17 風結ノ章 十七
「ミカナ?ミカナーっ?」
嶺巴は屋敷の中をミカナを探していた。
広い屋敷で、貴族か名だたる武士の家だったのか。そこは長い間人が住んでいた気配はなく、畳からも草が伸び、柱や壁は崩れかけていて、屋根の瓦も崩れて落ちて割れた跡がそこここにあった。
「ミカナ!ミカナ!どこだい!?返事してくれよ!」
呼びかけると、ほんのかすかに物音がする。足音・・・?
腰の刀を抜き、慎重に音のする方へ近づく。
折れ曲がる廊下を抜け、広間に出る。
二十畳ほどの広間は破れた襖に囲まれていて、西からの陽光がさんさんと降り注いでいた。
そしてその広間の中心にミカナがいた。
「・・・・ミカナ!?」
ミカナは何も言わず、ゆっくりと振り向いた。
その目には涙がたまり、振り向いたと同時にミカナの頬を流れた。
「・・・・すまない、嶺巴・・・。聞こえておったんじゃが、声が出なくて・・・・」
絞り出すようにミカナが言う。
「ミカナ・・・。ここ、知ってるのかい?」
ゆっくりとミカナは頷く。
嶺巴はミカナの肩に手を置く。
「聞いてもいいかい?言いたくなければそれでもいい」
「ここは・・・・。ここは、富士江成親の屋敷じゃ。ここで・・・・」
ゆっくりと深く息を吸う。
「ここで、おれの父上が殺された」
「!」
「この部屋じゃ。ここで父上は首を斬られて死んだ。おれのせいでな」
「ミカナのせい?」
「成親の息子は生霊に憑りつかれておった。おれは、あの子供を助けたかった。だから、成親に民を苦しめるのをやめろと言った。やつは怒り、父上を殺した。おれは暗闇に閉じ込められて・・・」
ミカナの体がぶるぶると震える。
光の全くない洞穴で、湧水を啜り、蜥蜴や虫を食べて生き延びたこと。
そして会いたかった父はすでに首だけになっていた。その父の濁った虚ろな目を忘れることができない。
自分のせいで父が死んだのだと、自分を責めながら逃げ出した。
そして長い間、風結の封魂炉で眠っていた。外へ出られなかったのは、本当は自分自身の意思だったのかもしれない。
「宗矢と約束したのじゃ。父上の仇を取ってくれると」
嶺巴はそっとミカナの肩に手を置く。
「ミカナ・・・」
「でも、宗矢はどこでどうしておるのか・・・。生きているかどうかもわからん・・・・。」
「・・・あたしと白結丸がいるよ。宗矢って人が、白結丸に託したんだろ?なら、白結丸は必ずミカナの父の仇を取ってくれる。緋家もろとも、な」
そして、あいつらの分も・・・・。
そう言いかけて口を閉じた。
背後に気配を感じたからだ。
振り向いて腰の刀の柄に手をかける。
ぎしっ、ぎしっ・・・。床のきしむ音が近づいてくる。
ミカナは嶺巴の後ろに隠れ、嶺巴はゆっくりと腰の刀を抜く。
「・・・・何者だ」
低く力強く嶺巴が言う。
陽の光が届かない奥の間から、ゆっくりと足音が近づく。やがて足元から徐々に姿が見えてくる。
嶺巴とミカナは思わず顔を顰める。
その男があまりにもみすぼらしかったからだ。伸び放題に伸びた髪、顔の下半分を覆う髭は涎や汗で固まり、身に着けている着物は肩やわき腹、膝などが破れ、巻き付けている布でかろうじて体を隠している。
「何だ、おまえは・・?」
「おや、こんなとこに別嬪さんがおらっしゃるとは・・・」
男は甲高い声で言う。
「だあれも住んどらんって思てたもんで、この家借りとったんや。ここはあんたらの家か?せやったら済まんかった。すぐに出ていくさかい、許したってや」
「・・・浮浪人か?」
「まあ、そんなこっちゃ。堺から来てましてな。金も住むとこもないもんやから、空き家や思て間借りしとったんや。まあ、堪忍してぇやな」
男は頭をぼりぼりと掻くと、鑿が飛び跳ねる。
「ともかく、早く何処かへ行け。あたしたちはやることがあるんだ」
「まあ、そう急ぎなさんなや。別嬪さん。そっちの娘もええ上玉やし。見るだけなら構わんやろ?」
そう言いながら男は近づく。
ミカナが身を固くする。
「近づくな。斬るぞ」
「おおこわ。わかったわ。出てったるから、その物騒なもん、向けんといてな」
男は参ったというように両手のひらを向けてふる。
「何もしとらんのに殺されてはかなわんわ。こっちゃは丸腰やでぇ・・・・」
ぶつぶつ言いながら、振り返って奥の陰へ向かった歩き出す。
「あ、そや」
男は立ち止まって振り返る。
「ええこと教えといたる。この屋敷におった、なんていうたかな?富士江成親・・・やったか?その御仁なら、因幡の国で鬼門の門番させられとるで。なんでも、カッとなって宮仕えの陰陽師を殺したとかで、貴族から番役人へ転落や。ま、緋家の家臣やなかったら、命もなかったやろがな・・・」
言いきらないうちに男は振り向いて去っていった。
「あいつ、何者じゃ・・・」
「・・・・・」
嶺巴は声が出なかった。手が震えている。
今の男、隙が無かった。相手は素手で、襲ってくる素振りもなかったが、動けなかった。この刀で斬れる気がしなかった。
「とにかく、ここを出よう」
ようやく、声が絞り出せた。
白結丸はひとり、風結・蒼刃、荊火のところへ戻ってきた。
こんなに気まずい時間は初めてだ。
相変わらず荊火は白結丸を睨んでくる。妹を思う兄の気持ち、というのは判ったが、別におれを睨む必要があるのか?
それに考えてみれば、嶺巴がいる限り先にあの二人がここへ帰ってきてるはずはない。
あの二人が滅創衆という奴等に襲われていなければいいのだが。
滅創衆、何者なんだろう?
二人とも、かなりの手練れだった。まともにぶつかり合っていたら、勝てなかっただろう。
時千代のおかげで助かった。あのまま時千代が逃げていたら、緋家の姉妹とともに殺されていたのかもしれない。いや、おれに一緒に来いと言っていた。あいつらの狙いは緋家らしい。だが、霞家の血筋に利用価値があると踏んでいるならば、こちらへ追っ手を放つこともじゅうぶんに考えられる。
もっと自在に”風”を扱えるようにしておく必要がある。
白結丸は刀を構え、風を集める。緑色の靄のような”風”が白結丸のところへ集まる。
ゆっくりと体が軽くなる。精神を統一する。必死だった、あの瞬間のことを思い出しながら、”風”を背中から一気に放つ!
体が飛ばされて・・・。べちっ!
「うぎゃつ!?」
顔から地面に突っ伏す。
・・・・普通にコケるよりも、風の勢いのせいで数倍痛い・・・。
立ち上がって顔の泥を払うと、にやにやしている荊火の憎たらしい顔が目に入る。
・・・・こいつ・・・。
もう一度、”風”を集めて・・・・放つ!!
体が、跳ぶ!一瞬で前へ!地面の枯葉が舞い上がる。
べきっ!
「はぐっ!?」
木の幹にまたも顔面からぶつかって止まる。
枯れ草の上にあおむけに倒れる。ああ、空が見える・・・。
・・・もう少し広いところでやらないと、体がばらばらになってしまう・・・。
「・・・・何してんだい、白結丸。こんなところで寝てると風邪ひくぞ」
嶺巴が白結丸の顔を覗き込んでくる。
「・・・嶺巴・・・・!?」
「まったく、嶺巴はちっとも人の言う通りに歩かぬから、ここまで来るのに苦労したんじゃぞ!」
ミカナは明らかにイライラしている。
「ははは」
笑いながら頭を掻く嶺巴。
「・・・・無事だったか、よかった・・・・」
白結丸は心底安堵した。
「・・・・というわけさ」
あたりが暗くなった頃、焚火を囲んで昼間の出来事を白結丸に話した嶺巴。
「その堺から来たという男、とても不気味じゃった」
「ああ、おそらくかなりの使い手だね。相手が丸腰でも、勝てる気がしなかったよ」
嶺巴は腕を組んで、少し身震いする。
「あの緋家の娘たちはどうだったんだい?」
白結丸は、滅創衆のことを話した。
「・・・そっか、滅創衆・・・。緋家の娘が知っているってことは、都で調べれば噂ぐらいは聞けるかもしれないね」
「じゃが、相当危険じゃぞ。緋家だけでなく、その滅創衆とやらが白結丸を狙っておるんだとすれば、おとなしくはしていないじゃろ?」
「そうだね。あたしたちだけじゃ勝てないかもしれない。一刻も早くこいつらを直したいけど・・・」
「都に迂闊に入るのはもう危険だな」
焚火がぱちぱちと音を立てる。
「そっちの青いのはともかく、風結は慶秀しか直せぬじゃろ。白結丸が生まれた頃に作られた御体じゃかならな」
「手がかりが楠流にあるかもしれないってのに、もどかしいねぇ」
「以前、重蔵に会ったときは何も知らないって言っていたからな。隠していたのか、今は本当に行方を知らないのか。会って確かめたいが・・・」
白結丸も頭をひねる。
「なあ、白結丸」
ミカナが白結丸の顔を覗き込む。ミカナの表情はいつになく固く、目は力強い。
「どうした?」
「やっぱりおれは父上の仇が取りたい。今日のあの男は胡散臭いが、言っていることは嘘ではないじゃろう。慶秀を見つけて風結を直したら、因幡国に成親を討ちに行きたいのじゃ」
「・・・あたしからも頼むよ」
「嶺巴?」
「あたしも、玄壱たちの仇が取りたい。孝基を討つまで、諦めきれないんだ。ミカナだって同じ気持ちのはずだよ」
「・・・無論だ。兄上がおれに託したのなら、ミカナの想い、叶えてやりたい。そして、伊豆の兄上と共に兵を挙げ、緋家を討伐する。それがおれの想いだ」
「・・・白結丸」
「ありがとう・・・」
二人が白結丸の手を取る。
「ふたりとも、それまでおれに力を貸してほしい」
嶺巴は黙って頷く。
「当たり前じゃ。おぬしとおれとは、ひとつじゃからな」
そう言ってミカナは白結丸に体を寄せる。
「おいおい、白結丸はあたしの主だよ」
「お主は妾にしておけ。派手な女は正室に向かん」
「・・・お蓮が聞いたらまた殴られるな、白結丸?」
「なんじゃ、他にもおなごがおるのか?まだ幼いのに手あたり次第じゃな」
「はっくしゅん!」
「どうしたお蓮。風邪か?」
「いえ、天狗様。急に鼻が疼いて」
二人は鞍馬山近くの廃寺で宿をとっていた。囲炉裏に火をおこし、芋を焼いて齧る。
「白結丸様、ちゃんと食べているかな?無事でいるといいけど・・・」
「うむ。白結丸も今では御体の繰り手じゃ。嶺巴もおるしの」
「・・・だから余計に心配なんだけど!?」
「・・・・・・」
「ぜったい、わたし、強くなってやるからね!御体の繰り手になってやるんだから!」
「はっくちん!」
こちらでもくしゃみをする女がいた。
「伊佐姉様、風邪を召されましたか?」
―――伊佐を心配する時千代、かわいい。
「伊佐、もうわたしは大事ありませんよ。あなたも休んで」
・・・気を遣う姉様、美しい。
「いえ、姉様。おひとりで飯を召されるようになるまでお世話いたします」
「あなたも怪我をしているのだから・・・」
・・・心配そうな姉上・・・そんな愁いを帯びた顔も美しい。ずっと見ていたい。
「姉上は時千代が診ております。伊佐姉様は怪我が早く治るようにお休みになってください」
「・・・そうですね。時千代、姉様を頼みましたよ」
そう言って伊佐は部屋を出る。
・・・姉様、美しく、お優しい。
「紅羽姉様、時千代にかまわずお休みになってくださいね」
「ありがとう、時千代。時千代も休みなさい」
「はい、紅羽姉様。では、ここで休んでもよろしいですか?」
―――はい!?
時千代は紅羽の床に入ってきた。
「え?え?あ?」
――――あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?
「幼い頃を思い出しますね。よくこうして床を共にして寝ておりました」
「時千代・・・・」
―――ああ、体が動けば!ぎゅって、ぎゅって出来るのに!
「ぐぅ・・・・」
―――あ、寝た。
「・・・・・・寝られるわけないでしょっ!!」
―――でも、月明かりに照らされた時千代の寝顔・・・かわいい。
伊佐は部屋に戻りながら空を見上げた。
空に白結丸の顔が見えたような気がした。あれから、白結丸様のことが頭から離れない。
・・・すみません、姉様・・・。伊佐は・・・恋をしてしまったようです・・・。
その夜、月は明るく、その明かりで星が姿を隠している。




