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34 進んでいく俺と止まったままのおまえと

「いやー、お嬢ちゃん、クラップス強いね!」


「いやいやぁ、運ですよー」


「んじゃこれ、約束の昼メシね」


「やったー」


 ……ちょろい。


 家出、割とちょろい。



 夜に屋敷の近くをうろついていたときが、正直いちばん不安だった。

 貴族のタウン・ハウスが並ぶ区画だから、さすがにいかがわしいお店もないし勧誘もないけれど、無人の真っ暗な通りを歩く心細さよ。


 が、そこを抜けて(足が痛くなるほど歩いて)夜明け間近に繁華街に踏み込んだ辺りから、展開は好転した。


 お忍びで夜のお店に来ていたらしき貴族の馬車を発見。

 馬車は一台ではなく、ずらずらと数台控えており、暇そうにしていたお供に思い切って訊いてみたところ、これからマナーハウスに帰るところなのに、入れ上げている娼婦に最後に会いたいという我侭な主人のためにこんなことになっているとの情報をキャッチ。

 ラッキー。

 その随従になけなしのお金で袖の下を握らせ、立ち台(吹き晒し)に便乗することに成功。


 便乗で距離を稼ぎ、王都は王都でも割と寂れた区画での休憩時にこっそり馬車を離れた。

 私を横に乗っけてくれた随従くんは、最後まで私を平民だと思って疑いすらせず、「なんか事情があって雇い主から逃げ出しているっぽい」と勝手に納得してくれており、最後に幸先を祈って親指を立ててくれさえした。


 そこから、海辺を目指して邁進開始。


 海辺は、一応は王都の一部ではあるけれども、はっきり言って町中とは程遠い田舎だ。

 王都は広いのだ。


 というわけで、海辺の漁師さんが魚を売りに来ているところに遭遇し、これ幸いとばかりに荷馬車に乗せて連れて行ってくれるように交渉した。

 漁師さんはめちゃくちゃ嫌そうに私を見て、クラップスの勝負を挑んできた。


 簡単にいうとサイコロ遊びだ。

 出目を競うゲームだが、ふふふ、錆びついたとはいえ私は魔女よ。

 勝ち抜けるのなんて造作もないね。


 というわけで連戦連勝。

 そうしているうちに気に入られ、荷馬車に乗せてもらって海辺へ出発。


 おなかが空いたのでクラップスの勝負に昼食を賭けてみて、勝ったところ。

 やったー。


「いやしかし嬢ちゃん、運も強いし物怖じしないし、いいねぇ」


「えへへ」


「ウチの嫁に欲しいくらいだよ」


「おじさん、息子さんいるの?」


「まだ五歳だけどねー」


「歳が離れ過ぎてるなあ、残念」


 分けてもらった塩漬けの魚のサンドウィッチをぱくつきつつ、吹く風の潮の匂いに目を細める。



 もっさりしたお馬さんに牽かれ、荷馬車はのっそりと轍跡の刻まれた道を進む。


 初夏から夏へ向かう季節の日差しが燦々と降り注ぎ、暑いくらいだ。

 日に焼けた漁師のおじさんの額には汗が滲んでいる。


 道の両脇にはツツジの茂み。

 ハチがぶーんと飛んでいく。


 やがて視界の果てに青い煌めきが見えてきた。


 晴れてて良かった!


 カモメが飛翔しているのが遠目に見える。

 海風を防ぐための針葉樹が植わった海辺の崖が行く手に見えてきた。


 ぽつぽつと漁師さんの家が建ち並び、辺りはすっかり海辺の田舎。


 前世ぶり!

 海だ!!


 突発的な家出から一夜明けた昼下がり、こうして私は海辺に到着した。



 海だーっ!





 行く宛てがないと言うとおじさんを心配させてしまうので、ごにょごにょ言い訳して、適当な場所で荷馬車から下ろしてもらった。

 おじさんは若干心配そうに、かなり長いこと私に手を振ってくれていた。


 なんていい人。

 機会があったらまた会いたいな。

 奥さんと、息子さんにも会ってみたい。


 が、心配をよそに私のテンションはうなぎ登り。

 海だ海だ、散々叫びたかった海だ!


 海辺の崖まで駆け寄って、高いところから波打ち際を観察してみるに、どうやら少し回り込むと砂浜がある。


 そちらに回ってみることにする。



 ――というわけで。



「わああああい!」


 フィオレアナ十五歳、いちおう伯爵令嬢。

 もはや淑女の嗜みもへったくれもなく、誰もいない広い砂浜でブーツを脱ぎ捨て、白い波打ち際に向かって走ります。


 ざざーんと響く海の音。

 潮の匂い、カモメの声。

 遥か彼方から寄せてくる波の形、白いレースの波頭。


 ああ素晴らしい。

 これだこれ。

 どの人生でも大好きな海。


 濡れて足指に纏いつく砂に足跡をつけながら波に駆け込み、あっという間に膝までびしょ濡れになりながら、私は叫んだ。


「ウィリーの、馬ッ鹿やろうーっ!!」


 叫ぶ。

 肺の中が空っぽになるまで。


 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ほんっとうに馬鹿。

 何が馬鹿って私が馬鹿だが、今ここでだけはもう死んだ人間を罵らせてくれ。


「ウィリーの馬鹿ーっ! 唐変木ーっ! 最低野郎ーっ!」


 ぜぇぜぇと喘ぎながら叫び切り、私は乾いた砂浜まで後退すると、その場にぺたんと座り込んだ。



 あー、すっきりした。

 何が解決したわけでもないけれど、すっきりした。



 ……さて。


 で、これからどうしましょうかね。





◇◇◇





 フィオレアナは、最初の人生で呪っただの呪われただの、未だにあれこれこだわっているが、俺には正直、もうそのこだわりはない。


 というか、白状すると、最初の人生のことなんて、もう記憶の霧の彼方だ。

 あんまり覚えてすらいない。



 けれども覚えているのは、俺の全人生を呪ったときのイオが、腹が立つほど格好よかったということ。



 ――あの目。

 燃えるような、決然とした、神にも天使にも喧嘩を売ってやると言わんばかりの、傲然たる双眸。


 あんな目、普通の人間は出来ない。



 ついでに、呪われたその次の人生で、ばっちりイオまで呪いに巻き込まれていることがわかったときは、真剣にむかついた。

 なんて詰めが甘いんだ。


 気まずそうにしているあいつを見てめちゃくちゃ腹が立った。

 最後までちゃんと考えてから大それたことをしろよ。



 イオは――フィオレアナは、そういう人間だった。

 全ての魔法使いと魔女が憧れ、羨むだけの才能を持ち、神にも天使にも喧嘩を売るだけの覚悟を決めることが出来る、並々ならぬ稀有な女ではあったが、肝腎なところが致命的に抜けていた。



 あいつがそういう人間だとわかったのは、転生を繰り返すこと四回目か五回目あたり。



 で、そんなあいつに惚れたのは実に今生。


 そして振られた。



 俺の人生に暗雲が立ち込めて、恐らくもう晴れそうにない。









 俺が記憶の重箱を底の底までひっくり返しても、いちばん古い記憶は判然としない。


 イオの一族と俺の一族がいがみ合っていたはずだ、とか、そういう、情報としての記憶はあれど、光景としての記憶はもう遠い。


 色鮮やかに覚えている最初の記憶が、イオに呪われたあの瞬間だ。

 まあ、全ての人生でも十指に入るくらいには強烈な記憶だから、これは覚えていて当然か。


 ちなみにあのとき、やたら輝かしく呪われたせいで、俺の心臓の上には未だにでかい痣が残っている。

 これは何回生まれ直しても変わらないので、呪いの産物なんだろう。



 そのあとの、呪われた後の人生の方が多いのだから、最初の人生のことなんて、そうそう覚えてはいられなかった。



 呪われた後はめちゃくちゃイオが嫌いだった。

 というかぶっちゃけ怖かった。

 多生に亘るこの呪いの強烈さに思いを馳せるたび、怖気をふるったものだ――それはそうだろう、そこまで自分を憎んでいる女が、どう足掻いても自分の人生に立ち現れるのだから。


 イオ自身も呪いに巻き込まれたことがわかった後も、「もしかして、こいつはそういう振りをしているだけで、いつでも呪いから抜け出せるんじゃないか――何しろ呪った張本人だし」という疑心暗鬼や、「今度こそ殺されるのでは」という直截的な恐怖はなかなか拭えず。

 そして、それはそれとして、「よくもやってくれたな」という怒りは大きかった。


 呪われたことが判明した人生でイオ――そのときは、ティオリアという名前だったが――と再会したときに最初にしたことは、言葉を尽くしてあいつを罵ることだった。


 まあ、そりゃそう。

 大人の意識がある状態で、おぎゃあと生まれる辛酸を甘く見てはいけない。

 ティオリアも気まずそうだった。


 絶対に呪いを解けとあいつを脅しつけつつ、実のところ俺は心臓ばくばくだった。

 何しろ魔女としてのイオは最強だったから、ヒキガエルにでも変えられたらどうしようと思っていたのだ。



 ティオリアとしてのあいつと、親しくした記憶はない。

 次の人生――あいつはフィリオナという名前だったが――でも、そうだった。


 俺があいつと徐々に親しくなったのは、あいつの強烈かつ激烈な気性と合わせて、お間抜けな天真爛漫さを知るようになってからだ。



 あいつが絨毯商の娘に生まれついたとき――当時は魔法はまだタブーではなかった――、あの馬鹿は軽い気持ちで「空飛ぶ絨毯」だとか言って、売り物の絨毯に魔法をかけたことがある。

 結果として、空を飛ぶ本能に蝕まれた絨毯たちは天へ飛び立ち、あいつは「親父にばれる前に全部回収しないと殺される!」と真っ青になったものである。

 そのときは俺も動員され、なんでこんなことしてんだ、俺……と思いながら、夜なべして雲間に釣り糸を垂れて魚釣りならぬ()()()()をさせられた。


 ちなみに俺があいつの頭を叩いたのは、あの人生が初めてだった。



 そういう――何かやらかしては真っ青になって事態の収拾に奔走したり、本当にやばいときには顔面では平静を装いつつも目玉だけで助けを求めてきたり、あいつのそういうところを知るようになって、あいつも悪い奴じゃないとわかってきて、俺は知らず知らずのうちにあいつに心を開いていた。



 一度など、何を考えたのか知らないが、あいつは再会の挨拶をした俺に、「あなた誰ですか?」と言い放ったことがある。


 あのときは肝が冷えた。

 まさかこいつが全ての記憶を失くすなどということがあるだろうかと動揺し、仮にそうなったのだとしたらどうしようと途方に暮れ、大人げないほどあいつをガン詰めした。


 あいつが嘘を認めて謝罪してきたときに泣いてしまったのはいい思い出である。



 だから、もう本当に、呪っただの呪われただの、どうでもいいのだ。



 なのにあいつは事あるごとにその事実に立ち返って、どの人生でもぐずぐずと解呪の方法を探して時間を無駄にして、俺に対して申し訳なさそうにする。


 俺は「呪われた被害者」だという、もうとっくに意味を失った看板を振り翳し、あいつに多少の無理を呑ませたり、高圧的に接してからかったり、そんな風に甘えて過ごしてきた。



 ――その甘えた生き方へのしっぺ返しがきたのだ。





 イオ――ティオリア――フィリオナ――メィオディ――他にもたくさんの名前――、そして、フィオレアナ。


 あいつは俺にとって、当然ながら特別だった。

 それはそう。

 唯一の理解者、唯一の相棒、唯一の道連れだ。


 あいつが夫婦喧嘩の種になると気づいたのは二度目の結婚のとき、二人めの妻から、「あの女と縁を切れ!」と怒鳴られたときである。

 嫉妬させたようだ。

 それはすまんと謝って、とはいえ縁を切るのは不可能だしなと頭を抱えた記憶もある。


 だが、そのときの俺にとっては、あいつは恋愛の対象ではなかったのだ。

 それを説明しようとして、妻から冷ややかな目で見られたことも覚えている。



 そう、あいつは、俺の恋愛の範疇にはなかった。

 だってそうだろう。



 ――あの目。

 神にも天使にも喧嘩を売る、あの激烈な目。



 あんな目をする女を、どうすれば等身大の相手として抱き締めてやれるというのだ。


 あいつは俺にとって、あまりに大きく、あまりに絶対的で、あまりにも高処に在る女だった。





 けれども俺は、どんどん人生を歩いていった。

 最初の人生が見えなくなるほどに遠く。


 対してあいつは、ぐずぐずと最初の人生の周りを回っていた。

 解呪の方法を探させてしまった、そのせいだと思う。



 そして気づくと、最初の人生のそばでぐずぐずしているあいつは、振り返った俺の目から見ると小さく見えるようになっていたのだ。


 俺と同じくらいに小さくて、相対的で、――同じ高さにいる相手に。



 あいつは絶対に俺の人生にいてくれる、それは不変の安心感だった。

 振り返ればあいつが俺の視界に入ることは決まっていて、二人の間には余人にはどうにも出来ない絆がある、そのことが。



 ――そう思い込んでいた俺も、相当に傲慢な男だった。





 俺がいつからあいつのことを好いていたか、それはもうわからない。


 ただ間違いないのは、意識しないうちにそうなっていたということ。

 でなければあのとき――この人生において、あいつに意中の人がいると誤解したとき――、ああも不快な気持ちになったはずがない。


 いつの間にか俺は、あいつに傲慢な独占欲を、所有欲を、それどころか一種の執着を向けていたわけだ。

 それが、あいつが他に奪われたかもしれないと思った途端に噴出した。


 つくづく傲慢にも程がある、他所から手を伸ばされない限り、絶対に自分のものだと安堵して、欲を自覚すらしていなかったとは。



 ――その傲慢への、手痛いお灸が据えられているのだ。





 ――どこで間違えたんだろうか、と、俺はぐずぐずと考えている。


 言い出すのが早すぎたのか、言い方がまずかったのか。


 あいつは俺のことを恋愛的な意味で意識したことなどないだろうから、俺が告白すれば、冗談と思われるか動揺させるか、どちらかだと思っていた。

 だから態度で好意を示して、少しずつ意識してもらえばいいと。

 ゆっくり進めようと思っていた。


 王太子殿下の生誕祝賀までに、「顔も知らない他の男に嫁ぐよりは、格好だけでもアルヴェインに嫁ぐのがいい」と思ってもらえれば御の字。

 そこで婚約を固めて、ゆっくりあいつを口説き落とせばいいと算段していた。


 けれども――自分がこんなに堪え性のない人間だとは知らなかった――俺は業を煮やしてしまった。


 どれだけ好意を匂わせても頑としてそれに気づかず、俺たちの婚約を破談にさせることを前提に話すフィオレアナに、いい加減痺れを切らしてしまった。


 あいつが俺のことをなんとも思っていないことに胸が痛んで仕方がなくなったのだ。



 だから、普段とは違う時間帯にあいつを誘って、二人きりになったのをこれ幸いと口を開いた。



 結果は拒絶。

 しかも、完膚なきまでの拒絶。

「少し考えさせて」といったクッションすらもなく、「無理!」と断言された。


 喰い下がってしまった俺もみっともなかったが、それにしても、もう少し手心というものがあっても。



 ――積み重ねてきた俺の甘えと傲慢への、これでもかという厳しい罰が下っている。



 俺はもうどうすればいいのかわからない。

 どうにかしたいという思いだけが突き抜けていて、そも思いが俺にますますみっともない真似をさせている。



 それでもどうにもならない。


 どうあっても、俺はあいつが欲しいのだ。



 そうでなければ、俺の人生の暗雲が晴れない。





















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