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07 伯爵令嬢は三流ゴシップがお好き

 ある日突然、イヴンアロー侯爵家から使者が来て、「婚約証書に署名を」と言われたらどうしようとびくつき続けた一週間。


 一週間が経ち、私も顔にも余裕の笑みが戻ってきた。


 これは、アルヴェイン側も冷静になったな。

 日和ったな。

「よくよく考えたらフィオレアナと結婚なんて出来ない」と気づいたな。

 ふふふふふ。


 とはいえ、夜中の蝋燭の灯を通しての会話は、この一週間というものしていない。

 だって怖いんだもん。

 藪蛇になったら嫌じゃないか。

「ああ、父上を急かすのもやめていたが、おまえから連絡が来たから明日にでももう一度話してみるか」とか言われたら、どうしようもないじゃん。


 同じ理由で、この一週間というものお父さまのお顔をまともに見られていない。

 晩餐の場の空気も最近重苦しい。

 お父さまのテンションが徐々に、「やれやれ今日も面倒を運んでくるだろうイヴンアローからの使者はなかった」というものから、「あの若造はうちのフィオレアナをなんだと思っているんだ?」という険しいものに変わり始めているから、なおいっそう。

 最近の晩餐はお母さまと一緒に、ひたすら天気の話で盛り上がって凌いでいます。

 事情のわからない、まだ十二歳の弟、トマスは、一家の空気が重苦しいのを、目を丸くして見守っている日々だ。

 ごめんねトマス、お姉さまはあなたをその混乱から守ってあげられない……。


 使用人の皆さんは、最初こそきらきらしたゴシップ期待の目で私を見ていたものの、最近は冷静。

 飽きたというより他の獲物がやってきたらしい。

 トマス付の侍女のアニーに縁談の話がやってきたとかこないとか。


 と、まあ。


 そうやって凌いで一週間、とある水曜日。


「お嬢さまっ、大変ですっ!」


 という、凄まじいハンナの悲鳴で私は叩き起こされた。


 なんだ、焼き討ちか、領民が一揆でも起こして、その話がこの王都のタウン・ハウスまで伝わってきたのか、と、私はもがきながら身を起こす。


 あるいはなに? 魔女狩り?

 私が魔女ってバレた?

 ああどうしよう、そうだとしたら、アルヴェインは守ってあげないと……!


 じたじたと身を起こし、身体からシーツを引っ剥がす。


 カーテンが閉じられ、明かりの射さない室内はまだ暗い。

 脚に絡まるネグリジェの裾に苦戦しながら、寝台から足を下ろしたところで、油皿の灯りを携えたハンナをようやく発見。


 ちらちらと揺らめく明かりに、それでも寝起きは眩しさを感じて目を細めてしまう。

 思わず片手を掲げて目を庇いつつ、周章狼狽した風のハンナを視界に収めた。


 いつもの通りの完璧な侍女のお仕着せ、毎日こんなに朝早くから働いてくれていたのね、ありがとう――って今はそうじゃない。


「なに? なに? 暴動?」


 口走る。

 寝起きで喉がいがらっぽい。


「そんなんじゃないですっ!」


 ハンナが半泣きの声を上げ、サイドテーブルに油皿を置き、もう片方の手に持っていた新聞を、がさっと私の手に押しつけてきた。

 新聞はまだ温かい――厨房で、インクを乾かすためにアイロンを当てられた直後なのだ。


 ――そうだ、今日は、


「水曜日……」


 口走る。

 水曜日、即ち、


「『ロルフレッドとティアーナ』……」


 呟いた瞬間、カッと目が覚めた。


「なになになに、どうしたの、ロルフレッドが死んだ!? いやああ!」


「違いますよぅ……」


 ハンナはもはや泣いている。

 とにかく見てください、と手振りで示され、私は新聞をがさっと広げた。


 紙面を辿る目付きはもう玄人、そして見つけた欄に書かれた無情な一言に、私の喉が「ひぅっ」と鳴った。


 そこには、無機質な活版印刷の文字で、こうあった。



 ――事情により、『ロルフレッドとティアーナ』は休載となります。



 思わず手から新聞が滑り落ちる。

 新聞がばさっと床に広がると同時、私は寝台に倒れ込んだ。





 ――今生の私には嬉しい誤算があった。


 そう、「新聞」である。

 今までの人生にはこんなのなかった。


 ありがとう活版印刷。

 ありがとう人類の技術の進歩。


 さすがに、毎日――とはいかなかったりするが、世の中の情勢を「新聞」という形で配られる紙面が教えてくれるというわけ。

 これは面白い。


 そして更なる嬉しい誤算。


 新聞にも、いわゆる「格」がある――高級紙から三流のゴシップ紙まで、様々に。

 我がドーンベル家が、家長の承認のもと取っているのは、高級紙も高級紙、王室のお言葉や名立たる商会の動向を紹介してくれる、「デイリー・オブジェクティヴ」だ。


 そして私は三年前、使用人さんたちが回し読みしていた三流ゴシップ紙「ウィークリー・プレジャー」を読んでしまった。


 毎週水曜日発行。

 購読料は庶民に優しい二十ケント。

 演劇座の誰それが二又をしている、だの、どこそこの賭場でイカサマが発生した、だの、およそ貴族令嬢が読むには相応しくない、刺激的な記事を載せるその新聞。


 その新聞の片隅に、小説が連載されているのだ。


 私が初めて「ウィークリー・プレジャー」を読んだとき、連載されていたのは『パラボット嬢の憂鬱』という、貴族令嬢がこれでもかとばかりに困難に見舞われながらも生きていく、笑いあり涙ありのコメディだった。


 ――ハマった。


 世の中にはこんなに面白い読み物があるのか、と目から鱗だった。


「ウィークリー・プレジャー」は、執事および侍女および庭番および料理人の共同出資で購読されており、皆さん当家に住み込みだから、こっそり我が家に配達されていた。


 それを知った私は、形振り構わず懇願した。

 購読料を出すから、お父さまとお母さまと弟にバレないように、こっそり私にも読ませてほしい、と。


 私は伯爵令嬢ではあるけれど、令嬢というものは家長の所有物に等しい。

 つまり、自由になる財産はそう多くはない。

 が、お茶会なんかでさらっとお金を出すときはあるから、一定額はある。

 ――そこを切り詰めた。

 購読料を出した。

 使用人さんたちから、こんなに歓迎されることある? っていうくらいの、万雷の拍手で迎えられた。


 私付きの侍女のハンナが、同じくその小説の熱心な読者だったこともありがたかった。

 何しろ読み出したのが途中からだから、物語の流れに不明点も多い。


 そこを微に入り細に入り、ハンナの好きなシーンの朗読を含め、しっかり共有してくれたハンナに最大のハグを。


 そして大団円を迎え、『パラボット嬢の憂鬱』は一年前に幕を閉じた。

 最終回が掲載されたあと、洒落ではなく、当家には放心状態の空気が漂っていた。

 みんな生きる糧を失ったようだった。


 ちなみに私も、体調不良と言って部屋に閉じこもり、ハンナと物語を振り返りながら感慨の涙に溺れた。


 が、神は我らに微笑んだ。

 名作『パラボット嬢の憂鬱』の幕引き後、新たな小説の連載が始まったのだ。


 それが、『ロルフレッドとティアーナ』だ。


 みんな最初は半信半疑だった。

 だって『パラボット嬢の憂鬱』の後だもの、あの名作の穴を埋めるに足る作品なんてあるわけないでしょう――みたいな感じだった。


 違った。

 すごかった。


 第一話で、私たちは全員――ド嵌まりした。


 物語は、公爵令息ロルフレッドと、その侍女ティアーナの禁断の恋の物語だ。

 ロルフレッドの凛々しさ、ティアーナの健気さ、二人を阻む身分の壁、周囲からの視線の痛さ、そういったものに虜にされ、私たちは身悶えしながら一週間に一度の供給を待ち望んでいた。

 屈強な庭番に至っては、ロルフレッドの母親がティアーナを罵る場面を読んだあと、憑りつかれたように「あの女を殺さなきゃ……」と呟いていた。


 最近はいよいよ――という場面で、ティアーナはロルフレッドとの秘密の恋が周囲に露見し、公爵家から馘首され、身寄りもない中、寒空の下途方に暮れている。

 ロルフレッドはそのとき、巧妙に仕組まれていた伯爵令嬢との縁談を断るため不在にしていた。

 伯爵令嬢の過去の違法賭博の闇を暴き、縁談をなかったことにして、ロルフレッドがいざ凱旋したとき、待っていたのはティアーナが馘首になったという報せ。

 私なら座り込んで何も考えられなくなってしまうけれど、ロルフレッドは違う。

 彼は涙を拭い、すぐさまティアーナ捜索に乗り出すのだ。

 そして先週、とうとうロルフレッドがティアーナの消息を掴み、彼女がピンチに陥っていることを知るのだが――というところでの幕切れだった。


 ここからでしょう。

 二人の関係はここからでしょう。


 ここから、というところで――休載?


 いつまで? どうして?

 何を貢げば続きが読めるの?


 私は涙に暮れている。

 ハンナも涙に暮れている。

 二人で寝台の上、二羽のスズメのように身を寄せ合い、いつ終わるとも知れない絶望に浸っている。


 そして、被害者は絶対に私たちだけではない。


 断言してもいい、今日の朝食の味は何か物足りないということを。

 屋敷の清掃が行き届かないということを。

 雑草が今日だけは生を謳歌できるということを。

 執事の溜息が多いということを。



 そして――他の貴族の屋敷でも、こうして涙に暮れているご令嬢たちがいるということを。





 まあ、その、なんだ。

 三流ゴシップ紙に掲載されている小説に夢中になっているだなんて、公に出来る趣味ではないのだ。


 だが、面白いものは面白い。

 このゴシップ紙の小説に魅せられた、退屈を持て余す貴族令嬢は私だけではない。


 モンドエラ男爵令嬢のカトリーヌ。

 ディリーア子爵令嬢のテレサ。

 クレイシア伯爵令嬢のエヴェリン。


 彼女らもまた、私と同様にこの小説に魅せられている令嬢たちだ。

 お蔭様ですごく話が盛り上がる。

 最近、私が会っているお友だちと言えばこの三人ばっかりだ。


 カトリーヌに至っては、『パラボット嬢の憂鬱』が連載される前に連載されていた、『盗まれた令嬢』という、泥棒と令嬢の禁断の恋愛を描いた作品から知っていたというのだから剛の者だ。


 お互いにお互いの趣味を知ったのは偶然。

 社交界デビュー前であっても、お母さまについて他の貴族のお宅を訪問させていただくことはあるから、そのときのことだ。

「アルフレッド」という名前を盛大に空耳して、全員で「……!」みたいな顔をしてしまったので相互にバレた。


 以来一年。

 共通の趣味を持ち、我々の友情は天井知らず。


 世間体対策も万全だ。

 この趣味の話は、可能な限りお互いの屋敷での茶会で話す。

 それが無理なら人気(ひとけ)のない画廊とか、公開庭園の隅っことかで、こっそり行う。

 万が一にも盗み聞きされたときのために、隠語をめちゃくちゃ使う。


 例えば。


「小説」は「お手紙」だ。

「登場人物」は、「あの方」あるいは「想い人」だ。

「読む」ことは「お会いする」ことだ。

 水曜日の朝に予定があって、小説をすぐには読めない同志もいる。

 そんな人のために新聞を確保しておくことは、「お手紙をお届けする」ことだ。


 なんなら最近はハンナも感化されて、私のために新聞を確保してくれることを「お手紙は取っておきますよ」と言ってくれるくらい。


 つい一週間前も、私たちは画廊でこのことを喋っていた。


 ついでに私の婚約(疑惑)の話に至って、「ご結婚なんかされたら、もうこの小説も読めなくなるのでは?」という、恐怖極まる可能性も示唆された。

 みんなが「お手紙をお届け」してくれるらしいので、そこは安心だけれど……。



 ――でも、そんなの、大元の連載が止まってしまうならば意味はない。


 涙は枯れることを知らず、私の朝食は普段より一時間遅れた。























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