37 風結ノ章 三十七
それは千年以上前のこと。
淤岐の島は和邇賊と呼ばれる海賊に毎夜のように荒らされていた。和邇賊は海を船で渡り、淤岐と本土を行き来する船を襲う。地の恵みの届かなくなった淤岐の兎神たちは困り、ついに武器を持って和邇賊を叩く決意をする。だが本来武力を持たない兎神が次々と倒されていく中、永遠の命を持つ女神・梦卯比売命は和邇賊の船を飛び回り、敵を翻弄した。だが全ての味方の兎神が倒されると、梦卯比売命も善戦虚しく捕らえられ、その美しい姿を見ようと着けていた衣装をすべて剥ぎ取られてしまった。そして荒ぶる神の和邇賊たちに嬲られ、逆らうと全身の皮を剥がされた。だが永遠の命を持つ梦卯比売命は死ぬことができず、布施野の砂浜に生きたまま捨てられた。そこを通りかかった八百万の神たちが、美しかった梦卯比売命がこのような醜い姿になってしまったことを憂い、いっそ不死の命を奪って死なせてやろうと海に沈めたのだった。
あの時、白い霧に包まれて夢を見た。
眠るなど、この体になってからずっとなかったことだ。
それとともに、少しずつ言葉を取り返し始めた。言葉が話せるようになってくると、記憶も戻ってきた。
ゆっくりとだが、思い出したのだ。あの頃、この屋敷は俺たちの隠れ家だった。
「こいつが叢方。この前話した東雲山の生き残りだ」
叢方を連れてきたのは叩造だった。
おれと伏良、叩造、石榴の四人は、度重なる盗みや襲撃で都を追われ徐々にここ、因幡まで逃げてきた。盗みと言っても、義賊の真似事をしていただけだ。
緋家に加担する貴族や豪族たちの財産を奪い、貧しい家に配って回った。もちろん、自分たちの取り分もある。たいした嫌がらせにもならないが、それでもおれたちは緋家に対して恨みの少しも気が晴れる思いだった。
だがやはり、こんなことを繰り返していても一向に緋家の世は終わらない。おれはどうしても紀基に一泡吹かせたくて六原へ忍び込んだ。紀基の寝首を掻こうとしたのだ。
だが、もともとチンピラでしかないおれたちはすぐに見つかり、追われる身となった。
都を出てあちこちを転々としながら因幡へたどり着いた。
そしてもともと地方貴族の屋敷だったここが空き家になっていたので棲み家にして、六原をひっくり返せるだけの仲間と力を蓄えようとしていた。
おれたちの仲間はあっという間に膨らんでいった。四人で来た因幡で、半年足らずで三十人ほどに膨れ上がった。緋家に対する評判の悪さは因幡でも轟いていたからだ。
叩造が連れてきた叢方という男は、恰幅がよく深い彫りの顔の男だった。背も高く、僧服を着ていたが腰に刀を差していた。頭はきれいに剃り上げている。
「ちゃんと使えるんだろうな?こいつ」
おれが聞くと、叩造はどんと自分の胸を叩いた。
「間違いない。こいつはとても強い。力比べで、おれでも敵わなかったんだ」
「・・・・」
叢方という奴は何も答えず、表情も変えずにおれを見た。
その眼光は何か氷のような冷たさがあった。
そこには何もなかった。一切の感情、怒りも悲しみも、喜びもない、ただまっすぐこちらを見ているだけの鋭いつららのような氷の目。
とても不気味に感じたが、どんな奴でも緋家を叩くためには必要だった。
「ふん、おれは阿義。お前が何であろうかまわない。だが、これだけ覚えておけ。おれの言うことは絶対だ。死ねと言ったら死ね。生きろと言ったら生きろ。それだけだ」
「・・・・」
叢方は少し頭を下げてどこかへ行ってしまった。
「阿義、あいつは東雲山の焼き討ちで喉を焼いたらしい。話せぬそうだ」
叩造はボサボサの頭を掻いて、おれに申し訳なさそうに言う。
とはいえ叩造は身の丈六尺ほどの大男。頭を屈めてもおれよりも高い。
「まあ、いいじゃねえか、阿義。所詮おれたちはどうにもならねぇクズの集まりなんだからよ」
伏良が口をはさむ。
伏良は最もおれが信頼する仲間だ。頭も切れ、剣の腕もたつ。そしておれの身の上を聞いて、情だけでここまで一緒に来てくれた。おれの最初の仲間だ。
「なんでもいいよ、叩造が認めたのなら。できるんだろ?あいつ。足の運びはただもんじゃないよ」
そう言ったのは石榴。おれたち四人の中では紅一点。
小柄だが、身軽ですばしっこく、誰よりも速く走る。黒髪を後ろで束ね、黒装束をいつも来ている。木の枝にも跳び移る。出自は知らないが、忍びの出ではないかとおれは睨んではいる。
「うむ、おれはここでもっと兵を集め、挙兵する。緋紀基の首を刎ねるまで。すべてを滅して、おれたちの世を創る」
・・・すべてを滅して、おれたちの世を創る。それがおれの、あの頃の口癖だった。
そして因幡に来てからというもの、夜はいつも夜和と床を共にしていた。
色の白い艶めかしい女だ。その整った顔立ちは、神々しいほどに美しかった。
そしてその美しさをさらに際立たせていたのが、ふくよかな乳房と腰の括れ、柔らかな尻への曲線美。毎夜眺めていても飽きなかった。
「お前のような女が、なぜこんな人里離れた屋敷に住んでいるのだ?」
何度か夜和に尋ねた。だが、夜和はいつもあいまいな返事しかしなかった。
どこで夜和と出会ったのか、どのように出会ったのか思い出せない。それは、その当時からだった。気が付いたら一緒にいた。毎夜、床に通っていた。
「頭領のようなお方に出会うため・・・。わたしの、想いを叶えてくれるお方と添い遂げるため・・・と言えば聞こえはよろしいかと」
「ふむ、おれと出会うためにおると申すか?」
「はい、頭領。あなたならばこの世で最も強くなれる方だと思いますゆえ」
「ほほう、よく申した。おれはこの世でもっとも強くなる。そして、母の仇を討ち、妹の宿願を果たす」
あの時の屈辱が脳裏をよぎる。
紀基に指を触れることも敵わず、あっという間に組み伏せられて妹を連れていかれた。病の母を医者に診せると言う約束も反故にされた。手も足も出なかった。
あの時の悔しさを忘れない。その復讐のためだけに生きている。
「おれは、すべてを滅して、おれたちの世を創る。・・・今は烏合の衆だがな」
「滅創衆?」
翌朝、おれは皆を集めた。
「ああ、おれたちは今日から滅創衆と名乗る!」
「・・・滅創衆とは?」
「すべてを滅して、おれたちの世を創る烏合の衆!それが滅創衆だ!」
はじめは皆、突然のことで何を言い出したかとぽかん、と口を開けていた。
だが、だれかが「滅創衆、いい響きだ」と言ってから、「滅創衆!」の掛け合いになった。
「阿義、毎夜どこかへ行っていると思えば、そんなことを・・・。だが、いいじゃないか、滅創衆!」
伏良がおれのところへ来て言った。
「ああ、夜和がおれはこの世で最も強くなれると言った。後世に名を遺すなら、名は大切だ」
伏良は少し不思議そうな顔をしたが、にやりと笑って、おれの肩を叩いた。
それからおれたちは緋家に組する奴らの荷を積んだ荷車を何度も襲い、「滅創衆参る」の文字を残した。
おれたちの中で石榴だけが字を書けた。
おれにはそれが何と書いてあるかはわからなかったが。
「阿義、もうすぐ緋家の二郎孝基が西国討伐のために因幡を通るらしいよ」
石榴がどこからか知らせを持ってきた。
「・・・孝基か」
孝基と言えば紀基の子だ。長兄の浄基と違って、良い噂はあまり聞かない。
「わざわざ六原へ行かなくたって、向こうから来てくれるってよ!」
石榴はやや興奮気味だ。
「いいじゃないか、滅創衆の旗揚げに孝基の首を掲げればいい」
「そうだな。そうなれば、西国が我らの味方をするかもしれぬ」
叩造が賛成すると、伏良が同調する。
「確かにそうだな。緋家の直系の首を取れば、各地の緋家へのくすぶりが火となるやも・・・」
おれも気が乗っていた。今のおれたちに敵などいないと思っていたからだ。
だが、討伐のために武装した集団が、商人の荷車のように簡単に襲えるものではないことなど、考えればわかることだったのに。
軽々しく倒してやるなどと言っていた相手はあまりにも強大だった。
集まってきた仲間たちは次々と殺された。
叩造は戦御体につぶされた。
断末魔を上げる暇すらなかった。
飛び散った血と肉。もう人の形ですらなかった。
「阿義、逃げろ!あんなものがあるのなら、おれたちに勝ち目はない!」
伏良がおれのところに来て叫んだ。
「・・・・なぜ、こうなった!?」
「しっかりしろ、阿義!お前だけでも逃げろ!残った連中と、滅創衆を立て直せ!」
そう言う伏良の右腕は肩から無くなっていた。ひどい血が流れだしている。
顔はすでに血の気が引いていて、死人の色をしていた。
「伏良・・・・」
「おれはもう駄目だ・・・。すまない。これ以上一緒に行けない・・・」
そう言いながら伏良はおれに縋るように倒れ、動かなくなった。
・・・ああ、伏良・・・・。
伏良の亡骸を直視できずに遠くを見る。
そこに石榴が倒れているのが見えた。
体中に受けた矢から赤い血を吹き出したまま、動かない。見開いた目が、恨めしそうにこちらを見ていた。
呼吸が荒くなった。視界が狭くなり、ふらふらとする。
さっきまで一緒にいた仲間たちが次々と死んでいく。
目の前にある現実を心が拒否する。
もう駄目だ。
逃げるんだ。
おれは判断を間違った。いい気になっていたんだ。
おれたちなどが太刀打ちできる相手ではなかったんだ。
どこをどう走ったかわからない。あたりは暗くなっていたが、気が付くといつもの隠れ家に戻ってきていた。
後ろを見る。誰もいない。遠くの方から追手の声が聞こえてくる。
おれだけが生き残ってしまったのか。
「夜和!夜和!」
屋敷に上がり、夜和を探した。
「あら、阿義殿?」
夜和はいつも通り、奥の間に坐しておれを待っていた。
「夜和、一緒に逃るのだ。もうすぐ、ここに緋家の追っ手が来る!」
おれの言葉に、夜和はふっと笑みを浮かべ、徐々に大きな笑い声をあげた
「・・・何がおかしいのだ!?」
「やはり、駄目であったか。かすかに霊力を感じたのじゃが・・・」
いつもと違う口調に、何か異様なものを感じた。
「夜和・・・お前・・・」
「夜和というのは真の名ではない。我が名は梦卯比売命。淤岐の兎神である」
突然夜和が何を言い始めたのか、まったくわからなかった。
「夜和?」
「我は神のひと柱。永遠の命を持つ」
夜和の目が怪しく赤く光る。
何か、言いようもないものが雪崩のようにおれの中に流れ込んできた。
止まらない嗚咽。胃の中のものがすべて口から吐き出された。
全身から汗が吹き出し、涙が流れ、大きな石のような胸に引っかかるものが残った。
「わたしの願いは和邇賊の末裔を滅亡させること」
「夜和・・・」
「夜和、その名も和邇賊に闇を与える為に・・・受けた屈辱を忘れぬ為に、つけた名じゃ」
夜和は立ち上がり、両手を広げた。
「せっかくじゃ、お主にも力を与えよう。お主が欲しがっていた力。だが、それは死を遠ざける呪い。我が加護ある限り、消えぬ永遠の命・・・」
「待て、待ってくれ夜和!!」
おれは声の限り叫んだ。
次の瞬間。
轟音が響き、屋敷の屋根を破って重いものがおれの上に落ちてきた。
おれは地面に倒れ、何が起きたかわかるまでに少し時間が必要だった。
屋根を壊しながら落ちてきたのは、叩造をつぶしたあの拳。戦御体の腕。
それが今度は、おれの下半身を叩き潰した。
「うわぁぁぁぁぁっ!?」
さっきまで地面を踏んでいたおれの脚は肉と血となって散らばった。それを意識した瞬間から猛烈な痛みにおれは襲われた。
痛みに意識が失われない。だから、痛みはおれを襲い続ける。
「うがぁああっ!?はぁああああっ!!」
叫び藻掻きながら、痛みに耐える。
これが、夜和の言った”死を遠ざける呪い”なのか?
「ほう・・・。半身を失い、まだ生きているとは・・・・」
御体から声がした。
「孝基殿!こいつ・・・妖の類でありましょうか?」
「どうあろうとかまわぬ。・・・・もしや、これならば小御体が成せるかもしれぬ。こいつを縛り上げ、六原の御造所へ連れていけ!」
「・・・・はっ!」
耐えがたい痛みに苦しみながら、おれはそれを聞いた。
なぜ、死ねない!?殺してくれ!
死を望むほどの痛み。苦しみ。夜和の言っていた、おれが欲しがった力?
違う・・・おれが欲しかったのはこんな力ではない!
おれは下半身を失ったまま縛られ、六原へ送られた。
その後は何がどうなったかわからない。
おれは言葉と記憶を失った。そして人ですらなくなっていた。
もう人でない以上はすみに会うこともできない。それが悲しいとか悔しいとかいう感情すら失った。
おれはもう、すみの兄のあぎではないし、滅創衆の阿義でもない。
こんな風に生きていて何になる?
おれが求めた力?違う。
おれが今、求めているのは死そのものなんだ。




