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インフォ・デス・ストリーミング:圏外即死  作者: れーやん


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8/10

第8話:最後のハンドシェイク

カチン。


闇の中で、物理的なスイッチの投入音が響いた。


そして。


ジジジ……ジジジジジ……


古い真空管が、暖まり始める微かな音。

赤熱したフィラメントが、ゆっくりと光を帯びていく。


20世紀の機械が、目を覚まそうとしていた。


―――――――――――――――――――――


SCENE 01 ― 地下変電所の祭壇 / PM 12:47


北千住の地下深く。


巨大なトランス(変圧器)が、闇の中に林立している。

その間を、太い銅線のケーブルが蛇のように這い回っている。


空気が、重い。


オゾンの匂いだ。

高圧電流が空気中の酸素を分解して生まれる、あの独特の刺激臭。

そこに、銅の酸化した匂いと、古い絶縁油の匂いが混ざっている。


「ここが、『箱舟』の心臓部だ」


ギバが言う。


変電所の中央に、それは鎮座していた。


複数のタワー型PCを無理やり連結した、異形のサーバー。

ケーブルが絡み合い、冷却ファンが唸り、古いCRTモニターが何台も接続されている。

その姿は、まるで機械で出来た祭壇のようだった。


「これを、20年以上かけて組み上げた」


ギバがサーバーの前に立つ。


「部品は全部、90年代のオリジナル。マザーボード、CPU、メモリ、全部だ。だが、一つだけ足りなかった」


ギバが、ポケットから黄金のISAバスを取り出す。


鈍い金色が、非常灯の光を反射する。


「ネットワークカードを動かすための、このスロットだけが、どうしても見つからなかった」


ギバがサーバーの側面パネルを外す。


内部のマザーボードが露出する。

埃まみれだが、丁寧にメンテナンスされている形跡がある。


「いくぞ」


ギバが、黄金のISAバスをスロットに近づける。


ケンザキは、息を呑んだ。


ギバの手が、震えている。

あの「不要なデータ」を捨てたはずの男の手が。


カチッ。


ISAバスが、スロットに収まった。


その音は、この地下変電所で鳴った、最も重要な音だった。


―――――――――――――――――――――


SCENE 02 ― IRQ競合の恐怖 / PM 12:52


「よし、電源を入れる」


ギバがスイッチを入れる。


ブゥゥゥン……


古い電源ユニットが唸りを上げる。

冷却ファンが回り始める。

CRTモニターが、ゆっくりと光を帯びていく。


画面に、文字が表示され始めた。


【BIOS POST CHECK...】

【MEMORY TEST: 64MB OK】

【DETECTING IDE DEVICES...】


「いいぞ……動いてる……」


ギバの目が、モニターに釘付けになっている。


【ISA BUS DETECTED】

【NETWORK CARD INITIALIZING...】


だが、その時。


【ERROR: IRQ CONFLICT DETECTED】

【IRQ 5: SOUND CARD】

【IRQ 5: NETWORK CARD】

【SYSTEM HALT】


「クソッ!」


ギバが叫んだ。


「IRQが競合してやがる!」


「IRQ……?」


「割り込み要求だ! 90年代のPCは、各デバイスに固有の番号を割り当てなきゃならねえ。サウンドカードとネットワークカードが、同じ番号を使おうとしてる!」


ギバが、サーバーの内部に手を突っ込む。


「ジャンパピンを差し替える……IRQを手動で変更するしかねえ……」


マザーボード上の、小さなピンの群れ。

それを、一本一本確認しながら、差し替えていく。


ギバの手が、震えている。


「5番から7番に変更……いや、7番はプリンタポートだ……9番……9番は空いてるか……?」


汗が、ギバの額から滴り落ちる。


その時。


ドンッ。


変電所の入り口から、音が聞こえた。


ピーーーヒョロロ……ガガガ……


「来やがった」


ケンザキが振り返る。


変電所の入り口に、影が見えた。


帯域喰いだ。


地下鉄の廃線を追ってきたのか、それとも変電所の電磁波を嗅ぎつけたのか。

十人、二十人、それ以上の影が、闇の中で蠢いている。


「ギバ! 急げ!」


「分かってる!」


ギバの手が、必死にジャンパピンを操作している。


「9番に変更……これでいけるはずだ……!」


ギバが電源を再投入する。


ブゥゥゥン……


【BIOS POST CHECK...】

【ISA BUS DETECTED】

【NETWORK CARD INITIALIZING...】

【IRQ 9 ASSIGNED】


「通った……!」


【LOADING NETWORK DRIVER...】

【DRIVER LOADED SUCCESSFULLY】

【INITIATING CONNECTION...】


―――――――――――――――――――――


SCENE 03 ― 死の音と生の音 / PM 12:58


帯域喰いたちが、変電所の中に入ってきた。


ピーーーヒョロロ……ガガガ……ギギギ……


彼らの喉から漏れる、死のアナログ音。

数十人分の音が重なり、変電所の壁を震わせる。


「情報を……くれ……」


「脳を……吸わせろ……」


彼らが、ギバとケンザキに向かって歩いてくる。


「ギバ!」


「待て! もう少しだ!」


サーバーのモニターに、新しい表示が現れた。


【MODEM INITIALIZING...】

【DIALING...】


そして。


サーバーから、音が鳴り始めた。


スクリーーーーーーッ!


最初は、電子の叫びだった。

高周波の、耳をつんざくような金切り声。

モデムが電話回線を掴もうとしている、最初の一声。


ガガガガガガガガ!


次に、激しい摩擦音。

デジタル信号とアナログ回線が、互いの言語を翻訳しようとして、激しくぶつかり合っている。


ピーーーヒョロロロロ……


そして、あの旋律。

帯域喰いたちの喉から漏れる音と、同じ音。


だが。


「違う」


ケンザキが呟いた。


「この音は……違う」


そうだ。


帯域喰いたちの喉から漏れる音は、断続的で、不規則で、苦悶に満ちていた。

だが、サーバーから響く音は違う。


規則的で、リズミカルで、どこか希望に満ちている。


ガガガ……ピーーーッ……


そして、最後に。


静寂。


一瞬の、完全な静寂。


その後に訪れたのは、低く安定した接続音だった。


シーーーーーーーーーー……


それは、二つの世界が手を繋いだ証だった。

デジタルとアナログが、25年の時を超えて、再び握手を交わした音。


かつてのネット民にとっての「産声」。

インターネットに接続するたびに聞いた、あの懐かしい儀式の音。


帯域喰いたちが、足を止めた。


「……この音は……」


「俺たちの……じゃない……」


彼らの顔に、困惑が浮かんでいる。


同じ音なのに、意味が違う。

死の音と、生の音。

絶望の音と、希望の音。


シーーーーーーーーーー……


サーバーのモデムが、安定した接続を維持している。


そして。


【CONNECT 56000】


モニターに、その文字が表示された。


「繋がった……」


ギバが呟く。


「『生きたインターネット』に、繋がった……!」


―――――――――――――――――――――


SCENE 04 ― 文字だけの残骸 / PM 1:02


帯域喰いたちが、その場に立ち尽くしている。


サーバーから漏れる「生のハンドシェイク」の残響が、彼らを麻痺させているようだった。


「ケンザキ、見ろ」


ギバがモニターを指差す。


ケンザキが、画面を覗き込む。


その瞬間、顔の産毛が逆立った。


CRTモニターから発せられる、強い静電気だ。

画面に近づくだけで、肌がピリピリと痺れる。

古いブラウン管特有の、甘く焦げたような匂いが鼻を突く。


これは、デジタルな投影画面にはない感覚だ。

「物理的な実在感」が、そこにはあった。


画面に表示されていたのは。


黒い背景。

緑色の文字。

それだけだった。


画像も、動画も、アニメーションもない。

ただ、文字だけが並んでいる。


【WELCOME TO LOCAL-NET ARCHIVE】

【LAST UPDATED: 1999/12/31 23:59:59】

【CURRENT USERS: 2】


「これが……」


ケンザキの声が、震えている。


「これが、俺たちの目指した場所か……?」


画面をスクロールする。


掲示板のログだ。

1999年の、古い書き込み。


【名無しさん 1999/08/15 14:32】

>今日も暑いですね。みなさん、水分補給を忘れずに。


ケンザキは、その一行を見つめた。


たった一行。

何の変哲もない、日常の挨拶。


だが、その「重さ」に、ケンザキは圧倒された。


これは、AIが生成した最適解の励ましじゃない。

アルゴリズムが計算した、脳に心地よい言葉の羅列じゃない。


25年前に、実在した人間が書いた言葉だ。


その日、その時間、どこかの部屋で、誰かがキーボードを叩いた。

「今日も暑いですね」と。

ただ、そこに存在していたという「事実」。

その質量が、ケンザキの脳を揺さぶっている。


【名無しさん 1999/08/15 14:45】

>>1 お疲れ様です。こちらは雨が降ってます。


【名無しさん 1999/08/15 15:01】

>キリ番ゲット! 1000踏みました!


ノイズに塗れた、文字だけの残骸。

かつて「インターネット」と呼ばれたものの、最も原始的な姿。


「これだけか……」


ケンザキが呟く。


「7Gで見てた、あの煌びやかな世界は、どこにもねえ……」


「当たり前だ」


ギバが言う。


「あの『煌びやかな世界』こそが、お前らの脳を薄っぺらくした毒だ。最適化された、消化しやすい、栄養のねえジャンクフードだ」


ギバがモニターを指差す。


「だが、これは違う。文字だけ。情報だけ。飾りも、演出も、お前らの脳を甘やかす要素は何もねえ。これが、本物の『情報』だ」


画面の隅に、小さな文字が点滅している。


【新着メッセージ: 1件】


ギバがクリックする。


新しいウィンドウが開いた。


そこに表示されていたのは、たった一行のテキストだった。


【ようこそ、時間の止まった図書館へ。ここには、誰も消せない言葉が眠っています。】


「……」


ケンザキは、その一行を見つめた。


誰が書いたのか分からない。

いつ書かれたのかも分からない。

だが、25年以上の時を超えて、その言葉はここに残っていた。


消されずに。

最適化されずに。

圧縮されずに。


「重い」情報のまま。


「これが……」


ケンザキの目から、涙が溢れた。


CRTモニターの静電気が、その涙を頬に張り付かせる。


「これが、俺たちが守らなきゃいけねえものか……」


ギバが、ケンザキの肩に手を置いた。


「ああ。これが、『箱舟』だ」


帯域喰いたちが、ゆっくりと後退していく。


彼らには、この「情報」は重すぎるのだ。

文字だけの、飾りのない、純粋な情報の塊。

それは、彼らの薄っぺらい脳を、焼き切ってしまう。


サーバーのファンが、静かに回り続けている。


「生きたインターネット」が、息を吹き返した。


1999年から、2045年へ。

時間の止まった図書館が、再び扉を開いた。


―――――――――――――――――――――


[ブツッ]

[砂嵐……]


―――――――――――――――――――――


▶ 第8話「最後のハンドシェイク(The Last Handshake)」完


次回予告:

「『箱舟』は完成した。だが、これは終わりじゃねえ。始まりだ」


―――――――――――――――――――――


[カウンター表示:01:52:08]

[PLAY ▶ ]

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