第1話:接続維持(コネクト・オア・ダイ)
[ザーーーッ……ブツッ……ザザザ……]
画面が乱れる。
VHSテープの劣化したヘッドが、磁気テープを削り取るような、あの嫌な音。
縦に走るノイズ。水平同期のズレ。
1997年製のビデオデッキが、最後の力を振り絞って吐き出す映像のように、世界が歪む。
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SCENE 01 ― 渋谷スクランブル交差点 / 2045年7月19日 AM 08:47
ズームイン。
朝の渋谷。8万3000人の肉体が、スクランブル交差点を埋め尽くしている。
誰もが歩きながら、虚空を見つめている。
網膜投影型の7Gディスプレイ。
「テラ・リンク」と呼ばれる第七世代通信規格が、人間の視神経に直接、毎秒890テラビットの情報を流し込んでいる。
神経同期率:99.7%
彼らの瞳孔は開ききっている。
脳は常時接続。
心拍数はクラウドで管理され、呼吸のリズムすらAIが最適化している。
ある男のうなじを、カメラが舐めるように追う。
汗ばんだ肌。毛穴から滲む皮脂。
首筋に埋め込まれた「ニューロ・ポート」の周囲が、かすかに赤く腫れている。
ズームアップ。
その腫れの中で、何かが蠢いている。
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SCENE 02 ― 接続断絶 / AM 08:47:31
それは、音もなく始まった。
最初に気づいたのは、交差点の北東角に立っていた17歳の女子高生だった。
彼女の名前は、もう誰も覚えていない。
彼女の網膜ディスプレイが、突然フリーズした。
視界に表示されていた「おすすめ朝食カロリー」「本日の運勢」「彼氏のリアルタイム位置情報」が、一斉に消失する。
神経同期率:00.0%
「……え?」
彼女の声は、誰にも届かない。
8万3000人の誰もが、同じ瞬間に、同じ虚無を見つめていたからだ。
7Gネットワーク「テラ・リンク」。
全世界の情報インフラを統合した、人類史上最大の神経系。
それが、バグった。
沈黙。
1秒。
2秒。
3秒――
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SCENE 03 ― 発症 / AM 08:47:34
ピーーーーーーッ
最初の音は、誰の喉から漏れたのか、もう判別できない。
ヒョロロロロ……ガガガ……ピーーーーッ
あの音だ。
20世紀末、まだインターネットが電話回線を這いずっていた時代。
56kbpsモデムが、必死に世界と繋がろうとしていた、あの音。
人間の喉から、それが漏れ出していた。
ズームイン。
女子高生の口が、半開きになっている。
舌が痙攣している。
歯の隙間から、唾液が糸を引いて垂れている。
「ピ……ピーーヒョロロ……ガガ……」
彼女の喉が、勝手に鳴っている。
声帯が、脳からの命令を無視して、あの接続音を再現しようとしている。
脳が、接続を求めている。
情報の真空に耐えられない神経細胞が、20世紀の遺物である「ダイヤルアップ接続」のプロトコルを、肉体に刻まれた原始的な記憶から掘り起こしているのだ。
ティルト・アップ。
空を見上げる。
8万3000人の顔が、一斉に天を仰いでいる。
8万3000の喉から、あの不吉な音が、鳴り響いている。
ピーーーーヒョロロロロ……ガガガガガ……ピー……
渋谷の朝が、ISDNの葬送曲に包まれる。
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SCENE 04 ― 情報飢餓 / AM 08:51
3分24秒。
人間の脳が、完全な情報遮断に耐えられる限界時間。
2045年の厚生労働省が発表した、公式データだ。
それを超えると、脳は「情報飢餓状態」に陥る。
手ブレの激しい主観ショット。
誰かの視点だ。
視界がぐらぐら揺れている。
息が荒い。
網膜ディスプレイは死んでいる。生身の目で見る渋谷は、あまりにも情報密度が低い。
「足りない」
脳が叫んでいる。
「情報が足りない」
視界の端で、人が倒れている。
痙攣している。
口から泡を吹いている。
喉から、あの音が漏れている。
ピーーヒョロロ……
でも、そんなことはどうでもいい。
今、この瞬間、自分の脳に流し込む情報が必要だ。
何でもいい。
天気予報でも、株価でも、誰かのSNS投稿でも、広告でもいい。
情報をくれ。
主観カメラが、地面を見る。
アスファルトの上に、スマートフォンが落ちている。
2010年代の遺物。今では骨董品だ。
誰かのコレクションが、ポケットからこぼれ落ちたのだろう。
ズームイン。
画面は割れている。
でも、かすかに光っている。
ローカルに保存された何かが、まだ生きている。
手が伸びる。
でも、別の手が、先にそれを掴んだ。
カット。
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SCENE 05 ― 頭蓋の井戸 / AM 08:54
極端なローアングル。
スクランブル交差点の中央で、スーツ姿の男が、別の男の頭を抱えている。
抱えている、というより、固定している。
アスファルトに押さえつけている。
「待て、待ってくれ、俺は、俺は」
押さえつけられた男が、泣いている。
でも、スーツの男の目は、もう人間の目じゃない。
瞳孔が限界まで開いている。
口からは、断続的にあの音が漏れている。
「……ピ……ピーーヒョロロ……」
スーツの男の右手が、押さえつけた男のこめかみに当てられている。
何かを探っている。
神経同期率:回復不能
「お前の脳に……」スーツの男が呟く。「まだ、残ってるだろ……」
「な、何を……」
「情報だよ。キャッシュ。バッファ。まだ温かいうちに……」
衝撃音。
画面が白く飛ぶ。
ズームアウト。
スクランブル交差点の至るところで、同じことが起きている。
情報飢餓に陥った人間たちが、他人の頭蓋骨を叩き割り、「まだ温かい脳」から残留情報を吸い出そうとしている。
科学的には無意味だ。
脳は情報記憶媒体ではない。
そんなことで情報は得られない。
でも、脳はもう、そんなことを判断できない。
本能が、叫んでいる。
繋がれ。
繋がれ。
繋がれ。
何でもいいから、繋がれ。
ピーーーーーーーーーーーーーヒョロロロロロ……
8万3000の喉が、死のダイヤルアップ音を奏でている。
接続先は、どこにもない。
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SCENE 06 ― テラ・ボルト / AM 08:57
監視カメラの映像(フッテージ風)
渋谷駅のコンコース。
天井のスピーカーから、自動アナウンスが流れている。
『ただいま、テラ・リンク・ネットワークに障害が発生しております。ご利用のお客様には大変ご迷惑を――』
アナウンスが途切れる。
代わりに、あの音が流れ始める。
ピーーーヒョロロ……ガガガ……
駅のスピーカー全てが、ISDNの接続音を再生している。
ネットワーク機器が、最後の悪あがきとして、30年前のプロトコルに回帰しているのだ。
ズームイン。
改札の前で、制服姿の警備員が立っている。
彼の目は虚ろだ。
口が半開きになっている。
喉から、微かに音が漏れている。
「テラ……テラ・ボルト……充電……」
意味不明な言葉だ。
でも、彼の脳は、それが真実だと信じている。
「電圧が……神経同期率が……回復すれば……」
彼の手が、ゆっくりと、近くにいた乗客の首筋に伸びる。
ニューロ・ポートを、探している。
「お前の……テラ・ボルトを……分けてくれ……」
カット。
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SCENE 07 ― 接続か、死か / AM 09:00
ノイズ。
画面が乱れる。
VHSの劣化映像のように、世界がちらつく。
渋谷スクランブル交差点は、もう交差点ではない。
血と、泥と、砕けた網膜レンズと、千切れたニューロ・ケーブルが散乱する、情報飢餓の修羅場だ。
ズームアウト。
空撮。
渋谷だけじゃない。
新宿。池袋。品川。東京駅。
全ての都市で、同じことが起きている。
ピーーーーーーーーーーーーーヒョロロロロロ……
何百万人もの喉から、あの音が漏れ出している。
それは、死にゆくモデムの断末魔だ。
接続先を失った機械が、最期の瞬間まで、世界と繋がろうとしている。
接続か、死か(コネクト・オア・ダイ)。
2045年7月19日。
人類は、情報の海に溺れて生きてきた。
そして今、その海が干上がった。
神経同期率:エラー
テラ・リンク・ステータス:応答なし
ネットワーク診断中……
ピーーーーーーヒョロロロロ……ガガガガガ……
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[ブツッ]
[ザーーーーーーーッ……]
画面が、砂嵐に呑まれる。
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▶ 第1話「接続維持」完
次回予告:
「俺の脳を……開けてくれ……中に、まだ……Wi-Fiの電波が……」
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