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ダンス 01




ネタが下りてきたので、追加4話


1/4





 僕はオーガスタ・ベケット。

 ドーヴィー子爵の一人息子である。


 僕の生家であるドーヴィー子爵家は、もともとドーンベル伯爵の臣下だった。

 幾代か前の戦争の折の献身が認められ、伯爵領の一部を拝領する形で、国王陛下に爵位を認められたことが一族の始まり、らしい。


 というわけで、僕の一族の領地はドーンベル伯爵の領地に、ちょこんとくっ付くように存在している。

 小さい頃から、伯爵ご一家が領地にいらっしゃるときには、ご挨拶に参じるのが僕たちの一家の習いだった。


 そして僕は九歳のとき、フィオレアナ・パライヴァに出会った。


 僕の父上がドーンベル伯爵に挨拶に参じたときである。

 季節は秋だった。


 僕が伯爵へのご挨拶に同行したのは、それが初めてだった。

 それまでは幼過ぎたのだ。


 伯爵ご一家に丁重に挨拶したあと、父上は伯爵閣下と小難しい形があるらしく、僕は使用人に預けられた。

 使用人は僕を、「他所の貴族のおぼっちゃん」と見なして丁寧に接してくれ、ある程度の行いには目を瞑ってくれた。

 それをいいことに――今では考えられないが――僕はお屋敷の裏口から、勝手に外に出たのだった。


 そのとき、声が掛かった。


「――きみ!」


 高い、澄んだ少女の声だった。

 僕が慌てて周囲を見渡していると、「こっちこっち」と声が重なる。


 聞こえた方に顔を上げると、お屋敷――ドーンベル伯爵のマナーハウス――の裏手に並ぶイチョウの木の、高い場所にある枝の上から、女の子がこっちに手を振っていた。


 折しもイチョウの葉は黄色に染まりつつあり、女の子の長い金色の髪、透けるような白い肌と、大きな金色の瞳が相俟って、僕は一瞬、「イチョウの妖精だ」と思った。


 が、それも束の間だった。


 僕と目が合って一秒で、女の子はがっかりしたように顔を顰めたのだ。

 およそ妖精らしからぬ表情だった。


 続いて事態を把握して、僕は蒼くなった。

 てっきり、女の子が木登りをしたものの、降りられなくなっているのではないかと思ったのだ。


 慌ててイチョウの根本に駆け寄り、幹に手を突いて頭上を仰いで叫んだものである。


「――だいじょうぶ!? 誰か呼んで来ようか!」


「あっ、だめだめ!」


 女の子は慌てたようにそう言って、直後、信じられないほど身軽な動きで、するすると幹を伝って降りてきた。


 僕は慌てて顔を逸らし、木の幹から後退って、どきまぎしていた。

 何しろ女の子は――派手派手しいものではなかったが――ドレスを着ていたので。


 よっ、と声を出して無事に着地した女の子は、天真爛漫に微笑んだ。


「びっくりさせてごめんね。きみ、ドーヴィー子爵のご子息だよね?」


 僕はおずおずと女の子に顔を向ける。


「そう……だけど……?」


「やっぱり! 綺麗な格好してるものね!」


 女の子は弾けるように笑ってから、次に気まずそうな表情になった。


「私はフィオレアナ。フィオレアナ・パライヴァ」


「パライヴァ……!?」


 驚愕の声が喉に詰まる僕。


 ――ドーンベル伯爵、というのは、称号だ。

 今、その伯爵の地位を拝命している一族はパライヴァ。


「嘘だ……」


 呟いてしまった僕を、誰が責められよう。

 僕の頭の中では、伯爵令嬢というものはもっとこうたおやかで、淑やかで、決して木の上に登ったりするものではなかったのである。


「失礼ね」


 フィオレアナはつんと顎を上げた。

 そのときの彼女は七つだったが、ずいぶん大人びた仕草をしていたと記憶している。


「さっき、あなたのご一家が私のお父さまとお母さまにご挨拶なさってたでしょ? 私、入れてもらえなかったのよ。デビュー前の女の子だから」


 フィオレアナが嫌悪を籠めて顔を顰めた。


「トマスはまだ四歳なのに連れて行かれたのに……」


 僕はどぎまぎした。


「ご、ごめんなさい……?」


「あら、なんできみが謝るのよ。いいのよ。

 ――それで、私、きみの顔が見たかったの」


「えっ……」


 どきっとした。

 僕が大きく目を見開く一方、フィオレアナは遠い目をしていた。


「もしかしたら()()()かなと思ったんだけど……」


「…………?」


 意味がわからず首を傾げると、フィオレアナははっとしたようだった。

 慌てたようにわたわたと手を振ってくる。


「あっ、なんでもないのよ。歳が近いから、お友だちになってくれるかしらと思って。ね?」


「え、あ、うん……」


「それで、あなたのお部屋、この三階でしょう? 見えないかしらと思って、木登りしたの」


 なんという力技。

 僕がぽかんとしてイチョウを仰ぎ見ると、フィオレアナは胸を張った。


「二階の窓から飛び移るとね、案外簡単よ」


「…………」


 なんという行動力。

 僕は恐れをなして呟いた。


「……すごいね……」


「普通よ」


 フィオレアナはあっさり言って、お屋敷から離れる方向に駆け出した。

 その向こうは、庭園というには広大すぎるように思える庭園だ。


 僕も慌ててフィオレアナを追いかけた。

 鈴懸の木のそばで彼女に追いついて、思わず言ってしまう。


「伯爵さまのお嬢さまって、もっとこう……おしとやかなんだと思ってた」


「人によるんじゃないかな」


「あっ、そっか」


「きみ、名前はなんだっけ」


「オーガスタ」


「いい名前ね」


 フィオレアナがにっこりと笑った。

 僕はいっそうどきどきした。


「きみ……ええっと、フィオ……?」


「フィオレアナ。私の方が偉いのよ。人前では『さま』をつけてね」


 僕が緊張のあまり数回舌を噛むと、フィオレアナは心底面白そうに笑ってから言った。


「フィオリーでいいわ。『フィオリーさま』よ。言ってごらん」


 すごく子ども扱いされている気がしないでもなかったが、僕は「フィオリーさま」と素直に繰り返した。


 フィオレアナはにこにこして、「かわいいね」と言ってくれたが、褒められている気はしなかった。



 ――こうして僕とフィオレアナは出会った。


 僕がドーンベル伯のマナーハウスに滞在している間、僕たちは頻繁にこの鈴懸の木のそばで遊んだ。



 ドーンベル伯は、待望の男児がまだ小さいということで、王都よりも領地に留まることが多く、僕は頻繁にドーンベル伯爵のマナーハウスに挨拶に伺い――、そして、フィオレアナと会うことになる。



 僕が十一歳になったとき、習いたてのダンスを胸に秘めて彼女に会いに行き、暮れなずむ庭園の鈴懸の木の下で、小さなフィオレアナをダンスに誘ったことを覚えている。


 フィオレアナは面喰らった様子で僕のつたない誘いを受け、何やらくすくす笑いながら付き合ってくれた。


 その彼女の金色の髪が踊り、夕日を受けて明るい色に煌めいたこと――



 ――思えば初恋だった。



 そんな僕とフィオレアナも、ドーンベル伯の跡取りのトマス坊ちゃんが大きくなるにつれ、王都のタウン・ハウスで過ごすことが多くなった伯爵の動向を受け、徐々に会えなくなっていった。


 季節ごとにフィオレアナはマナーハウスに戻っていたのかもしれないが、僕が大学に入ると、もうどうにも会いようがなくなったのだ。



 そして今、僕は十七歳。


 大学を出て、晴れて一人前の紳士。



 フィオレアナは十五歳のはずで、十五歳といえば社交界デビューの歳で、上手くすれば彼女と再会できるだろう。

 フィオレアナはさぞかし綺麗になっているに違いない。


 もしかしたら、彼女が僕の初恋であるように、僕が彼女の初恋である可能性だってある。


 数年ぶりに会って、もしかしたらこう、なんやかんやあって、あれこれあって、僕が逆玉の輿、ドーンベル伯に気に入られてフィオレアナとどうこうなる可能性も……



 ……とか妄想していた僕に激震。



 フィオレアナは、社交界に出るや否や、待ってましたとばかりに搔っ攫われていた。


 しかも相手はイヴンアロー侯爵の嫡男だとか。

 いやいや待って、何をどうしてそうなった?

 ドーンベル伯はイヴンアロー侯とは犬猿の仲のはず……。


 社交界では、あの二人は婚約しただの、いや破談になっただの、やっぱり婚約しただの、噂話が右往左往していた、らしい。


 僕が大学を出たのは八月のこと、そのときには噂話は落ち着いて、「あの二人はご婚約されました」と、全ての説が統一されていた。



 ちょおおおおおおおっと待ったあああ!!





 というわけで、九月下旬、僕が大学を出て初の夜会。

 主催はボウ伯爵。


 伯爵のタウン・ハウスまで馬車で運ばれつつ、僕は口から魂が出ていくのを感じていた。


 僕は間一髪で間に合わなかったが、イヴンアロー侯爵主催の二人の婚約披露の夜会は、そりゃもう盛大だったとか。

 見たかったような、見たくなかったような……。


 父上に何度か、「その()()()()()口を閉じなさい」と言われながらの道中。

 父上、抜けているのは()ではなく()でして……。



 到着した夜会の会場、全てが煌びやか。

 大学の男社会に慣れ切った僕には、女性の色とりどりの装いが、なんかもう晴れ間の虹みたいに見えてくる。



 そして僕は、「これはこれは! アルヴェインどの、フィオレアナ嬢! ご婚約披露以来でございますな!」という、いわば()()にあたる人のご令嬢とその婚約者相手に、めいっぱい媚びを売る父上に導かれ、数年ぶりにフィオレアナの顔を見ることになった。


 おおぅ、思っていた以上だ。


 金髪をしっかりと結って飾り、まだどことなく幼さの残る顔立ちに化粧を施して微笑んでいるフィオレアナは、僕が思っていたよりも相当可愛くなっていた。

 大学に行っていたのが悔やまれる……。


 卒なく父上から挨拶のキスを手背に受け、「ドーヴィー子爵さま、先日はご丁寧なお祝い、まことにありがとう存じました」と受け答えしている様は、まさに一人前の淑女。婚約者の腕に上品に掴まり、寄り添って立っている姿は、『婚約したてのうら若き令嬢』と看板をつけて立たせておきたくなるほどのものだった。


 胸に込み上げてくるものがある。

 再会したと思ったら、既に遠くに行ってしまっているフィオレアナ……。


 諸々の思いを籠めて歯を食いしばっていると、空気を読まない父上が、「倅がお会いするのは初めてでしたな」と、僕を紹介し始めた。


 は? 初めて?

 そんなはずないだろう、フィオレアナとは頻繁に会っていた――と思ったが、よく考えるまでもなく、これはフィオレアナの婚約者に向けた言葉だった。


 僕は内心を埋葬しつつ頭を下げ、名乗って顔を上げ、そのとき初めてフィオレアナの婚約者、イヴンアロー侯爵の嫡男、アルヴェイン・ルベラスをまともに見た。


「――――」



 格が違った。


 めちゃくちゃ美男子だった。



 背が高い、均整の取れた身体つき。

 整った精悍な顔。

 自信に溢れた表情。


 どこをとっても非の打ちどころがない。


 ぴきん、と固まった僕に、フィオレアナの婚約者が笑顔で手を差し出してくる。


「初めまして、ですね。オーガスタ――と呼んで構わないだろうか」


 はい……と答えて握手に応じつつ、僕は内心で叫んでいた。



 ――何か! 何か非の打ちどころがあれよ!

 なんで非の打ちどころがない上にフィオレアナを掻っ攫ってんだよ!

 そこは痘痕面であれよ!

 なんだよその、なんか無駄にきらきらした顔は!!



 内心の叫びを頑張って内心に留めつつ、僕はフィオレアナに向き直る。


 うっ、可愛い……。

 マジで、大学なんて行ってる場合じゃなかった……。



 というわけで、僕は敗残兵の笑みを浮かべる。



「……久しぶり……だね。フィオリーさま」


 子供の頃からのその呼び方に、懐かしそうにフィオレアナが目を細め、――転瞬、僕は寒気を覚えて身震いした。



 あれ?

 なんか、空気が変わった?





















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