第2話:地下鉄(アンダーグラウンド)の帯域喰い
[ザーッ……ブツン……砂嵐……]
[トラッキング調整中……]
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SCENE 01 ― 闇とノイズ / AM 09:15
真っ暗闇。
手ブレの激しい赤外線カメラ(ナイトビジョン)の映像。
緑がかった荒い粒子の中で、何かが蠢いている。
――時折、映像にノイズが走る。
それは単なる電子的な乱れではない。
何者かの叫び声が、波形となって視覚的に混入しているのだ。
ギザギザの振幅が、画面の端を這うように流れていく。
場所は、渋谷駅の地下深く。急停車した地下鉄の車両内。
音。
あの音が、密閉された車両の中で反響している。
ピーーヒョロロ……ガガガ……ピーーーーーッ……
そして、それに混じる別の音。
……ギギ……ギギギ……
古いハードディスクが死ぬ間際に発する、あの不吉な異音だ。
人間の喉から、機械の断末魔が漏れている。
一人じゃない。十人、いや二十人分の喉が、同期ズレを起こしたモデムのように鳴いている。
空気が重い。
小便と、変圧器が焼けた焦げ臭い匂いが充満している。
「ハァ……ハァ……クソッ、繋がれよ……」
荒い息遣い。
カメラがパンする。
車両の隅、座席の下にうずくまっている男がいる。
ケンザキ(24)。
薄汚れたジャンパー。首筋のニューロ・ポートから血が滲んでいる。
彼は、震える手で何かを握りしめている。
ズームイン。
それは、2020年代の遺物。「携帯用アナログ・ラジオ」だ。
ロッドアンテナを限界まで伸ばし、必死にチューニングダイヤルを回している。
ザーーーーッ……
スピーカーから流れるのは、ホワイトノイズだけ。
「頼む……何か……天気予報でも、緊急放送でも……何でもいいから『意味のある音』をくれ……」
ケンザキの瞳孔が散大している。
彼の網膜ディスプレイには、真っ赤な警告灯が点滅している。
【警告:情報飢餓深度 レベル4】
【神経細胞の自己崩壊まで:あと14分】
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SCENE 02 ― 最初の襲撃 / AM 09:18
ドンッ!
突然、車両のドアに何かがぶつかる音。
ケンザキが息を呑む。ラジオのスイッチを切る。静寂。
いや、静寂ではない。
ピーーヒョロロ……
……ギギギ……ギギ……
車両の反対側から、その「死のアナログ音」が近づいてくる。
ゆっくりと。這うように。
赤外線カメラが、その姿を捉える。
――また、ノイズ。画面の下部に、誰かの悲鳴の波形が横切る。
サラリーマン風の男だ。ネクタイが引きちぎれている。
目が、完全に逝っている。
彼は、スマホの充電ケーブルを口にくわえ、先端のUSB端子を自分の歯茎に何度も突き刺している。
「テラ・ボルトが……来てない……」
サラリーマンが呟く。声が、死のアナログ音と混ざって歪んでいる。
「お前……持ってるだろ……バッファを……」
彼がケンザキに気づく。
「よこせェェェェェッ!!」
ダッシュ。
人間とは思えない速度。
B級映画特有の、コマ送りのようなカクカクした動きで迫る。
ケンザキが叫ぶ。
「来るな! 俺の脳は空っぽだ!!」
ケンザキは懐から何かを取り出す。
護身用のスタンガンではない。
もっと原始的な武器。
「少年ジャンプ」だ。
20世紀の紙の雑誌。分厚い鈍器。
表紙は日焼けで色褪せ、背表紙には年月を経た糊の黄ばみがこびりついている。
ケンザキはそれを、襲いかかるサラリーマンの顔面にフルスイングで叩きつける。
ドゴォォォン!
鈍い音。
サラリーマンが吹っ飛ぶ。
その瞬間、車両内に何かが舞った。
紙の粉塵だ。
数十年分の埃と、劣化したインクの微粒子が、空気中に爆発的に拡散する。
古い印刷物特有の、甘ったるく饐えた匂いが充満する。
「ぐあァァァァッ!? アナログ……情報が……重すぎる……!!」
サラリーマンが顔を押さえてのたうち回る。
7Gに最適化されすぎた彼の脳は、紙媒体という「非効率な情報塊」を至近距離で叩きつけられ、処理落ち(フリーズ)を起こしたのだ。
だが、それだけではない。
彼の皮膚に、紙の繊維が付着している。
インクの染みが、頬に黒い模様を作っている。
2045年の人間にとって、その「物理的な汚れ」こそが最大の毒だった。
彼らの身体は、もう「触れる情報」を処理する機能を失っていたのだ。
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SCENE 03 ― 逃走 / AM 09:21
「ハァ、ハァ……ざまあみろ……レトロな情報を舐めるな……」
ケンザキは雑誌を抱きしめる。
これが彼の生命線だ。
ラジオのノイズと、漫画雑誌のインクの匂い。
この低解像度な情報だけが、彼を人間として繋ぎ止めている。
だが、今の騒ぎで、周囲の「音」が変わった。
ピーヒョロロ……
ガガガガ……ピーーーーーッ!
……ギギギギギ……
車両のあちこちから、死のアナログ音が高まる。
「帯域喰い(バン・イーター)」たちが、目覚めた。
彼らは、情報の匂いに敏感だ。
ケンザキという、まだ微かに正気を保っている「新鮮なサーバー」の存在に気づいたのだ。
「逃げないと……」
ケンザキは車両の連結部を蹴り破り、線路へと飛び出す。
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SCENE 04 ― トンネルの先 / AM 09:25
線路を走る主観ショット。
カメラが激しく揺れる。
――ナイトビジョンの映像が乱れる。
緑色の粒子の中に、断続的に「叫び声の波形」が混入する。
それは、この地下鉄で命を落とした者たちの残留データなのか。
それとも、ケンザキ自身の脳が生み出した幻覚なのか。
後ろから、複数の足音と、重なり合う死のアナログ音が迫ってくる。
「出口は……次の駅は……!」
ケンザキの脳が悲鳴を上げている。
視界が赤く点滅する。
【警告:情報飢餓深度 レベル5】
【幻覚症状が発生します】
視界が歪む。
トンネルの壁が、ドロドロに溶けた電子回路のように見える。
足元の枕木が、人間の腕に見える。
「クソッ、バグり始めた……!」
ケンザキは足をもたつかせ、転倒する。
ラジオが手から離れ、線路の砂利に落ちる。
「あっ」
手を伸ばす。
だが、その手に、冷たい何かが触れる。
線路の闇の中から、ぬっと現れた「足」だ。
カメラがゆっくりと、ティルト・アップする。
そこに立っていたのは、帯域喰いではなかった。
奇妙な男だ。
全身にアルミホイルを巻き付け、頭には中華鍋をヘルメットのように被っている。
男の背中には、巨大なリュックサック。
そこから無数のケーブルが伸び、彼自身のニューロ・ポートに強引に接続されている。
男は、ゴーグル越しにケンザキを見下ろし、ニヤリと笑った。
彼の口からは、死のアナログ音は聞こえない。
代わりに、ひどく落ち着いた声が響いた。
「よう、新規さん。随分と『回線』が細いみてえだな」
男が背負ったリュックの中で、何かがブーンと低い唸り声を上げている。
それは、博物館でしか見たことがない、巨大なタワー型PCの排気音だった。
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[ブツッ]
[砂嵐……]
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▶ 第2話「地下鉄の帯域喰い」完
次回予告:
「俺のサーバー(リュック)の中身? 見たらお前の脳味噌、フリーズするぜ?」
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