23 魔法の種といってらっしゃいませ!
なぜかわからないが、アルヴェインが怒っている。
手紙もぴたっと止まったし(まあこれは当然か)、夜中に蝋燭の灯の魔法を使ってみても、二言三言応じるだけで、すぐに「おやすみ」と灯を消される。
「何かした?」と尋ねると、そのときだけは優しい口調になって、「大丈夫だよ」と答えてはくれるから、私に何かの失態があったわけではなさそうだけれど――
――だけど、少し考えると、現在の状況はこう。
一、私がアルウィリスに呪いを掛けちゃったせいで、両者揃って転生十数回目。
二、またも敵対する家に生まれてしまった。
三、もう呪いなんて懲り懲りだと思って、失言だったとはいえ私が「結婚しちゃえば」と発言。
四、本気にしたアルヴェインが求婚。
五、撤回したい。
六、頑張るのはアルヴェイン。
……私、酷いな……。
そりゃあ怒るわ。
これはないわ。
全てにおいて悪いのは私。
最近の人生では仲良くやれていたからついつい忘れがちだけれど、そもそもアルヴェインは私のことを、蛇蝎の如くに忌み嫌っているところから始まったんだった。
――このままアルヴェインに全てを任せ切るのは卑怯じゃない?
あまりにも、あまりにも卑怯じゃない?
なんならこの先も続いていくだろう転生において、これから先の人生全てで「アルヴェインに全てを任せて逃げ切った」という負い目を背負うくらいの話じゃない?
というわけで。
「――お父さまっ!」
運命の、そして恐怖の裁定前日の月曜日。
実に一週間に亘って胃を痛め続け、私はじゃっかん憔悴ぎみだ。
先週は『ロルフレッドとティアーナ』も読めなかった。
自分の運命の分水嶺にあって、今ばかりは他の運命を追っている場合ではないというか。
お帰りになって間もないお父さまが目を丸くする。
そりゃあそう、主寝室と続きになっているお父さまの私室に、娘といえども私がひょいひょい訪ねていいわけがないので。
とはいえ、明日は陛下の御前での裁定だ。
私が不安になるのも理解できる、みたいな顔で、困り顔の執事を片手で宥めてくださるお父さま。
私は内心でガッツポーズ。
ここにいたのが家令ではなく、執事のバートで良かった。
バートに目配せ。
バートは――勘違いではあるけれども――私がアルヴェインに熱烈に恋をしていると思い込んでおり、しかもそれを応援しますねと言っているのだ。
私がこっそりお父さまに言いたいことがあるに違いないと踏んだ顔をして、さり気なく退室していった。
よし。
これで二人。
密室で二人。
「フィオレアナ、感心しないな」
お父さまが苦笑ぎみにそう咎めてきた。
「申し訳ありません」と断ってから、私は息を吸い込む。
本当に本当にごめんなさい。
――そしてどうかお父さま、私に愛情の欠片はあると言ってください。
覚悟を決め、私はお父さまと目を合わせる。
そして、言った。
「――お父さま、明日は口笛の音が聞こえます」
声に魔法を籠める。
お父さまの目を見る瞳にも魔法を籠める。
お父さまの表情が弛緩して、夢見るようなものになる。
――魔法というか、これは魔法の混じった強力な暗示に近いけれど。
相手が私に対して、ある程度の親愛の念を持っていなければ、心を許されず成功しない魔法だ。
どうか成功してくれ。
そしてお父さま、本当にごめんなさい。
「その音が聞こえたら、お父さま、不思議と耳許で声がすると思います」
お父さまが夢うつつの表情のまま頷く。
罪悪感がぎゅんぎゅんと体積を増してきて、心臓が潰されそう。
だけどこれしかないの、明日の裁定現場をアルヴェインに丸投げせず、私にも口出しをする余地を残すとすればこれしかないの。
「お父さまはきっと、聞こえてくるその声が言っていることを、陛下にお伝えしたくなると思います。――いいですね?」
お父さまが、ぼんやりとしたまま頷く。
ほっとして魔法を引っ込めると、お父さまは我に返った様子で瞬きした。
「――フィオレアナ、感心しないな。それほど落ち着かないか?」
数秒前のことを綺麗に忘れている様子のお父さまを見て、私は罪悪感を押さえつけて微笑む。
「いいえ、お父さま、お会いしたくなっただけです」
「まったく……子供じみたことを言うな」
「申し訳ありません。――明日のことにつきましては、」
にっこり。
「このフィオレアナ、お父さまを信じております」
魔法の種を植えつけられたお父さま、どうぞ王宮へいってらっしゃいませ。
◇◇◇
恐怖の裁定は午後二時から。
だというのに、起床直後から私の動悸は留まるところを知らない。
朝食も食べられず、私室に閉じこもり、胃を押さえて無言でいる私に、侍女のハンナは、「まあ、緊張なさらず」だの、「旦那さまがお戻りになるまではどうともわかりませんから」だの、「イヴンアローのご子息さまを信じましょうね」だのと宥めてくる。
うん、あの、ハンナが言ってるのとは逆の結果を招くという意味で信じたいんですが……。
だが、大変だ。
ハンナが予想以上に私を心配してくれている。
このまま私から離れてくれないようでは困る。
作戦に支障を来す。
うー……。
罪悪感に呻く私。
だが、背に腹は代えられない。
本当にごめん、ハンナ!
刻々と迫る運命の時間を前に、私は立ち上がった。
震えながらハンナに向き合う。
膝が笑う、私は小心者なのだ。
ごめんなさい……!
右手を持ち上げ、人差し指をすっと伸ばす。
訝しげにしたハンナが無意識の様子でその指先を目で追いかけ――
「ハンナ、注目」
決然と告げる。
ハンナの表情がとろんと溶ける。
「お嬢さまのことは、あまり心配ではない」
私が言うと、ハンナがぼんやりと繰り返した。
「……お嬢さまのことは、あんまり心配じゃない」
「きっとイヴンアローのご子息が上手くやってくださる」
「……イヴンアローのご子息が、上手くやってくださる……」
「それよりお仕事がある。行かなくては」
「……お仕事……」
「しばらくの間、この部屋には戻ろうという気持ちにはならないわね?」
「……しばらく、この部屋には戻らない……」
私は指を降ろした。
ハンナがぼんやりと、そして次第にはっきりとした様子で瞬きする。
そして、けろりとした口調で言った。
「――まあ、とにかく、きっと大丈夫ですよ、お嬢さま」
私は慎重に微笑む。
罪悪感が透けて見えると大変なので、緊張を装って唇を噛む。
「ええ、そうね」
「私、お仕事がありますので。失礼しますね?」
「ええ。お父さまがお戻りになったら、お話がどうなったか報告するわ」
「楽しみにしてます!」
嬉しそうな笑顔を見せ、ハンナが意気揚々と私の部屋を出て行く。
私は鏡台の前に座り込んだ。
――お父さまに続いて、ハンナにまでも……。
罰が当たるかもしれない。
罰が当たるにせよ今日ではありませんよう、と素早く祈りを捧げ、私は顔を上げた。
目の前の鏡には、蒼い顔をした私の顔が映っている。
深呼吸をして、その鏡面を、さながらノックするかのように指関節で叩く。
――鏡面に波紋が拡がった。
窓から射し込む陽光を、ひときわ強く反射して、鏡がきらきらと輝き――
ぱっ、と、鏡に映る光景が変わる。
映っていたはずの私の顔もこの部屋の光景も掻き消えて、浮かび上がったのは絢爛豪華な鏡張りの回廊。
陛下の玉座の間の手前にある、黄金と鏡と水晶と大理石で造り上げられた、華美を尽くした回廊だ。
全ての窓の両脇に、黄金で作られた妖精像が並べられていて、もう絢爛を通り越してちょっと気分が悪くなりそう。
差し込む陽光に、水晶のシャンデリアが一際眩しく煌めいている。
なるほど、お父さまはここにいらっしゃるのか。
――水晶玉や水面、あるいは鏡を媒介にして、こうして他所の光景を盗み見ることも、私に掛かれば造作ない。
とはいえバレたら火炙り。
それは怖い。
お父さまの姿はすぐに見つかった。
回廊を、他の三人と一緒にそぞろ歩いている。
三人とは言うまでもない、アルヴェイン、アルヴェインの父上であるイヴンアロー侯爵、そして国王陛下だ。
回廊のあちこちには侍従が控えている。
国王陛下には、私も何度か謁見賜ったことがあるけれど、正直お顔はあんまり覚えていなかった。
というのも、謁見賜るときも、顔を上げることが許されずにひたすら床を睨むことが多かったため。
国王陛下の方だって、話題のドーンベルの息女について、顔だって思い浮かんではおるまいよ。
思い浮かんでいるのは確実に私の頭のてっぺんだ。
こうしてまじまじ見てみると、国王陛下は――なんか普通のおじさんって感じだ。
とはいえ、有り得ないほど豪勢な意匠と長々とした真紅のガウンが地位を証明して余りある。
私は陛下の襟元の刺繍を観察してしまった。
ほえー、腕利きの針子が何週間かけたんだろうなあ。
お父さまとイヴンアロー侯爵は、陛下を挟むように、とはいえ半歩ほど下がって、そぞろ歩いている。
陛下の御前だから喧嘩はしていないものの、お互いにこうして陛下の裁定を喰らう羽目に陥った責任を、脳内で相手に押しつけまくっているんだろうなとわかる表情だ。
お父さまの口許はずっとぴくぴくしているし、イヴンアロー侯爵の眉も小刻みに動いているし。器用だな。
アルヴェインは、彼の父上の更に斜め後ろ。
陛下に謁見賜るとあって、今まで見たことがない、最上級の正装だ。
……生意気にも様になっている。
思わずぽけーっと眺めてしまった。
そのうちにアルヴェインが、何かに気づいた様子で眉を寄せ、ぐるりと周囲を見渡した。
やばいやばい、忘れてた、あいつも魔法は使えるのだ、じっと見つめ過ぎて勘付かれたらしい。
慌てて、鏡に映る焦点をお父さまと国王陛下に戻す。
幸いにもというか、控えめに交わされている会話の話題はまだ、お父さまやイヴンアロー侯爵からの、陛下へのご機嫌窺いの世間話だ。
なるほど、謁見の間で堅苦しくやるんじゃなくて、こうしてそぞろ歩き形式で話すのか。
それが、「こうした方が胸襟を開いて話が出来るから」なのか、「真面目に話すのもキツいくらい、陛下にとって怠い話題だから」なのかはわからないけど。
ふー、と深呼吸し、私は唇を舐める。
私が見守り始めて少しして、ようやく、窓際で足を止めた陛下が切り出した。
『――して、そのほうらの子息と息女だが』
きたきたきた!
心臓が肋骨の中でばくんばくんと暴れ始める。
掌に汗が滲んだので、行儀が悪いがドレスの膝の辺りで拭った。
ものすごく気まずそうな顔をしてから、視線合戦でお父さまに敗北し、イヴンアロー侯爵が最初に答えた。
『は……。陛下のお心を煩わせるとは、恥ずかしい限りにございます』
『まったく、まったく』
お父さま、その、「自分は悪くないんっすけどね」みたいなしたり顔と声はやめた方がいいと思うよ。
『よい、よい』
陛下がぞんざいに言って、手を振った。
『そのほうらが、先の戦争からこちら、父祖より睨み合ってきたのは承知のうえ』
『――――』
お父さまもイヴンアロー侯爵も、めちゃくちゃ気まずそう。
まあ、主君に、「おまえら仲悪いよね」と指摘されて、堂々としていろという方が無理ではあるか。
アルヴェインが、誰の目にも入らないだろう自分の立ち位置を生かして、声を出さずに笑っている。
私は見てるよ。
臣下二人を気まずさのどん底に追い遣って黙らせてから、陛下は億劫そうに口を開いた。
ねえ、この億劫そうな感じ、陛下も決してノリノリで裁定に乗り出したのではないんじゃない?
やっぱり愛娘である王女殿下におねだりされて、仕方なくって感じなんじゃない?
だとしたらやっぱり、あの小娘、許し難い。
今度はあいつを呪ってやろうか。
この裁定が変な方向に転がったら、間違いなく呪ってやるからな。
拳を握り締める私。
どきんどきんと激しく打つ心臓のせいで身体が揺れそう。
背中なんてもう汗でびっしょり。
唇を舐める。
眩暈がしてきた。
『そのうえで、そのほうらの子息が――子息と息女が――』
初めて、陛下の目がアルヴェインを向いた。
アルヴェインは平静。
葡萄色の目を小動もさせず、軽く頭を下げて陛下の眼差しを受けている。
――一人で戦わせたりしないからな、アルヴェイン。
息を吸い込む。
そして私は慎重に、鏡に向かって合図の口笛を吹いた。
私事ですが、本日は作者の誕生日です。
かこつけて、ご感想等ございましたら恵んでいただきますとたいへん喜びます。




