第5話:秋葉原・ジャンクの墓標
ガシャッ。
ケンザキの足が、何かを踏み潰した。
見下ろす。
スマートフォンだった。
画面は割れ、バッテリーは膨張し、基板がむき出しになっている。
2040年代の最新モデル。今では、ただのゴミだ。
ガシャッ。ガシャッ。ガシャガシャガシャ。
足元を見る。
そこには、死んだスマホの山が積み上げられていた。
何千台。いや、何万台か。
秋葉原の入り口を塞ぐように、うずたかく積み上げられた電子機器の墓標。
―――――――――――――――――――――
SCENE 01 ― 電気街の成れの果て / AM 10:45
秋葉原。
かつて「電気街」と呼ばれた場所は、その面影を完全に失っていた。
中央通りの両側には、ブラウン管テレビが祭壇のように積み上げられている。
14インチ、21インチ、29インチ。
すべて画面が割れ、内部の真空管がむき出しになっている。
その上に、真空管アンプが供えられていた。
まるで、死んだテクノロジーへの供物のように。
空気が、重い。
ハンダ付けの煙が、至るところから立ち上っている。
腐ったオイルの匂いが、鼻腔を焼く。
そして、焦げた基板の匂い。古い電解コンデンサが破裂した時の、あの独特の悪臭。
「……ここが、秋葉原か」
ケンザキが呟く。
「ああ」
ギバが頷く。
「7Gを拒絶した『レトロジャンキー』たちの吹き溜まりだ」
通りの両側に、人影が見える。
彼らは、帯域喰いではなかった。
目に光がある。喉から死のアナログ音は漏れていない。
だが、その姿は異様だった。
頭にアンテナを巻き付けた老人。
全身にフロッピーディスクを縫い付けた女。
背中に巨大なCRTモニターを背負った男。
彼らは、ケンザキとギバを無言で見つめていた。
「……歓迎されてねえな」
「当たり前だ。よそ者は警戒される」
ギバが、中華鍋のヘルメットを被り直す。
「だが、俺の顔を知ってる奴がいるはずだ。ついて来い」
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SCENE 02 ― 情報の配給 / AM 10:52
キャンプの中央に、広場があった。
かつて歩行者天国だった場所。
今は、情報難民たちが車座になって座り込んでいる。
その中心に、奇妙な人影が立っていた。
カピバラの着ぐるみだ。
ボロボロの、薄汚れた着ぐるみ。
顔の部分は破れ、中から人間の目が覗いている。
耳は片方が千切れ、綿がはみ出している。
だが、その着ぐるみの中の人物は、妙に落ち着いた声で喋っていた。
「……1998年4月15日、東京地方の天気。晴れ、最高気温21度、最低気温12度。降水確率は10%……」
キィィィィン……
時折、カピの声に奇妙なノイズが混じる。
スピーカーがハウリングしたような、高周波の雑音。
中の人間が発しているのか、それとも着ぐるみの中に埋め込まれた何かが鳴っているのか。
その境界が、曖昧に揺らいでいる。
着ぐるみの手には、古いフロッピーディスクが握られている。
3.5インチ。1.44MB。20世紀の遺物だ。
「……花粉の飛散量は『やや多い』。外出の際はマスクの着用をお勧めします……」
キィィィン……
また、あのノイズ。
周囲の情報難民たちが、その言葉に聞き入っている。
目を閉じ、深く呼吸し、20世紀の天気予報を「摂取」している。
「情報の配給だ」
ギバが小声で言う。
「あいつは『カピ』。この難民キャンプの情報屋だ」
「情報屋……? あの声、時々おかしくないか……」
「気にするな。あいつが人間かどうかなんて、もう誰も確かめようとしねえ」
カピが、天気予報の朗読を終えた。
「……以上、1998年4月15日の天気予報でした。次の配給は、14時からです」
キィィィィィン……
今度は長い、耳障りな高周波。
情報難民たちが顔をしかめる。
「ギバか」
カピが、破れた着ぐるみの顔をこちらに向けた。
「久しぶりだな。まだ生きてたか」
「お前こそ、まだそのクソみてえな着ぐるみ着てやがるのか」
「これは『保護色』だ。帯域喰いは、情報を持ってない奴には興味を示さねえ。このボロボロの着ぐるみは、『俺は情報を持ってない』というシグナルになる」
カピが、ケンザキを見る。
「……新入りか? 随分と『軽い』顔してるな。ストリーミング依存か」
「う、うるせえ……」
「まあいい。で、ギバ。何の用だ」
「『箱舟』を完成させるためのパーツが要る。ISAバス……できれば、黄金の16ビット・スロットだ」
「ISAバスだと?」
カピが、着ぐるみの中で笑った。
その笑い声にも、キィン……という高周波ノイズが混じる。
「1990年代の遺物じゃねえか。そんなもん、どこで手に入れるつもりだ」
「ここにあるはずだ。秋葉原の地下には、まだ眠ってる」
「……地下、か」
カピの声が、急に低くなった。
「お前、『伝説』を信じてるのか」
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SCENE 03 ― 秋葉原の伝説 / AM 11:05
「伝説……?」
ケンザキが聞き返す。
カピが、周囲を見回した。
情報難民たちは、それぞれの場所に散っている。
聞かれていないことを確認してから、カピは小声で言った。
「秋葉原の地下には、『生きたインターネット』がある」
「生きた……インターネット?」
「7Gが死ぬ前。いや、5Gが死ぬ前。もっと言えば、4Gが死ぬ前から……この街の地下には、古いサーバールームが眠ってる」
カピがフロッピーディスクを弄びながら続ける。
「1990年代に作られた、純粋なオフラインのローカルネットワーク。テラ・リンクにも、7Gにも、一切接続されてねえ。完全に独立した、『死んでないインターネット』だ」
「そんなものが……」
「信じるか信じねえかは、お前次第だ」
ギバが口を開いた。
「俺は信じてる。だから、ISAバスが要る。古いネットワークカードを動かすにはな」
「……」
カピが沈黙する。
その時。
ゴゴゴゴゴ……
地面が、微かに震えた。
「……来やがった」
カピの声が、緊張で強張る。
ケンザキが振り返る。
渋谷の方角。
空が、奇妙な色に染まっていた。
紫がかった、毒々しい色。
それは、数万人分の死のアナログ音が、大気中の電磁波と干渉して生み出した「ノイズの雲」だった。
ピーーーーーーーヒョロロロロ……
ガガガガガガ……
ギギギギギギギ……
遠くから、あの音が聞こえてくる。
渋谷を飲み込んだ「帯域喰いの大群」が、秋葉原に向かって移動している。
「時間がねえ」
ギバがリュックを背負い直す。
「カピ、ISAバスはどこだ」
「……地下だ。旧・ラジオ会館の地下3階に、まだ残ってるはずだ」
「案内しろ」
「俺は行かねえ。あそこには……」
カピが言葉を切る。
「……『禁書』がある」
「禁書?」
ケンザキが聞き返す。
ギバが答えた。
「ガンガンより重い、情報の塊だ」
「ガンガンより……?」
「『月刊アフタヌーン』。あるいは……」
ギバの目が、狂気じみた光を帯びる。
「『電話帳』だ」
カピが、着ぐるみの中で震えた。
「やめろ、ギバ。あれに触れたら、お前の脳も焼き切れる」
キィィィィン……
カピの声に、また高周波ノイズ。
「電話帳は……『重い』なんてもんじゃねえ」
カピの声が、急に真剣になった。
「あまりの情報の密度に、紙が黒ずんで見えるんだ。ページを開くと、無数の名前と番号の羅列が……まるで蠢く蟲の群れのように見える。脳が、それを処理しようとして、処理しようとして、処理しようとして……」
カピの声が、途切れた。
「……俺は、一度だけ見たことがある。電話帳を開いた奴を」
「どうなった」
「目から血を流しながら、自分の頭を壁に打ちつけ続けた。止めようとした奴も、ページが見えた瞬間に同じことを始めた。最後は、二人とも……」
カピが首を横に振る。
「お前らも、あれには近づくな」
「俺の脳は、お前らとは違う」
ギバが歩き出す。
「俺は20世紀を生きた人間だ。ローカルの重さに、耐えられる」
地響きが、さらに大きくなる。
ピーーーーーーーーーーーーーヒョロロロロロ……
死のアナログ音の壁が、秋葉原に迫っている。
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SCENE 04 ― 嵐の前 / AM 11:15
旧・ラジオ会館。
かつて秋葉原のシンボルだったビルは、今や廃墟と化していた。
1階のシャッターは破られ、内部には古い電子部品が散乱している。
抵抗器。コンデンサ。トランジスタ。
すべてが、埃と油にまみれている。
「地下への入り口は、奥だ」
ギバが先導する。
ケンザキがその後に続く。
背後から、カピの声が聞こえた。
「ギバ!」
振り返る。
カピが、ボロボロの着ぐるみのまま立っていた。
「……もし、本当に『生きたインターネット』を見つけたら」
カピの目が、着ぐるみの破れ目から覗いている。
その目に、かすかな希望の光が宿っていた。
「……俺たちにも、分けてくれ」
「約束はしねえ」
ギバが言う。
「だが、生きて戻ったらな」
その瞬間。
ドォォォォン!
秋葉原の入り口で、爆発音が響いた。
ケンザキが振り返る。
死んだスマホの山が、吹き飛んでいた。
数万台の電子機器が、宙を舞い、アスファルトに叩きつけられている。
「何だ……!?」
「音だ」
ギバが舌打ちする。
「アナログ音の嵐の先端が、到達しやがった」
ピーーーーーーヒョロロロロ……
死のアナログ音が、物理的な衝撃波と化している。
その音圧が、スマホの山を吹き飛ばしたのだ。
パァン!
中央通りに積み上げられた祭壇のブラウン管テレビが、共振して爆発した。
真空管が砕け散り、ガラスの破片が飛び散る。
パァン! パァン! パァン!
次々と、テレビが爆発していく。
音の振動に耐えられず、内側から弾けているのだ。
「急げ!」
ギバが地下への階段を駆け下りる。
ケンザキも、その後を追った。
紫色のノイズ雲が、秋葉原の空を完全に覆い始めていた。
ピーーーーーーーーーーーーーヒョロロロロロロロロ……
死のアナログ音の大合唱。
帯域喰いの嵐が、ついに秋葉原に到達しようとしている。
闘の中へ。
禁書が眠る、地下へ。
―――――――――――――――――――――
[ブツッ]
[砂嵐……]
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▶ 第5話「秋葉原・ジャンクの墓標(The Junkyard of Akihabara)」完
次回予告:
「『電話帳』だと……? あれは本じゃねえ。情報の『核兵器』だ」
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