第9話:情報の重力波
サーバーの排気熱が、地下変電所の温度を急上昇させていた。
ギバの全身を覆っていたアルミホイルが、熱で歪み始めている。
端の方から、じわじわとシワが寄り、くしゃくしゃに縮んでいく。
室温は、すでに40度を超えていた。
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SCENE 01 ― 逆噴射の準備 / PM 1:15
「アップロードの準備は整った」
ギバが、汗だくの顔で言った。
サーバーの横に、二つの「弾薬」が置かれている。
一つは、電話帳の山から持ち出した「タウンページ 1998年版」。
もう一つは、ボロボロになった「月刊少年ガンガン 1994年7月号」。
「ISAバスを介して、こいつらのデータをデジタル変調する」
ギバがキーボードを叩く。
画面に、新しいウィンドウが開いた。
【DATA CONVERSION MODULE】
【SOURCE: ANALOG PRINT MEDIA】
【TARGET: 7G NETWORK BROADCAST】
「電話帳とガンガンの全データを、7Gのネットワーク網へ逆噴射する」
「逆噴射……?」
「7Gは、軽くて薄い情報しか流せねえように設計されてる。そこに、この『重い』データをぶち込む」
ギバがモニターを指差す。
「薄っぺらな7G世界を、物理的に押し潰す。『情報の重力波』だ」
ケンザキは、電話帳とガンガンを見た。
あの、脳を焼き切るほどの情報密度。
それを、7Gネットワーク全体に流し込む。
「帯域喰いたちは……どうなる?」
「知らねえ」
ギバが冷たく言う。
「だが、少なくとも『死のアナログ音』は止まる。あいつらの脳が、本物の『重い情報』で満たされれば、もう空腹で喚く必要はなくなる」
その時。
ゴゴゴゴゴ……
地面が、激しく震えた。
変電所の天井から、埃が降り注ぐ。
「来やがった」
ギバが舌打ちする。
「7Gの『防衛本能』だ」
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SCENE 02 ― 集合知体 / PM 1:22
変電所の入り口に、何かが現れた。
帯域喰いだ。
だが、その姿は、これまで見たものとは違っていた。
数十人の帯域喰いが、文字通り「融合」していた。
腕と腕が絡み合い、足と足が癒着し、頭と頭が一つの塊になっている。
彼らの身体から伸びた無数のケーブルが、互いを接続し、一つの巨大な肉塊を形成している。
「集合知体……」
ギバが呟く。
「7GのAIが、周辺の帯域喰いを強制同期させやがった。一つの『情報の化け物』として、俺たちを排除するつもりだ」
集合知体が、口を開いた。
数十の口が、同時に開いた。
ピーーーーーーーーーーーーーーーヒョロロロロロロロロ!
ガガガガガガガガガガガガガガ!
ギギギギギギギギギギギギギギ!
数十人分の死のアナログ音が、完全に同期して響き渡った。
変電所の壁が、震える。
天井のコンクリートに、ひび割れが走る。
「う……あ……」
ケンザキが耳を押さえる。
音圧が、脳を直接揺さぶっている。
「ケンザキ!」
ギバが叫ぶ。
「俺はアップロードを続ける! お前は、あいつを食い止めろ!」
「俺が……!?」
「これを使え!」
ギバが、ガンガンを投げ渡す。
ケンザキは、それを両手で受け止めた。
900ページ。
対戦車ライフル。
最強の盾。
「いけるか」
「……いける」
ケンザキが、ガンガンを構える。
「俺も、月刊の重さを知った。こいつらに、教えてやる」
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SCENE 03 ― ガンガン、最後の咆哮 / PM 1:28
集合知体が、変電所の中に入ってきた。
数十の腕が、蠢きながらケンザキに向かって伸びてくる。
数十の口から、同期した死のアナログ音が漏れ続けている。
「情報を……」
「くれ……」
「お前の……脳を……」
「喰わせろ……」
「来るなァァァ!」
ケンザキが、ガンガンを振り下ろした。
ドゴォォォン!
900ページの鈍器が、集合知体の「顔」の一つを直撃する。
開かれたページ。
魔法陣グルグルの見開き。
ニケとククリが、意味不明な踊りを踊っているシーン。
その「シュールな情報」が、帯域喰いの脳に流れ込む。
パチパチパチッ!
青紫色の火花が、その顔から散った。
「が……ギャァァァァ!」
一つの頭部が、オーバーロードを起こして機能停止する。
だが、集合知体は止まらない。
残りの数十の頭部が、同時にケンザキを睨む。
「もっと……」
「情報を……」
「よこせ……」
「くそっ!」
ケンザキが、またガンガンを振る。
ドゴォォォン!
今度は、ハーメルンのバイオリン弾きの見開き。
狂気じみた演出。
予測不能な展開。
パチパチパチッ!
また一つ、頭部が焼き切れる。
だが、集合知体は前進を続ける。
「ギバ! こいつ、何体分いる!?」
「知るか! とにかく殴り続けろ!」
ドゴォォォン! ドゴォォォン! ドゴォォォン!
ケンザキは、必死にガンガンを振り続けた。
パプワくんの不条理なギャグ。
ロトの紋章の重厚なファンタジー。
突撃!パッパラ隊の意味不明なコマ割り。
一つ一つのページが、帯域喰いの脳を焼いていく。
だが。
「は……はぁ……はぁ……」
ケンザキの腕が、悲鳴を上げている。
900ページの重量は、何度も振るうには重すぎる。
そして、集合知体の頭部は、まだ半分以上残っていた。
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SCENE 04 ― ISAバスの限界 / PM 1:35
「アップロード開始!」
ギバがエンターキーを叩く。
【UPLOAD INITIATED】
【DATA SOURCE: PHONEBOOK + MONTHLY MAGAZINE】
【CONVERTING TO DIGITAL MODULATION...】
【UPLOAD PROGRESS: 0%】
サーバーの冷却ファンが、悲鳴を上げ始めた。
ブォォォォォォォン!
回転数が限界を超えている。
排気熱が、さらに上昇する。
室温は、50度を超えた。
「液体窒素を追加する……!」
ギバが、タンクから最後の液体窒素を注ぎ込む。
シュゴォォォォォ……
白い冷気が噴き出す。
だが、それもすぐに蒸発していく。
【UPLOAD PROGRESS: 23%】
「足りねえ……冷却が追いつかねえ……!」
その時、ギバは見た。
黄金のISAバスが、赤く輝き始めているのを。
過負荷だ。
大量のデータが、16ビットの古い規格に押し込められている。
その摩擦熱で、金メッキの接点が赤熱している。
「マザーボードがもたねえ……!」
ギバが叫ぶ。
「焼き切れる前に、全データを流し込め……!」
【UPLOAD PROGRESS: 47%】
サーバーから、焦げた匂いが立ち上り始めた。
基板が燃える匂いだ。
ハンダが溶ける匂いだ。
90年代の遺物が、最後の力を振り絞っている匂いだ。
【UPLOAD PROGRESS: 68%】
「頼む……もってくれ……!」
―――――――――――――――――――――
SCENE 05 ― 脳をキャッシュに / PM 1:42
「ギバァァァ!」
ケンザキの叫び声。
振り返ると、ケンザキが集合知体の腕に掴まれていた。
ガンガンは、床に落ちている。
「くそ……っ!」
集合知体の数十の頭部が、同時にケンザキを見つめている。
「お前の……脳を……」
「キャッシュに……」
「使わせろ……」
「離せ……!」
ケンザキがもがく。
だが、数十の腕の力には敵わない。
【UPLOAD PROGRESS: 89%】
「あと少しだ……!」
ギバがモニターを睨む。
【UPLOAD PROGRESS: 94%】
【UPLOAD PROGRESS: 97%】
【UPLOAD PROGRESS: 99%】
そして。
【ERROR: DATA OVERFLOW】
【BUFFER CAPACITY EXCEEDED】
【UPLOAD HALTED AT 99%】
「何だと……!?」
ギバが絶叫する。
「バッファが足りねえ……! 最後の1%が、流し込めねえ……!」
あと1%。
たった1%のデータが、アップロードできない。
サーバーのメモリが、限界に達している。
これ以上のデータを処理するキャッシュが、どこにもない。
「くそっ、くそっ、くそっ……!」
ギバが頭を抱える。
その時。
「ギバ」
ケンザキの声が、妙に落ち着いていた。
「俺の脳を使え」
「……何だと?」
「俺の脳を、キャッシュにしろ」
ケンザキが、集合知体に掴まれたまま、ギバを見つめている。
「7Gに最適化された俺の脳には、まだ空き容量がある。薄っぺらい分、余白が多いんだ。そこに、最後の1%を流し込め」
「バカ言うな! お前の脳が焼き切れるぞ!」
「知ってる」
ケンザキが、笑った。
「でも、俺は見たんだ。『名無しさん』の言葉を。25年前に、誰かがそこにいたっていう、重い情報を」
ケンザキの目から、涙が流れた。
「俺も、そこにいたいんだ。この『重い』世界に」
「ケンザキ……」
「やれ、ギバ」
ギバは、一瞬だけ躊躇した。
だが、すぐにキーボードに向き直った。
「……後悔するなよ」
ギバが、新しいコマンドを入力する。
【EXTERNAL BUFFER DETECTED: HUMAN NEURAL INTERFACE】
【WARNING: HIGH RISK OF PERMANENT DAMAGE】
【PROCEED? Y/N】
ギバが、「Y」を押した。
【UPLOADING FINAL 1% TO EXTERNAL BUFFER...】
その瞬間。
ケンザキの目の中に、文字が流れ始めた。
1990年代のウェブサイト。
黒い背景に、緑の文字。
カウンターの数字。
「キリ番踏み逃げ禁止」の警告。
「工事中」のGIF画像。
「Welcome to my homepage」の挨拶。
それらが、滝のように流れ落ちていく。
マトリックスの逆バージョン。
洗練されたデジタルコードではなく、泥臭い90年代のHTMLタグ。
<FONT COLOR="red">や<MARQUEE>や<BLINK>が、ケンザキの視界を埋め尽くしていく。
「あ……ああああああ……」
ケンザキの鼻から、黒いインクが流れ出した。
電話帳のインクだ。
情報の重さが、彼の脳を圧迫している。
「ケンザキ!」
「や……めるな……!」
ケンザキが叫ぶ。
目からも、黒いインクが涙のように流れている。
「最後まで……流し込め……!」
【UPLOAD PROGRESS: 99.3%】
「俺は……ここにいる……!」
【UPLOAD PROGRESS: 99.7%】
ケンザキの視界の端で、何かが点滅した。
カウンターだ。
古い掲示板のアクセスカウンター。
999999という数字が、ゆっくりと回転していく。
000000。
カウンターが、一回転して戻った。
そして、その横に、血文字のような赤いテキストがこびりついた。
【キリ番おめでとう!!!】
「俺も……『名無しさん』になる……!」
【UPLOAD PROGRESS: 100%】
【UPLOAD COMPLETE】
【INFORMATION GRAVITY WAVE: INITIATED】
その瞬間。
黄金のISAバスが、その使命を全うした。
赤熱を超え、白熱を超え、金色の接点が溶け始める。
ドロリ。
金色の液体が、マザーボードの上に滴り落ちた。
伝説のパーツが、物理的に消滅していく。
その役目を終え、情報の海に溶けていく。
同時に。
集合知体が、異変を起こした。
「あ……あああああ……」
数十の口から、悲鳴が漏れる。
そして。
ブワァァァァァァッ!
集合知体の全身から、凄まじい量のコピー用紙が噴き出した。
電話帳のページ。
名前と住所と電話番号の羅列。
何万人分もの「情報」が、紙となって噴出している。
「重い……重い……重い……!」
集合知体が、崩れ始めた。
自分自身から噴き出した情報の重みに、押し潰されていく。
紙の山が、彼らを埋めていく。
情報の重力に、抗えない。
ズゥゥゥン……
集合知体が、完全に自壊した。
コピー用紙の山だけが、そこに残された。
―――――――――――――――――――――
[ブツッ]
[砂嵐……]
―――――――――――――――――――――
▶ 第9話「情報の重力波(Information Gravity)」完
次回予告:
「アナログ音の嵐が、止まった。だが、ケンザキの脳は……」
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