51 純波ノ章 七
「桐高様を拉致監禁とは!沙苑様のお父様も何を考えていらっしゃるのかしら!?」
うねは後宮にいるとき、沙苑の前では遠慮のない愚痴を吐く。
「拉致監禁とは?」
「・・・もう、先日お教えいたしましたでしょ?どこか人のいないところへ連れて行って、外へ出られないように閉じ込めておくことです」
「ああ、そうです。それで、妾も思ったのですが・・・」
「はい?」
「妾も幼き頃にここへ連れてこられて、今まで外というところへ出たことがありません。これは拉致監禁とやらなのですか?」
「・・・・・いえ」
「違うのですか?」
「はい、たぶん」
「何が違うのでしょう?今の桐高はわたしと違うのはどこですか?」
「今の桐高様は無理やり連れていかれました。沙苑様はめでたくここへいらっしゃいました」
「・・・・どういうことなのでしょうか?」
「沙苑様はいつも私を困らせますね・・・・」
そう言ってうねはため息をつく。
墨羽は都に着くと、内裏には戻らずそのまま中納言満良の屋敷へ向かった。
「後は実継に任せます」
便利な言葉だ、と墨羽は思った。
露骨にいやな顔をした実継だったが、「お任せを」と言ってくれた。
だが、そこで出迎えてくれたのは父と母、そして歩き始めた斑王丸と女房達だった。
「墨羽!!」
「母様、ただいま帰りました」
「・・・お帰りなさい!よくぞ無事で・・・」
紀子は墨羽の顔を見るなり涙を流しながら小さな体を抱き寄せた。
「墨羽、本当に、本当によくぞ戻った・・・」
満良の目もうるんでいる。
「父様、お役目を果たしてまいりました。・・・・して・・・・清葉は・・・?」
「それが・・・・」
紀子がすべてを教えてくれた。
歌会で見初められて中宮として宮入りしたこと。
その後、すぐに東宮が即位したこと。
後宮に入ってしまったので、中納言でも会うことが困難な殿上人になってしまったこと。
「・・・・そんな・・・・・。清葉・・・・・」
頭が真っ白になった。目頭が熱くなって視界が潤んでくる。
やっと、やっと会えると思った。
会いたくて、それだけを思って帰ってきたのに。
膝から力が抜け、その場に崩れ落ちる。
「墨羽!」
紀子が受け止める。
「母様・・・清葉には・・・もう・・・」
「・・・」
紀子は言葉が出ずに、墨羽の体を支える手に力が入る。
「清葉に・・・清葉に会いとうございます・・・・。帝に輿入れしてしまったなんて・・・もう、わたしの清葉はいないのですか?もう、清葉は・・・・」
声が震えて、言葉になっているかもわからなかった。
満良も紀子も、かけてやれる言葉が見つからなくて、目頭を押さえた。ただ、斑王丸だけが無邪気な顔を墨羽に向けた。
墨羽は斑王丸を胸に抱きしめると、声を上げて泣き始めた。
人前で泣くなんて、今までずっとなかったことなのに。どうしても止められなかった。
「父様、母様、墨羽は内裏に戻ります」
次の日、墨羽は満良と紀子に告げた。
「大丈夫ですか?あまり思いつめぬように・・・。それに、戦に戻るということでしょ?わたしはお前が心配で・・・」
「ありがとうございます、母様。ですが、わたしはやっぱり少しでも清葉の近くにいたい。会えないとしても、近くにいたいです」
「墨羽・・・」
「戦に出て武勲を挙げて、清葉に会えるところまで登りつめます。わたしは、それしかできません」
そう言う墨羽の目は赤く腫れていた。
「わかりました、墨羽。でも、約束してください。戦のあとは必ず生きて帰ってきて、顔を見せに来ること。わかりましたね」
紀子は墨羽の肩を抱く。この肩はまだこんなに細くて小さい。
こんなに小さな子が、また殺し合いに行くなんて・・・。
「母様、約束いたします。わたしは、どこへ行こうとも必ず生きて帰ります」
墨羽も紀子の肩に腕を回す。
どこか懐かしい匂いがする。懐かしい温かさがある。
「母様・・・・」
実際はどれくらいかわからないが、だいぶ長い間抱き合っていたような気がする。
墨羽は顔を上げ、紀子の元を離れると馬に乗って内裏へ戻って行った。
墨羽は内裏に戻ると、何か前と様子が違う感じがした。
物々しい?なんと言えばいいか、緊張感があるような。
「実継、すみませんでした。戻りました」
「墨羽殿・・・・」
浮かない顔の実継が出迎える。
「・・・何があったのです?」
「・・・上皇様が緋家に幽閉されたのはご存じですか?」
「はい。父様から聞きました。そして東宮様が即位されたとか」
「はい。それで、完全に内裏は緋家の紀基翁に占領された状態にあるのです」
「・・・・・」
紀基翁・・・あの武芸披露会の時の強面の坊主頭か。
そうか、孫に即位させ、その父親を朝廷から追い出した。今の朝廷は緋家の思うままになっている。
いや、緋家でなく、あの強面坊主頭だ。
「ということは・・・」
「はい。今の我らは緋家軍と同じ。紀基翁の思うままです」
「そうですか・・・」
「おそらく、このあとすぐにでも木曽か甲斐の討伐に出立することになると思います。心つもりしておいてください」
「わかりました。実継、いつもありがとうございます」
墨羽は頭を下げる。
「え?いや、わたしなどに頭を下げないでくだされ!わたしは墨羽殿に仕える身。当たり前のことを当たり前にしているだけでございます!」
「いえ、今のわたしには実継のような方がいてくれることが一番の助けとなります。これからもそばにいてわたしを支えてくださいね」
墨羽は笑顔で実継を見上げる。いつもなら顔を赤くして目をそらすところだが・・・。実継は墨羽の目の腫れが気になってしまった。
「・・・・・なにか、あったのですか?」
「はい。でも、大丈夫です。わたしは殊勲を挙げなければなりません。そのためには実継が必要です。頼みますよ」
「・・・・もちろん、この身に代えても!」
実継は頭を下げた。
朝子はひとり悩んでいた。
伊豆の遠征から帰還したものの几帳に、橘墨羽の名前があったそうだ。
それをそのまま清葉様へお伝えするべきか・・・。
もし、もし、名前がなかったと言えば、あの方は諦めてくれるでしょうか?
もっとわたしを見てくれるでしょうか?
清葉様のためと思えば、嘘もつけましょう。
もう会えない方に会いたい未練をいつまでも持ち続けることは、清葉様の幸せにはつながりません。
そうです。これは清葉様のため・・・・。
「失礼いたします。中宮様」
「朝子さん、伊豆へ向かった軍が帰ってきたそうですが・・・」
いつになくそわそわしている。
「・・・もうご存じでしたか。」
「墨羽は・・・無事かどうか、調べてきてはもらえないでしょうか?」
朝子を見上げて目をウルウルとさせる。この目だ。この目をされるともう何もかも許してしまう。
だが、ここは心を鬼にしなければ。すべては清葉様のため。
「もう、聞いて参りました」
「そうなのですか!?ありがとう!さすが朝子さんです!」
無邪気に飛びついてくる。その小さな体を朝子が抱きとめる。
「して、墨羽は、墨羽は無事だったのでしょうか?」
・・・・・・。
・・・・・。
・・・・。
「はい。帳簿に楠墨羽という名前があったそうです」
ふわぁっと清葉の顔が明るくなる。
「よかったー!!」
朝子にぎゅうぎゅうと抱き着いてくる。ちょっとだけ春の若草のような香りがする。
「よかったですね。清葉様」
「ありがとう、朝子さん!うれしい!うれしいっ!!」
飛び切りの笑顔を見せる清葉。
「よかった・・・墨羽、よかった・・・・」
そして安堵の涙を流し始めた。
「よかったですね、清葉様・・・」
朝子はその涙を着物の袖で拭くと、清葉を思いきり抱き締めた。
悔しいけど、墨羽という方には勝てそうにない。
・・・わたしのためにも、この笑顔をするのかしら?
でもね、この方の笑顔はわたしだけのもの。だって、この愛らしい笑顔がこんなに近くで見られるのは、この世で私だけなんだから。
深夜に寝床を抜け出した墨羽は、御体蔵に入り込み護堕天のところへやってきた。
『このような夜半にどうした?』
「護堕天、あの時富士川と話してたことを詳しく教えてほしい」
そう言いながら護堕天の繰り座に滑り込む。
『その前に、我の名は護堕天ではない』
「え、そうなの?」
『それは人がこの器を呼ぶときの名だ。わたしの名はない』
「名前がないと話しにくいね」
『なら、勝手につけてくれ』
「じゃあ、”すみは”」
『それはどういう名だ?』
「わたしと、わたしの大切な人と同じ名前」
『同じ名前ばかりではかえって呼びづらかろう?』
「あなたは同じ呼び名で、字は”純波”と書くの」
『まあ、好きにすればよいが』
「で、教えてほしい。あの時言っていた、兎とかなんとか・・・あなたの知っていること」
『簡単だ。わたしは兎神の一部ということ』
「兎神?」
『不死の神だ。今はこの石に取り込まれて砕けたことで、実体を失った。いつか目覚めるときには、わたしもその一部となる』
「その時は純波は消えちゃうの?」
『消えるのではない。元に戻るだけだ』
「ふーん・・・」
『・・・・・・』
「わたしのことは何か知ってるの?あの鱗って人も、わたしのことおかしなやつって言ってた」
『わからん。ただ、人並外れた霊力を持っている。それだけはわかる。我らは序列を霊力の強さで決める。だから、わたしはお主を主と認めた』
「そうなんだ・・・」
すこし、がっかりした様子の墨羽。
「わたしはね、清葉に会うまでの記憶がないの。気が付いたら道に倒れてて。清葉に助けられて。それでね、わたしと清葉があんまりにも似ていたから、母様が一緒に暮らそうって言ってくれたの。それで、名前は清葉と同じ”すみは”がいいって言ったら、母様すごく悩んでて・・・。呼び方は同じでも、字は別にさせて頂戴って言って。で、わたしは墨羽。”すみ”と”はね”。烏みたいなの」
『・・・・・・』
「でもね、すごく気に入ってる。清葉がいい名前って言ってくれたからね。わたしの髪の色、真っ黒だから、お似合いだって」
『・・・・・・』
「うーん、わからない・・・。どうしてあそこに倒れていたのか。でもね、そのおかげで清葉に見つけてもらって本当に良かったと思ってる。あの暮らしはとても楽しかったよ。父様はすごく強い人で、武技を教えてくれた。とても筋がいいって褒められたの。母様もとても優しい人で、毎日髪を梳いてくれた。だけど父様と母様はやることがあるから遠くへ行くことになったらしくて。で、わたしと清葉は新しい父様と母様に預けられたの。でも、新しい父様と母様もとても優しい方だわ。わたしたちのために本気で泣いてくれる。わたしはどっちの父様も母様も大好きよ。そして清葉がいつも一緒にいてくれたから。わたしたち、お互いのことなんでも知っていたの。わたし、清葉のこと大好き。会いたいの。今清葉がいるのはこの近くだけど、会うにはとっても遠いところだから・・・今は会えない・・・・」
『・・・・・・・・』
「御免ね、もう戻らないと。もうすぐ、また遠征だって。今度は木曽とかいう山の中へ行くみたい。またお話しさせてね」
『・・・・・・・・』
「またあとでね、純波」
そう言って御体蔵を出て行った。
「・・・・・・」
清葉は黙ったまま、高条の頬をつねる。
「い、いひ、いたいたいい・・・・」
「今度そんなことをやったら、頬をつねるくらいではすみませんよ、わが君・・・」
優しい口調ではあるが、その目は強烈に力を込める。
「は、はいっ・・・」
高条は思わず背筋を伸ばす。
もとはと言えば、清葉が皆の前で高条のお尻をぶったことにある。あまりに生意気ばかり言うので、皆の前でお尻を叩き、言うことを聞かない場合は女房達からの折檻を許す、と公言したのだ。
それでも五歳の子供だから、言うことはなかなか聞いてくれないだろうし、帝のお尻をぶつなど出来ることでもない。今日は紫宸殿の長い廊下で、女房達に毬をぶつけまくったと聞いている。
誰にも咎められないから、相手にしてほしくてやっているのだと清葉は思っている。だから、思い切り叱ってやる。
夜になると、床を用意され女房達はいなくなる。清葉と高条二人だけになる。
高条は遊び疲れるとすぐ寝てしまうから、その後は一日で唯一、清葉がひとりになれる時間だ。
清葉は毎日、この時間を楽しみにしている。灯台のわずかな明かりで書を読んだり、歌を詠んだりする。
冬が終わろうとしている季節だが、まだまだ寒い。この夜はあまりに外が明るいので、少し外の廊下へ出て見上げると、大きな丸い月がきれいに見えていた。
すみはきみ
いのちもゆるは
こうようの
まつのよながく
こいとしらずや
そうね。
あの場面なら、東宮様への想いを歌ったと取られても仕方ないのかも。
橘の家は今や朝廷内でも飛ぶ鳥を落とす勢いの力を持っている。
帝の外戚となった中納言橘満良には毎日のように貢ぎ物が届いていると聞く。すでに斑王丸の縁談すら来ているという。
ひとつの歌を詠んだだけで、こうも何もかもが変わってしまうなんて・・・。
墨羽もこの都のどこかにいる。もしかしたら、思いのほか近くにいるかもしれない。
同じようにこの月を見ているのかもしれない。
そう思うと、少し救われる気がした。
御体蔵から戻る道、足元を照らしてくれる月明かり。
清葉もこの明るい月を見ているだろうか。
縁台で手を繋いで月を見ていたあの頃のように、一緒の月を見ていたら・・・。




