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Rip Van Winkle

感傷的な、彼女の話。

作者: 平川桜雪

久し振りのデートの締めは、ちょっとだけ大人ないつものバーで。

 


 少しだけ、センチメンタルに浸る時がある。それは往々にして、古典芸術に触れた後。

 ……私の場合は、だけど。


「リバイバルの映画は、レイトショーに限るわね」


 切なさを気取って告げれば、左隣に座った彼が小さく噴き出した。声を殺してはいるけれど、揺れた肩と吐き出された紫煙の勢いは隠せない。 ――どうせ、私らしくないわよ!


「何だよ、いきなり。まさかお前、バーグマンのつもりじゃねぇだろな?」


 眇めた私の視線に気づき、今度は隠しもせずにクツクツと喉を鳴らす。からかいの色は濃厚だけど、馬鹿にされている感じはまるで無いから、私もイチイチ怒ったりはしない。


「相手が栄治じゃねぇ」


 同じ色味の声で答えれば、彼は指に挟んだ煙草を灰皿に押し付けた。


「俺にボギーになれってか?」

「無理でしょ、そんなの。大丈夫、栄治に『苦み走ったイイオトコ』なんて求めてないから」

「俺に苦味が備わったら、向かうところ敵無しな色男になっちまうだろ」


 しれっと言い放つ彼に、次は私が噴き出す番。一頻り笑っていると、BGMを有線放送からレコードに替えたマスターがそっと目の前に立った。


「何かお作りしましょうか?」


 気が付けば、二人ともグラスが空になっている。


「そうですね。……何にしようかな」


 メニューに視線を落とし、ずらりと並んだカクテルの名を辿る。私が逡巡してる間に栄治は新しい煙草に火を点け、マスターとのお喋りを始めた。


「珍しいですね、レコードなんて」

「有線の方が換える手間が無いんですけどね。お二人の会話が聞こえたもので、偶にはレコードを掛けてみようかと」

「お前がセンチメンタル気取るから、気を遣わせちまっただろうが」

「いえいえ、雰囲気の演出も大事なお仕事ですから」


 初老のマスターはそう言うと、ふっと微笑を浮かべた。


「それに何だか、私もそんな気分だったのでねぇ。アナログの、僅かな傷に針が飛ぶ……、そんな瞬間に人恋しさを覚えるような」

「……分かる気が、します。映画や音楽、絵画……芸術作品には不思議な威力がありますものね」


 俯けていた顔を上げると、優しいけれど、どこか切なさの滲む瞳でマスターが頷く。その瞳に浮かぶ哀愁は、幾年かの人生を重ねてきた者にだけ備わるものだろう。


「映画は、何をご覧に?」

「『カサブランカ』のリバイバルを」


 こいつの趣味で、と頭を小突かれる。


「良いじゃない。偶には古典芸術に触れなさいよ」

「は! 『君の瞳に乾杯』ってか?」

「栄治には絶っっ対、言えない台詞よね~」


 ささやかな言い合いをすれば、マスターが微笑ましそうに頷いた。


「私も若い頃に観ましたよ。バーグマンが実に美しくてねぇ」

「ですよね? あんな台詞が吐けるのも、相手の女次第……」

「私じゃ不足だってぇの?」


 低い声音で唸ると、男二人は同時に顔を見合わせ笑い出した。


「……失礼な」


 私の呟きに、マスターは何とか笑いを引っ込める。一方、栄治は――まだ笑ってるし。そんな彼を放って、私は再びメニューに視線を移した。


「映画にしても音楽にしても、芸術で成功した人間には、幸運の女神が居たんでしょうな」

「女神を引き寄せる魅力と、腕の中に閉じ込めて離さない情熱もね?」


 パタリと冊子を閉じ、マスターに微笑みかける。


「だけど私は、抱き締めるなら女神より美少年の神様が良いわ。って事で、『アドニス』を」

「アドニスってあれだろ? なっさけない死に方した……」


 今日はとことん私に楯突くのを楽しむつもりなのか、栄治が茶々を入れる。


「うるさいなぁ。栄治は何にするの? マスターが待ってるわよ」


 メニューを渡して彼の唇から煙草を奪い、勝手に押し潰す。私の反抗に苦笑しながら、栄治は受け取ったそれをカウンターに放った。


「そうだな、女神を掴まえたボギーに敬意を表して、マティーニにするか」

「畏まりました。では折角ですから彼の逸話に倣って……」

「勿論、ダブルで」


 マスターの言葉の続きを引き受けて、栄治は口元でニヤリと笑い返した。





「……なぁ、理紗」


 カクテルを出し終え、マスターが他のお客へオーダーを取りに離れると、栄治が静かに口を開いた。


「何?」

「お前、本気でボギーが好みなのか?」


 彼らしくない問いに、嬉しくて笑いが込み上げる。気が付けば、映画の後のセンチメンタリズムが綺麗さっぱり消えてしまっていた。


「まさか。私の恋人が誰か知ってて、それを言うの?」


 良い気分でそう言うと、栄治はすっと目を細めた。


「だよな。俺はボギーにはなれねえし、なりたくもねえ」


 そんなもの求めて無いわ、と言おうとした私を遮り、彼は再びニヤリとする。


 ――あ、何かマズイかも。


 そう思った瞬間、私目掛けて爆弾が投下された。


「例え女神が現れても、俺はお前を抱き締めてやるよ」


 放たれた言葉に、一瞬だけ思考が止まる。

 だって、あの栄治がこんな台詞を吐くなんて。


「……何か悪いものでも食べた?」

「馬っ鹿野郎お前! 俺が折角っ……」


 うん。そうだね。映画の余韻もあったんだろうけど、普段放ったらかしにしてる私を喜ばせようとしてくれたんでしょ?

 栄治の不器用な優しさの前じゃ、センチメンタルなんてクソ喰らえだわ。


「栄治がボギー気分なら、私がバーグマンでも良いわよね?」

「お前がバーグマンなんて、百年早いってえの!」

「栄治だけズルイじゃない」

「俺は良いんだよ。ボギーよりタッパもあるし、オトコマエなんだから」

「だったら私は、そのオトコマエの最愛の女だも~ん」

「……言ってろ」


 パッと顔を赤らめた彼が、乱暴にグラスを掴んだ。


「乾杯とか、するか?」

「私の瞳に?」

「あ~、もう何でもいいわ」


 そっぽを向いて、私にもグラスを持てと仕草で示す。あんまりイジメると、仕返しが怖いかな?


「はいはい。それじゃあ、かんぱ~い」

「何にだよ」

「そうねぇ。んじゃ、とりあえず」


 ハードボイルドに乾杯! とでも行きますか?



Motif cocktail / Martini

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