ダンス 04
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ドーヴィー子爵のところの小僧がフィオレアナをダンスに誘った瞬間、俺は危うく、小僧の両脚を切断するところだった。
ついでに、小僧に加勢したアーリーレッド侯爵夫妻を、二度と再び許さないことに決めた。
遠縁で世話にはなってきたが、それもここまでだ。
フィオレアナを俺の手許から離させて、如何にも彼女に気のありそうな男の手に任せるなど、屈辱といっていい事態だ。
我慢ならず、ガキっぽいのは自覚できたが、ダンススペースのすぐ手前まで移動して、踊るフィオレアナを見守ることにした。
あの小僧、俺のフィオレアナの変なところに触れようものなら、万難を排して灰にしてくれる……。
俺が死ぬほど苛々している一方、フィオレアナは周囲をきょろきょろと窺っている。
俺を捜しているのか、と思ったがそんな様子でもない。
数秒して、ああ友人を捜しているのだな、と気づいた。
正直、夜会のときなどに友人たちとだけ話させてやれていないのは心苦しいが、フィオレアナの友人は、三人のうち二人が婚約者のいない女性だ。
彼女たちを目当てにやって来るだろう貴族の令息たちの目に、フィオレアナを触れさせるのがなんとなく嫌なのだ。
とりあえず今は、フィオレアナが喜んでくれるかなと思って、あいつがご執心の小説を、ちゃんとした一冊の本に直させている最中――装丁もちゃんとする――なので、なんとか許してほしい。
俺の苛立ちが天元突破しそうになる寸前、曲の途中で、唐突にフィオレアナが動きを止めた。
それどころかダンスの輪を一人で抜け出して、まっしぐらに俺の方に走って来る。
俺は胸が悪くなった。
即座に進み出てフィオレアナを抱き留めつつ、大慌てで彼女に囁く。
「どうした? 何かされたのか? あいつを殺してこようか?」
あっ口が滑った。
周囲から視線が注がれる。
年配の方などは俺たちの振る舞いを見て、如何にも微笑ましいというように苦笑している。
本当に申し訳ないが、フィオレアナの返答如何では、数秒後にはこの大広間は惨殺劇の舞台となるのでご了承願いたい。
フィオレアナは俺の腕の中でふるふると首を振り、何やら真剣な目で俺を見上げてきた。
俺はとりあえず、詰めていた息を吐く。
「……無事か?」
「もちろん」
良かった……。
無事だと保証されてみると、俺に抱き締められて素直にこちらを見上げているフィオレアナは可愛い。
うっかりキスしそうになる。
それをぐっと堪えて、尋ねる。
「何かあったのか? ただならない様子だったが……」
ダンスの輪の中からは、振られた格好になった例の小僧も出てきている。
かなり気まずそうだ。
こちらとしては胸がすく思いだ。
ざまあみやがれ。
フィオレアナが眉を寄せ、深刻そうに俺に囁いた。
「ちょっと、二人で話したいんだけど……」
否やがあるはずがない。
俺は即座に頷いて、彼女をエスコートしてバルコニーに向かった。
――で。
ものすごく深刻そうにするフィオレアナから、「もしかしたらおまえに気がある令嬢が、オーガスタくんを派遣してきたのかもしれない」と聞かされた俺の心情は筆舌に尽くしがたい。
マジか……。
そうか、そう転がったか……。
やっぱりこいつはぶっ飛んでいる。
すごい。
どこをどうしたらそんな考えに至るんだ。
いっそ感心する。
更には、「私が嫉妬深いから、おまえが、おまえに熱を上げてる他のご令嬢を守ろうとして、私をそばから離さなかったなら、私もあんまり面白くない」とまで言われ、俺は天を仰いでしまった。
そうか……。
いや、やっぱりこいつは面白いな。
これだけ長い付き合いで、まだ俺をびっくりさせてくれる。
早くこいつのあらゆる面を知ってしまいたい。
それからじっくり付き合いたい。
とはいえ、いつの自己肯定感の低さ……こういうときに表出する、「私なんか」と自分を卑下するような面は、なんとかしていかないといけないと思う。
俺は唯一、フィオレアナのこの面だけは気に入らない。
どうして、自分がどれだけ素敵な人間か、それを自覚できないのだろう。
俺がそばで言い聞かせ続けたら変わってくれるだろうか。
取り敢えず、誤解を解くべくフィオレアナに目を戻した。
あの小僧はどう見てもおまえに気があったよ、そういう勘繰りは無用だよ、と言うために。
が、それより先に、フィオレアナが俺の胸に縋って訴えてきた。
「アルヴェイン、おまえはきっとたくさんのご令嬢から好かれているから、今後もこういうことがあると思う」
今後も、も何も、一度もそんなことはないんだよなあ……。
「だから頼む、お願いだ、出来るだけ私と一緒にいて。離れないで。変な噂を立てさせたら駄目なんだ。お願い」
……前言撤回。
俺は全力でこのフィオレアナのお馬鹿な勘違いに乗っかることにした。
俺は重々しく頷く。
「わかった。重々気をつけよう」
そして、俺の胸に置かれたフィオレアナの手を取って、手背に軽く口づけした。
「俺は一切、そういうことには気づいていなかった。――フィオレアナ、俺がおまえをそばから離さないのは、おまえが大切だからだ。他の誰かのことなんて考えもしなかった」
フィオレアナが瞬きする。
安心したように微笑み、それからすぐに、恥じ入ったように俯く。
「そっ……か。ありがとう。……あの、ごめん、あちこちに妬いて……みっともないかな」
今この瞬間、フィオレアナの何倍もの嫉妬心を抱えているのが俺である。
俺は爽やかに微笑んだ。
「フィオレアナ、言っただろう。
嫉妬も独占欲も、俺たちの間では正しい形だ」
フィオレアナがおずおずと顔を上げ、小さく微笑む。
可愛い。
耐えかねて俺はフィオレアナの蟀谷に口づけした。
たちまち真っ赤になる彼女が愛らしい。
それから、改めてフィオレアナの手を握り、軽く膝を折って彼女と目を合わせる。
「――フィオレアナ。今回はそうではなかったとはいえ……」
いや、そうだったんだけど。
「相手がおまえに気がある可能性だってあったんだぞ」
俺が、「どうして軽々しくダンスに応じるんだ」と恨み言を続けようとすると、フィオレアナは大きく目を見開いた。
そして、如何にも驚いたように言った。
「だとして……」
彼女が小さく首を傾げる。
いっそ訝しげに。
「だとして、私がおまえ以外の人に靡くはずないじゃないか。候補にすら入らないよ」
その瞬間、フィオレアナを強く抱き締めてしまった俺を責める権利は、世界中の誰にもないはずである。
色々あった夜会から引き揚げる馬車の中。
最近俺は、フィオレアナの正面ではなく、敢えて隣に腰掛けるようにしている。
これがばれてセドリックには溜息をつかれたが、致し方ない。
あれこれと、彼女には慣れてもらわなければならないことが多いので。
フィオレアナは機嫌がいい。
あのあと、「仲の良さを見せておこう!」と見当違いな意気を燃やした彼女は、「踊ろう?」とたいへん可愛く俺を誘ってくれ、立て続けに二曲踊ってくれた。
普段より嬉しそうなフィオレアナに、「やけに機嫌がいいな?」と囁いてみると、満面の笑みで、「やっぱりおまえと踊るのがいちばんいい」と言われ、俺は危うく転倒しそうになったものである。
ご機嫌なフィオレアナの腰にここぞと手を回して引き寄せながら、俺は言った。
「疲れただろう? 寄り掛かっていていいぞ」
フィオレアナは「疲れてないよ」と言い放つ。
くそ。と思ったのも束の間、なんとなく俺の方に身を寄せて、フィオレアナが囁いてきた。
「今日の私は冴えてただろ?」
「…………」
俺は慈悲深く微笑むに留めた。
冴えていたというか、いつにもましてぶっ飛んでいたというか……。
が、フィオレアナが甘えるように俺を見上げて、「な?」と同意を求めてくるものだから、俺は根負けして囁いた。
「……今日といわず、いつでも」
フィオレアナが誇らしそうにするのが可愛い。
俺は思わず彼女の頬を指の甲で撫でた。
フィオレアナが真っ赤になって視線を逸らす。
からかい過ぎたか、と思って手を引こうとする寸前、フィオレアナが不意に、俺の手を両手で捕まえるように握った。
俺の手に軽く頬を寄せて、フィオレアナがごく小さな声で囁く。
「……何があっても一緒にいような」
「…………」
フィオレアナのこの発言は、彼女の誤解をもとにしていて、「(存在しない)俺に懸想する令嬢から(そんな邪魔は入ったことがないが)どんな邪魔が入っても」みたいな意味だったのだろうが――
――これで我慢が出来たら、そいつは恋をしていない。
俺はぐいと己の手を引っ張り、フィオレアナの頬から離した。
フィオレアナの瞬き。
俺は既に彼女に顔を寄せている。
唇の間の半インチの隙間を保って、二秒。
フィオレアナに、緊張した様子はあれ嫌がる様子がないことを確認して、唇を重ねる。
いつも思うが、フィオレアナの唇は信じられないほど柔らかい。
普段ならば数秒で唇を離すが、今夜は無理だった。
何度か軽く啄むようにしてから、両手で彼女を抱き込むようにしつつ、フィオレアナの唇を軽く舌でなぞる。
フィオレアナが愕然としたのが気配で伝わってきたが、おずおずと彼女は唇を開いた。
胸の奥で喜びが爆発した。
初めての深い口づけは、酒よりもよほど俺を酩酊させた。
――とはいえやり過ぎた。
俺はひたすら謝る。
謝りながらも抱き締めた腕は緩められない。
フィオレアナは俺の腕の中で悶絶している。
「すまん。はしゃぎ過ぎた。――嫌だったか?」
「嫌、では、ないけど……!」
フィオレアナの顔はかつてなく真っ赤である。
今にも消えてなくなりたいと言わんばかり。
また猫にでもなられたら堪ったものではないので、しっかり捕まえておく。
そうしながらも口が滑った。
「悪かった。――でも、どうせもっと色々やるんだから……」
「わ――っ!」
「叫ぶな、叫ぶな、俺がセドリックに殺される」
「おまえは慣れてるんだろうけど……!」
「慣れてないよ」
身悶えせんばかりのフィオレアナを抱き締めて、俺は囁く。
「言っただろう、俺がおまえに捧げている恋心は、おまえのためだけのものだ。
当然、おまえとすることは、俺にとっても最初のことだ」
フィオレアナがおずおずと俺を見た。
涙ぐんでいるのを見ると反省を促されるが、同時にものすごく興奮するのはもうどうしたらいいんだ。
フィオレアナの、不安げな呟き。
「……私、めんどくさいか」
「いや、別に」
俺はフィオレアナを抱き締め直した。
今この瞬間も、馬車ががたごととドーンベル邸に近づいているのが耐え難い。
もうこいつ、連れて帰ったら駄目かな。
駄目だな。
我慢我慢。
「初心なおまえも可愛いよ」
「どういう反応をしたらおまえが喜ぶか、わからないんだ」
俺は笑ってしまった。
「おまえであれば、俺はどうでも」
首を傾げるフィオレアナを引き寄せる。
今夜はあと少し。
だが、結婚できる日は日一日と近づいている。
待とう……待てる……待てるはずだ……。
「俺は、ここにいる理想の女性を愛しているのではなくて、おまえを愛しているんだ」
まあ、多少……他人に見せたくなかったりだとか、こいつの手を握るだけで相手の手首を切り落としたくなったりだとか、ちょっとだけ、俺の愛情が歪んでいる気がしなくもないが……。
フィオレアナが息を吸い込んだ。
そして、ぎゅっ、と、俺を抱き締め返してくれる。
「……離れたくないな……」
「――――」
「早く結婚したいな」
にこ、と微笑んで放たれたその殺し文句に、俺は復活させたはずの理性が瞬殺されるのを感じた。
こいつ……俺が必死にこいつを誘拐するのを堪えているというのに、この……。
「――――」
深呼吸。
俺はやっとの思いでフィオレアナを抱き締めていた手を離し、代わりに彼女の手を握った。
――たぶん俺は、フィオレアナの手を握るだけでは満足できない。
そこまで欲のない人間ではない。
だが、フィオレアナが俺に気持ちを向けてくれているのであれば、俺を愛してくれているのであれば。
それならば、この指を絡める行為にどれだけの価値があるか、そんなことは、もはや量りようもないことだ。
だから大丈夫。
俺は待てる、満たされる、焦らずとも済む。
フィオレアナの手背にキスを落とし、俺は万感の思いを籠めて囁き返していた。
「……俺もだよ、フィオレアナ」
ドーンベル邸は近い。
俺は当座のところ、彼女をきちんとそこに送り届ける義務がある。
わかっている。
それが信義というものだ。
――「ではまた」の挨拶が、「おやすみ」から「おはよう」まで、切れ目なく一緒にいられる挨拶に変わる日を待って。
俺は溜息を吐いて、義父に見せるに相応しい表情を取り戻すべく、気合を入れたのだった。
またネタが降りてきたら更新するかもしれません。




