39 転生魔女はマリーゴールドがお好き
アルヴェインがぽかんと口を開け、目を丸くして私を凝視している。
私はその場でのたうち回りそう。
何か、何か返事っぽいことを言ってくれ。
そういう思いを籠めて見つめていると、アルヴェインが片手で口許を覆った。
もう片方の手で欄干に縋り、明らかに混乱した風情だ。
「……ま――待ってくれ。フィオレアナ。頭がついていかない」
えっ。
私がおろおろしていると、アルヴェインが茫然とした様子で私を覗き込んできた。
どことなく探るような目つきでもある。
「……俺が好き? おまえが?」
改めてそう言われると、なんか居た堪れないな。
私は項垂れて頷く。
「うん……」
「……おまえの情緒がわからない……」
真剣な困惑の声を出させてしまった。
「おまえ、俺があれだけ口説いても、全く靡く気配もなかったのに、どういうことだ? 家出するほど俺からの気持ちが迷惑だったんじゃないのか」
「それは……」
「今さら遅いと思う、っていうのはなんだ。どういう意味だ」
「だっておまえ……」
目を上げると、アルヴェインは思ったよりも近くで私を覗き込んでいた。
ぎょっとして半歩下がる。
アルヴェインが手を伸ばして、私の手首を掴んだ。
「フィオレアナ?」
「だっておまえ……」
なんて言えばいいんだ。
「……ジョナサンさんのところで、凄い目で私を見てたじゃないか」
「は?」
「こう、おまえからのあったかい気持ちが蒸発していく音が聞こえそうだった」
「…………」
アルヴェインが片手で顔を覆った。
「わかった。逆上した俺が悪かった。
――それにしても、どういう風の吹き回しだ? 俺を散々袖にしたのに」
私が口籠ると、アルヴェインは微かに眉を寄せた。
「……また何かおかしなことを考えて、嘘をついているんじゃないだろうな」
私は首を振って、息を吸い込んだ。
今度はこっちからアルヴェインの手を握る。
彼の顔を見上げる。
「……まだ遅くないかな」
アルヴェインが首を傾げた。
「……何がだ?」
「わかり合おうって言ってくれただろう。まだ遅くないかな」
アルヴェインが瞬きして、ついで微笑んだ。
「俺たちの間のことなら、何も遅くない」
私は詰まりそうになる声を押し出す。
「……聞いてほしいことが……」
「うん」
「伝えておかないといけないことがあって……」
アルヴェインは微笑んだまま、私の頬に、白手袋に包まれた指先だけで軽く触れた。
「言ってくれ」
謹慎を言い渡されていた期間が長かったので、私もその間に、さすがに色々考えた。
アルヴェインに何を言うべきか。
――正直、「初対面のときのこと忘れてたじゃないか」だの、「どうせ私に飽きて捨てるんでしょ」だの、そういうのは言わない方がいい。
わかり合うために必要ならいくらでも吐くが、そうじゃない。
だってこんなの、私にとっては深刻な悩みでも、アルヴェインにとっては的外れな恨み言でしかないでしょう。
だから――
「……逃げ回って悪かった」
アルヴェインは頷いた。
「ああ。正直に言うと、かなりきつかった」
そう言ってから、やや遠慮がちに私の手を握ってくれる。
「……俺のことが迷惑だったわけでは、ないんだな?」
「違う」
即答する。
アルヴェインの顔を見られず、目を伏せる。
「おまえが嫌だったわけじゃない。私自身のことが嫌だったというか――」
アルヴェインが眉を寄せた。
「……どういう意味だ?」
「私は……」
呟いて、私はそっとアルヴェインの手の中から自分の手を引き抜いた。
「私は、おまえにコレクションされたいわけじゃない」
「は?」
アルヴェインが瞬きする。
本気で意味をとりかねたようだった。
私は惨めな気持ちで呟く。
「おまえには過去に、素敵な奥さまたちがいたんだろうけど、私はその列に加わりたいわけじゃない。
――おまえに、他の誰かと比べられることが怖かった。おまえの心を、もう死んでる人だって……誰とも共有したくない。
そのくらいなら、今の、この関係が良かった。それなら私はおまえと――誰とも違う関係でいられるから」
「――――」
「私はそういう奴なの。おまえの過去にすごく嫉妬してる。多分、ずっとそうだと思う。おまえのことが好きなんだから、おまえが過去に好きになった人が気になるのは、私にとっては仕方ないことなんだ。そういう人たちと比べられたくないっていうのは」
「――――」
私はどんどん下を向いてしまう。
靴の爪先が見える。
「でも、おまえにとっては迷惑な話だろう? こういう……嫉妬とか独占欲は。それはわかる。
――だから、おまえから逃げたんだ。おまえにとっては迷惑になるのを、どうしようもなかったから。もうこのまま死んじゃいたいくらいだった。
――でも、私はおまえが好きだから」
言いながら、一歩下がってしまった。
開いた距離に勇気を貰って、顔を上げる。
「おまえが、こういう私でもいいなら、おまえから愛されたい。おまえと結婚したい」
「――――」
アルヴェインは真剣な表情だった。
辟易した様子も、迷惑そうな様子もなかった。
ややあって、彼は頷いた。
「――なるほど」
呟いて、アルヴェインが一瞬、私から視線を外した。
庭園の方に目を落とした彼が、しかしまたすぐに私に目を戻す。
葡萄色の双眸。
「フィオレアナ」
彼が私の手を取った。
そのまま、今度は指を絡められる。
私の心臓の鼓動が一拍飛んで、危うく私は失神しかけた。
私は真っ赤になったに違いない、その証拠に、アルヴェインがふっと笑った。
だがすぐに生真面目な表情に戻って、彼が私の顔を覗き込む。
「――正直に言おう。全く迷惑じゃない」
息を吸って。
「確かに、おまえが初恋かと問われるとそうではないが、――いいか。
過去のものに出来る恋は確かにしてきたが、過去のものに出来ない恋はこれが初めてだ」
私は息が出来ない。
すごい勢いで身体中の血が頭に集まっているかのよう。
「嫉妬が悪いことか? 独占欲が悪いことか? そんなことを誰が決めたんだ。
――恋の形を問う歌が古今東西尽きないのは、恋の形が千差万別だからだろう」
アルヴェインが私と丁寧に目を合わせたまま、微かに笑った。
「嫉妬も独占欲も、俺たちの恋においては正しい形だ」
アルヴェインがその場に膝を突いた。
私の手を取ったまま。
私は立っているのがやっと。
急展開に頭がついていかない。
ただアルヴェインの声だけが聞こえる、言葉だけがわかる。
「俺はおまえの、奇想天外なところが好きだ。ちょっと間が抜けているところが好きだ。生真面目なところが好きだ。でも、そういうところが変わっていっても好きだと思う」
心臓が耳許で鳴っているかのよう。
はち切れんばかりに打つ心臓が痛い。
「俺はおまえのための形をした恋心を、おまえにだけ捧げる。俺に捧げられる限りの、完璧な、これ一つだけの完全な形で。
他の何かの欠片でもない、他の誰かにやったものの流用でもない、これは完全にこの一つだけの、おまえのためだけのものだ」
アルヴェインが私の手背に口づけした。
「永久におまえのものだ。――受け取ってくれるか?」
――差し出された恋心が余りにも眩しくて、私の頭は真っ白になる。
「――――」
声が出ない。
待って。
水を。
ちょっと待って。
これは私には刺激的すぎる。
凍りつく私を見て、アルヴェインが、「嘘だろう?」という顔をした。
慌てて、とにかく頷く。
必死に何度も頷いているうちに、アルヴェインが言った。
「結婚してくれるか?」
あっ勢い余って頷いちゃった。
いや、返事はイエス以外にはないんだけど――
アルヴェインがにっこり笑って、立ち上がった。
ようやく私の頭も回り始めた。
気のせいでなければ大広間の方で何かすごい大騒ぎになっているような気がする。
怖くてそっちを見られない。
ついでに、他の理由でも見られない。
アルヴェインが熱っぽく私を見つめてくる。
あわわわ。
自分の顔が真っ赤になっているのがわかる。
私の顔をまじまじと観察して、アルヴェインが微笑んだ。
「嫉妬くらいは普通のことだ。おまえは潔癖なんだな。そんな程度で振り回さないでくれ」
ようやく私は息を吹き返した。
「――そんな程度って……私だって悩んだんだ!」
そりゃもう。
百年以上の単位で悩んできた。
アルヴェインは唐突に笑みを消して真顔になった。
「普通だよ。――おまえの過去に男がいたなら、俺は時間を遡ってでもそいつを殺してる」
「…………」
えっ、怖……。
「おまえの嫉妬なんて可愛いものだよ。気にするな」
アルヴェインが囁いて、私を抱き寄せた。
わ――っ!
「これからは、変に思い詰める前に俺に話してくれ。話し合えば大したことじゃなかったりもするだろう。
――やっとわかり合えたんだ。もう何かを抱え込んだりしないで」
私も、おずおずとアルヴェインの背中に手を回した。
「……うん」
実際、百年単位で悩んできたことだって、こうして打ち明けてみれば、全て許されたわけだから。
わかり合うというのは、私が思うより難しくて、そして重要なことらしい。
アルヴェインが私から身体を離して、顔を覗き込んできた。
近い。
近いよ。
端整な顔が近すぎて、そろそろ心臓が止まりそう。
「では改めて、フィオレアナ嬢」
「は――はい?」
目が泳いでしまう。
アルヴェインがにっこりと微笑む。
「さっきは騙し討ちにして悪かった。
――フィオレアナ嬢、俺と結婚してくれるか?」
「――――」
りんごんと頭の中で鐘が鳴る。
教会の荘厳な鐘である。
真っ青な空の下で散らされる花吹雪と、その下で仲良く寄り添う新郎新婦の私とアルヴェイン――
――その想像をして、初めて私は心の底から安堵できた。
「……はい」
小声で応じた私に愛おしげに微笑んで、アルヴェインがいっそう近くに顔を寄せてきた。
堪らず私は目を瞑る。
顎に指が添えられて、私は上を向かされる。
初めて重なった唇の感触に合わせて、鼻先で、白い薔薇が香った気がした。
その香りが、マリーゴールドの香りに上書きされていく。
――真実の愛はあったようだ。
私はもう、白薔薇の中で微笑むアルウィリスにではなくて、――今この瞬間そばにいてくれる、マリーゴールドの見頃が終わるまでにと誓ってくれた、アルヴェインに恋をしている。
(おわり)
お付き合いいただきましてありがとうございました!
これにて【本編】完結です。
すぐにおバカラブラブ後日談を3話更新します。
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