34 風結ノ章 三十四
「なぜ逃げると申しておるのだ、紺織!?二人でかかれば、あやつらくらい造作もないものと申しておろうが?」
森の中、玖狼の乗る御体・禄染を引きずって歩く、紺織の御体、縹羅。
「だから、破主から言われただろうが!?あたいたちの使命は緋家の娘たちを殺すことじゃないだろう!?」
「だが、緋家は我らの敵と申す!殺しておけば、後々ことが楽に運ぶ・・・」
「じゃなくて、霞の末子を見つけて、破主のところに連れて来いってのがあたいたちの使命なんだ!勝手なことすんじゃないよ、まったく!!あいつらは霞の末子を追っているんだ。あとをつければいいって、何度も言わせるな!」
紺織は頭を掻きむしりながらイライラを隠せない。
・・・なんでこんな盆暗が、あたいより上の三の衆なんだろうね!いっそのこと、助けるんじゃなかったよ!こいつが死ねば、あたいが三の衆になれていたかもしれなかった!
あのとき、玖狼がやられて、自分が破主に責められることを想像してしまった。思わずとっさに助けに入ってしまったが・・・。次は放っておこう。そうだ、見殺しにしてしまえばいい。
「そうか、すまぬ」
「・・・いやに素直だねぇ」
・・・こいつと話していると、いつも調子が狂う。嫌いだ。なぜかと問われてもわからないが、とてもこいつは嫌いだ。
「紺織・・・助けられてしまった。恩に着る」
「・・・・・・」
本当に、こいつのこういうところはイライラする!
「・・・・ここからは自分で歩け」
縹羅は禄染の腕を離し、すたすたと先に行ってしまった。
「・・・お、おい・・・置いてかないでくれ!体が痺れて動けないと申しているではないか!おい!紺織!」
富士江成親が因幡の国に来て十五年が経った。
成親はあの時の屈辱を一度たりとも忘れていない。
富士江家は代々貴族の家柄であるが、成親の父の代の時にはすでにその力をほとんど失っていた。だが、遠縁の緋紀基が武家から地位を得るにつれ、成親も恩恵を受けて成りあがった。
そんな時、息子の万成が病で倒れた。見る見るうちに頬はこけて目が空を漂うようになった。医者もお手上げと投げだし、途方に暮れている時、ある陰陽師の噂を聞いた。臼井天海という陰陽師のことだ。宮使いの陰陽師と聞いたが、散財し、あらゆる手段をもって屋敷に招いた。
天海がお祓いをすると、すぐに万世は正気を取り戻した。
だが、この病の原因は呪いだと言った。正しくは、天海の娘が生意気にも成親に意見した。
怒りに駆られた成親は、家臣たちに天海とその娘を岩穴へ閉じ込めるように命じた。
だが、天海は娘の命は助けるようにと懇願してきた。
お主も人の親なら子の大切さはわかるだろう、と。
成親は、天海に「ならば命を懸けて娘を救って見せよ」というと、天海は成親の腰の刀を抜き取り、自分の腹に刺した。血を流し苦しむ天海を見ておれず、成親は仕方なく介錯し、天海の首を内裏に返した。
娘は岩穴に閉じ込めていたが、成親自身が因幡へ左遷されたため、あとのことはわからない。
だが、どうだ。
どれだけ弁明をしても左遷は解かれなかった。
ようやく富士江家は都で貴族として認められ始めた時だ。それまで血のにじむような努力、あるいは血を流して邪魔者を消し、ようやく貴族として認められたのだ。
その恨み、怨念、生霊が万成に憑りついて命を奪おうとしていただと?
ならば、このわしは誰を恨む?都の華々しい世界から、このようなへき地へ追いやられ、誰を恨めばいいというのだ?
天海?その娘?いや、違う。
緋家だ。紀基だ。
奴の言う通りに邪魔者を消していった。そして貴族の地位に食らいついた。なのに、用済みとなったわしを、あいつはくだらない陰陽師の命を取っただけのことでこの因幡へ追放した。
この十五年間、その報復だけを夢見てやってきた。
都で成り上がった時と同じ、邪魔者を消した。この成親に逆らうという罪を犯した者は、血で償わせた。
そして十数年、因幡の国主という地位を手に入れた。
だが、こんなものはどうでもよい。ただの踏み台に過ぎない。
やるべきは六原に矢を放つ。緋家を滅亡させる。そして富士江家が取って代わり、世のすべての政を牛耳ることに他ならない。
「成正、土蜘蛛はどうじゃ?ほとんどできておると聞いておるが・・・」
奥の間に今日も成正は呼び出された。毎日、同じことを聞く。そんなに気になるなら自分で見に行けばいいのだ。なぜいちいち、おれを呼び出すのだろう?こっちも暇ではないのに。
「父上、土蜘蛛はまだ完成しておりません。あの巨体を自在に動かすには、かなりの御霊石が必要です。佐渡からの荷を待っている状態です」
「あの・・・御体匠はちゃんと仕事をしておるのだろうな?」
「あの男、御体以外は興味がないと言った風で、寝ることも食べることもずっとしておりません」
”あの男”とは、御体匠として雇った朽平のことだ。
「大丈夫なのであろうな?失敗は何があっても許されぬぞ」
わざわざ言われなくてもわかっている。それも毎日、もう聞き飽きた。
富士江成正は万成の実名である。元服し、幼名の万成から成正へと名を変えた。
成正にとっては復讐など、年寄りの戯言。だが、この因幡で地方の国主の一族として一生を終えるなど、本来貴族である富士江家にとっては屈辱である。
やはり、都を乗っ取る。それしかない。
そしてそれを成し遂げるのは父ではない。死の淵より舞い戻った、英雄たるこの成正なのだ。
その証拠に、いつからか自分の体に力が宿るようになった。霊力、というらしい。
御霊石という緑色の石を使えば、重いものを持ち上げたりできる。
この力があれば、御体を動かせる。
それは、この世を変える力なのだから。
その足で成正は工房へ来た。逐一経過を見ておかないと、父が同じことを何度も聞いてくるからだ。そんなに早く出来上がるものでもないし、毎日同じことを聞かれても答えることなど代わるものでもない。
成正は父の正確にうんざりしていたが、御体の完成は成正の悲願でもある。
「朽平、佐渡から届いた御霊石はどうか?」
「・・・成正殿、これはいかん。すべてにおいて純度が足らん。もう一度、焼いて打ち直しだ」
ぼさぼさに伸び放題の髪を掻きむしる。
装束も薄汚れ、あちこちに穴が開いている。近くに寄るとひどい匂いがする。
「もっと、もっと御霊石が必要だ。これだけの大きな御体を動かそうと思ったら、お前さん程度の霊力では御霊石が全然足らん」
・・・こいつ、御霊石がどれだけ高価なものか、わかっているのか?
「成親殿に頼んでくれ。御霊石をどんどん取り寄せてくれ。我が土蜘蛛のためには御霊石がまだまだ足らん!」
「・・・わかった。父上に話しておく」
こいつ、朽平の目はいつも狂気をはらんでいる。緋家の御造所を追い出されたということだが、何を考えているか想像もつかないところがある。目の下の隈や、こけた頬垢まみれの顔は、この男が常気を逸していることを語るにじゅうぶんである。
父・成親もどれだけでも出資は惜しまないと言った。それは、それだけ領民から搾り取るだけのことだ。父はこの地の民のことは眼中にない。土蜘蛛が完成すれば因幡のことなど、どうでもよいのだろう。
成正は工房を後にする。
あまりに臭いので、朽平のそばには長くいられない。
成正は毎夜、夜和の床へ通っていた。
町はずれの屋敷に夜和は住んでいる。いつも屋敷の中は綺麗に整っていて、埃ひとつない。庭には山茶花が赤い花を咲かせており、ここから見る夜空が成正は好きだった。
その夜も床を共にし、夜和の白い肌を存分に味わった後、障子をあけて星空を見ていた。
「成正様、裸で外を見ていては風邪をひきますよ」
夜和は裸の体に布団を巻きつけながら外から入る風に震える。
成正は一糸まとわぬ姿で星空を見上げている。月は雲に隠れて出ていない。
「ああ、だが、寒さも心地よい」
成正がそう言うと、夜和は布団を被ったまま成正の背中に抱き着き、肩に顎を乗せる。夜和の長い黒髪がさらりと風に揺れる。
「ほら、背中がこんなに冷たい」
引っ張ってきた布団を成正の肩にも被せる。
「夜和、戦御体が完成したら、おれは都を攻める。あの御体に敵う敵などおらん。そして六原だけでなく、内裏も攻め落とす。そうなれば、おれは皇となる」
「あら、成正様が皇となった時は、あたしも内裏の女にしてくださいまし」
夜和が体を背中に押し付けてくる。胸のたわみを背中で感じ、冷えた肌に温かさを感じる。
「ならば夜和、体でおれに尽くせ」
「もちろんですとも。皇殿・・・」
夜和はニヤリと笑い、成正を床に誘うと、後ろ手で障子を閉めた。
朝、早く。まだ薄暗く、明けきらない。
成正はまだ誰もいない町をひとり歩いていた。
夜伽を重ねるごとに、夜和は激しく求めてくるようになってきた。近頃は明け方まで眠ることを許されないことも多い。
何か生気を吸い取られるような感覚を覚えながらも、夜和と夜を過ごす誘惑に勝てないでいる。
ぼんやりする意識を必死に繋ぎ止めながら、富士江の屋敷への道を歩く。朝のひんやりした空気が昨夜の熱っぽさを冷ましていくようで心地よかった。
屋敷に戻れば、今日も父上に同じことを聞かれ、同じことを答える。もう、うんざりだ。
父も歳をとったと毎日実感させられる。
そんなことをぼんやり考えているときだった。
遠くから、何か不思議な感覚が近くにきた。あたりを見渡す。いや、まだ視界に捉えられる距離ではない。白い靄、朝霧だろうか。急に視界が悪くなった。
だが、確実にこちらへ来る。
・・・この先、土塀の角から何かがこちらへ来る。
敵?いや、違う。だがわからない。
成正は腰の刀に手をかける。
目を凝らす。あたりはまだ薄暗い。
ゆっくりと、それは影のように姿を現した。小さな影。子供?
長い髪。
風に揺れる。
なんだ?
この気配、知っている気がする・・・。
次の瞬間、ふっと風が吹いて影が消えた。
ビリビリと感じていた気配も、白い霧も一瞬で消えてしまった。
「悪霊が出た?」
「お館様がそうおっしゃいまして・・・」
屋敷へ戻ると、女房のひとりが成正のところに来て言った。
「御足労ではありますが、お館様にもご挨拶差し上げてくださいませ」
「父上、いかがなされた?」
成正が父の様子を見舞うと、成親は部屋の隅で刀を手に震えていた。
「おお!成正か!?」
成正の姿を見たとたんに、縋るように近づいてくる。
「悪霊が、悪霊が出たのじゃ!」
「悪霊とは?」
「・・・あの、あの時の陰陽師の娘が!」
「陰陽師の娘?」
「・・・あの時のままの姿で・・・そんなはずはない!あれから十五年も経つというに!」
「同じような都市の娘などどこにでもおります。取り乱されるな」
「あああ、やつはあの世からわしを狙ってきたのじゃ・・・」
・・・皮肉なものだ。
自らの地位を守るためにたくさんの命を奪ってきた男が、娘ひとりにこうまで取り乱すとは。
「あれは悪霊などではない。変わらぬ姿で生きているのです。父上、もう落ち着きなされ。武士として情けないですぞ」
「ち、違うのだ!あの陰陽師は自ら・・・」
「わかりました、父上。みな、わかっております」
このまま醜態を晒すなら、いっそ斬ってしまおうかとも考えた。深く息を吐いて思いとどまると、成親の頬を思い切り張り倒した。
「しっかりなされい。老いてくたばるにはまだ早く、やり残したことがありましょう?」
「ああ、怖い・・・。早く御体を・・・」
「しっかりせい!」
成正はもう一度成親の頬を張り倒す。
成親の顔から怯えが消えた。
「そうじゃ!わしにはまだやるべきことがあるのじゃ!憎っくき紀基の首を五条の川原に晒すまで、くたばるわけにはいかぬ!都にわが富士江家を再興するのじゃ!」
成正はもう一度深く息を吐くと、さらにもう一度父の頬を張り倒した。
「では、やることはひとつ。陰陽師の娘を返り討ちにいたしましょう」




