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28  馬鹿者揃いでいってらっしゃいませ

 昔々、海辺には立派なお城が建っていました。

 お城にはそれはそれは見事なお庭があり、よくよく知らずに踏み込めば、中で迷子になってしまうほどでした。


 けれどもある夜、その女の子は恐れ知らずにそのお庭に踏み込みました。


 大人たちはお城の中で飲めや歌えの大騒ぎ、十二歳になったばかりの女の子は、それにすっかり退屈してしまったのです。


 広い広いお庭も、女の子には恐れるところではありませんでした。

 なぜなら幾度か来たことがあり、また、女の子にかかれば、咲き誇る花々に道を尋ねて回ることさえ出来たのですから。



 夏の始めのことでした。


 女の子が上機嫌でお庭の奥、薔薇が迷路のように植えられているところまで来たときです。


 なんと、泣き声が聞こえてくるではありませんか。



 女の子はたいそう驚き、泣き声が聞こえてくる方へ向かいました。



 そこには、赤い薔薇が咲き誇る茂みの根元でうずくまり、泣きじゃくっている、女の子より少しばかり年下と見える、白い髪の男の子がおりました――





◇◇◇





「――はっ!」


 私は覚醒した。

 途端、


「最悪すぎる……」


 とっくの昔に忘れたはずの一幕を夢に見るとは。

 よっぽど精神的に疲れてしまっていたらしい。


 もぞもぞ起き上がって窓を見る。

 カーテンの隙間から、既に眩しい陽射しが射し込んできていた。

 その角度から推して、恐らく時刻はお昼前。


 あれこれ考えて寝つけなかったぶん、一度眠りに落ちるとなかなか目が覚めなかったらしい。


 私はうーんと伸びをして、もう一度、ばふんと枕に倒れ込んだ。


 今日は一日具合が悪いことにして、ごろごろするか。


 取り敢えず寝台脇の紐を引っ張って、ベルを鳴らした。

 ハンナ、悪いんだけど朝ごはんが欲しいな。





 久しぶりに夜会に出たら、その華やかさと人の多さに当てられ、体調を崩した間抜けな令嬢として夕方まで過ごしたものの、さすがの私も晩餐には、いそいそと身形を整えて出席した。


 さすがに寝込んだままだと、お父さまからあらぬ疑いを持たれそうだからね。


 晩餐の席で元気な顔を見せ、昨夜はたいへん楽しかったです、とお父さまににこにこ話して、お父さまの眉間の辺りから疑惑を引き剥がすことに成功し、私室に戻って私は溜息。



 あー、さすがに、アルヴェインにも連絡しないと薄情かな。



 すごく心配そうにしてくれてたもんな。

 頼む頼む、あの心配は仲間意識由来、連帯意識所以だと言ってくれ、本当に頼む……。


 時刻は晩餐直後だから、普段アルヴェインに連絡する時間よりかなり早い。

 アルヴェインは晩餐中かもしれないし、誰かと会っているかもしれないし、外出中かもしれない。


 が、ここで躊躇すると勇気――勇気じゃないかもしれない、覚悟かもしれない――が飛び去ってしまう気がして、私はハンナが灯を入れておいてくれたサイドテーブル上の燭台を、いつものように覗き込んだ。


 ふわ、と小さな炎が揺れる。


「――アルヴェイン?」


 即座に応答があった。


『フィオレアナ!?』


 こいつ、蝋燭の前で待ち伏せしてた? ってくらいの即答だった。

 ちょっと仰け反ってしまう。


『大丈夫か!? 体調が悪かったのか? それとも俺が何かしたか?』


 ものすごい勢いで心配されるので、ますます嫌な予感が募る。

 胃が痛い……。


 思わず片手で腹の辺りを押さえてしまう。


「大丈夫、大丈夫だって」


『俺が何か――』


「してない、してないよ」


『……本当に?』


「はいはい、なら空が青いのも月が明るいのもおまえのせいだよ」


 私の冗談に、ようやくアルヴェインは安心したように息を吐いた。


『……体調は? もういいのか?』


「うん。昨日は、喋ってるうちに何か気持ち悪くなってきて……」


 適当なことを言ったら、また蝋燭の向こうでアルヴェインが慌て始めた。


『大丈夫じゃないだろう! 医者は?』


「そんな大した話じゃないって。人酔いしただけ」


『本当か?』


「本当本当。あと、飲んでたお酒が、気づかなかっただけで強かったのかも。

 吐きそうだったから素気なくしちゃって。悪かった」


 私がいきなり素気なくしたのは事実なので、しゅんとして謝る。


『構わない』


 アルヴェインの返事は即答だった。

 声が明るくなっていた。


『一体どうしたのかと心配していた。無事なら良かった』


「…………」


 私はなんともいえない顔で黙り込んでしまう。

 アルヴェインの心配の所以が気に掛かったがゆえではなく、もっと違う理由で胸の奥が痛んでしまって。


 ――昔の奥さんたちのことも、こういう風に心配してたの。


 アルヴェインは義理堅いし面倒見がいいから、彼が甲斐甲斐しくしている様は目に浮かぶ。

 目に浮かんでしまうのがなんとなく複雑な気分だ。


『……フィオレアナ?』


 私が黙り込んだのが不自然だったのか、アルヴェインが窺うように呼び掛けてくる。

 私は我に返った。


「あっ、いや、とにかく、大丈夫だから」


 そそくさ、と蝋燭を吹き消そうとしたのに、それより早くアルヴェインの声が聞こえてきた。


『しばらくは外出は難しいか?』


 ああもうっ。


 ――ここで、「うん、しばらく無理」と言った場合、下手をすればアルヴェインが見舞に来る。

 もはやイヴンアローの馬車がここに乗りつけてきても、お父さまは怒りようがないのだから可能性は高め。


 そうなると困る。

 ここに来られてしまうと逃げ場がない。


 というわけで。


「いや、大丈夫だと思うけど」


 大丈夫、大丈夫。

 あらゆる意味で大丈夫。

 そのはず。


『そうか』


 アルヴェインの声がぱっと華やぐ。

 嬉しそうな声出すなよ。


『じゃあ、またどこかに行かないか』


「そうだな」


 私は喰い気味で。


「破談にするんだから、どこかで派手に喧嘩でもしてみせないといけないしな」


『――――』


 おい、黙るな!


 気が気ではない数秒のあと、向こう側でアルヴェインが溜息を吐いた。


『……どこか行きたい場所は――ないんだったな』


 昨夜の遣り取りを覚えていたらしい。


 私はほんの一瞬、アルヴェインが提案してくる場所を全て「行きたくない、却下、無理」と拒否する嫌な女になろうかと思ったが、やめておいた。

 アルヴェインという男は、そういうことをされると面白がって、「へえ、じゃあ、全部回ってみるか。意外と面白いかもしれないぞ」とか言い出す奴なのだ。


 というわけで、ぱっと思いついた場所を挙げた。


「王立博物館」


『いいね』


 アルヴェインが即答で同意してくれる。


『いつなら空いている?』


「おまえに合わせるよ。また手紙をくれ」


『明日には着くように出す』


「ありがとう。――あ」


『どうした?』


 私は苦笑した。


「おまえの手紙、面白がって使用人のみんなまでこっそり読もうとするんだ。だからあんまり、過激なことは書くなよ。――うちの使用人の皆さんは、知ってのとおり、そういうのが大好きだから」


『なるほど』


 アルヴェインが噴き出した。


『ではご期待に応えて、腕に縒りをかけて、情熱的な文章でお届けしよう』


 私も笑った。


「だから、もう、やめろって」


 そう言いながらも、ほっと胸を撫で下ろす。



 ――こうして冗談にしてしまっておけば、もうアルヴェインからの手紙で動揺することはない。





 翌日の昼下がり、宣言通りにたいへん情熱的なアルヴェインからのお手紙が届き、使用人さんが大盛り上がりを見せたのは言うまでもない。


 ついでにこのあいだ、私がやけくそ気味にジョナサンさんに送った手紙にも返事がきた。

 生真面目に、本物の貴族社会は、まさに事実は小説より奇なりといったものですね、と書き綴ってあった。


 そうなんです、事実は小説より奇なり、実はあなたと文通しているこの私、人生十何回目って女なんですよ――と言ったらさぞかしびっくりするだろうなと微笑んで、私はそのお手紙を、一度目のお手紙と同じ鏡台の抽斗に仕舞い込んだ。


 そして手を合わせてしまったのは、とにもかくにも私が彼の作品のファンであるがゆえの、反射じみた本能の為せるわざである。





◇◇◇





 夜会から三日後の火曜日、数十年ぶりに、イヴンアローの紋章が描かれた馬車がドーンベルの敷地の門をくぐった。


 後から聞いた話によれば、この場面を見逃したゴシップ記者たちはハンカチを噛み切って憤死しかねなかったという――



 ――と、これは、お父さまが靴の左右を吐き間違え、お母さまが空っぽの紅茶カップを口に運び、トマスがそんな両親に唖然とし、当家の使用人たちも目を見開き、噂によればご近所のタウン・ハウスの貴族でさえも言い訳をつけて見物に来ていたらしいと、まあ、それほどの珍事であった。



 その珍事を招いた私は悔恨と羞恥で死にそうだった。

 本日はアルヴェインに王立博物館に連れて行ってもらう日だが、ごく普通に現地で待ち合わせしようとしていたのに、アルヴェインからのお手紙には断固として「お迎えにあがる」と書いてあったのだ。


 お蔭様でハンナは朝から凄まじい気合の入れよう、ドレス選びに私より頭を抱えていたし、執事のバートは本日の私の付き人に(不幸にも)選ばれてしまったアーチーの身嗜みにまで口うるさくなっていたし、なんかもう屋敷全体がお祭り騒ぎだった。


 家令は怒り心頭である。

 私のせいじゃないから怒らないで……!



 斯くて玄関先である。


 まさかこの屋敷の玄関でアルヴェインの姿を見ることがあろうとは思わなかった。

 なんだか遠い目をしてしまう。


 ちなみにお父さまは、朝方にめちゃくちゃ動揺したあと、間一髪で外出していった。

 これは別に、お父さまがひねくれているとかではない。


 婚約も確定していない状況でアルヴェインに挨拶されてしまうと、後々困ったことになりかねない。

 つまり合理的な判断で家を空けたのだ。


 アルヴェインもそれは知っている――というか、だからこそ、不意打ちにならないために、手紙で「お迎えにあがる」と鬱陶しいほど念を押してきた――くせに、いざ玄関ホールに招き入れられると、家長代理として出てきたお母さまに向かって丁寧に挨拶したあと、「ドーンベル伯に直接ご挨拶すべきところ、ご不在中にたいへん失礼いたしました」と抜かしやがった。


 お母さまはさすがというべきか、数十年社交界を泳いできた方だ。

 笑顔は微塵の揺らぎもなかったが、内心ではどう思ったことか。


 そもそも本来ならばお母さまは応接間かどこかで待ち構えていて、そこにアルヴェインが案内されて、挨拶――とすべきなのだ。

 そこをわざわざ出て来たお母さまの行動に、「これ以上奥へは進ません」という堅い意思を感じてしまった。


 怖い怖い、ここは一触即発だ。


 早く安全な外に出ようよ、とアルヴェインに縋るように合図したのに、お母さまにくっついてきた空気を読まない我が弟、十二歳のトマスが、あろうことかアルヴェインに向かって、ぼそっと言った。


「……お姉さまと結婚するの?」


 こらぁぁぁ!


 私、真っ青。

 お母さま、額を押さえる。

 家令、愕然。

 バート、飛び出す。


 玄関ホールが混乱の様相。

 落ち着いているのはアルヴェインだけだ。


 バートがトマスの横に膝を突いて、「坊ちゃま、お言葉遣いにはお気をつけいただきますよう!」と強めに叱る一方で、お母さまが辛うじて体勢を立て直し、「おほほほ」と笑った。

 本当に「おほほほ」と言った。


「お恥ずかしいですわ、失礼、トマスです……トマス、ご挨拶は?」


 トマスが恥ずかしそうにはにかんで進み出て、「トマス・パライヴァと申します」と、にこっと笑窪を作りながら名乗った。


 可愛いなあ!

 可愛いけど、今はそんな場合じゃないなあ!


 が、助かった。

 アルヴェインの心は広かった。


 進み出てきたトマスと視線を合わせるように膝を突いて、爽やかな笑顔で「やあ」と言ってくれた。


「初めまして。俺はアルヴェイン・ルベラスという。きみは、フィオレアナ嬢の弟君かな?」


 はいっ、と元気よく頷くトマス。

 トマスのことは大好きだけど、ごめんね、お姉さまは今だけはその口に紙屑を突っ込みたい!


 私がおろおろしているのは見えているだろうに、アルヴェインはしれっと続けた。


「なるほど、姉君によく似て可愛らしいね」


 お母さま! そんな狂人を見る目でアルヴェインを見ないで!


 アルヴェインはにっこり微笑んで立ち上がりつつ、最後に凄まじい爆弾を落とした。


「俺も、早くきみを弟と呼べるように頑張るよ」


 その瞬間にせり上がってきたパニックのせいで、私はその直後から玄関ホールから連れ出されるまでの記憶を、綺麗に空の彼方まで飛ばした。





「馬鹿っ! 馬鹿っ!」


「いやあ、おまえの弟、可愛いな。つい」


 アルヴェインがけらけら笑っている。

 茫然としているままに玄関ホールから連れ出され、アルヴェインの馬車に乗せられたところである。


 ちなみにアーチーと、アルヴェインの付き人のセドリックさんは、馬車の後ろの立ち台だ。


 密室に未婚の男女が二人きりだ。

 いいのか。

 激しく疑問に思いはしたが、抵抗する間もなく馬車が走り出して現在に至る。


 走り出してしまったものは仕方がないので、思う存分アルヴェインを罵ることにしたのだ。


「馬鹿っ! ほんっとうに馬鹿! お母さまのあんな顔、初めて見たぞ!」


「すまん。あとおまえ、白目剥きそうになってたぞ」


「うるさいっ! 誰のせいだ!」


「悪かったって」


 謝っているはずなのに、アルヴェインはにこにこしている。

 私が取り敢えず馬車の隅っこで悲嘆に暮れることにすると、嬉しそうに言ってきた。


「体調は本当にもう大丈夫そうだな。良かった」


「…………」


 ――いい感じに頭からかっ飛んでいたことが戻ってきた。


 私は呻きそうになったが堪える。

 ここで意識したら負け。何に負けるのかも意識してはならない。


 私は大急ぎで呆れ顔を顔面に貼りつけてアルヴェインを見た。


「だから大丈夫だって言っただろ。それとも、ここで具合が悪いって言ったら、さっきのあれを全部なかったことにして帰らせてくれるのか」


「なかったことには……ならないかな」


「もう馬鹿。ほんと馬鹿」


「へそを曲げるな、悪かった」


 アルヴェインが両手を挙げて、「降参」のポーズをとった。


「今日はおまえのリクエストだぞ。楽しくやろう、フィオレアナ」



 な? と念押しするように首を傾げられ、無意識のうちに頷いてしまった私は、他人のことを言えないくらいの相当な馬鹿である。



















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