ダンス 03
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フィオレアナの婚約者はめちゃくちゃ美形だったが、一緒にいるフィオレアナの様子がおかしいことに、僕はすぐに気づいた。
常にぴったりと婚約者にくっつき、さらには彼の顔色を窺うようにしている。
蒼褪めたり赤くなったりこそこそ囁いたり、恋人というより囚人とその看守みたいだ。
挙句の果てに、背を向けて他の相手に挨拶をしているときでさえ、フィオレアナの婚約者は彼女の手を離さない。
フィオレアナもさすがに、「どうしましょう……」みたいな顔でその手を見つめていた。
瞬間、僕は咄嗟に動いた。
フィオレアナの空いている手を取って、発作的に言っていたのだ。
「いっ――一曲、いかがですか!」
フィオレアナが驚いたように僕を見た。
フィオレアナの婚約者が、「は!?」みたいな感じでこっちを振り返った。
「いや……」
言い差すフィオレアナの婚約者を、名も知らぬその正面にいた夫婦が、「まあまあ」といなす。
「アルヴェイン、落ち着きなさい。フィオレアナ嬢に嫌われてしまうよ」
「まさか。フィオレアナは俺を嫌ったりしませんよ」
何その、一秒も考えず返せる胆力。
「そうはいっても、たまには自由にして差し上げて。そのお坊ちゃま、ドーヴィー子爵のご子息さまでしょ? フィオレアナさまには他人とは言えないでしょう」
あれ? 夫人の方、僕を知っている……?
会ったことがあるのか、覚えていない。
とはいえ、ありがとうご夫人!
「では、一曲だけ!」
まだ困惑している様子のフィオレアナの手を引いて、僕はダンススペースに飛び込む。
その瞬間に、かつて鈴懸の木の下で踊ったダンスを思い出したのは僕だけではないと、僕は信じたい。
ダンスの輪の中で踊りつつ、フィオレアナが最初にしたことは、僕を窘めることだった。
「あの方はアーリーレッド侯爵ご夫妻です。目上の方にお声掛けいただいたんですから、ちゃんと挨拶しないと駄目でしょ?」
らしい。
あの、僕の方が年上のはずなんですが……。
とはいえ、自由になったフィオレアナは、それでもまだきょろきょろと周囲を窺っている。
しかもフィオレアナの婚約者は、ダンススペースぎりぎりの最前列までわざわざ移動してきて、フィオレアナを目で追っている始末。
怖ぇ……。
美形じゃなかったら許されないその振る舞い。
フィオレアナがあまりにも周囲をきょろきょろするので、僕は思わず。
「――ご婚約者なら、あそこに」
「あっ、違うの」
違うんですか。
「お友だちを捜していて……。いらしていないのかしら」
愁眉を寄せるフィオレアナ。
憂いのある表情も可愛い。
「何か、お約束でも?」
「いえ、そういうわけではないのですけれど……。お会いできたらお話ししたいことがあって」
「普段はお会いになれないんです?」
「お会いになれないのですか、よ。
――最近、あれこれと忙しくて個人的な約束はしづらくて。他の夜会でお会いできることもあるのですけれど、アルヴェインさまがそばにいらっしゃると、女同士、話しづらいこともあるものなのです」
つまり、今のうちに会って話しておきたいことがある、と……?
瞬間、僕はひゅっと息を吸った。
――看守と囚人のような婚約者とフィオレアナ、遠慮がちなフィオレアナ、フィオレアナから目を離さない婚約者、友人に接触したがっているフィオレアナ……。
僕の妄想力が、かっ飛んだ。
フィオレアナとどうこうなってあれこれあるかも……と夢想していたのと、概ね同じ部分の妄想力である。
自覚は出来るが止められない。
所詮僕も青い若者なのだ。
――もしやこの婚約、フィオレアナは望んでいないのでは……!?
いや、貴族だし、望んで結婚する方がむしろ稀ではある。
けれども近年では、政略婚とはいえ出来る限り当人たちは仲良くしましょうね、というのが時勢のはずだ。
だがもしかしてフィオレアナは、イヴンアローとドーンベルの仲の回復のための犠牲にされようとしている……?
そして友人と、こっそりひっそり脱出劇の計画を立てようとしているのでは……!?
そう思うと居ても立ってもいられなくなった。
僕は思わず尋ねていた。
「――フィオリーさま、今……納得していますか?」
「納得?」
訊き返された。
きょとんと見開かれた大きな目。
ダンスのターン。
くるりと回るフィオレアナのドレスの裾が靡く。
そしてまた目が合う。
僕は頷き、殆ど発作的に言っていた。
「そうです。もし……もしも、フィオリーさま、ご納得されていないのなら、」
「はい?」
「まだ出来ることはあります。僕――あ、いや、誰かが、貴女を賭けて決闘するとか」
決闘で婚約が無効になるかは不透明だけど。
二十年前なら確実だったんだけど。
――というようなことを考え、しかし、「僕はあなたのためなら決闘だって出来ます」という思いを籠めてフィオレアナを見つめていると。
束の間ぽかんとしていた彼女が、急に、さっと表情を強張らせた。
◇◇◇
アルヴェインが、後ろを向いてさえ私の手を離さなかったときはさすがに、「こいつマジかよ……」とは思ったものの、まあ、この過保護っぷりは愛情の証左なので、嬉しくないかと言われれば、嬉しい。
が、幸いあれアーリーレッド侯爵ご夫婦の粋な計らいにより、私はオーガスタくんと一曲踊ることになった。
いやもう、すごいね。
アルヴェインの顔。
ここまで強張ることがあるのかというほど強張った顔だった。
とはいえ、仮にアルヴェインが他のご令嬢とダンスするなんてことになれば、私は恐らくそのご令嬢相手に呪いの手紙を送るだろう。
それを思えばまだ可愛い。
しかもアルヴェインは、私と違って心が広い。
後で「心配させてごめん」と誠心誠意謝れば、機嫌も直してくれるだろう。
ということで、わーい。
これを機にカトリーヌたちが来ていないかどうか捜して、来ているようなら『ロルフレッドとティアーナ』の話がしたい。
今すっごくいいところなんだよ。
ロルフレッドはなんとかティアーナとの恋を周囲に認めさせたんだけど、そうすると今度は、「わかった、じゃあティアーナのことは妾にして、正妻はきちんとした家柄の者を据えろ」という勢力が出てきて、ロルフレッドは苦しんでいる……という……。
きょろきょろする私が気になったのか、オーガスタくんが怪訝そう。
お友だちを捜していると正直に白状した私は、「なので、一曲と言わずにお友だちを発見したらさっさと解放してね」と言いそうになったが、幸いにもその本音が口から転がり落ちる前に、オーガスタくんが尋ねてくれた。
「何か、お約束でも?」
「いえ、そういうわけではないのですけれど……。お会いできたらお話ししたいことがあって」
我々は貴族なのよ、ロルフレッドの葛藤がわかるのよ……。
なんたって考証のための、作者さま直々の質問に答えているのは私たちですから。
「普段はお会いになれないんです?」
この子、見た目は大きくなったけど、言葉遣いとか物腰とかは、全然まだまだ子供だな。
ダンスもあんまり上手じゃない。
この子と踊るのは初めてだから、壊滅的な下手くそさからここに至ったのか、それとも練習をさぼっていたのかはわからないが。
比べるのも可哀そうだが、アルヴェインと比較すると明確に下手だ。
あいつ相手なら絶対に遣わない気を回してあげなきゃいけなくて、これは二曲目を誘われても断るな。
最近はアルヴェインとしか踊っていないので、あいつ相手の快適かつ楽しいダンスに慣れてしまったのだ。
恋しくなっちゃうくらい。
「お会いになれないのですか、よ。
――最近、あれこれと忙しくて個人的な約束はしづらくて。他の夜会でお会いできることもあるのですけれど、アルヴェインさまがそばにいらっしゃると、女同士、話しづらいこともあるものなのです」
アルヴェインは我々の趣味に理解があるとはいえ、さすがに架空の人物の精神分析までしかねない私たちの談義を聞いたら引くだろう。
それにアルヴェインがその場にいるだけで、私たちとしてはお喋りもしづらくなるというもので。
アルヴェインには一切何の不満もないし、こんな私を選んでくれてありがとうという気持ちしかないけれど、でも強いて言うならこの一点、私がお友だちと会う間だけは席を外してほしいという一点だけがある。
たまには思いっきり趣味の話もしたいよ! と訴えてみたところ、お茶会程度なら……と言われた。
どうやらアルヴェインは、夜会や往来で私から目を離すのが心配なだけで、たとえば誰かのお屋敷で友人だけの茶会を行うなら、別に反対はしないらしい。
が、残念ながらまだお茶会ができる時間はない。
毎日結婚準備で忙しい。
それはそれで、アルヴェインと一緒にいられるから楽しいっちゃ楽しいんだけど……。
シーズンが終わるまで耐えたら、お友だちとも会えるようになるけれど……。
と、そんなことを考えていたら。
「――フィオリーさま、今……納得していますか?」
オーガスタくんが突然そんなことを言い出し、私はぎょっとした。
え? 何この子、心を読んできた?
そんな魔法、私だって知らないぞ?
「納得?」
訊き返す。
ダンスのターン。
くるりと回る私の視界に、一瞬、苛ついているアルヴェインが映る。
ごめんごめん、すぐそっちに戻るよ。
カトリーヌたちは居なさそうだし。
そう思っていると、ターンが終わってまたオーガスタくんと目が合う。
オーガスタくんが、何やら真面目くさって頷いた。
「そうです。もし……もしも、フィオリーさま、ご納得されていないのなら、」
「はい?」
え? マジで何の話?
「まだ出来ることはあります。僕――あ、いや、誰かが、貴女を賭けて決闘するとか」
「…………」
瞬間、さあああっと私の血の気が引いた。
やばい、これは……これは……
……どこぞの令嬢が、オーガスタくんを派遣してきたのかもしれない。
冷静に考えよう。
アルヴェインはやたら心配しているが、オーガスタくんが私に想いを寄せてどうこう……みたいなことは、たぶん、というか絶対、ない。
ぶっちゃけ、オーガスタくんのことが記憶から薄れ掛かっているので如何とも言い難いが、確かオーガスタくんと会ったとき、私は「久しぶりの貴族、やったー!」みたいな感じで偉そうにしていた。
しかも私である。
アルウィリスに失恋してからこっち、一度たりとも誰にも惚れられず、今生でとうとうアルヴェインに振り向いてもらった私である。
ないないない。
ということは、考えられるのは。
――どこかの令嬢がアルヴェインに惚れていて、邪魔な私を退場させるために、他の男との噂を作って流すべく、オーガスタくんを派遣してきたに違いない……!
というか、待って。
もしや、これを警戒してアルヴェインは私をそばから離さなかったのでは……!?
あいつは自己肯定感が高い、というか適正なので、四方八方からお熱な視線で見られていることに気づいていたに違いない……!
固まる確信、そして同時にむかっとした。
これさ、私はずっと、「アルヴェインったら心配性だなあ」みたいなほっこりする気持ちで守られていたのに、実は逆でした――つまり、嫉妬深い私から周囲のご令嬢を守るために私をそばから離していませんでした、ってことだったら、かなり面白くない。
そう思いつつ、曲の途中でマナー違反ではあったが、私は動きを止めて、オーガスタくんの手の中から自分の手を引っこ抜いた。
当然、オーガスタくんがびっくりする。
私は彼を矯めつ眇めつした。
「……どこかのご令嬢と話されました……?」
オーガスタくん、唖然。
この唖然が、「何言ってんの?」なのか、「なぜばれた?」なのかはわからないが。
オーガスタくんを派遣してきた犯人は気になるが、そんなことは二の次だ。
さっさとアルヴェインのそばに戻って、変な噂が立たないようにしないと。




