猫 01
ラブコメ全開後日談
王太子殿下の生誕祝賀の舞踏会で、俺――アルヴェイン・ルベラスは、誰がどう見ても求婚だろうとわかる、明々白々な求婚を、ドーンベル伯爵の令嬢であるフィオレアナ・パライヴァに対して行い、そして誰がどう見ても「諾」だとわかる返答を貰った。
大勝利である。
俺としてはにやにや笑いが止まらない。
社交界には速やかに、「あの犬猿の仲のイヴンアロー侯爵とドーンベル伯爵、二人の子女が婚約したぞ!」という噂が出回った。
これまでもその噂はあったが、あくまで「婚約予定」だったから。
今度こそ婚約。
よっしゃ。
これで、フィオレアナに変な虫がつくのも避けられる。
思えば、フィオレアナの社交界デビューの日に出会えたのは運が良かった。
そうでなければ、どこでどうフィオレアナが見初められていたかわからない。
柄ではないほど浮かれまくった俺は、付き人のセドリックからも、「……良かったですね」という引き気味の祝福を貰った。
フィオレアナに振られると思い込んでいた俺は、誰がどう見てもわかる落ち込みようを見せていたから、そこからの回復の激しさに、ちょっと引かれてしまったらしい。
とはいえ、貴族の婚約というものは大変である。
それぞれが相手の一族に挨拶を済ませ、婚約式で婚約証書に署名をしたら、陛下にご挨拶、王妃殿下にご挨拶、王子および王子妃殿下、王女殿下にご挨拶、方々親戚一同にご挨拶、友人一同にご挨拶、と、挨拶に次ぐ挨拶、贈り物に次ぐ贈り物。
俺は――あんまり匂わせると、フィオレアナが可愛い嫉妬をしてくるから態度には出さないようにしているが――過去にもこうした煩わしいことを経験したことがある。
が、フィオレアナには全く未知だ(未知で良かった。そうでなければ俺が新しい魔法を開発してでも、フィオレアナの過去の男を殺しにいかねばならないところだった)。
フィオレアナは、まず俺の両親に会うことに緊張し、それをやっとこなしたと思ったら襲い掛かってきた準備の群れに、「こんなに大変なのか」と目を剥いていた。
まあ、両家には手慣れた家令がいる。
あと、両家夫人もそこは慣れたもの。
ある程度はそっちも頼れる。
ちなみにだが、両家へのそれぞれの挨拶の首尾は上々だった。
重ねてきた人生の数が数なので、二人とも卒なく振る舞うことなどわけないのだ。
俺の方は全く問題なくドーンベル伯のお気に召し、夫人のお眼鏡に適い、義弟となるトマスには懐かれた。
フィオレアナの方も、問題がなさすぎるくらいにきちんと振る舞ったが、それでも不安になるのか、挨拶のあいだ中、事あるごとに俺に頼るような目を向けてきて、俺は内心で笑み崩れていた。
何より俺が嬉しいのは、ご挨拶となれば、主役二人が揃わねばならない点だ。
つまり、最近はフィオレアナとべったり一緒にいられる。
控えめに言って最高である。
今生で出会ってからしばらくは、犬猿の仲の一族にあって、会うにも人目を忍ばねばならなかったから、それを思うとますます嬉しい。
とはいえ、フィオレアナの方は俺より更に大変そうだった。
王妃殿下や王子妃殿下たち、あるいは社交界のご夫人がたとの、いわゆる「女同士の付き合い」のためのお茶会に動員されているほか、嫁入り道具の選定と作成に入ったらしい。
たとえば衣裳櫃とかは、フィオレアナのお母上から受け継ぐものをそのまま運搬する手筈を整えるだけでいいが、結婚式のドレスなどの仕立てが大変らしい。
なんか、ヴェールのレースは自分で作成するのが望ましく、出来れば仲のいい友人から一針ずつ貰うのがいいとか、そういう縁起を担ぐのもあって大変なんだとか。
俺とフィオレアナは――この時代にあって、露見することは絶対に避けねばならないが――魔法が使える。
蝋燭の灯を通じて会話を成立させる魔法は互いの十八番だから、殆ど毎夜のように会話していて、そのときにフィオレアナがぼそっと、「こんなに大変だとは思わなかった」と零したものだから、俺はひやっとした。
ないとは思うが、「準備が大変だから、やっぱり結婚はやめよう」と言われたらどうしようと思ったのだ。
「あんまり大変なようなら、何とかできないか俺の方でも考えるけど」
大慌てでそう言うと、蝋燭の向こうでフィオレアナが笑った。
『大丈夫だよ。初めてのことで結構面白いし、時間もあるし』
そうか、と俺も笑ったが、――待ってくれ。
時間もある?
どうして断言できるんだろう――と首を傾げていたら、翌日、「知らなかったのか」と父上からぶっ刺された。
フィオレアナとの婚約が決まってから、初めて冷水をぶっかけられた瞬間だった。
「フィオレアナ嬢との婚姻は、早くともおまえがミディグレイ男爵位を継いでからだぞ」
はああああ!?
というわけで俺はぶすくれている。
夜会――最近は挨拶も兼ねて、夜会に次ぐ夜会だから、いちいち誰の招待かなんて覚えていられなくなってきた――に向かう馬車の中。
婚約者として俺がフィオレアナのエスコートをするから、ドーンベル伯のタウン・ハウスまで、彼女を迎えに行き、彼女を馬車の中に、彼女の従僕をセドリックと一緒に馬車の後ろの立ち台に乗せて、がたごとと会場に向かっている最中である。
「おまえは知っていたのか」
「何を?」
「結婚は俺がミディグレイ男爵になってからだって」
「知ってたけど。――え? おまえは知らなかったの?」
意外そうに目を瞠られた。
金に近い明るい鳶色の瞳。
俺はむすっと唇を曲げる。
ガキっぽいのは自覚できるが我慢できなかった。
「……知らなかった」
逆になんでおまえは知ってたんだ、と眼差しで問い詰めると、フィオレアナはあっさり言った。
「婚約証書に書いてあったじゃん」
「え」
「おまえ、よく読まずにサインしたのか?」
信じられない、というような語調で言われてしまった。
俺は気まずさに顔を顰める。
「いや、だって……」
「ん?」
「……やっと婚約だ、って浮かれてたから……」
フィオレアナが赤くなった。
彼女が下を向いて、「……そう」と呟く。
それから顔を上げて、そっと指摘してきた。
「そんな風には見えなかったけど」
それはそうだろう。
俺だってフィオレアナの前では格好をつける。
そう思いつつ、俺はふざけて彼女の手を握った。
それだけでフィオレアナはあからさまに動揺する。
反応は可愛いが、未だに手を握る他には、一度の口づけしか交わしていないのはどうなのか。
婚約したとはいえ、逆にいえばまだ婚約者でしかない。
二人きりになれる場も限られるし、どちらかの屋敷を訪ねていっても、絶対に周囲が目を光らせている状況だ。
色々と欲求不満だ。
「つれないな、そういう条項は指摘してくれないと」
「なっ――なんで」
「早く結婚したいのは俺だけか」
フィオレアナは真顔になった。
「いや、準備が大変だから、ある程度時間はないと」
「…………」
俺は思わず、真面目に確認してしまった。
「おまえ、俺のこと好きなんだよな?」
フィオレアナは赤くなった。
俺は安心した。
俺がミディグレイ男爵位を継ぐのは、俺が十九歳になってからである。
あと半年もある。
――と思ってむかついていたが、捨てる神あれば拾う神あり。
父上から指示が出た。
――曰く、近く男爵位を継ぐに当たって、俺はしばらく男爵領のマナーハウスにいることになる。
そのために、現男爵(つまり、父上)の名代として、マナーハウスを近々一度訪ねて、現地を切り盛りしている臣下と親交を深めて来いと。
そして俺が内心で万歳したことに、そこにフィオレアナも同行させろとのことだった。
これはまあ、指示としては妥当だ。
何しろ、フィオレアナは男爵家のマナーハウスの女主人になるわけなので、現地の女性陣に顔見世をしておく必要がある。
俺は澄ました顔で拝命し、いそいそと約束を取り付け、ドーンベル伯爵家に向かった。
伯爵に面会を求め、斯く斯く云々なのでご令嬢をお連れしたい、と申し出る。
婚約を認めた以上、伯爵も、「やむなし」としか言えない。
俺はもちろん、これは公務の一環であって、断じてフィオレアナ嬢に先走った真似はしませんと誓った。
これは本心だ。
気が急いて余計な真似をすれば、それが後から自分たちの首を絞めることになる。
俺はフィオレアナと一緒にいられる時間が長ければ、今のところはそれでいい。
フィオレアナには、伯爵から話をしてくれるそう。
将来の義父に頭を下げて、俺は伯爵邸を退出した。
その夜、フィオレアナから接触があった。
例の蝋燭を通じた魔法である。
『――アルヴェイン?』
俺は暇潰しに本を読んでいたが、聞こえた声ににっこり笑って、本を放り出して応じた。
「フィオレアナ」
『今は大丈夫?』
「もちろん」
『お父さまから聞いたんだが――』
俺は頷いた。
「ああ、ミディグレイ男爵領まで同行してもらうことになる」
『さっき地図を見てたんだ。ここより南だよな。馬車だと一日とちょっとくらい?』
フィオレアナの声が弾んでいるので、俺は安心した。
「ああ。結構いいところだ。大河の畔で穀倉地帯がある」
『おまえは住んでたことがあるの?』
「二年程度な。十歳くらいのときだったかな」
ふうん、と呟いて、フィオレアナは明るい声で言った。
『楽しみにしている。いつ頃行くことになる?』
「あっちに使者を走らせて、準備させてからになる。でも、早めに行ってこいというのが父上の意向だからな。ひと月以内には出発だと思っておいてくれ」
『わかった。――向こうに癖の強い人はいた?』
フィオレアナの声が、少しだけ警戒を帯びた。
俺は苦笑する。
「さすがに覚えていない。でも、おまえの手に負えないような人間はいないと思う。それに、」
『それに?』
「俺は絶対におまえの味方だから。何か困ったことがあれば俺に言ってくれ」
蝋燭の向こうで、フィオレアナが沈黙した。
俺は困惑する。
――おかしなことは言っていないはずだ。
女性には女性社会があるが、やはりどこまでいっても、領内の最高権力者は領主であり、使用人の中で最も地位が高いのは家令。
たとえばミディグレイ男爵家の侍女長が曲者だったとしても、家令から直々に注意されれば態度は改めざるを得ない。
そして家令は基本的に、家長への忠誠心を基準に選ばれているはずなのだ。
そういうことを考え合わせているうちに、蝋燭の向こうでフィオレアナが言った。
『……ありがとう、アルヴェイン。あの、』
「ん?」
数秒の沈黙。
それから、蝋燭の灯が大きく揺れた。
『大好きだぞ』
直後、恥ずかしくなったのかフィオレアナが魔法を打ち切った。
俺は突然の告白にぽかんとして、しばらくその場で固まっていた。




