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26 カチコミじゃあ!

 翌朝には、ドーンベル家の使用人の最後の一人に至るまでに、私とアルヴェインの婚約話がどういう事態になっているかが知られてしまった。


 私がハンナに報告し、ハンナが同僚に報告し――あとは野火のようだった。

 口止めしなかった私が悪い。


 執事のバートから『恋に効く詩集』なるものを手渡され、私はもう笑うしかない。

 使用人のみんな、異常な盛り上がりようだ。


 自分の運命の分水嶺にびびり上がって読めていなかった、先週分の『ロルフレッドとティアーナ』を読む。

 なんで使用人のみんながあそこまで盛り上がったのか納得した。

 まさに作中では、ティアーナとの結婚を反対されているロルフレッドが、「真実の愛を証明します!」と宣言したシーン。


 ああ、偶然にも程がある。

 なんてタイミングだ。


 いっそジョナサンさんの創作として昇華してもらえないかしら、と、私は作品へのお礼かたがたジョナサンさんに、具体的な家名などは伏せつつ、「実際の貴族社会でも、こんなことがあるみたいですよ」と、ぼかしまくった現状をしたためたお手紙を送った。


 夜中の密談でアルヴェインに、「実は例の『ロルフレッドとティアーナ』が今こういう状況になっていて……」と、この偶然を愚痴ったところ、奴は爆笑していた。


 ちなみに、木曜日にはアルヴェインからお手紙が届き、バートはとうとうそれをこっそり抜き出さずにお父さまの目を通させ、お父さまが苦虫を噛み潰したような顔で私にそれを渡した。

 使用人のみんなは大喝采だった。

 なんなんだもう、なんなんだもう。


 お手紙は――お父さまが読むことも考えたのだろう――当たり障りのない文章だった。

 まあ、陛下の裁定の結果があって、手紙の一つもないのは不自然だものな。

 はいはいはい。


 だけど嘘でも、「俺の愛が伝わるよう努力する」なんて書かないでよ。

 ちょっとどきっとしちゃったじゃん。



 ――ねえ、過去の可愛い奥さんたちにも、こういう手紙は送ってたの?

 そのときは演技じゃなく本心から。



 そんなことを考えてしまった自分にびっくりして、手紙は間もなく燃やされた。








 土曜日には、「夜会にはアルヴェインも来る」ということをぼろっと零してしまったものだから、ハンナの熱の入りようがすごいことになった。


 かつてなく飾り立てられた自分を鏡越しに見て、はは……と乾いた声が出た。

 ごめんねハンナ、今日のエスコートはアルヴェインではなくて、従兄なんだ……。


 叔父のモールド男爵は、お父さまより二つ下。

 が、なかなか子供を授からなかったお父さまと違ってすぐに子供が出来て、しかもそれが男の子だったものだから、トマスが生まれるまで、お父さまに気が気ではない思いをさせていた。


 従兄の名前はダニエル。

 大学を修了したばかりの十七歳、生意気盛りの男の子である。


「イヴンアロー侯爵と面白いことになっているってマジですか」


 迎えに来てくれた馬車に私が乗り込むなり、ダニエルは前のめりになってそう言った。

 私は溜息。


 私の長いドレスの裾をえっさえっさと馬車の中に押し込むようにして扉を閉めてから、今日の私の付き人を務めてくれる従僕のアーチーが、馬車の後ろの従僕用の立ち台(吹き晒し)に回っていく。

 血縁かつ目下とはいえこの馬車は他家の馬車、客の従僕であるアーチーは中には入れないのだ。


 私はつんと顎を上げた。

 年下だし女ではあるけれど、互いの家が持つ爵位には差がある。

 つまり、私の方が偉い。


「そんなことより、女性が馬車に乗り込むときには手を貸すのがマナーですよ、ダニエル」


「えー、めんどくさいじゃないですか」


「そんなことでは先が思いやられます」


「母上みたいなこと言いますね、フィオレアナ」


 私相手だから今はいいけど、本命の令嬢を相手にしたときに、今みたいに馬車に乗り込む女性をぼけーっと見てたら嫌われるぞ。


 大学に行ったとはいえ、学問を究めるためではなく、人脈を築いたり一般教養を教わったり、あとはマナーだのなんだの、その辺を学びに行っただけのはずなのに、その「だけ」すら修めた様子がないとは嘆かわしい。


「叔母上にも注意されているなら――」


「そんなことより、イヴンアローと面白いことになっているってマジですか」


 馬車の天井を叩き、御者に「出せ」と命じながら、ダニエルがにやにやして言った。


 私は夜陰に沈む窓の外を向いて無視した。

 それを意に介さず、ダニエルはにやにやしながら話し続ける。


「イヴンアローの息子とあなたが婚約しただのしてないだの、結構あちこちで話題ですよ。僕もどこに行っても『何か知ってるか』って訊かれていい迷惑です」


 私は思わずダニエルに向き直った。


「正直に、知らないって言えばいい話でしょう」


「それで周りが納得してくれるなら苦労はありませんよ。カードをしていてもずーっとその話――」


「カード? 待って、ダニエル、賭け事に手を出しているの? まだ早いでしょう?」


 夜会の後に、男性はカード遊びやら何やらの賭け事に興じるものだが(そこであれこれと人脈が作られたり壊されたりもするものだが)、ダニエルはまだ十七歳だぞ?


 目を見開く私に、ダニエルは舌打ち。


「もう、賭け事なんて大学にいたときからしてました。――それで、ねえ、イヴンアローの息子と、」


「大学にいたときから!?」


「もう、うるさいな、放っておいてください。今のところ節度を持ってますから」


 本気で鬱陶しそうに言われ、私は渋々口を閉じる。

 頼むから身代を傾けるような真似はしてくれるなよ。


「そんなことより、イヴンアローと何があったんですか。イヴンアローの息子、二人いるでしょう。どっちとの噂なんです」


 つん。

 がたごと揺れる馬車の中で顎をそびやかす。


「知りませーん」


「ちょっと、ひどいな。除け者ですか」


「放っておいてくださーい」


「もう、子供じみたことをして。――いや、待てよ。確かイヴンアローの息子、弟の方はまだ大学ですね? ってことは兄貴の方とだ!」


 どうだ! と言わんばかりに照り輝く笑顔。

 馬鹿な子ほど可愛いよ。


「ねえ、噂では、とうとう国王陛下が取り成されたとのお話でしたけど。どうなんです、そこのところ」


「知りませーん」


「ひどいな、僕だって色々訊かれて迷惑しているのに」


「ではイヴンアローのご子息さまに直接尋ねられては?」


「出来ないですよ、そんなの。あいつ――なんていいましたっけ、アルヴェイン?」


「アルヴェイン()()


 敬称を訂正。

 反目し合っているとはいえ、あっちの方が身分は遥か上だぞ。


「そうそう、アルヴェイン“さま”ね。

 ――大学は在学が被ってましたけど、一言も話さず乗り越えたんですよ、僕」


「あら、どうして」


「どうしてって、決まってるでしょう。口利いたら伯父上に殺されると思ったんですよ」


「あらあらあら」


 口の端で笑いつつ、私もちょっと気になってきた。

 大学ではあいつ、どういう振る舞いをしていたんだろう。


「アルヴェインさま、大学ではどのようにお過ごしになっていたの?」


「どうって、まあ、ふつう」


「普通、というと」


「講義を聞いて、メシ食ってご友人がたとふざけて」


「ふざけて……」


 想像がつく。

 あいつ、世渡り上手だし、人から好かれるしな。


「たまに夜の町に出て」


「はあ」


「気になります?」


 ダニエルのにやにや笑い。

 私は馬車が揺れた拍子に体勢を崩した振りをして、奴の足の甲を踏み抜いた。


「いってぇ! 痛い!」


「あらごめんあそばせ」


「くそう、伯父上に言いつけますからね」


「お好きにどうぞ」





 足を踏んだからかはわからないが、夜会の会場であるコリンズ子爵のお屋敷の大広間に入るなり、ダニエルは友人を見つけて、私のエスコートを放棄してそっちに行ってしまった。

 えぇ……。


 これだから子供にエスコートされるのは嫌なんだ。

 自分の役割というものがわかっていない。

 お父さまが未婚の私をダニエルに託された、そのお心がわからないなんて――と、自分が十五歳、相手が十七歳であることを棚に上げ、私はぷりぷりと怒る。


 帰ったらお父さまに言いつけて、お父さまからモールド男爵に一言入れてもらおう。


 とはいえ困った。


 エスコートの男性というのは、女性にとっては盾なのだ。

 一人でぽつねんと取り残され、無防備であること極まりない。


 取り敢えず立食スペースに逃げ込んで、カナッペをもぐもぐと食べてから、給仕からフルートグラスを受け取って、私は壁の花を決め込むことにした。

 暇ではありません、お酒を楽しんでいるのです。


 シャンデリアの明かりがきらきら輝く。

 楽団の演奏は軽やかで楽しげ。

 ダンススペースで踊る人たちのうち、女性のドレスの華やかなこと。

 あっ、あのドレス可愛いな、意匠も凝ってるな、今度仕立屋さんに相談しようかな、でも真似したことがあの令嬢にバレたら嫌がられるかな……。


 大理石の床は磨き上げられて、まるで何もかもが水面の上のことのように床にも映り込んでいる。

 はあー、綺麗。華やか。

 しばらく離れていた夜会の空気。


 とか思っていたら当てられてきた。


 しんどい。

 私のような女には、ちょっとあれこれ派手すぎた。


 外の空気を吸いに行こうと、大広間からバルコニーに出ようとすると。


 おっと先客。

 これが夜会会場から抜け出した、人目を忍ぶカップルであれば私もくるりと踵を返したが、どうやら男性ばかりのようだ。


 えー、しれっと出て行ったら、意外と歓迎されたりしないかな?


 そう思って外の空気への未練がましく、耳を澄ませて少し待ってしまったのが運の尽き。


「――バース・ケネットがとうとうくたばりそうだって」


「へええ。子無しのままか。じゃあエセレット侯爵位とヴァンズ子爵位が、まるごと弟に転がり込むわけか」


「羨ましいね、俺が同じ幸運に恵まれようとすれば、兄貴二人とその子供と叔父さんとその子供にくたばってもらわなきゃならない」


 お……おぅ……。

 爵位を得られるかどうかわからない、次男以下の男子には悲痛な思いがあるようだ。


「あと、聞いたか」


「なに」


「イヴンアローとドーンベルの二人だよ。とうとう陛下の仲裁を受けたらしい」


 あっ、しれっと出て行く線が消えた。

 気まずいことこの上ない。


 とはいえ私はその場で足踏み。

 ここのところ夜会から離れていたから、世間で私たちがどう見られているのかを知っておきたい。


「へえええ! で、どうなった」


「喧嘩し倒して、どっちかの家が取り潰されればいいんだ、あいつら」


「仮にドーンベル側が潰れれば、宙に浮くのはドーンベル伯爵位、サニーリング子爵位、ナイトレイ男爵位……」


「まあまあ落ち着けよ。

 ――ぶっちゃけ、どうなったかは知らん。どうにも話が伝わってこなくて」


 そりゃあ、何がどうともなってませんから。


「しっかし、まさかね。イヴンアローとドーンベルの間に、こんな噂が聞こえてくる日がくるとはね」


「あのとき、俺、その場にいたぜ」


「えっマジで」


「いきなりイヴンアローの跡継ぎが求婚して、その場で全員が目玉を落っことしそうな顔してたな。思い出しても異様な空間だった」


「そういえばあのあと、ドーンベルのお嬢さんの顔は見ないな」


「噂では、怒り狂った伯爵さまが謹慎を言い渡したとか」


 ああ……申し上げづらいんですがここにいます……。


「えっ、だけど、こないだイヴンアローの跡継ぎと、どっかの野外演奏会にいたって」


「それで、まだ婚約が固まってない……?」


「なんだそれ」


 ぷっ、と、馬鹿にしたように噴き出す声。

 私はかちんときた。


「実はあいつ、あんな顔して女の手の握り方も知らないんじゃないのか」


「あるいは会話が成立しないほど頭が悪いか」


「親父さんも通さず、いきなりぶっ飛んだ求婚をするくらいだから、賢くはないだろうが」


「もしかしたら、めちゃくちゃ女癖が悪いのかもな。実は娼館に入り浸っていたりして」


「商売女にしか相手にされない下手くそかもな」


「馬鹿で、娼婦にしか相手にされない腰抜けか……。イヴンアロー侯もご苦労だな!」


 ――むかつく!


 グラスを握る手に力が籠る。

 なんだこいつら、アルヴェインと口を利いたこともないのか!

 むかつき過ぎて気分が悪くなりそう、というか私をダシにあいつを悪く言うなんて言語道断だ!


 私は殆ど勢い任せに、靴音高らかにバルコニーに出た。


 当然、バルコニーの欄干に寄り掛かって屯していた男性たちが、一斉にこちらを振り返る。

 全部で五人、全員若い――アルヴェインと同年代か、少し上くらい。


 おうおう上等、やってやるよ。


 おっ、若い女性だ、というように微笑んだ彼らのうち、一人が若干気まずそうにした。


 さてはおまえか、求婚現場を見ていたのは。

 私の顔と名前を知っているんだな。


 私はにっこり笑った。


「良いお晩ですわね!」


 ばらばらと返答が上がるのを殆ど聞かず、私は笑顔のまま名乗った。


「お目にかかるのは初めての方ばかりですわね。

 わたくしはフィオレアナ・パライヴァ、父はドーンベル伯です」


「――――」


 噂話のご本人登場。

 さぞかし気まずいことだろう。


 すーっと目を逸らす五人衆。

 覚悟が足りないにも程がある。


 私は首を傾げて容赦なく臨戦態勢。

 笑顔は鎧だ、絶対にこいつらの心をへし折ってやる。


「お邪魔してしまいましたかしら? 申し訳ありません、夜風に当たろうと思いましたら、何やら面白いお話が聞こえてきて……」


 聞かれてたか、とばかりに強張る五人衆の顔。

 せせら笑いたいのをぐっと堪える。


 まずは悲しそうな顔だ。


「アルヴェインさまのお名前が聞こえてきたようですけれど、聞き違いでしょうか。わたくしがあの方に一目惚れしてしまって、こうしてご迷惑をかけている以上、悲しいですわ……」


「あー……」


 勇気ある一人が何か言おうとしたが、結局むにゃむにゃ黙り込む。

 弱腰が。


「ですが、安心いたしました」


 私はにっこり笑った。


 は? と声が上がるが無視。

 にこにこ笑顔で言葉を続ける。


「もしあのようなこと、皆さまが他の方々に言い触らしてしまったらどうしようかと、わたくし胸が潰れるような気持ちになってしまったのですけれど、杞憂でしたわね!」


 満面の笑み。

 呆気にとられている五人衆。


「どこのどなたが話を聞いても、あなた方の、アルヴェインさまへの妬み――あ、いえ、直截的過ぎましたわね、失礼、えー……歪んだ憧れ、と申しましょうか、そういったお気持ちからのお言葉であることは明白ですもの!」


 五人衆を見渡して、心から晴れやかな笑顔を浮かべてみせる。

 向こうからすれば逆光になっているから、私のこの会心の笑顔がちゃんと見えているか、そこだけが心配だ。


「お振舞いもお言葉も、お顔に表れる高潔さも、アルヴェインさまの方が遥かに優れていらっしゃいますもの。皆さま、本当にお心が優しくていらっしゃるのね、笑えない冗談は、確実に冗談だとわかる水準のものを言う――たとえば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ですとか」


 場末の酒場で言えば乱闘間違いなしの暴言でも、ここでは私は絶対に殴られたりしない。

 だって私の後ろには、私のお父さまのご威光がある。


 多分、内心では相当私を殴りたかっただろうに、「この女に手を出せば、ドーンベル伯が黙っていない」という一点だけで我慢する五人衆の顔が、いい具合に真っ赤になっていく。


 いやあ、壮観。

 いいねえ、こっちは順光だからくっきり見えるよ、その表情。


 辛うじて、「はあ……」と言った一人に目を向けて、私はにっこり。


「ですが、ご存知ではありません? 笑えない冗談は失言と申しますのよ」


「…………」


 五人、そろそろキレそう。

 撤退するか。


 あ、でも最後に一つ。


「あの、失礼? お名前を伺っても?」


「――――」


 五人、真っ青。

 ようやく気づいたか。


 私は笑顔で追い打ち。


「あなた方のお名前を、伺っても?」


 私は伯爵令嬢だ。

 そして会話の内容から推して、彼らはさほど身分の高くない貴族の次男坊以下。


 つまり彼らが大出世するには、運よく爵位がくっついてきそうな貴族の一粒種の令嬢か、あるいは未亡人あたりを捕まえて結婚するしかないのだが――


 ――伯爵令嬢である私が、彼らの良からぬ噂を社交場で流したら。


 あの五人はやばいです、平然と下品なことを言って、事もあろうに侯爵家を敵に回すような人たちです、と吹き込んだら。


 彼らの大出世ルートはそこで途絶えるのだ。


 ざまあ。

 震え上がれ。

 後悔しやがれ。


 笑顔でなおも迫る私。

 五人がお互いに顔を見合わせて、「いや、俺は……」「僕はそろそろ……」だのと口々に不明瞭に呟き、バルコニーからすり足で飛び出していく。


 私は手近を通った一人に、狙い澄ましてグラスの中身を零した。


「あっ、あらー、ごめんなさい、待って、従僕を呼びますわ?」


 わざとらしくそう言った私に、「いいんで!」と叫んで出て行く彼。

 バルコニーから飛び出して行った五人衆が、「ぎゃあ!」と最後に叫んだが、お化けでもいました?


 私は笑顔で彼らを見送った。

 あらー、お名前も教えていただけず、寂しいですわー。



 やりきったぜ、と、私は清々した気分でバルコニーから中に戻った。


 そして、「ぎゃっ」と叫んだ。

 グラスを取り落とさなかったのは奇跡。


 なんでさっきの五人衆が叫んだかわかったよ。



 バルコニーのそばで、壁に凭れ掛かって、アルヴェインが私を待っていた。





















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