31 呪い/告白
さて、当時の我々の権力抗争を詳しく説明すると長くなるので割愛する。
私の一族とアルウィリスの一族が、些細なことでもいちゃもんをつけ合い、揉め事の種探しに余念がなく、道端でばったり会うだけで刃傷沙汰になり、冠婚葬祭では相手の式場に乗り込んで血みどろの争いをおっ始め、葬式に重ねてもう一つ葬式が開催されることも珍しくなかった――ということだけがわかっていればそれでいい。
私はやる気満々でその戦場に参戦した。
というか主戦力だった。
当時、権力は魔法、魔法は権力だった。
うちの一族の、魔法という面での体面を保たせていたのは私だったのだ。
十五歳になる頃には、「これ、私が死んだらどうなんの?」と思って、気が気ではない毎日を過ごしていたのを覚えている。
一方のアルウィリスの一族は、私のような抜きん出た才能に恵まれた人間はおらず、全員が特異とはいえないまでも一流の力量といったところで、全員で力を合わせて対抗してきている感じだった。
こっちがアルウィリスの一族を「負け犬集団」と呼ぶと、次の日には向こうからこっちに、「虎の威を借る狐どもが」という罵詈が返ってきた。
両家の歴代の抗争を、笑って見物していた他の権力者たちも、当代にあたっては諫めてくることが多くなった。
何しろ洒落にならなかった。
過熱する抗争に歯止めがかからず、もはや当事者である私ですら、どこでどう揉め事が爆発しているのかの把握が難しくなっているくらいだった。
私が「冤罪だ」と固く信じていた幾つかのことも、実はこっちの誰かさんがやらかしていたことかもしれない。
というわけで、どんどん恨み辛みは広がっていった。
敵はアルウィリスの一族だけではなくて、アルウィリスの一族に近しい有力者たちも軒並み敵だった。
ちなみに言うまでもないけれど、向こうからしても状況は同じ、私たちを敵に回すと同時に、その過程で迷惑をかけた山ほどの有力者からの恨みを買っていた。
そろそろ物理的に国土が真っ二つになりそうだからやめてくれ、だの、川の流れを頻繁に変える力量は素直に賞賛できるがもうやめてくれ、だのと言われ続け、嘆願され続け、宣戦布告され続け、――あれは私が十八歳になったとき。
アルウィリスの父親が早くに亡くなって――まあ、我々との抗争による心労が祟ったのだろうとは思うけれど――、アルウィリスが正式に家督を継ぐことになり、国主へのご挨拶と国主からの承認の儀式の最中のこと。
直接のきっかけは覚えていない、そもそもこの儀式に当たって、私たちの一族も列席する以上、こちらが大人しくしているなんて、誰一人考えていなかったはずだ。
覚えているのは、私が進み出たその身廊に敷かれていた、絨毯の緋色。
国主の座の真上の天窓から、明るく陽射しが降り注いでいたこと。
そして振り返ったアルウィリスの白い髪、その白い髪の上で踊るように弾けた陽光、淡紫の瞳――その冷淡な眼差し、冷徹な表情。
一族に言われたとおりに私を睨む、その面差し。
白い薔薇に囲まれた微笑んだあの少年の面影はどこにあっただろう。
私は、アルウィリスから少し離れたところで足を止めた。
周囲は騒然としていた。
けれども誰も私を止められなかった。
私は首を傾げた。
口を開いた。
尋ねた言葉はたぶん、最後の足掻きだった。
自分自身、どこかで止まらなければならないとわかっていたがゆえの。
「――薔薇はお好き?」
アルウィリスは無表情だった。
何かに思い当たったような顔をすることもなく、怪訝そうな表情もなく、――一切の揺らぎもない、淡々とした無表情。
そして答えた。
躊躇いなく。
「考えたこともなかったが」
――もしもこのとき、アルウィリスが、「白薔薇ならば」と答えていたなら、私はどうしただろう。
だが実際はそうではなかった。
私は寸分の躊躇いもなく動いていた。
私は小瓶を投げつけていた。
もう遠い昔のように感じるあの夜、赤い薔薇から吸い上げた色を封じた小瓶を。
まだ幼かった私が、飽きずににこにこと眺めていたその小瓶を。
空中でひとりでに小瓶が割れて、赤い煌めきが宙を走った。
その煌めきがアルウィリスの胸、心臓の真上辺りに降り掛かった。
薔薇の香りが、場違いなまでに馥郁たる香りが、その場を満たした。
一瞬、アルウィリスも何が起こったのかわからなかった様子だった。
よろめいたものの、表情には戸惑いが大きかった。
私を見る、淡紫の瞳。
怪訝と、憤激と、敵意が煌めいたその双眸。
そして私は宣告したのだ。
これがどういう結果を招くか、想像だにせずに。
「――こののち、その魂に安息なかれ!」
捨て科白にも程があったが、その呪いは成功した。
成功して、――そして今に続いている。
◆◆◆◇◇◇
――気づくと歌劇が終わろうとしていた。
うわ、やばい、いきなり最初の名前で呼ばれたショック余ってか、ずっとぼうっとしていた。
幸いなのは、私がこの歌劇の筋を知っていること。
まあ、大抵の話には対応できるだろうし、居眠りに等しい状況にあったことはばれないでしょう。
ばれないように深呼吸。
私はフィオレアナ。
落ち着け落ち着け。
歌劇が終わり、カーテンコールも終わり、さあ帰るかというところで、個室になっているこのボックス席の扉が叩かれた。
怪訝そうにしつつ、アルヴェインが「座っていろ」と私に合図した上で、立ち上がって扉に向かう。
半開きにした扉越しのひそひそ声の遣り取りのあと、扉が完全に開けられた。
そこにいたのは、この劇場の支配人と名乗ったおじいさん。
めちゃくちゃ汗を掻いており、大丈夫かと案じていると、とんでもない話を持ってきたのがわかった。
曰く、劇場の外に命知らずの三流ゴシップ紙の記者どもがいますと。
イヴンアロー侯爵の跡継ぎとドーンベル伯爵の令嬢が連れ立って観劇に来たと、どうやらばれているらしい。
少々お待ちいただければ記者どもを散らしてお目に触れないようにしますので、是非とも少々お待ちいただきたい、とのことだった。
諸手を挙げて大賛成。
待ちます、待ちます。
うちの従僕は「帰るのが遅くなるなあ」程度の不快感しか示さなかったが、セドリックさんは頭にきた顔をしていた。
大事な主人が醜聞の危機に晒されているのが許せないらしい。
彼が支配人さん相手にがみがみと指示を飛ばすのを聞きつつ、うちの従僕が、「じゃ、ごゆっくり」と言わんばかりにもう一度扉を閉めた。
二人きり、再び。
私は盛大に、はあーっと息を吐く。
眼下の一階席からも、もう観客は退出し切っている。
舞台には緞帳が下りたまま。
あの後ろでは後片付けがされているんだろうか。
楽団の皆さんも退出済みだ。
がらんとして、明るい、煌びやかな劇場。
なんだか非現実的。
額を押さえ、私はアルヴェインを睨んだ。
「今までこんなことなかったのに、いきなり記者さんが張り切っちゃったの、絶対にこの時間帯のせいだと思わないか」
何しろ夜!
アルヴェインは悪びれなく肩を竦める。
「多少、思う。すまん」
なんとなくひそひそ声になるのは、ここが劇場で、客席の声であっても響くような気がするからだ。
広い空隙に拾われて、薄れていく私たちの声。
私は溜息を吐く。
「二度とこんな時間には呼ぶなよ」
「二度と?」
「あ、それともせっかくの機会だし、帰り道で大喧嘩しておく?」
あ、だとすると、記者さんを散らすのはまずいのでは。
記者さんの面前での大喧嘩が好ましい気がする。
そう思って腰を浮かせたところで、隣の席からアルヴェインが手を伸ばしてきた。
彼の大きな手が、グローブ越しに私の手首を掴んだ。
「――フィオレアナ」
「アルヴェイン?」
見つめた先で、アルヴェインは渋い顔。
そのまま深い溜息を吐くと、彼は私の手首を握ったまま、真正面から私の目を見つめてきた。
葡萄色の瞳。
「――俺が悪いのかと思っていたが、案外おまえ、ものすごく鈍いのかな」
アルヴェインが呟いた。
――なんとなく、まずい方向に話がいく気がする。
私が有耶無耶にしようとして、曖昧なままで置いておこうとしていることに、アルヴェインが手を突っ込もうとしているような感じがする。
私はそーっとアルヴェインから視線を外し、舞台の方を凝視した。
緞帳の襞の形を覚え込むかの如くに睨む。
が、頬が抉れるほどにアルヴェインの視線を感じる。
まずい、すごく冷や汗が出てきた。
アルヴェインが言葉を続ける気配がないので、取り敢えずぐいぐい自分の手を引っ張ってみる。
アルヴェインは離してくれない。
それどころか、手首じゃなくて手の方を握り直された。
余計にまずい気がする。
このまま沈黙し続けた方がいいのか、それとも喋った方がいいのか――考えて、二秒と経たずに私は結論した。
喋ろう。
沈黙は危険だ。
会話の舵は自分で握っておきたい、沈黙の中に舵を放流しておくのは怖すぎる。
というわけで。
「――誘ってくれてありがとう。時間はともかく演目は良かった」
断じてアルヴェインの方は見ない。
緞帳を観察しながら口早に。
「主演の女優さん、良かったな」
「随分ぼんやりしているように見えたが」
なんで気づいてんだよっ!
「そんなことないよ。ありがとう。
主演の女優さんが出てる演目、他に知ってる?」
「いや、知らない」
「なんだ、残念」
「そもそも俺はこういう劇にはあんまり興味がないから」
「そうだっけ。そうだったな」
じゃあなんで誘ったんだよ、というのが顔に出たのが運の尽き。
アルヴェインがさらっと言った。
「おまえは好きだろう。喜んでくれるかと」
なんか、重い空気の塊を肺に突っ込まれたような気がした。
返答の言葉が縺れてしまう。
「へ――へえ、ありがとう」
「今日だけではなくて、おまえを連れ出すときは大抵、おまえが好きそうなところを選んだつもりだったが」
「そ――そうなんだ。ありがとう」
やばい、会話の舵がいつの間にか奪われている。
何かこっち主体で喋らなきゃ。
「記者さんたち、もう追い出されたかな」
「どうだろうな」
「出てみる?」
アルヴェインが含み笑う低い声。
背筋がぞくぞくした。
なんでこんなに静かなんだよ、ここは。
無人だからか。
「セドリックに殺されそうだな。――どうして?」
「いや、喧嘩するならせっかくだし記者さんの前でと」
「喧嘩?」
「するだろ、もう六月だぞ」
「――――」
アルヴェインが黙り込んだ。
私は断じて振り返らない。
ひたすら一心に念じる。
誰か来て、誰か来て――
私の願いが空回りしているうちに、アルヴェインが口を開いた。
「――喧嘩か。俺はする気がないんだが」
私の心臓が縮み上がった。
感じたのは焦燥よりも恐怖が強い。
パニックのあまりに耳鳴りがする。
倒れそう。
辛うじていつもの口調で返す。
「じゃあなに、殿下のご生誕祝賀で、いきなり『真実の愛はありませんでした!』ってやるの? 私は別にそれでもいいけど」
「フィオレアナ」
アルヴェインに呼ばれたが、私は無視した。
「まあ、そうか、下手に派手な喧嘩をしちゃうと、また家どうしの仲を気にしなくちゃならなくなるものな」
「フィオレアナ」
焦れたように名前を呼ばれ、今度は手も引かれた。
不承不承ながら私はアルヴェインに目を向けざるを得ない。
アルヴェインは私をじっと見ている。
見られているのが私は怖い。
そんなに見られたら、底の浅い私の全部が暴かれそうだ。
私が渋々ながら目を合わせると、アルヴェインは真剣な表情で言った。
「――フィオレアナ、俺も悪かった」
唐突に謝られて、面喰らってしまう。
「いきなり、なんだ」
「俺がこの状況を利用しようとして、曖昧にしていたのが悪かった」
咄嗟に私は訊いていた。
「私をだしにして気を引きたい令嬢でもいるのか?」
「フィオレアナ」
呆れたように息を吐かれた。
そのまま、眉を寄せてじっと私を見てくるアルヴェインの、葡萄色の双眸。
「ここ最近の俺が、おまえ以外に会っているように見えるか?」
「――――」
上手い返しを考えているうちに言葉が継がれてしまう。
「おまえの気を惹こうと、これでも頑張った方なんだ。あまり冷たいことを言ってくれるな」
「――なん……」
舌が回らない。
内臓が一つずつ絞め殺されていっているみたい。
「なんで、そんな、冗談……」
「冗談じゃないよ」
どうしよう、いよいよ失神しそう。
というか失神しようか。
全てを有耶無耶にしたい。
私が全力で現実逃避の方法を捜している間にも、アルヴェインは躊躇いがちな口調ながらも断固とした意思で、話を前に進めてしまう。
「フィオレアナ、――わかり合おう」
「……は?」
予想外の切り出しに、思考が一瞬空白になる。
ぽかんとする私の視線を捉えて、アルヴェインが言った。
「思えば一度も、思っていることをちゃんと口に出して、わかり合おうとしたことがなかっただろう、俺たちは」
私は目を泳がせる。
わかり合う――わかり合う?
なんだそれは。
私はこの、目の前にいる男のことがわからない。
知った気になっていただけだ。
お互いにそうだ。
「そうだっけ……」
アルヴェインが息を吸い込む。
「フィオレアナ、俺たちの付き合いは長いから――」
「そこについては本当にごめん」
「謝るな。謝ってほしいわけじゃない。俺が言いたいのは――」
「私はおまえを呪った最低な女だってこと?」
思い出してほしくてそう言ってみたら、割と本気で睨まれた。
「違う。――フィオレアナ、俺が言いたいのはな、」
手を握り直される。
私の手を握るアルヴェインの掌が熱い。
誰か来て。
誰か戻って来て。
縋るようにそう考えるのに扉は開かない。
立ち上がろうにも膝から力が抜けている。
なんでこうなった。
なんでこうなった。
「俺たちの付き合いは長いから、なんというか――俺たちの関係が今さら変わることを、おまえは考えたことがないかもしれない」
「――――」
眩暈がしてきた。
アルヴェインの真剣な、真摯な、――必死な表情。
こんな顔は見たことがない。
「だから妙なところで鈍くなっているのかもしれないが、フィオレアナ、――さすがにわかるだろう、俺だって考え無しにおまえをあちこち連れ回したりはしない」
私は馬鹿になっている。
頭が本当に回らない。
「喧嘩……」
呟いた私に微笑んで、アルヴェインはきっぱりと言ってしまう。
「する気がない。さっきそう言った」
「…………」
「フィオレアナ。おまえに――冗談だと思われたり、あるいはおまえを驚かせたり動揺させたりしたらまずいと思って、俺もゆっくり進めようと思っていたんだが、可能性を端から度外視されているのが、俺もつらくなってきた」
アルヴェインが椅子から腰を浮かせ、しかし私の手を離さず、――なんということだろう、私の正面に膝を突いた。
逃走経路を塞がれた気分だ。
私の、強張った手背に軽くキスをして、アルヴェインがはっきりと告げた。
「フィオレアナ、俺はおまえに惚れている」
空っぽの劇場で、こんなことを言われる日が来ようとは、私は想像だにしたことがなかった。
心臓が石になりそう。
私の全身が凍りつく。
「出来ればこのまま、婚約を正式なものにしたい。おまえと結婚したい」
本当にやめてほしい。
「無理強いはしたくない。フィオレアナ、おまえの気持ちが定まるまでは、絶対に俺たちの婚約を進めたりはしない」
やめてほしいのに、声が出ない。
アルヴェインが言葉を続けていく。
「だが、頼む――破局ありきの関係ではなくて、一度、ちゃんと俺たちの関係を変えることを検討してくれないか」
恐ろしいほど真剣に――真摯に。
私の手は未だにアルヴェインの手の中にある。
その感触――熱くて、少し痛いくらいの力が籠っている、その感触。
これが夢ではない、残酷なまでのその証左。
私は息が出来ない。
息をしてしまえば最後、薔薇の香りがするのでないかと無意識に恐れている。
凍りつき、目を見開く私を真っ直ぐに見据えて、アルヴェインは告白した。
「俺を昔馴染みとして見るのではなくて、これからは、俺を求愛者として見てくれないか」




