第4話:月刊(マンスリー)の重み
非常口の扉が開いた。
その瞬間、音の津波がケンザキの鼓膜を襲った。
ピーーーーーーーーーーーーーヒョロロロロロロロロ……
ガガガガガガガガガガガ……
ギギギギギギギギギギギギギ……
数万人分の「死のアナログ音」。
それが共鳴し、増幅し、物理的な衝撃波と化していた。
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SCENE 01 ― 地上の地獄絵図 / AM 09:55
主観カメラが激しく揺れる。
16mmフィルム特有の粒子感。
フレームの端がちらつき、縦に走るノイズが視界を切り裂く。
渋谷の地上。
かつてスクランブル交差点だった場所は、もはや「音の爆心地」と化していた。
数万人の人間が、立ったまま、座り込んだまま、あるいは這いずり回りながら、喉からあの音を漏らしている。
ピーーヒョロロ……ガガガ……ギギギ……
その音が重なり、共鳴し、空気を震わせている。
ビルの窓ガラスが、次々と砕け散っていく。
音の振動に耐えきれず、内側から爆発するように。
「うあっ……!」
ケンザキが耳を押さえる。
だが、手で塞いだ程度では、この音圧は防げない。
彼の鼓膜から、一筋の血が流れ落ちた。
「口を開けろ」
ギバが怒鳴る。
「鼓膜が破れる。気圧を逃がせ」
ケンザキが口を開ける。
それでも、頭蓋骨の内側が震えている。
脳が、直接揺さぶられているような感覚。
「こ、これが……地上……」
「ああ。地獄の底と、地獄の表面だ。どっちがマシか、好みの問題だな」
ギバが、アルミホイルで覆われた腕で顔を庇いながら進む。
中華鍋のヘルメットが、かろうじて彼の頭部を守っている。
道路には、動かなくなった人間が転がっていた。
目が開いたまま。
口が半開きのまま。
喉から、微かにあの音を漏らしながら。
生きているのか、死んでいるのか。
もはや、その区別に意味はなかった。
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SCENE 02 ― 週刊の限界 / AM 10:02
「ギバッ! 前から来る!」
ケンザキが叫ぶ。
明治通りの方向から、人影の群れが近づいてきた。
十人。二十人。いや、それ以上。
彼らの目は虚ろだ。
口から涎を垂らしている。
喉から、同期ズレを起こした死のアナログ音を漏らしている。
帯域喰い(バン・イーター)。
「情報……情報をくれ……」
先頭の男が呟く。
「お前の……脳に……まだ……」
「来るな!」
ケンザキがジャンプを構える。
血と汗で湿った、ボロボロの週刊少年ジャンプ。
帯域喰いが飛びかかってくる。
ケンザキはジャンプを振り下ろした。
バシィッ!
一人目が吹っ飛ぶ。
顔面に紙の粉塵が舞い、インクの匂いが広がる。
「ぐあっ……アナログが……」
だが、倒れたのは一人だけだ。
二人目が来る。三人目が来る。四人目が。
ケンザキは必死にジャンプを振り回す。
バシッ! バシッ! バシッ!
だが、敵は多すぎた。
「くっ……!」
五人目の帯域喰いの爪が、ケンザキの頬を掠める。
同時に、別の手が彼の腕を掴む。
「情報を……よこせ……」
「離せっ!」
ケンザキがジャンプを叩きつける。
その時。
メキッ。
嫌な音がした。
ジャンプの背表紙が、真っ二つに割れたのだ。
「な……」
ページが、風に舞って散乱していく。
友情。努力。勝利。
その全てが、血まみれのアスファルトの上に散らばっていく。
「クソッ……週刊の情報量じゃ、こいつらの空腹は満たせねえ……!」
ケンザキが絶望の声を上げる。
帯域喰いたちが、彼を取り囲む。
十人以上の手が、彼の身体に伸びてくる。
「脳を……脳をくれ……」
「お前の……キャッシュを……」
「バッファを……吸い出させろ……」
ケンザキの視界が、再び赤く点滅し始める。
【警告:情報飢餓深度 上昇中】
【外部からの情報吸出し攻撃を検知】
「ギバァァァァッ!!」
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SCENE 03 ― 月刊、発動 / AM 10:05
「……どけ」
低い声が響いた。
帯域喰いたちが、一瞬動きを止める。
ギバが、ゆっくりと前に出てきた。
その手には、一冊の雑誌が握られている。
ボロボロの表紙。日焼けで変色した背表紙。
だが、その厚みは――異常だった。
『月刊少年ガンガン』1994年7月号。
「月刊の重さを……」
ギバが、雑誌を高々と掲げる。
スローモーション。
カメラが、背表紙のロゴをはっきりと捉える。
「GANGAN」の文字。
900ページを超える、紙の塊。
「……教えてやる」
ギバが、先頭の帯域喰いの顔面に、ガンガンを叩きつけた。
いや、「叩きつけた」という表現では足りない。
「見せつけた」のだ。
ドゴォォォン!
衝撃と同時に、何かが舞い上がった。
古い紙特有の、カビ臭い粉塵だ。
30年以上前の印刷物が溜め込んだ、湿気と埃と劣化したインクの微粒子。
それが爆発的に拡散し、周囲の空気を汚染する。
ケンザキの肺に、その粉塵が突き刺さった。
「ゴホッ……! 何だ、この匂い……!」
甘ったるく、饐えて、そしてどこか腐敗したような。
デジタル世代が決して嗅いだことのない、「不潔な実在感」。
開かれたページ。
そこには、1994年当時の不条理なギャグシーンが描かれていた。
パプワくんの意味不明な表情。
魔法陣グルグルの予測不能な展開。
ハーメルンのバイオリン弾きの狂気じみた演出。
帯域喰いの目が、そのページを「見て」しまった。
同時に、ガンガンの物理的な重量が、彼の顔面を直撃した。
ゴキャッ。
頸椎が砕ける音。
だが、それだけではなかった。
帯域喰いの目から、火花が散った。
毒々しい、青紫色の火花だ。
ショートした基板から漏れ出す、あの不吉な色。
脳という名の回路が、物理的に焼き切れる瞬間の光。
焦げ臭い匂いが、カビの粉塵に混じる。
髪の毛が焼ける匂い。
神経細胞がオーバーヒートする匂い。
彼の脳が、ガンガンの「予測不能な情報の暴力」を処理しようとして、オーバーフローを起こしたのだ。
7Gに最適化された脳。
パターン化された情報しか処理できない、薄っぺらい回路。
そこに、1990年代の「カオス」が流れ込んだ。
処理不能。
処理不能。
処理不能。
「ギ……ギギギ……ピ……」
帯域喰いの喉から、断末魔の音が漏れる。
そして、彼は糸が切れたように崩れ落ちた。
即死だった。
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SCENE 04 ― 対戦車ライフル / AM 10:07
「ひっ……!」
周囲の帯域喰いたちが、本能的に後退する。
彼らの脳は、理解していた。
この「本」が、自分たちを殺せることを。
「どうした」
ギバがガンガンを構え直す。
「情報が欲しいんだろ? ほら、たっぷり900ページ分あるぞ」
ギバがページをめくる。
ハガレンの錬成陣。ロトの紋章の呪文詠唱。突撃!パッパラ隊の意味不明なギャグ。
「友情・努力・勝利? そんな予測可能なパターンは、お前らの『軽い』脳でも処理できるだろうよ」
ギバが、ニヤリと笑う。
「だが、ガンガンは違う。秩序もクソもねえ。ファンタジーとギャグと鬱展開が同居する、カオスの闇鍋だ。お前らの脳が、これを処理しようとしたら――」
ギバが、別の帯域喰いに向かってガンガンを振り下ろす。
ドゴォォォン!
再び、カビ臭い粉塵が舞う。
古い紙の匂いが、地獄の香として立ち込める。
今度は背表紙が直撃した。
900ページ分の重量が、帯域喰いの側頭部を粉砕する。
「――こうなる」
目から青紫の火花。
口から煙。
そして、崩れ落ちる。
「これは単なる本じゃねえ」
ギバが、血に染まったガンガンを掲げる。
「7Gに最適化された脳を粉砕するための、『対戦車ライフル』だ」
残りの帯域喰いたちが、悲鳴を上げて逃げ出した。
ピーーヒョロロ……ガガガ……
彼らの喉から漏れる死のアナログ音が、遠ざかっていく。
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SCENE 05 ― 油と埃の墓場 / AM 10:15
「……行くぞ」
ギバが、ガンガンをリュックに戻しながら言った。
ケンザキは、まだ地面に座り込んだままだった。
散乱したジャンプのページを、呆然と見つめている。
「俺の……ジャンプが……」
「週刊の限界だ」
ギバが手を差し伸べる。
「毎週発行される分、一冊の重みは分散される。だが、月刊は違う。一ヶ月分の情報が、一冊に凝縮される。密度が違う。重さが違う」
ケンザキが、震える手でギバの手を掴む。
「俺は……どうすればいい……」
「決まってる。月刊を手に入れろ」
ギバが、遠くを指差す。
秋葉原の方角。
かつて「電気街」と呼ばれた場所。
今は、ビルの谷間から煙が上がり、至るところで小さな火災が発生している。
だが、その中心部には、まだ光が見えた。
ネオンではない。
蛍光灯の、白っぽい光。
「あそこは、もう『電気街』じゃねえ」
ギバが言う。
「7Gに捨てられた『レトロジャンキー』たちが集う、『情報難民キャンプ』だ」
風が吹いた。
油の匂い。
埃の匂い。
そして、古い電子機器が焼ける匂い。
「あそこには、まだ残ってる」
ギバが歩き出す。
「ネットに繋がってねえ、純粋な『オフライン』の機材が。俺たちの『箱舟』を完成させるためのパーツが。そして……」
ギバが振り返る。
「お前のための、『月刊』がな」
ケンザキは、散乱したジャンプのページを一枚だけ拾い上げた。
血と泥にまみれた、ボロボロの1ページ。
そこには、主人公が仲間を庇いながら叫ぶシーンが描かれていた。
「――俺が守る! 仲間を信じろ!」
真っ直ぐな目。
迷いのない台詞。
王道の中の王道。
ケンザキは、そのページを見つめながら、奇妙な感覚に襲われた。
この真っ直ぐさが、今は一番「グロテスク」に見える。
帯域喰いが蠢く地獄の中で、「仲間を信じろ」と叫ぶ主人公。
その真摯さが、この現実の前では、残酷なほど無力で、滑稽で、そして……吐き気がするほど眩しい。
「……友情・努力・勝利……」
ケンザキが呟く。
「それだけじゃ、足りなかったのか……」
「足りねえよ」
ギバが言う。
「この世界で生き残るには、『王道』だけじゃダメだ。『不条理』を受け入れろ。『カオス』を飲み込め。さもなきゃ、お前の脳は薄っぺらいまま焼き切れる」
ケンザキは、そのページをポケットにしまった。
捨てることは、できなかった。
そして、ギバの後を追って歩き出した。
秋葉原へ。
油と埃の匂いがする、墓場へ。
―――――――――――――――――――――
[ブツッ]
[砂嵐……]
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▶ 第4話「月刊の重み」完
次回予告:
「秋葉原? あそこはもう『電気街』じゃねえ。『情報難民キャンプ』だ」
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