生まれつき、両親がいなかった。代わりに、他の誰にも見えないある男が、いつも傍にいた。

 その男は、どうやら父親ではないらしい。物心ついたとき、男にそう教えられた。ただ、カロンと名づけたのは、その男だという。

 カロンは自分がどうやって育ったのか、よく覚えていない。城下町の片隅で、衣食住に困ることなく生活を送っていたのは確かだ。住んでいる家は、昔誰かが住んでいたものを勝手に使っているらしい。らしいというのは、全てカロンにしか見えないその男が説明したことだからだ。

「カロン、何処に行く?」

「仕事だよ」

 カロンは十八歳になったが、男の姿は初めて見たときから全く変わっていない。年齢は、二十台半ばで止まっているようで、服は着ていない。背中からは黒い翼が生えていて、そこだけが普通の人間とは違っていた。

 名前は何なのかとか、どうして羽が生えているのかとか、何故自分以外には見えないのかとか、尋ねても「俺は、人間じゃない」としか返ってこないので、カロンは詮索を諦めている。

 だから、カロンは翼の男と、心の中で呼んでいた。



 カロンは、家から歩いて少しの距離にある仕立て屋で働いていた。

 店主は、カロン以外には誰も雇っていない。元より頑固な性格で、結婚もしていないので跡取りもいなかった。仕立て屋としての腕は立つので、店主が死ぬまでは、店が潰れる心配はないだろう。

 店主の仕立て屋としての技術を欲して、今まで何人もの人々が店で働きたがったらしい。だが店主は、店を継ぐ気のないカロンを雇った。カロンとしては、単に働き口が欲しかっただけなのだ。

 何故、カロンだけが雇われたのか。

 実は一年前、カロンは店主の命を救ったことがある。

 その日、翼の男が唐突に仕立て屋へとカロンを導いたのだ。店の奥の部屋で、店主は病に侵されて寝込んでいた。

「〝仕事〟の時間だ」

 男は寝ている店主の足元に立ち、面倒くさそうに言った。カロンの、もう一つの〝仕事〟のことである。それは、カロンが生まれて間もない頃から続けてきた、単純な作業に過ぎない。

「俺が死に瀕している者の頭上にいたら、蝋燭の灯を吹き消せ。足元に立っていたら、薬草を灯で燃やせ」

 カロンは、その男の言いつけを遵守するだけだ。何故自分がそうしなければいけないのか、聞いても答えてはくれない。

 いつの間にかカロンの両手には、それぞれ燭台に乗った蝋燭と薬草が握らされている。蝋燭は、店主の命そのものだ。蝋はまだ残っているものの、灯は指で握り潰せてしまうほどに小さい。カロンは迷わず、薬草を灯で燃やした。途端に、炎は勢いを取り戻す。薬草には、そういう力があった。

 すると店主は、見る見るうちに顔色を良くし、病を忘れたかのようにむくりと起き上がった。事実、薬草のおかげで店主を侵していた病は綺麗さっぱりなくなっていた。

「折角だ、ここで働かせてもらえ」

 そうカロンに囁いたのは、翼の男だ。

「え、だけど……」

 もしかして、そのために生かしたのではないかと、カロンは一瞬疑った。だからどうということではないが。

「仕事をすることぐらい覚えた方がいい。だが、あまり深入りはするなよ?」

「……わかったよ」

 確かに、何もしないよりはましだろうとカロンも納得した。

 そこで、起き上がった店主と目が合う。もし蝋燭の灯を吹き消したら、店主はその瞬間命を落としていただろう。

 カロンの〝仕事〟は、こうして何者かの生死をその場で決めることだ。


「カロン、そこの布を」

「はい」

 布が巻かれた細長い木の棒は、店内の壁を四方とも埋め尽くしている。店主が指差した方向には純色のものが虹のような配列で、右から左へと段々色を変えていくように並んでいた。

 カロンはその中から、店主が要求したであろう水色のものを運んだ。その色だけで、幾つもの生地があるが、迷うことはない。作業台の横のテーブルに敷くと、店主は黙って頷いた。

 働きたての頃は、店主がどの布を指しているのかさっぱりわからなかった。だが、店主の仕立てようとしている服の製作過程を見ているうちに、段々とカロンにも勘が身についてきた。

 今店主は、シンプルだが品のあるドレスを仕立てていた。先日店を訪れた、貴族の遣いが要求してきたものだ。採寸や色の指定、期日などが書かれたメモと前金――この仕立て屋に、直接足を運んでくる客は少ない。やってくるのは、大抵その客の遣いだけだ。

 店主の腕は、確かなものだ。素人目でもそれがわかる。話を聞いたところでは、城に仕えないかとの誘いもあったらしい。だが店主は断り、この城下町を離れないという契約で折り合いがついたのだという。

 城からの遣いも、頻繁にやって来る。女王が好んで着用しているという赤いドレスも、彼の手によるものだ。

「カロン、次はあれを」

「はい」

 カロンは白の布を迷わず選んだ。それぞれの生地の名称は知らないが、手触りは指先がはっきりと記憶している。

 部屋の隅に作業台がある以外には、幾つか店主が趣味で仕立てた服が点在しているだけだ。オーダーメイドではないため値段は低めだが、市民にとっては用意するのも難しい金額である。時折、何かの記念として購入に踏み込む者をカロンは何人か見てきたが、その半数以上は金に困り返品を要求してきた。無論、店主がそれを許したことはない。 

 店の中は比較的広いはずなのだが、妙に息苦しさを感じる。それは、ドア以外には一つの窓を除いて布の束が覆っているせいだ。色鮮やかではあるものの、小さなキャンバスに描かれた絵画のような閉塞感が漂っている。

 カロンは、店主を店の外で見かけたことがない。ここで働くようになってからは、時折買出しを頼まれているが、それ以前はどうしていたのか見当もつかなかった。少なくとも、店主はこの店から出ようとしない。

 果たしてこれは本当に仕事なのだろうか、自分は働いているのだろうかと、時々カロンは考える。布を取って来る以外に何かを命じられたこともないし、それ以外は突っ立っているだけでも、叱られたりするわけではない。店が閉まるまでの間、カロンは店主からの言葉を待っているだけだ。

 

 だが最近、その立ち往生の仕事に僅かな変化が訪れている。

 なんとなく窓の方に視線を向けると、時折誰かが店の中を覗いているのだ。窓は床からかなり高い位置にあり、おまけに小さい。カロンの側からは、その誰かの頭上半分しか見えない。艶のある赤茶色の髪と、夕焼けの色をした瞳。そして窓の枠に引っ掛けられた細長い十本の指。女性だ。目が合うと顔を引っ込めてしまうのだが、しばらくするとまた店内を覗き始める。

 カロンが彼女の存在に気づいた日から、ほぼ毎日のことだった。時間は昼過ぎ、ほんの数十分程度。来なかった日は、逆に彼女に何かあったのではないかと心配になった。

 そして今日も、彼女がやって来た。カロンの視界の隅にあった窓に、動きがあった。いつも通りの時間だ。何故だか、彼女が顔を覗かせている間は緊張が走る。別に自分が見られているわけではないというのに、思わず姿勢を改めてしまう。

 彼女はいつも、店主の製作した服を眺めていた。店の中に飾られているものは、ほとんどが女性用の華やかなドレスだ。カロンにわかる違いなんて色や装飾程度だが、一着とて同じものはない。恐らく彼女は、こういった綺麗な服が好きなのだろう。

 ならば何故、店の中に入ってこないのだろうか? カロンにはそれが不思議でならなかった。店の中に入って堂々と眺めたところで、カロンも店主も気にしないというのに。

 今日こそは、とカロンは心を決めていた。彼女に対する疑問は募るばかりで、答を得るには話しかけてみるしかない。

「ちょっと、ドアの建て付けが悪い気がしたんで、見てきます」

「そうか」

 店主に小さな嘘を吐いてから、カロンはもう一度窓を見やった。彼女は店の中に夢中で、こちらがドアの前にいることに気づいていない。

 カロンはドアに手をかけ、絵画の中から外に出た。

 すぐ右を向くと、彼女と目が合った。年齢は、多分カロンと同い年ぐらいだろう。白いエプロンは汚れが目立っていて、仕事の途中に抜け出してきたかのようだ。どこからか持ってきたのであろう椅子の上に立っていた彼女は、彫刻のように固まっている。

「あの……」

 カロンが声をかけた瞬間、彼女は氷解し脱兎の如く駆け出してしまった。カロンの家とは、反対側の方向である。走り去っていく彼女の後姿に、一抹の寂しさが込み上げてきた。

 ただ、今までは知りえなかったことがわかった。汚れたエプロン、裾のほつれたスカート。それが、彼女が店の中に入ろうとしなかった理由だ。

 店の中に戻ろうと思った時、その場に残された木製の椅子が目に入った。意匠や装飾のないシンプルなデザインだ。随分と使い古されているようで、背凭れが外れかかっている。




 

「仕事はどうだった、カロン」

 仕事先まではついて来ないくせに、毎晩のように翼の男はカロンに同じ質問をする。

「いつもと同じだよ。あ、でも一つだけ」

 カロンは口元を緩ませながら、夕食の支度を続けた。パンとスープと、じっくりと焼き上げた豚肉。

「なんだ?」

「あの子のことについて、知ってることが増えた」

 翼の男も〝あの子〟と言われて察しがついたようだった。カロンが十日以上前から話題に挙げる少女のことだと。

「それは、お前が持ってきたあの椅子も関係しているのか?」

 翼の男は、玄関脇に置かれた椅子を指差した。今日彼女がその場に置いていった椅子を、カロンは家に持ち帰ったのだ。

「うん。あの子はその椅子の上に立って、店の中を眺めていたんだ」

「それで?」

「それだけ」

「それだけ?」

「うん」

 そう言うカロンの顔は、少し寂しそうだった。夕食をテーブルまで運び、席につく。翼の男は、相変わらず柱に背を預けたままだ。彼には食事が必要ない。

「じゃあ、あの椅子は?」

「その場に置いてったんだよ」

「勝手に持って帰ってきたのか」

 翼の男は語気を強めた。

「そのままにしておいたら、盗まれちゃうでしょ?」

「盗んだのはお前だろ。それに、そんな古ぼけた椅子なんて誰も欲しがらない」

「…………」

 冷たく言い放つ同居人を無視して、カロンは黙々と食事を開始した。だが、翼の男の視線が気になって味の良し悪しもわからない。

「食事を終えたら、戻しに行って来い。これはお前のために言ってるんだ」

「僕のためって、なんだよ」

「あまり、他人と関わりを持つな。後悔するぞ」

「……わかったよ。でもそれ、僕のためじゃなくて、〝仕事〟のためでしょ?」

 それっきり、翼の男は口を閉ざしてしまった。

 カロンは手早く食事を済ませ、彼女の椅子を抱えて外に出た。翼の男は、ついて来ない。

 既に日は落ち、昼間は賑わう通りも静まり返っている。軒を連ねる家々から漏れる灯りだけでは少々心もとない。城下町と言えど、この辺りはまだ整備が行き届いておらず、道は風が吹けば砂埃が舞う。石畳が敷かれているのは、城に近い区域だけだ。

 だが、星の綺麗な夜だった。一つ一つの光はささやかなものだが、無数に散りばめられたそのどれもが美しく思えた。それぞれの星はとてつもなく離れているはずなのに、空の上で輝けば、手を繋げそうなほど近くにいられる。カロンは、そんな星達が少しだけ羨ましかった。

 仕立て屋は、石畳と土を隔てる境目に建っている。歩き慣れた道のりだが、夜の帳の中では不安に駆られずにはいられない。こういう時は、口うるさい翼の男がいてくれた方が気が楽になるというものなのだが、肝心な時に、彼はいない。

 翼の男は、カロンが人と関わるのをひどく嫌っているようだった。だが、その理由を決して話そうとはしない。

 だが、その理由はわからないでもなかった。〝仕事〟は人の生死に関わっているからだ。決めているのは翼の男だが、実際に行動するのはカロンだ。〝仕事〟は城下町の中でしか行わない。それ故に、今まで命の灯火を吹き消してきた者の中には、何人も顔見知りがいた。

 恐らく翼の男は、カロンが人と触れ合うことが〝仕事〟に支障を来たす原因になると考えているのだろう。それぐらい、カロンとて承知している。

 だから、必要以上に彼女と仲良くなろうとは思っていない。少し話すぐらいなら、別にいいではないか。

 翼の男は、毎日の様にその日のことを聞いてくる。最近ではそれが鬱陶しく、自分の生活がひどく窮屈なものに思えてならない。

 そもそも、何故自分は〝仕事〟をしなければならないのだろうか。

 考えを巡らせているうちに、仕立て屋の前に辿り着いた。

「あっ」

 そこには、先客がいた。

 石畳の左右に並ぶ街灯に照らされたその人物――赤茶色の髪、夕日色の瞳。よく見ると、花の周囲にはそばかすがある。

「…………」

 少女はカロンと目が合うと、動きをぴたりと止めてしまった。


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