29 限界来る
王立博物館である。
過去の著名な学者の蒐集物を一箇所に集め、王族が展示したことに端を発し――とかなんとか。
価値ある宝石とか、価値があり過ぎて写しを取った後はもう読めない本とか、価値がありそうな石板とか、そういうものが展示されている。
さて、たいへん無粋なことだが、私もアルヴェインもこういうのが大好きだ。
理由は本当に無粋だが、心の底から大笑いできることがあるからだ。
現代の学者さんたちが首をひねっていることが、私にもアルヴェインにも自明の理だったりするのである。
あ、その用途不明の機械、用途不明で当然です、魔法の練習のためのものでしたから――みたいな。
伊達に長生きしてないね。
陳列されているものが懐かしくて、思わずにっこりしちゃうことがあるくらいだ。
そういう、表には絶対に出せないにやにや笑いを胸に秘めながら、館内をぐるり。
いやー、いい。
我ながら冴えてた。
こうして昔のものを見ていると、こう、よりありありと昔のことが思い出せる。
つまり、階段を昇るときなんかにさり気なく差し出されるアルヴェインの手を、つんと無視して手摺を辿る理性を保てる。
アルヴェインが事あるごとに私に手を差し出したり、あるいは私の手を取ったりして、同じ数だけ私がそれを無視し、あるいは振り払うこと半時間ほど経ったころ。
博物館の偉い人であろう黒服の男性が走って来た。
額に尋常でない汗を掻いており、アルヴェインと私を見つけるや、ぜぇぜぇ言いながらぺこぺこし始める。
私は真剣に困惑したが、数秒して事態が呑み込めた。
どうやら侯爵の令息と伯爵の令嬢が来館しているということを聞きつけ、寝耳に水でたいそう驚きながらも、失礼があってはいけないと大慌てで走って来てくれたところのようだ。
走らせて申し訳ない……。
どうやら、目の前でぜぇぜぇ言っている人は副館長であるらしい。
館長も現在急行中とのこと。
アルヴェインが、静かに展示物を鑑賞している他の皆さんの迷惑に思い至った顔をして、「ではこちらが出向きましょうか」と親切にも申し出ている。
あわあわ慌てる副館長さんを宥めつつ、アルヴェインが、「行こう」と私を振り返った。
私は上品に首を振った。
いやぁ、女の子で良かった。
こんなときに遠慮しても不審がられない。
嫌だよ偉い人のご挨拶を聞いて眠くなるのなんて。
アルヴェインが困ったように眉を寄せたので、少し離れたところをついて来ているアーチーを示しつつ、私は朗らかな小声で申し渡した。
「――従僕とお待ちしておりますから、父の分までご挨拶を聞いていらして」
実際、博物館の偉い人も、私みたいな年若い女にまでぺこぺこするのは、内心では嫌だったと見える。
是非にと乞われることもなく、一人で連行されるアルヴェインを見送ることに成功した。
セドリックさんが大慌てで私を追い抜いてそれを追う一方、駆け寄ってきたアーチーは割と真顔。
「何してるんですか、お嬢さま」
「なんのこと?」
本気で困惑した私に、アーチーは力説。
「せっかくイヴンアローの若君といい雰囲気になりそうなのに、なに自分から手ぇ振り払ってるんですか」
私は危うく、ハンドバッグでアーチーを殴りそうになった。
こいつ、人の気も知らないで。
「アーチー、言葉は謹みなさい」
顎を上げてそう言い渡すと、「すみません」と謝りつつも、アーチーは不満と心配がミックスされた表情のまま。
そして、とんでもないことを言い出した。
「僕、このままお嬢さまについて行って、お二人のおうちの執事になりたいです」
私は大きく息を吸い込んだ。
「ねえ、ちょっと頭を冷やしてくれない?」
アルヴェインを待つ間、暇を持て余すのも馬鹿らしいので、アーチーを連れて展示物を見て回る。
どこかの遺跡から掘り出したきたという古代の胸像を眺めたあと、いつぞやの時代のコインが並んだ区画を見ていると、妙に視線を感じた。
訝しく思って周囲を見渡す。
と、じっとこちらを見ている男性が――。
おっとこれは、アルヴェインと離れたのは失敗だったか。
どうしよう、私が誘拐されようものなら目も当てられないぞ。
アーチーは、一応は護衛も兼ねた立場ではあるけれども腕っぷしは強くなさそうだし、私が自分で反撃するとなると、今度は魔女狩りに遭いかねない手段に頼ることになるし――と、ぐるぐる考えたのは一瞬。
すぐさま、私は「あっ」と声を上げた。
ひょろりと背の高い、なんとなく肩を窄めた立ち姿、長めの髪の間から覗く、気の弱そうな細面。
――『ロルフレッドとティアーナ』の作者、ジョナサンさんだ!
大好きな小説の作者さまを、一瞬とはいえ不審人物と思ってしまったのは不覚。
私は大慌てでジョナサンさんに駆け寄った。
アーチーもびっくりしたようだが、すぐに私に従った。
ジョナサンさんは素直にびびった様子で身体を揺らした。
あっ、もしかして、私に気づいたからじっと見てたんじゃなくて、近づいて来ないか見張ってただけでした?
とは思うものの後の祭り。
駆け寄ってしまったものは仕方がないので、私は精いっぱい無害をアピールしながら、彼から二歩ほどの間隔を空けて立ち止まった。
ちょうど展示物のない、壁際のことである。
追い詰めているつもりはないの、誤解しないで……!
取り敢えず、「何もしません」という意図を籠めて軽く両手を挙げてみた。
ついでに、決して決して私がストーカーをしたわけではないということを示すために、ことさら明るい声を出した。
もちろん小声、だってここは博物館。
「――奇遇ですね! お久しぶりです、ジョナサンさま」
ジョナサンさんは小心そうに微笑んだ。
ぺこりとお辞儀をしてくれる。
「お久しぶりです、お嬢さま……」
「偶然、偶然ここに来ておりましたの。本当に奇遇ですね!」
力を籠めて偶然と言い張り過ぎて、逆に怪しさを演出してしまった。
が、ジョナサンさんは数秒前よりも打ち解けた様子で微笑んでくれた。
「はい。あ、あの、お手紙、ありがとうございました」
こちらこそっ!
内心で前のめりになりながらも、上品に微笑むことは忘れない。
「申し訳ありません、ついついしたためてしまったんです。ご負担になっていなければいいんですけれど」
「とんでもないことです。助けていただいてばかりで申し訳ありません……」
あの、アルヴェインにすら「狂気の沙汰」と言わしめた大騒ぎや、情熱溢れる怪文書を「助け」と呼んでくださるとは、ジョナサンさんは相当心が広いらしい。
「いえっ、こちらこそとんでもない。いつも楽しませていただいておりますから……」
本心からそう言うと、ジョナサンさんは繊細な笑顔を浮かべた。
「お嬢さまにも何かお悩みがあれば、ご相談に乗ることも出来るのですが」
「悩み……」
思わず復唱してしまう。
悩み……。
あるっちゃあるな、アルヴェインが私に変な興味を持っていたらどうしようかと思うと気が気ではない。
が、それは相談するわけにはいかないし――と、苦笑しようとしたとき。
脳裏が雷に打たれた。
――そうだ、私、何を寝惚けていたんだ。
焦点を当てるべきは、アルヴェインが血迷っているかどうかじゃない。
私だ。
何より私だ。
私が、仮にアルヴェインが血迷っていたとして、それをきっちり拒絶できれば済む話なのだ。
私は初恋もまだ、そうでしょ?
アーチーが、礼儀正しく私たちから少し離れたところ、かつ目を離さずに済むところを、うろうろを歩き回っているのをちらりと見てから、私は最大限に声をひそめて、ジョナサンさんに囁いた。
「……悩み、といえるかどうかですが」
ジョナサンさんが目を瞬かせ、私の方にちょっと身体を傾けた。
「はい」
「友人の話なのですが」
「ご友人の――あ、はい」
「取り敢えず、これは恋心でもないしときめきでもないと言ってほしいらしいのですが」
「はあ……」
「最近、昔馴染みの男性が思わせぶりにからかってくるらしく」
「なるほど」
「その度にどきっとするらしいのですが」
「……ときめいてますね」
「…………」
私は少し黙った。
それから質問を変える。
「その男性、過去には他にも恋人がいて」
「なるほど」
「絶対にその列に加わりたくはないと、本人は思っているらしいのですが」
「……意地張ってますね」
「…………」
私は額を押さえた。
それから気を取り直す。
「体調を崩すと心配もしてくれて、割と情熱的なお手紙もくれるらしいのですが」
「おお」
「以前の恋人にも同じことをしていたのかと思うと、素直に喜べないらしく」
「……嫉妬ですね」
「…………」
私は首を振った。
違う違う違う。
「違うんです、この二人にはもう少し込み入った事情がありまして……」
私がそう言い差したときだった。
「――フィオレアナ!」
アルヴェインの声が聞こえて、私はぎょっとした。
慌てて通路の向こうに目を向けると、セドリックさんとぺこぺこしている副館長さんを従えて、アルヴェインが足早にこっちに向かっている。
「ああ、連れが」
私が呟くと、ジョナサンさんは遠目にもアルヴェインを、先だっての「狂気の沙汰」の立役者だと見分けたらしい。
「あ」と声を上げる。
しかし、アルヴェインの顔が怖い。
すごい、鬼の形相でこっちを目指してくる。
そんな怒らないでよ、確かに男性と二人になるのは未婚女性にとって褒められたことではないけれど、アーチーもいるし人目もあるじゃん……。
ジョナサンさんが、ふと呟いた。
「今のお話ですが――」
「はい?」
ジョナサンさんを振り返る。彼は遠慮がちながら優しげに微笑んでいた。
「――嫉妬は克服すべき感情だとは思いますが、こうも思います」
「…………?」
私は首を傾げる。
そんな私に、ジョナサンさんは言った。
「真実の愛は先着順ではありません」
私がぽかんとしているうちに、アルヴェインが駆け寄ってきた。
頭にきた様子の彼が、何に頭にきているのか、それをひたすら言わせないよう指摘しないようにして宥めているうちに、私はなんだか馬鹿らしくなってきた。
人生を繰り返すこと何度目かで、私とこいつはあけすけに素を見せられる関係になっていた。
だというのに、今は上っ面で付き合おうとしていて、馬鹿みたいだ。
◇◇◇
本当に馬鹿らしい。
アルヴェインは三日と空けずに手紙をくれて、頻繁に私をあちこちに連れ出す。
我が家の使用人さんたちは大盛り上がりだ。
連れ出される先は、お知り合いの庭園で開催されるという藤棚の鑑賞会から野外演奏会(「気に入ったって言ってたから」)まで様々。
よくぞここまでネタがあるなと感心するくらいだ。
お蔭で世間の噂では、すっかり私とアルヴェインは婚約者扱い。
違う。困る。
このままでは外堀が埋まる。
いざいざ七月の王太子殿下のご生誕祝賀の日を迎えたときに、「やっぱり真実の愛はありませんでした!」と言い放ったとき、世間の反応が「……え?」では困るのだ。
「わかってるんだろうな?」と詰め寄れば、「わかっている、大丈夫」といなされる。
本当か? と疑って、というかじゃっかん恐怖して、会うのを避けようとして体調不良のカードを使ったら、最悪なことに御大が降臨した。
ハンナが困り顔で「イヴンアローの若君がお見舞いに……」と伝えてきたとき、私は外出をさぼってご満悦で本を読んでいたのだが、まさに本を放り投げる勢いで驚倒した。
私の体調不良が仮病だと知っていたのはハンナだけだったので、「絶対に会えない!」とハンナを通じて主張するも、執事のバートを味方につけたアルヴェインが突破してしまった。
昼日中だし、ドアさえ開けておけば婚約者の部屋に入らせるくらいはいいだろうというわけ。
私に人事の裁量があればバートを馘首しているところだ。
というわけで私は突貫工事で病人の振りをすることになったが、その場凌ぎの演技になったので、大人しく寝台の上にいるところを見られて一秒で看破された。
わー怒らせる、わざわざ予定を空けておいたのにおまえは何を考えてるんだって言われる、と覚悟した私だったが、アルヴェインは拍子抜けしたような顔をして、「なんだよ、仮病か」とあっさり言っただけだった。
びくつく私を見下ろして、アルヴェインは呆れた顔。
「そんなに怯えるなよ。――気分が乗らないなら乗らないと、そう言えばいい話だろう。おかしな嘘をついて心配させるな」
「…………」
アルヴェインの優しさに感動していいはずのこのシーン、私は尋常ではない冷や汗を流していた。
おかしい……さすがに優し過ぎる……普段のこいつなら、さすがに嫌味の一言二言はあるはずだ……
というか、そうか、知らなかったけど、アルヴェインは他人をこんな風に特別扱いして、寛容に接することがあるのか。
これまでの恋人や奥さんたちにはこんな風に接していたのか。
ふーん……って、違う!
いよいよ高まる危機的予感と、この期に及んでなお疼く感情に、私はあれこれ考えて、決意した。
――よし、もう、限界だ。
さっさと喧嘩別れしよう。




