37 侵入者は……
どんどんどん! と扉が叩かれ、私とジョナサンさんは顔を見合わせる。
ジョナサンさんの気弱そうな面差しに、さああっと恐怖が拡がっていった。
それを見て、私も緊張。
声をひそめてジョナサンさんに確認する。
「……お知り合いが訪ねて来られる――ということは、あまり、ないことなんですか」
「あまりというか、全くありません」
「当然、今いらしている誰かさんに、お心当たりも――」
「ありません」
ジョナサンさんも声をひそめて応じる。
私はぎゅうっとお腹の底を絞られるような心地を覚えた。
つまり、不審者!
決然と立ち上がる。
「わかりました。私が出ます」
「何を仰っているんですか」
狂人を見る目で見られてしまった。
え、いや、一宿一飯の恩をお返ししようとですね……。
「黙ってやり過ごすべきです、こういうものは」
「え、でも……」
どんどんどんどん! と、さっきより激しく扉が叩かれる。
私は神妙に指摘した。
「窓から明かりが漏れていますし、中に人がいることは知られています。出て行かないと、扉を蹴破られる気がするんですが……」
ジョナサンさんは悲しそうな絶望の表情で机上のランプを眺めた。
「……そう、ですね……」
そして立ち上がると、ジョナサンさんは暖炉のそばに寄り、屈み込んだ。
立ち上がったとき、ジョナサンさんの手には火かき棒!
え、やるの? 殺るの?
「私が出ますから、お嬢さまは奥に」
「いえっ、私が……」
「駄目です!」
少なくとも私の方が強盗に対処する能力はあると思うな! と喉元まで出かかったが、ぐっと堪える。
いざとなれば離れていてもやりようはある。
問題は、この小屋、奥といえる場所があるほど広くはないということだ。
どんっ! と、もはや扉が殴られた。
やばいやばい、金目のものもなさそうなこの小屋に、どうしてそんなに執着するんだ、強盗。
ジョナサンさんが、生まれたての子鹿みたいに震えながら、扉に歩み寄った。
私は心配で胃が痛いよ。
無意識のうちに胸の前で両手を組んでしまう。
ジョナサンさんが、震える手を扉に掛けた――
――瞬間、外から扉が押し込まれるように勢いよく開いた。
直後、ジョナサンさんが吹っ飛んだ。
えっ殴られた?
火かき棒、無念、何も出来ずにジョナサンさんの手を離れて床を滑り、くるくる回る。
私は思わず悲鳴を上げ――
直後、今度はちゃんと意思を持って、明確に恐怖の悲鳴を上げた。
「だめっ!」
何しろこの侵入者、ばっちり凶器を持っている。
長剣の白刃が灯火に煌めく。
いやいや駄目だめ絶対だめっ!
全く無意識にジョナサンさんに駆け寄ろうとし――一瞬未満ののち、私はもっとやばいことに気づいた。
侵入者はアルヴェインだった。
「――――は?」
愕然とした声が漏れてしまう。
なんで?
どうしてここにアルヴェインがいるんだ?
しかもなんで武装しているんだ?
疑問符を飛ばすしかない私を、アルヴェインが葡萄色の目で一瞥した、ような気がした。
転瞬、彼が長剣を鞘に収める。
あー良かった、と思う間もなく、アルヴェインがつかつかとジョナサンさんに歩み寄り、
「ちょっと待って!?」
左手でジョナサンさんの襟首を掴み上げたアルヴェインが、躊躇なくジョナサンさんの顔面を殴った。
何してんの!?
「ちょっと待って! 駄目っ!」
絶叫してジョナサンさんに駆け寄る私。
そんな私を無表情で一瞥してから、アルヴェインがジョナサンさんに目を戻す。
――怖い……。
信じられないくらいアルヴェインが怒っている。
怒りのオーラが目に見えそう。
ここまで怒っているアルヴェインは見たことがない。
こいつがアルウィリスだったとき、私たちの紛争真っ只中でさえ、こんなに怒っている場面はなかった。
「この女に何をした?」
アルヴェインが低い声で言った。
私はなんとかアルヴェインの手に縋りつき、顔面を殴られたショックで口も利けないジョナサンさんに代わり、叫んだ。
「何もされてない! 宿がないからごはんを貰っただけだ!」
なーんだ、と緊張が解けるかと思いきや、アルヴェインは全く表情らしい表情を浮かべない。
葡萄色の瞳はなお氷点下。
怖い。
本当に怖い。
膝が笑いそう。
「この女がどういう立場か知っているのか? その上で、指一本でも触れたならいい度胸だ。明日の朝日は拝めないと思え」
これは――
「おまえは運がいい。数回半殺しにしてから殺してやろうと思っていたが、いざとなると数秒も生かしておきたくなくなるものだな。まどろっこしいことはせず、今すぐ殺してくれる」
「違うっ!」
叫んだ。
――まずい、すごい勘違いをされている。
ここで私とジョナサンさんが偶然出会ったのではなくて、ジョナサンさんが私を誘拐したとでも思っているんじゃないか、こいつ?
「違う! 偶然会って厄介になっていただけだから! いったん手を放して!」
「は?」
アルヴェインが私を見た。
私は失神しそうになった。
新たなトラウマになりそうな目つきだ。
こんなアルヴェインは知らない。
凄絶な、氷点下から一気に燃え上がったようなその瞳。
「馬鹿にするのも大概にしろよ。――男の家に上がり込んで、どういう目に遭うかわからないのか?」
唇が震える。
言わなければならないことがあるのに言えない。
アルヴェインの双眸が怖い。
私たちの間にあったはずの親愛が、最後の一滴まで蒸発していく音が聞こえてきそう。
「……ちっ――違い、ます……」
そのとき、息絶え絶えになっていたジョナサンさんが、やっとのことで言った。
アルヴェインはまさしくゴミを見る目でジョナサンさんを見て、手を離した。
どさ、と尻餅をつくジョナサンさん。
本当に申し訳ない……。
そばに膝を突いて顔を覗き込む。
殴られた頬が赤くなっている。
冷やさないと……。
思わずジョナサンさんの頬に手を伸ばしたとき、アルヴェインにその手首をがっきと掴まれた。
い、痛い。本当に痛い。
手加減なしの力の入れように、骨が軋む。
ジョナサンさんが慌てた様子で私とアルヴェインを見比べ、一瞬の躊躇ののち、言った。
「――違います、その……私が好きになるのは、男性、ですので……」
「――――」
「――――」
私は自由な方の手で額を押さえた。
最悪だ、言わせてしまった。
アルヴェインは沈黙している。
眉を寄せ、疑うような眼差しでジョナサンさんを射抜いている。
ジョナサンさんはなんとか体勢を立て直し、きちんと床に座り直した。
そして、諦めの口調で再度、念を押すように告げた。
「私が好きになるのは、男性ですので……お嬢さまは対象外です。ご心配なさっているようなことは、ありません」
「…………」
アルヴェインが、ゆっくりと深呼吸した。
私の手首が解放される。
ずきずき痛む手首を、思わずもう片方の手で庇ってしまう。
もう一度深呼吸してから、アルヴェインがジョナサンさんに手を差し出した。
びくつくジョナサンさん。
そんな彼に手を差し出したまま、アルヴェインはやや落ち着きを取り戻した声音で言った。
「――申し訳ない。恋敵かと」
ジョナサンさんが私を見た。
その目が、「こいつか?」と言っていた。
はい、直前まで話していたのがこいつです。
噂をすれば影とはいうものだな……。
そう思いつつ、びびり上がったジョナサンさんのために、私が先に立ち上がって手を伸べた。
頬が腫れ始めているジョナサンさんを見て、罪悪感で胸が痛む。
「本当にすみません……」
「いえ……」
ジョナサンさんが私の手を取ろうとした――そのとき、あっさりアルヴェインが割り込んできてジョナサンさんの手を掴み、彼を引き起こした。
立ち上がりながら、ジョナサンさんは今にも失神しそう。
私は大慌てでジョナサンさんの背を押して、さっきまで座っていた椅子の方に彼を誘導する。
よろめきながら椅子に腰掛けたジョナサンさんの前に膝を突いて、私は慙愧に堪えない。
「すみません、本当にすみません……」
「いえ……」
「お水はありますか? お顔を冷やさないと……」
後ろからつかつかと歩み寄ってきたアルヴェインが、私の肩を掴んで立ち上がらせ、ぐい、と後ろに押し遣った。
私は不格好によろめいた。
見上げたアルヴェインの横顔は、常にない冷淡さ。
私は心臓に氷水を注がれたような気持ちになった。
アルヴェインは私の方を一瞥もしない。
「手を上げたのは申し訳ないが、彼女の身分をご存知か。だとすればすぐに彼女を親元に帰すべきだとはお思いにならなかった?」
ジョナサンさんが項垂れる。
「お――仰るとおりで……」
「違う、私が悪くて」
割り込む私。
ここで下手な言質をとられて、ジョナサンさんが罪に問われることは避けなくてはならない。
「私が帰りたくないって言ったから――」
「は?」
アルヴェインが私を見た。
背筋が冷えた。
なにこの――冷たい目。
何を言われるかと身構えたのに、アルヴェインは私には何も言わなかった。
ジョナサンさんに目を戻して、冷ややかに言っていた。
「――彼女の失踪にあなたが関わっていたことは伏せておく。あなたも、ここに彼女がいたことは他言しないよう」
ジョナサンさんがこくりと頷く。
「はい……かしこまりました」
アルヴェインが私の肩に触れる。
外へ、と促す手振り。
私はそれを振り解いて、さっき私が借りたハンカチーフをテーブルの上から取り上げて、勝手口の方の土間に下りた。
やっぱりあった――甕に溜められた水。
その水を拝借してハンカチーフを絞り、ジョナサンさんのそばに戻って頬にそっとハンカチーフを宛がう。
「本当に申し訳ありません……」
「ああ、いえ……」
私に激怒してもおかしくないこの状況で、ジョナサンさんは寛大にも微笑んでくれた。
「物書きとしてはいい経験になりました」
「フィオレアナ」
アルヴェインが苛立った声で私を呼んだ。
ちらっと窺うと、「外へ」と顎で示している。
そんなアルヴェインをちらりと見て、ジョナサンさんは声をひそめて私に囁いた。
「……お嬢さま、これは私見ですが……」
「はい?」
瞬く私に、ジョナサンさんは遠慮がちな微笑を浮かべる。
「――仰っていたような心配は無用かと」
「――――」
私は唇を噛んだ。
――ジョナサンさん、どこに目をつけているんだ……。
アルヴェインがここまで怒っているところは本当に見たことがない。
今も、我々の間にあった友好的な関係値が蒸発していく音が聞こえているくらいだ。
「フィオレアナ」
アルヴェインがそそけ立った声で私を呼んで、肩が掴まれた。
外に押し出されながら、私は最後に叫ぶ。
「――必ず! 必ず、後日お詫びに――」
「俺の方でしておく」
アルヴェインが素っ気ない声で言って、私を小屋の外に押し出した。
そこには、アルヴェインが乗ってきたのだろう馬が一頭。
――他には誰もいない。
「…………」
改めて、この状況に対する不可解さが込み上げてきた。
そもそも、私を捜索するのはドーンベル家配下の人たちのはずだ。
どうしてアルヴェインが乗り込んできたんだ?
しかもどうやってここを突き止めたんだ?
何より、どうしてアルヴェインは一人なんだ?
訝しげにする私を、当然ながら慮る様子はなく、アルヴェインは私に歩くよう促しつつ、馬の手綱を取った。
よく見るまでもなく、馬の手綱はどこにも繋がれていない。
よくここで待っていてくれたな、お利口さんだな……。
状況も不可解ならば、劇場での一件以来避けていたアルヴェインがそばにいることも相俟って、私は首を絞められるような気まずさの中にいる。
そんな私をちらりと見て、アルヴェインは溜息を吐くと、言った。
「――おまえの家は大騒ぎになっているぞ、馬鹿だな。帰るぞ」
「はい……」
さらば自由の身。
こんにちは修道院。
アルヴェインに促され、とぼとぼ歩き出す私。
馬の手綱を引いて、アルヴェインも歩き出す。
沈黙が重い……。
耐え切れず、私は小声で尋ねていた。
「……どうしてここに?」
「おまえを捜しに」
「……どうしてここがわかった?」
アルヴェインに呆れたような息を吐かせてしまった。
「どれだけ付き合いが長いと思っているんだ。
――おまえは昔から、困ったことがあると海に逃げていただろう。今回もどうせそんなところだろうと思って――」
――え、嘘でしょ。
なんでそんなこと言うの。
なんでそんな、私の悪癖をちゃんと知ってるってことを今になって言ってくるの。
つらくなるじゃん……。
喉元に、よくわからない何かの塊がつかえる。
そんな私に気づかず、アルヴェインは淡々と続けている。
「――この近くまで来て、適当な家でおまえの背格好を説明したら、よく似た人がこの家に入っていくのを見ましたという人がいた」
……ああ、ジョナサンさんに挨拶をしていたあの人かな……。
そう思いながら、私はよくわからない感情を拭うために目元を指先で拭った。
アルヴェインが足を止めた。
私を見下ろす葡萄色の瞳が、月明かりに煌めいている。
そして彼は、夜中に連れ回されて不機嫌そうにする馬の首筋を叩いた。
「不本意だろうが、フィオレアナ。相乗りで帰るしかない」
「はい……」
項垂れながら頷く。
――にしても、つい数分前まであれだけ激昂していたのに、それを見事にもう呑み下していて、アルヴェインはすごいな。
アルヴェインが鞍の位置を調整して、まず私に鞍の前に乗るよう促す。
スカートなので横乗りするしかない。
馬の背が高くて、殆どアルヴェインに押し上げてもらうような格好になる。
続いてアルヴェインが、私とは比べ物にならない慣れた動作で鞍に収まった。
近い……。
全くそんな場合ではないのだけれど、私の心臓がどっきんどっきんと激しく打ち出した。
私は死にたくなる。
アルヴェインはめちゃくちゃ遠慮がちに私の腰に片手を回した。
遠慮なのか、もう私に触りたくないのかはわからないけど。
それから、普段より少し低い声で言った。
「――鞍頭に当たって少し痛いかもしれない。痛かったら言って」
無言で頷く私。
三秒程度の沈黙のあと、アルヴェインは付け加えた。
「……落ちるとまずい。悪いが、おまえの方でも俺に掴まってくれると助かる」
「ご迷惑をおかけします……」
絞り出すように呟いて、私はそうっとアルヴェインの背中に腕を回した。
これで合ってる?
不安に駆られる私を他所に、アルヴェインは、今度は強く私の腰を抱えて、もう片方の手で手綱を取った。
馬腹を蹴って馬を歩き出させる。
――海の波音に紛れて、アルヴェインの微かな声が聞こえた気がした。
「……無事で良かった」
それが空耳かもしれないと思うと怖くて、私は聞き返せなかった。
いつだって私は臆病だ。
――ジョナサンさんは、「わかり合うべき」と言ってくれたけれど。
わかり合う間もなく、お父さまのところに送り返されて、私はそのまま修道院送りになりそうだ。
そう考えると、これがアルヴェインと一対一で話ができる最後の機会かもしれない。
そう思うのに、私は実のあることは何も言えなかった。
リズミカルに揺れる馬の背中で、どうか天変地異が起こって、このまま永久に家に帰り着きませんように、と、そればかりを祈っていた。
ただ、呟いた。
「……見つけてくれてありがとう」
海の音と、風の響きと、馬の蹄の音の中で、その声がアルヴェインに届いたかどうかは、わからなかった。




