142 花舞ノ章 四十五
「ふわぁぁぁぁぁ・・・・・・」
太吉が大あくびをして、瞼の重さに勝てなくなりそうになってきた時だった。
急に狐白丸が立ち上がり、湖の方を見つめて唸りだした。
「ふーーーーーっ!!」
「ど、どうした、狐?」
狐白丸は沖の方を睨みながら、姿勢を低くして牙をむく。
「何かいるのか!?」
太吉も沖の方を見るが、傾きかけた陽の光がキラキラと反射して水の中は見ることが出来ない。
「ん--------っ!」
目を凝らして、沖の水の中をようく見る。
何かが、揺れる水面の下に見えてくる。
・・・・あれは?
人の顔!?
「お、溺れているのか?助けなくちゃ!?」
水に飛び込もうとする太吉を、狐白丸が着物の裾を咥えて止める。
「ふーーーっ!!ふーーーーっ!!」
「な、なんだよ、人が溺れているんだぞ!お父かお母かも!!」
狐白丸は太吉を強引に引き倒すと、その上に乗って太吉を睨みつけた。
「・・・・わかってるよ。ごめん。お父やお母がこんなところにいるわけない。だけど、人が・・・」
太吉は目に涙を浮かべる。
狐白丸は太吉の前に出ると、再び湖の方を睨んで唸りをあげた。
「ぐるるるるるるるるっ!!」
・・・・・・・・・・・。
一瞬の静寂。
ずざぁぁぁぁぁ・・・・・・。
その時、急に水面が大きな山のように盛り上がった。何かが下から押し上げている。
押し流された波が太吉の足元まで迫る。
「な、なんだっ!?」
「がうっ!!がうっ!!」
後ずさりする太吉。狐白丸が吼える。
「太吉、こっち!」
急に太吉は腕を掴まれ、上に引き上げられる。
「狐の姉ちゃん!なんだ、あれっ!?う、海坊主かっ!?」
「ともかく、ここから離れて!」
「だけど、狐が!」
「狐白丸なら大丈夫!とにかく逃げて!」
瑞奈が太吉の腕を引いて高いところを目指して走る。
「き、狐の姉ちゃん!痛い!」
「今は我慢して!」
「ぐるるるるっ!!」
狐白丸は低い唸りを上げると、牙をむき出しにする。
大きく盛り上がった水面は、やがて水の膜が落ちてその姿を現す。
それは―――巨大な、人の顔。この島を丸ごと飲み込みそうなくらいに大きい。目に瞳はなく、ぽっかりと開いた口にも、虚ろな暗闇がのぞく。まるで剥された皮だけのように張り付いていた。そこからつながる黒く長い胴体には、獣や虫、魚、この世のありとあらゆる生き物のかけらが詰め込まれるように幾重にも重なっている。―――そして、人の一部も。ぐちゅぐちゅと肉がつぶれるような嫌な音を立てながら、島の方へ近づいてくる。
「な、なんだよ、あの化け物!?」
「見ちゃ駄目っ!!こっちに来なさい!」
瑞奈は太吉を先に行かせると、後ろを振り返る。
それはあまりにも異様な光景だった。
人の顔をした、山より巨大な化け物。湖の中から虚ろな顔をのぞかせている。
「瑞奈!」
そこへ、天狗がやってくる。
「天狗殿・・・・」
「・・・・・・・なんだ、あれは・・・?」
天狗も言葉が出ない。太吉は瑞奈の後ろに隠れて震える。
狐白丸は大きくなって飛びながら化け物の威嚇をする。だが、化け物は狐白丸に構う様子はない。
ゆっくりと、島の方へ近づいてくる。
「あれが、あの法師が作った”蟲毒”か!まさか、この遠江湖そのものを壺にするとは!」
「どうしたらよいのでしょう!?」
「・・・・わしにもわからん!この湖に生き物がいる限り大きくなり続ける。いつか海に出てもっと大きくなるに違いない!」
「何とかしないと・・・・!」
「ともかく、この島を出ないとならん!あちこちに枯れ草を撒いてきた!じきに島全体に火が回ってしまうぞ!」
「でも、あんな化け物を村に連れていくわけには・・・・・・」
「ともかく、上にあがるぞ!太吉、走れるな!?」
「あ、ああ!」
天狗の声に、太吉は力強く頷いた。
「よし、ついてこい!」
天狗は太吉の頭を撫で、走り出した。
瑞奈と太吉は顔を見合わせて頷くと、天狗の後を追う。
天狗と瑞奈、太吉の三人は先ほどの祠の近くまで来た。
天狗がつけた火はぱちぱちと音を立てて、祠の入り口でくすぶっていた。
枯れ草の中が黒く焦げて、炭の焼ける匂いが立ち込めている。
瑞奈は太吉の顔を自分の胸に押しあてて、祠の方を見せないようにする。太吉も瑞奈にしっかりとしがみつく。少し震えている。
狐白丸も化け物の毒に気づいているのか、噛みつくこともできずに化け物の周りを右往左往するにとどまっていた。
化け物は巨体をずるり、ずるり、とゆっくり這わせながら、島へ上がってくる。
張り付いただけの表情を持たない顔が、歪みながら地面を這う。
「こ、こっちへ来る!」
太吉が瑞奈に顔をうずめる。
「天狗殿、蟲毒はわたしたちを狙っているのでしょうか?まっすぐこちらへ来ます」
「ああ、そのようだな・・・・」
「・・・・・わたしたちを喰うつもりなのですか?」
「わからん。だが、どのみち生きて返すつもりはなさそうじゃ」
そう言うと、天狗はくすぶっている火を足で踏んで消す。
「天狗殿、何を?」
「一か八かじゃが、やってみる価値はあると思う!」
「・・・・・はい。やりましょう」
「狐白丸をここへ呼んでくれ!あいつの力がいる!」
「あなたは滅創衆ですね!なぜこんなことをするのです!!」
蓮華は紫雲から白い戦御体、白縫に向かって叫ぶ。
「・・・・・・・」
白縫は答えずに、腰から太刀を抜いて構える。
「・・・・戦うつもりですかっ!?」
紫雲も背負っていた薙刀を掴むと、白縫に向いて構える。
沈黙。
互いに間合いを取り、出方を窺う。
白縫が先に動いた。
一歩前に出る。次の瞬間、素早く間を詰めて太刀を振り上げる。
紫雲は薙刀の柄でその太刀を跳ね返すと、そのまま間合いを潰して白縫に体当たりした。
どおん!!
轟音と砂煙をあげて白縫は後ろへ倒れる。
「痛い目にあってもらいます!」
紫雲は薙刀を振り上げ、脚を狙う。
「ええいっ!!」
薙刀の切っ先が振り下ろされる。
白縫は横へ転がってそれを避けると、膝をついて立ち上がる。
「もうっ!!やられてください!でないと・・・・」
蓮華は深く息を吸う。
紫雲は一気に前に走り、白縫との間を詰めた。
白縫も太刀を振り上げようとするが、紫雲の速さに追いつけない。
紫雲は薙刀を放り投げると、右拳を白縫の胸めがけて振り下ろす。
薙刀という長い武器を持った紫雲が、突如殴り合いをしてくるとは思わなかった。そこに白縫の油断があった。
右拳を叩きこむ。
ばきっ!!
砕ける音がして白縫が弾け飛ぶ。
どうっ!!
白縫は地面にもんどりうって転がる。
そこへ紫雲は馬乗りになると、白縫の腕を掴む。
「悪さできないように、腕は外させていただきます!」
紫雲は掴んだ白縫の右腕を一気にひねった。
「ぐわぁつ!?」
白縫の中から声が響く。
「ええいっ!!」
そのまま力任せに白縫の右腕をねじ切る。
べきっ!!
壊れる音と共に、白縫の右腕が不自然に曲がり体を離れた。
それと同時に、ぐったりと白縫は動かなくなった。
紫雲は白縫の繰り座の蓋をこじ開ける。
そこには男が白目を剥き、口から泡を吹いて気を失っている。
蓮華は紫雲の中から飛び出すと、男の口に布を詰める。そして男を繰り座から引っぱり出すと、腕を後ろ手に縛った。
「・・・・これでよし!そう簡単に死なせません!」
「蓮華!!」
その声に振り向くと、お紺と村の人たちが集まってきていた。
「お紺!大丈夫だった?みなさんも怪我はありませんか?」
蓮華が言うと、弥作が前に出る。
「・・・・あんた、何もんじゃ?」
「わたしは・・・・蓮華です。それしかないのですが・・・・すみません」
そう言って、蓮華は頭を下げた。




