第7話:秋葉原陥落
紫色のノイズ雲が、秋葉原の空を完全に覆っていた。
そして。
ピィィィィィーーーーーーーーーーーーーーッ!
特大のモデム音が、雷鳴のように鳴り響いた。
それは、数万人分の死のアナログ音が一点に収束し、放たれた「情報の落雷」だった。
―――――――――――――――――――――
SCENE 01 ― 音の災害 / AM 11:48
ドゴォォォォォォン!
中央通りのビルの窓ガラスが、一斉に砕け散った。
何十階分もの強化ガラスが、同時に爆発したのだ。
ガラスの破片が、光を反射しながら降り注ぐ。
まるで、情報の雨のように。
「伏せろ!」
ギバが叫ぶ。
二人は、廃墟と化したラジオ会館の入り口で身を伏せる。
バキィィィン!
看板が落下してくる。
「電子部品」「パソコンショップ」「メイド喫茶」。
かつての秋葉原を象徴する文字が、アスファルトに叩きつけられて砕ける。
ピーーーーヒョロロロロ……ガガガガガ……ギギギギギ……
死のアナログ音の嵐が、物理的な災害と化していた。
数万人の帯域喰いが、同時に喉からあの音を漏らしている。
その共振が、空気を震わせ、物質を破壊している。
メキメキメキ……
「アスファルトが……!」
ケンザキが叫ぶ。
道路にひび割れが走っている。
音の振動で、地面が裂けているのだ。
ドォォォォン!
また一つ、ビルの窓が爆発した。
「このままじゃ、建物ごと潰される……!」
「分かってる」
ギバがリュックを背負い直す。
「脱出ルートがある。ついて来い」
―――――――――――――――――――――
SCENE 02 ― カピバラの配給 / AM 11:52
中央通りを走る。
至るところで、情報難民たちが逃げ惑っている。
頭にアンテナを巻いた老人が、崩れた看板の下敷きになっている。
全身にフロッピーを縫い付けた女が、割れたガラスで血まみれになりながら走っている。
「ギバ! あれ……!」
ケンザキが指差す。
広場の中央。
かつて歩行者天国だった場所。
そこに、カピバラの着ぐるみが立っていた。
カピだ。
彼は、逃げ遅れた情報難民たちに囲まれていた。
そして、ボロボロの着ぐるみの手で、フロッピーディスクを一枚ずつ配っている。
「……1998年5月1日、東京地方の天気……」
キィィィィン……
あの高周波ノイズを混じえながら、カピは天気予報を読み上げ続けている。
「晴れ……最高気温24度……降水確率0%……」
情報難民たちが、それを聞いている。
目を閉じ、深く呼吸し、20世紀の情報を摂取している。
「カピ! 何やってんだ! 逃げろ!」
ギバが叫ぶ。
カピが、ゆっくりとこちらを向いた。
着ぐるみの破れ目から、あの目が覗いている。
「ギバか……」
キィィィン……
「俺には、配給を続ける義務がある……」
「義務だと!? 死ぬぞ!」
「……1998年5月2日、東京地方の天気……」
カピは、ギバの言葉を無視して、天気予報を読み続けた。
「晴れ……最高気温25度……降水確率0%……」
その時。
ピィィィィーーーーーーーーーーーッ!
また一つ、情報の落雷が轟いた。
今度は、すぐ近くだ。
ドゴォォォォォォン!
音圧の衝撃波が、広場を直撃した。
情報難民たちが吹き飛ばされる。
カピの周囲のフロッピーディスクが、空中に舞い上がる。
そして。
ビリィィィッ!
カピバラの着ぐるみが、音圧で引き裂かれた。
―――――――――――――――――――――
SCENE 03 ― 骨董品のアンドロイド / AM 11:54
「カピ……!」
ケンザキが叫ぶ。
引き裂かれた着ぐるみの中から、「何か」が現れた。
それは、人間ではなかった。
朽ち果てた、骨董品のアンドロイドだ。
金属製の骨格が、至るところで錆びついている。
人工皮膚は剥がれ落ち、露出した配線が火花を散らしている。
胸部には、古いCRTディスプレイが埋め込まれている。
その画面には、ノイズだらけの天気図が映し出されていた。
「あいつ……機械だったのか……」
ケンザキが呟く。
「知ってた」
ギバが言う。
「カピは、1990年代に作られた『情報配信用アンドロイド』の試作機だ。テラ・リンクが普及する前に、廃棄されるはずだった」
カピの――いや、アンドロイドの頭部が、ゆっくりとギバを向いた。
胸のディスプレイに、文字が表示される。
【システム損傷:致命的】
【残存稼働時間:00:00:47】
「ギバ……」
アンドロイドの声が、ノイズだらけになっていた。
「『生きたインターネット』を……見つけたか……」
「ああ。ISAバスは手に入れた」
「そうか……」
アンドロイドの目――カメラレンズが、かすかに光った。
「なら……俺の役目は……終わりだ……」
【残存稼働時間:00:00:31】
「……1998年5月3日……」
アンドロイドが、また天気予報を読み始めた。
「東京地方の天気……晴れ……」
キィィィィン……
ノイズがひどくなっている。
「最高気温……26度……」
胸のディスプレイが、激しく明滅する。
「降水確率……」
【残存稼働時間:00:00:12】
「……0%……」
アンドロイドの声が、途切れ途切れになる。
「明日も……晴れ……」
【残存稼働時間:00:00:05】
「明日も……」
キィィィィィィン……
「……晴れ……」
【残存稼働時間:00:00:00】
プツン。
カピのアンドロイドが、その場に崩れ落ちた。
胸のCRTディスプレイが、最後の光を放った。
画面の中央に、光が集まっていく。
ブラウン管特有の、あの残像だ。
四隅から中心へ、光が収束していく。
かつてテレビの電源を切るたびに見た、あの懐かしい光景。
そして。
パチン。
小さな音と共に、光の点が消えた。
20世紀の情報の灯火が、完全に消えた瞬間だった。
ディスプレイには、最後のメッセージが焼き付いていた。
【明日の東京は晴れ。降水確率0%。良い一日を。】
そして、それも、闇に溶けて消えた。
―――――――――――――――――――――
SCENE 04 ― 不要なデータ / AM 11:56
「……」
ギバが、カピの残骸を見下ろしている。
その顔に、一瞬だけ、感傷的な表情が浮かんだ。
だが、すぐに。
「クソッ」
ギバが吐き捨てた。
「湿っぽい情報は、嫌いなんだよ」
そう言いながら、ギバの手が動いた。
無意識に。
散乱したフロッピーディスクの中から、一枚だけを拾い上げる。
「1998年5月 天気予報アーカイブ」と手書きで書かれたラベル。
ギバは、それをジャンパーのポケットに突っ込んだ。
何も言わずに。
「ギバ……」
「行くぞ、ケンザキ」
ギバが歩き出す。
「カピは、最後まで『配給』を続けた。それでいい。俺たちは、生き残ることを優先する」
ケンザキは、カピの残骸を最後に一度だけ見た。
朽ち果てた金属の骨格。
消えたディスプレイ。
散乱したフロッピーディスク。
「……ありがとう」
ケンザキが呟く。
「天気予報、良かったぜ」
そして、ギバの後を追った。
感情は、不要なデータだ。
この世界で生き残るには、それを圧縮して、捨てなければならない。
―――――――――――――――――――――
SCENE 05 ― つくばエクスプレスの亡霊 / PM 12:02
秋葉原駅の地下。
かつて「つくばエクスプレス」が走っていた場所。
2040年代に廃線となり、放棄された線路が闇の中に伸びている。
「ここだ」
ギバが、線路に降り立つ。
足元で、20年分の埃が舞い上がった。
トンネル内は、ただの暗闘ではなかった。
長年蓄積された微細な粉塵が、空気中に浮遊している。
ギバが持っている古いライトの光が、その粒子に乱反射して、視界を曖昧に歪ませる。
汚い空気だ。
錆と油と、腐った枕木の匂いが混ざっている。
息を吸うたびに、肺が重くなる。
「この廃線跡を使えば、秋葉原を迂回できる。北千住まで、地下を通って行ける」
ケンザキも、線路に降りる。
足元で、錆びついたレールが軋む。
「北千住に、何があるんだ」
「『箱舟』を完成させる場所だ。あそこには、まだ稼働してる旧式の変電所がある。電源さえ確保できれば、ISAバスを使って『生きたインターネット』を起動できる」
線路の奥に、何かの影が見えた。
放棄された貨物列車だ。
錆びついた車体。割れた窓。
だが、車輪は線路に載ったままだ。
「あれを使う」
ギバが言う。
「手押しで動かす。音を立てなきゃ、帯域喰いには見つからねえ」
背後から、地響きが聞こえてくる。
ピーーーーーーヒョロロロロ……ガガガガガ……
死のアナログ音の嵐が、秋葉原の地上を完全に飲み込んでいる。
「急げ」
ギバが貨物列車に乗り込む。
ケンザキも続く。
錆びついたドアが、悲鳴のような音を立てて閉まる。
闇の中で、二人は貨物列車を押し始めた。
ギィィィ……ギィィィ……
錆びた車輪が、ゆっくりと回り始める。
ケンザキは、ギバの手を見た。
ISAバスを握りしめている、その手。
微かに、震えていた。
感情を捨てたと言ったくせに。
湿っぽい情報は嫌いだと言ったくせに。
ポケットには、カピのフロッピーを突っ込んだくせに。
ケンザキは、何も言わなかった。
言葉にしたら、それは「不要なデータ」になってしまうから。
ギィィィ……ギィィィ……
貨物列車が、廃線のトンネルを進んでいく。
埃の粒子が、ライトの光を乱反射させながら、二人を包み込んでいく。
秋葉原が、背後に遠ざかっていく。
紫色のノイズ雲。
崩壊するビル群。
そして、「明日は晴れ」と告げ続けた、骨董品のアンドロイド。
「ギバ」
ケンザキが、闇の中で呟いた。
「カピは……最後まで、人間らしかったな」
「……」
ギバは答えなかった。
だが、ISAバスを握る手の震えが、一瞬だけ強くなった。
それが、何よりも雄弁だった。
ギィィィ……ギィィィ……
貨物列車が、廃線のトンネルを進んでいく。
北千住へ。
「箱舟」を完成させるために。
―――――――――――――――――――――
[ブツッ]
[砂嵐……]
―――――――――――――――――――――
▶ 第7話「秋葉原陥落(The Fall of Akihabara)」完
次回予告:
「『生きたインターネット』を起動させる。それが、人類最後の希望だ」
―――――――――――――――――――――
[カウンター表示:01:38:22]
[PLAY ▶ ]




