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あたしは喋らない

作者: ぱーちく

言葉とは摩訶不思議、不可解、理解不能なもので、話している、または、喋っている、つまりtalkingやらspeakingやらおまけとしてtellingやらをしている時は聞こえるだけでみえませんが、読んでいる、これは朗読でなく黙読という意味です、時は話している時とは打って変って見えるだけできこえません。まあ読んでいる最中に頭の中から「私は床を舐めた、そして…」などと音が響くことがありますがそれは厳密に言うと音ではなく意識であり、決して外部に漏れることない伝達信号であります。

つまり言葉は場合によって、聞こえなかったり見えなかったりするものであり、触れることも食べることも到底不可能なのに、かなりの信頼、存在感たっぷりのやはり不思議な生き物なのです。

その信頼感、存在感はどこからやってくるのでしょうか。私は不思議でありません。また、彼らが何の疑いも無しに言葉に寄り添いそれを信用する様が、私には到底理解できることではなく、私の思考能力をはるかに超えた、超人的思考だと尊敬する、と同時に、これは私が若き故に発生する思考だと思いますが、軽蔑、侮辱、彼らの思考能力に対して反発、そして抗議をしたくなる次第であります。

そもそも言葉の定義とは曖昧すぎるほど曖昧で、不確かなものであり、またそれを証明するのはかなり困難、数字と訳のわからない記号によって成される数式よりも難儀で、そしてその難儀から得られる答え、つまりanswerer、のレベルの正確さは頂けない、これは何故かと説明しますとどんな困難を乗り越えたとしても結局のところ言葉を言葉で定義しなければならないからでありますが、まあつまり何が言いたいのかと申しますと、言葉という媒介を使用しなければ伝わらない思いが、情報があるというのはなかなか便利なようにみえて実はかなり厄介、不自由極まりない、とここまで思考を巡らせない方は、まああの偉人の言葉を借りれば「向上心がないものはばかだ」この一言につきるのではないでしょうかというわけで。これが私の彼らへのささやかな抗議に値するわけで。

映画、小説、絵画、リンボーダンス。こういったものがこの世の中に溢れ返りそれぞれが人を感動させるものとして位置づけられ高められているけれども、恐ろしいことにその価値を表す時も言葉を当然、使います。「感動した」や「あの作品はすごい」などと言い合いながら、言葉によって思い、情報を共通のものにしていこうという彼らの様はやはりなんだか愚かです。愚かです、がしかし、あの作品は一見の価値ありなどと言われてしまうとやはり私自身もどれどれどんなものかと、手にとって見てみたい触れてみたいと思ってしまうので、ここのところに関しては彼を責められないというよりも、彼らだけを責められないと表記した方が正しいでしょうか、いえ、そもそも場所が間違っておりますね、私が彼らに不信感を抱く根本的な点は先ほども表記しましたが、私がここまでつらつらと書いてきたことを考えない、考えようともしないところであるので、まあ、つまり、何が言いたいのかというと、このような諸事情も言える理由で、


あたしは喋らない、というわけです。




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